デジタル写真とフォビオン写真
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D7100
ソフトウェア Capture NX 2.4.7 W
レンズ 17-55mm F2.8
焦点距離 19mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/320sec.
絞り値 F9.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (2,363KB)
撮影日時 2016-09-10 15:31:43 +0900

1   zzr   2016/9/26 05:00

kusanagiさん、こんばんは。
うーん、そういうものなんでしょうか。。

仕事がヤバいのでそろそろ寝まーす ^_^;

2   kusanagi   2016/9/26 00:51

zzrさんがしきりにシグマを裏街道さんに勧めていますが、それはなかなか難しいでしょう。(^^;
前回、黒白写真の話をしましたが、写真文化の分類として、黒白フィルム写真、カラーフィルム写真、
そしてデジタル写真があるのだということですかね。
しかしここにもうひとつの写真文化があるんです。それはシグマフォビオン写真です。
敢えてデジタル写真とフォビオン写真を分けて考えるわけですね。

黒白写真が最高だって私は言いましたが、いや懐かしんだと言っていいのかもしれませんね。
その黒白写真とは、単なる写真画像ではなくて、いわば文学とか絵画・デザインや探検のような
人間業の多量に内包する総合芸術のようなものであるわけで、手作り感覚いっぱいの何かでした。
そのようなものは今の時代、もう絶対に復活することはできません。とおに失われた文化であるのです。

カラーフィルム写真は、これは商業主義であるわけで、残念ながらこれは文化とはなり得ません。
そしてデジタル写真なんですが、時間系列から言っても、デジタル写真はカラーフィルム写真を
引きずっているところが多分にあります。
しかしデジタル写真はカラーフィルム写真と違い、ユーザーは自前のPCで、ある程度の加工を
前提としているわけです。アンタッチャブルだった商業主義写真とは違うところがあります。
ただカメラが出すその絵は、カラーフィルム写真と基本的に一緒です。

ですから、カラーフィルム写真に慣れたユーザーは、そのまんまデジタル写真にすっぽりと移行
することができたんです。ここのところは非常に重要です。
裏街道さんがおっしゃっている写真感覚、ここはこうすべきだったとか、いや何とかなんとかは、
カラーフィルム写真に対する感覚と同じなのですが、それはカラーフィルム写真とデジタル写真が
絵作りとして同じだからそういうことが言えるんですね。

ところがフォビオン写真にはそのようなデジタル写真とは、何かが基本的に違うという根本的な
相違があるんです。
結論から言うと、私の考えでは、今のデジタル写真愛好家のほとんどは、このフォビオン写真には
違和感があるのだと思ってます。違和感というか拒絶感といってもいいのかも知れません。
カラーフィルム写真とデジタル写真は近いけれど、デジタル写真とフォビオン写真は遠いわけです。

フォビオン写真はデジタルでありながらアンタッチャブルなんです。画像加工というものを基本的に
拒絶します。いじればいじるほど写真としてはダメになります。しかしその分カメラとしての電子機械が
限りなく忠実に現実光景を写し留めてくれるのです。機械的な失敗は多々あるのですが。
とにかく、フォビオン写真を本当に理解している人はごく少数ですね。
フォビオン写真はPCのパワーを要求してきます。それでPCのハードウェアに詳しいというユーザー
条件が必要になりますが、それだけでなく人間の頭脳的に理数系技術系の人間でなければ理解
でないところがあるんじゃないかなって思うんですね。

フォビオンに関心が出て、それでジグマを使ってみるという人は多いのですが残念ながら長続き
しません。長らくフォビオン写真に留まることが出来ないのです。
フォビオン写真は難しいと誰もが言います。これは私には不思議なんですが、フォビオンで撮って、
ダメなカットはだめなので私はあっさりとダメなのは捨てます。そしてヒットしたコマだけを相手にする
んです。ですからフォビオンの撮影では多量撮影が基本です。
しかし考えてみればデジタル写真一般もそうでしょう。たくさん撮って良いものだけを抽出する。
しかし多くの方はこのコマのカットは構図的に優れているからと、そのダメな写真にこだわって長々と
PCで弄くり倒すんですね。そういうことは無駄であるということが分かっていないようです。

写真愛好家のほとんどは、現実光景を忠実に再現するカメラというものには本質的に拒絶感が
あるんだと私は考えます。
そうではなくて期待されるカメラというのは、人間が求める心理的期待感を上手く演出してくれるカメラ
こそが良いカメラであると考えているフシがあります。
しかしフォビオン写真は冷徹なまでにそういう人間の期待感を裏切るのです。しかし出てくる写真は
現実光景そのもの(のデジタル版ですが)であり、限りなくフォビオン写真は現実のリアルなコピーを
目指すんですね。
この2つのカメラの行き方は本質的に違うものであって、この微妙なしかし決定的に違うデジタルな
写真感覚を理解している人はごく少数です。

