写真撮影で一番充実しているのは、朝から夕暮れまで歩きに
歩いた時。くたくたになりながらも心は充実感に溢れてくる。
虚しいのはやたら車に乗って走っての撮影。ただせわしない
だけだ。
写真行為が人をして、幸せにするかと問えば、それはないと
思う。むしろ写真は麻薬であり依存症であり、詰まらない物欲
の発露なのだと言ってしまいたい。
写真をして不幸になる確率は高いと思う。これを消尽という。
いちばんさっぱりするのは写真から足を洗うことである。
それができないから、このようにぐだぐだと言っいるわけである。
だから、せめて写真というものを自分の中で何モノかにコンバート
して、オイラ、写真なんかやっていないって誤魔化すしかない。
写真をやって実際に不幸が忍び寄ってきた人を何人も見てきて
いる。写真はもともと魔性を秘めているのだし、さらに昨今の
デジタル写真は、知らず知らずのうちに身体を蝕んでしまう。
だから写真は長く続けるべきではないと思う。長く続けたければ
少しづつ写真を、小出しに細々とやっていくのが正解だと。
このフォトXP掲示板のGG氏は非常に運の良い人であると思う。
その運の良いGG氏が、べらぼうに撮影できるキヤノンから、最近
はシグマのカメラに移り気を示している。これは注目に値すると
思っている。
運の良い人というのは、何故だか説明は出来ないのだけど、危険
を避け、不思議に良いチャンスをものにする人だと言える。
それらは全て無意識で行われるから本人は、なぜそうするのかは
自分では正確に説明できない。しかしそれでいいわけだ。
要は、結果オーライというわけ。
写真行為を、カメラ趣味と写真(撮影)趣味ということで区分けを
する人がいる。分かったようでいてこれは不正確だ。
この2つは分けることが本来できないものであり、簡単にいえば、
主に道具にお金を掛ける人と、その道具を移動させることにお金を
支払う人との違いくらいでしかないのだ。
道具の移動。これは自分の手足で稼いだ距離を省いた交通機関
でのことを言う。むろん自家用車はその最たるものだし、飛行機
で海外に行けば瞬間最大値となる。
しかし本当に自分が満足でき、写真が本来持つ消尽性を最少に
抑えるのには、道具も移動も最低限に抑えるというのが肝要だと
思う。真に伸ばすべきは自分の手足である。
要するに、カメラもクルマも必要悪であって、そのマイナス面をよく
自覚しての、写真行為であるべきだということなのだろう。
取り敢へず 撮りに行こふよ 花鳥風月
見つけました・・最近・・長文がみられないんで。
閑古なシグマ掲示板が、赤丸急上昇中の芸人のように、にぎわって・・・
まあ、そのうち、落ち着くか、どうでしょうか・・・・
kusanagi氏のような、文章と写真 こうゆうジャンルがあっても良いとおもいます。
藤原新也のような、それから・・・名前がでませんが、アジア???の写真文章の人、canon使ってる・・
写真紀行文とでも、言うのかな、面白いとおもいます。