無題
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D800
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F5.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 7360x4912 (28.1MB)
撮影日時 2015-03-05 23:36:33 +0900

1   kusanagi   2023/3/21 20:16

画像至上主義の終わり

写真がデジタルになってから20年以上になります。当初のデジタルの画質はフィルムに完全に
負けていたので、ユーザーはとにかく画質重点主義だったように思います。
しかし段々とデジタルの画質も良くなり、まだ発色とかコントラストなどは劣っていますが、解像力
や感度などは完全にフィルムを超えてしまいました。もう十分な画質をデジタルは持っていると思う
のですが、これまでの習慣でユーザーは画質のことをまだ言っています。

ミラーレスやライブビューならピントや露出は正確だし・・・とか何とかですね。
しかしよくよく考えると、フィルム時代に於いて我々はどれほどの写真を撮っていたのでしょうか。
1回あたりせいぜいフイルム数本でしょう? 100ショットに行かないくらいの写真しか撮っていな
かったのではないですか。画像とか画質とか云々するまでもなかったはずです。画質オタクになった
のはデジタルからではありませんかね。

フィルム時代では何よりも撮影自体に気を入れていて、肉眼でよく見ることは当然としてファインダー
を駆使しながら、とにかく被写体を徹底的に見ることであったように思います。ハイアマチュアならば
何度も三脚を立て直して光や構図を逡巡しなから良く見て考えながら撮影をしていたのではありませ
んか。
私はハイアマチュアの経験はないのですが、彼らはファインダーを十分に駆使しそれこそファインダー
を見ることで写真そのものの8割くらいが達成できていたのではありませんか。
それこそファインダー命であったわけで、べつにレリーズを押そうが押さないではなくファインダーの
世界が写真世界そのものだったように思います。

ちなみに私はハイアマチュア以前の写真マニアの世代だったので、それほどにファインダーは凝らな
かったと思いますけど、むしろ裸眼肉眼で見るということが主題だったように感じます。
私か写真を止めてからカラー写真やAFカメラの時代がはじまって、カメラのファインダーは素晴らしく
良くなりました。その時代に多くの写真愛好家が出現したと思いますね。コンタックスのカメラや中判
カメラが全盛を極めたと思います。

そういう時代に写真の薫陶を受けた世代が、今は何と光学ファインダーを捨て去ったミラーレスカメラに
向かっているんですね。なぜならばその方が時代だから。(笑) まあミラーレスの方が画質が優れてい
るからというわけでしょう。そりゃあ間違いのないところです。レンズからして違いますから。
そういう世代があの小さなEVF電子ファインダーを食い入るようにして目をしばたせながら見ている様を
想像するに、これが時代の流れなのかなって驚いてしまいます。
かつては光学ファインダー命であって、そのファインダーに親しむことで写真の8割はそこで完結して
いたはずなのに、今はEVFで苦しみながら撮影をしているというのは一体どういうことなのでしょうか。

さて、もうひとつの写真世代というものもあります。ほぼデジタル写真時代から写真を始めたような世代。
フィルム時代はあまり知らないです。大体はコンデジやAPSデジイチから写真に行ったものですから、
光学ファインダーのことはあまり知りません。ファインダーと言えばダハミラーのAPSカメラ程度であって
フルサイズのファインダーやましてや中判カメラのそれも知りません。
こういう世代は、とにかくレリーズをたくさん押して撮った画像の中から良いものを選ぶっていう、写真
自体がイコールそのまま画像処理になるという感覚の世代です。

私は半分はデジタルになってからの世代とも言えて、それで写真とはデジタル処理なんだという感覚も
持ち合わせています。しかしこれはある程度、限界があって写真がPC画像処理だということは、即ち
写真がリアル世界ではなくなって単なる画像処理になってしまい、所謂モニター症候群の罠にはまって
しまうということだったです。その典型例がシグマフォビオン画像でした。
PCの前に張り付いて画像処理時間は長いしで、私も見事にモニター症候群に陥ってしまったことを思い
だします。

写真とは何か、結局は画像処理なんかに頼らずに、撮影の時点で写真の大部分が完結していないと、
それは写真とは成り得ないという事なんではないですかね。
そしてその肝を握っているのが光学ファインダーの存在なんだろうということです。光学ファインダーとは
現実光景のファインダーであり、リアルな光景を四角く切り取ったものです。EVFは光を電子に一度は
転換していますのでリアルなファインダーではありませんよ。

光学ファインダーの良さを体験していたハイアマチュアがミラーレスカメラに行くというのは、画質至上主
義というものに惑わされているといいますか、そもそもデジタル写真というものをまだよく知っていなかった
からだろうと推察しています。
光学一眼デジタルカメラというのは、アナログ時代とデジタ時代の過度期のものなんですね。カメラは
アナログのフィルム時代のものであって、画像はデジタル時代のものという折衷したものです。本当の
デジタル時代のカメラというのはミラーレスカメラになってからです。
そして本当のデジタル写真時代というものは、静止画という写真は消滅して動画を含む画像生成機で
あるというのがその正体だろうということです。ドローンやロボットが撮影しても何ら問題がない世界です。

ですからデジタル写真時代では、正確に言えば写真は消滅して画像主義となります。画像が出来て
ナンボの世界であって、旧来の写真の楽しみというものはなくなります。カメラが勝手に撮って勝手に
現像してしまうという世界です。最新のミラーレスカメラはAIが入っていてカメラがロボット化しています。
これが多分、デジタル写真の本当の姿でしょう。スマホの写真を見ているとそう思ってしまいますね。