ひたすらにリアルコピーを目指すのがフォビオンであり、普通のデジタル写真は人間が求める画像に
迎合する写真であるわけで、その2つはその方向性が違うのです。
現実忠実写真と記憶色写真の違いと言ってもいいでしょう。写真を綺麗に、という考え方をしている限り
はフォビオン写真には違和感があります。写真を忠実に、と考える人はフォビオン写真を認めること
ができます。ビューティフルかリアルか、その分類です。

写真初心者が撮ったつたない写真には多くのユーザーが拒絶感を示しますね。なぜならばユーザー
は綺麗でうっとりして美しい写真を目指しているからです。現実以上にビューティフルに光景の写真
にしたいと考えているからです。
そのような多くのユーザーにとって、フォビオン写真はシャープだけと詰まらないというのです。
フォビオンには解像力しかないカメラだと。そのようなフォビオンに対する話を私は何度も聞いたことが
あります。
残念なから殆どのユーザーは空想の世界に生きていて、現実光景のリアルさを求めているんじゃなくて、
現実よりも優れた、より美しい世界を求める道具としてデジタルカメラを使うんだなということですかね。

しかしデジタル写真こそは、フィルムなんかとは違って、直接に光を電子化できてリアルに無駄なく
現実光景を再現できるカメラであるわけですが、そのような優れた特質に注目するのではなく、
あくまでもユーザーが求める空想世界を演出してくれるカメラこそが良いカメラであるという認識しか
していないようです。
ここに本質的な問題を見ることができます。メーカーは売れるカメラを目指しています。それを商業主義
というのですが、ユーザーの求めるカメラを開発し発売することですね。ですからメーカーはユーザー
に迎合するのです。そういうのはカラーフィルム写真の商業主義とまったく同じです。

実際のところ、フォビオンというカメラ原理を使わなくても、通常のベイヤー方式でもリアルで忠実な
画質のカメラの開発は可能です。フォビオンほどはうまくいかないのですが、リアルな画像を目指した
カメラは、かつても数多く存在しました。
しかしなからそういうカメラは売れませんでした。売れなければ商売としては話になりません。
それで今よく売れているカメラは、ユーザーに迎合した理想的な写真が撮れるカメラばかりなんですね。
ですからユーザーの頭のなかの理想写真なるものを叩き壊してくれるカメラなどは商売として成り立ち
ません。

フォビオンカメラはプロの方や評論家が高く評価しています。一般ユーザーはそういう権威に弱い
ですから、それで騙されたと思って買ってみるのですが、結局のところ自分の理想とするカメラとは違う
ということで手放してしまうのです。
フォビオンカメラは忠実にリアルに撮るには実に簡易なカメラですが、ユーザーの理想とする記憶色的
画像を得ようと思えば難儀なカメラです。それでフォビオンは難しいカメラという烙印を押されてしまうん
ですね。

黒白写真の時代に、写真を出来る限り現実に忠実にリアルに演出なしで行こうと言う思想なり運動が
ありました。リアリズム主義といいました。戦前の大本営写真とか検閲を逃れるための芸術風に振られ
すぎた写真からの脱却という意味も込めていたのでしょう。
それにしても黒白写真でリアル?なんて甚だおかしいですよね。現実はカラーなんですし。
まっ、そういう技術的な制約のあるなかでリアルに撮っていきたいという考え方は、黒白写真文化独特
の思想文化を育んだと思われます。人間というのは制約があればあるほど奮い立つと言いますか、
まあ、そういう時代もあったということです。

またそのリアリズム主義の後には、その権威化してリアリズム主義を打ち倒そうとするコンテンポラリー
写真というのも登場しました。これも黒白写真の時代です。リアリズム主義で緻密化した写真を解体し
再び率直にやっていこうというムーブメントでした。
こんな具合で写真の歴史を垣間見ていると、硬直化と解体を繰り返しているかのようです。
写真に限らず、ものごとは変化を停止すると、それを打ち壊そうとする新しい力が出てきます。
また変化を好まず、保守のままで行きたいという願いも人間にはあります。

デジタル写真の本当の方向としては、フォビオン写真のようなリアルで現実に忠実な写真がデジタルの
本当の姿だと思います。
カメラ内で画像加工をせずに直にだす画像だからです。しかしそれでは多くのユーザーに賛同を得られ
ませんから、メーカーとしては好まれる画質にするわけですが、その場合にはフォビオンは不利で
ベイヤーが有利なんです。フォビオンのなかでもメリルは不利でクワトロは有利です。