旧来の写真の楽しみを知っている世代は本当は、このデジタル時代の写真には行けないとだろうと
私は思っています。それを無理やり行こうとすれば大きなしっぺ返しを食うのではないですか。
私はモニター症候群、VDT症候群で超高画素高画質という画増至上主義に限界を感じておりましたか
ら、ミラーレスでは低画素のカメラを選び、そしてミラーレスで撮る写真は記録写真としての撮りっぱなし
を選びました。

ここでいう記録写真とは、自分が歩いたその記録であって、写真の楽しみよりも歩くことや自然の中に
入ることの楽しみを優先したものです。ですから撮りっぱなしで良く、気が向けば閲覧するだけです。
ミラーレスカメラは画像生成機でしかないのだから写真としては認めず、ただ歩きの健康維持の為だけ
に特化した使い方にしたのです。
ミラーレスカメラは背面モニターを見て、そして電子シャッターを使う限りにおいては身体に優しいカメラ
となります。背面モニター撮影とは要するにノーファインダー撮影とさほど変わらない方法ですね。

この撮影方法は膨大なショット数を生み出すことが出来、これがまさしくだジタル時代の写真(画像)だ
ろうということです。数打てば当たるのやり方であり、撮った画像は大部分スルーするという具合なので
デジタルとはそういうものなんだと割り切れば、このデジタル写真の方法しかないものと思います。
要するにデジタル時代というものはその程度なんだということです。
そしてこのやり方は時代に沿ってはいますが、自分を見失う可能性が高いです。そもそも自分をなくする
というのがデジタル時代の本質であるわけですから当然のことだということです。
デジタル写真とはアナログ時代の写真とは根本的に違うものなのです。

ミラーレスカメラは、レンズ交換式のコンデジであるというくらいの感覚で臨まないといけないと感じてい
ます。コンデジとはフィルム時代で言えばバカチョンカメラです。間に合わせの小型カメラです。写真を
楽しもうということでは一眼レフカメラであったわけで、それは今の時代でも変わらないでしょう。
高品質な画像が生成できるということで、ミラーレスカメラこそがメインのカメラであると考えると、そこに
は大きな落とし穴があったりします。
私はミラーレスカメラを初期の段階から試しているのですが、それはデジイチのマイナス点、漏洩電磁波
を防ぐ目的でした。モータードライブを搭載したデジイチの最大の欠点がその電磁波被爆でしたから。

画像至上主義の行く付くところはデジタルであり、そしてデジタルは自らを見失うことである、ということ。
そうであるならば根本的に画像至上主義を捨てなければならないということです。
そこで再び思い出すのが、かつてハイアマチュア人がやっていたファインダーを駆使して撮影時に8割
の写真行為を完結させるというやり方です。これに戻らなければ写真は取り戻せないということだと
感じています。写真画像とは単なる結果いでしかなく、写真の本質は撮影現場にこそあるのだということ
ですかね。そこに本来的な写真行為の本当の意味と実質と楽しみがあるのではないですか。

そして私が今回選んだのが、優れた光学ファインター(フルサイズカメラ)とMF単焦点レンズの組み合わせ
です。もちろんAPSカメラでも一眼ならば良いですし、レンズもAFレンズでもMFで使えばよいだけのこと
ですが。別にズームレンズでも構いませんし。
とにかくスローな撮影で、肝心なのは良くファインダーを見るということです。言っておきますがEVFは
ファインダーではありませんよ。ファインダーもどきではありますが本質的にファインダーとは成り得ませ
ん。
だた本当に、ここでいう意味がリアルに分かるにはやはり純粋なMFレンズであるのが望ましいです。
このMFレンズはイオスでは存在しません。MFレンズを現在でも作っているのはコシナと中華製だけでは
ないですか。
もしくはマウントアダプターで介助して古いMFレンズで撮影するか、その二つしかありません。

なぜAFではなくMFなのか。それは簡単で、ファインダーを良く見るにはその方法がベストだからです。
ピントを外しても構いません。MFならばそれが自然ですから。露出は絞り優先の自動でもマニュアルでも
よいと思っています。ピントに集中しようと思えば露出自動のほうが使いやすいですかね。露出が手動
だと、撮影後にどうしても画像確認をしてしまうので気が散ります。
それで私はMFのピント手動、感度は自動ということでやっていますが、カメラによっては露出設定は
マニュアルになるのもありますね。

結局はファインダーを良く見よう。ということでしかなく、それが写真の本質をえぐることになるからだろう
と考えています。ファインターを良くみるにはデジイチカメラしかなく、そしてMFで撮影をするということに
なるわけです。
写真の良さを、写真そのものを復権させるにはそこまでやらないと現在では達成しなくなっているという
ことだと考えています。

ファインダーと言えば、ファインダーを見すぎてファインダーに囚われすぎるからハイアマチュアの写真は
詰まらないのだ、という指摘がプロ写真家からよく出されました。ぎちぎちに余裕のない構図の写真なん
かですね。
それはその通りなんでして、そこはハイアマチュアの限界でありました。しかし彼らは被写体やファイン
ダーを良く見て写真を撮っていたということは間違いかなかったということです。

実物視やファインダー視の観察は、あくまでもこのリアルな現実の世界での「見る」という行為です。
デジタル画像になった電子画像を見るというものとは本質的に異なります。
よく言うのに、自分はパソコンで画像が自由になるのを見るのが楽しいということをいう人がいます。
あんなの、仕事で画像処理をしている人からすれば苦痛でしかないのですけどね。人間がするものでは
なくAIで済ますのが本当です。
画像処理なんかは絶対に写真ではありませんよ。アマチュアでもシグマフォビオンの画像処理をすれば
すぐさま身に沁みて分かることです。

結論として、画像至上主義というものを捨てなければならないということです。これに多くの人たちが
未だに囚われていて、それで本来の写真を見失っているところがあります。

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