ユーザーの理想とする画質が得られるのは、キヤノンとかソニーのカメラでしょう。またソニーのセンサー
を使ったカメラですね。それらはリアルではなくキレイがキーワードです。
そしてここ当分は、キレイカメラが覇権を握ったままというか、いや永遠に、ユーザーはキレイカメラを
望んでいるわけですね。キレイではない女性も綺麗に撮れる。そういうカメラをユーザーはいつも
望んでいます。
本当はリアルなカメラで綺麗に撮るのが一番むつかしいんです。撮影には技術力が要りますから。
そういう写真が最も説得力があります。しかしめったにそういう写真は撮れません。
それで高度な技術なくしてもキレイに撮れるカメラが人気になります。

人間は本質的にリアルではなく、キレイというか脳内理想を追い求めるものですね。
猫を見てみますと、本当の猫は山猫のようなやつで、獰猛で野性的です。時たま家猫というかノラ猫で
体の大きなオスはその野性的な獰猛さを垣間見てくれます。ノラのメスも子供を産んだ直後は
そうです。
でもそんな山猫では困りますから飼い主は可愛い飼猫を可愛がるのでして、それは本来の猫の姿
ではないのですが、それを人間は理想の猫として求めるんですね。実に勝手な人間の都合です。
山猫はリアルだけど拒絶し、家猫は理想どおりカワイイ、癒されるというわけです。
デジタル写真にもそういう山猫デジタルと家猫デジタルがあるのだということ。どうでしょう?こういう
喩えだと分かりやすいんじゃないですか。(=^・^=)

フォビオン写真が技術系の人々には理解されるといいましたが、技術系の仕事をされている人は
常に現実の技術の諸問題解決に慣れているといいますか、そういうところがフォビオンを毛嫌いしない
ところなんだと思います。
フォビオンカメラを実際に使っている人は極稀で、私も身近の知り合いで使っている人は建築土木の
技術者ひとりです。もうひとりいましたが直ぐに手放してしまいました。
私はと言うと、およそ技術系の仕事とは言えませんが、好みとしては理数系は好きです。

多くの人々と突っ込んだ会話をしていて思うのですが、合理的に科学技術的に考えることが実に
苦手のようです。最後は自身の信仰や感情になってしまうというか合理精神を拒否してくるんですね。
私と言えばどこまでも合理精神でいけますので、そういう人間は多分大いに嫌われるんですが、
合理性を拒否する人間のことも分かります。もともと人間とはそういうセーフティ機能が備わって
いるからです。機能停止ができなければ脳がやられるからです。

現実的にはフォビオン写真はリアルでほんとうの意味でのデジタル写真なんですが、それを普通
のこととして一般ユーザーが使えるようになるのは時期早々といいますか、いやそうではなくて常に
ごく一部のユーザーの理解しか得られないということでした。
しかしそれでよいのだと私は思っています。デジタル写真を突き詰めればフォビオンに行き着く。
それ以外は妥協の産物ということで、多くのユーザーはそういうマイルドデジタルが良いのです。

しかし何度も言いますが、フォビオンは難しいのではなくて、事実フォビオンは簡単なのですが、
そのリアルな画像に我々の脳がついていけないということなんです。
そして多くのデジタルカメラは我々の好みですが、できるだけリアルを避けて我々の理想とする画像
にしているのは脳に代わってカメラが画像加工をしているからなんです。これはメーカーの技術者
のお陰なんですが。
そうすることによって初めて我々の脳はデジタル写真を見ても違和感がないと感じるんですね。

zzrさんの「もみ殻焼き」を見ますと、これはもう現実の光景と瓜二つというイメージです。
こういう高画質の写真はビックモニターで見なければ本当の良さはわかりづらく、私はデュアルモニター
で見ているんですが、画質の悪いモニターながらそのリアルさには驚くばかりです。
まるで自分がその東北の地の道端に立ち、自分の眼で実際にこの場の光景を見ているかの如くの
錯覚に陥ります。
もしかすれば自分が画面のなかの光景に足を踏み出せるんじゃないかって、そんな気がしてしまう
んです。あっ、実際にそうできたら面白いですね。私は一瞬にして東北の山間部の地に行けるん
ですから。どこでもウインドウかな。(^^ 

こういうのが本当のデジタル写真じゃないんでしょうか。現実と同じっていう。
綺麗に加工してしまった写真なんかじゃ、その画面に入り込んでしまうと二度と現実世界に帰れない
というか永遠に虚空を彷徨ってしまう気がするんですが、この写真だと現実と写真の中の世界を
行ったり来たりできる。
綺麗なデジタル写真じゃ入り込んでしまえないし、入れば二度と出られなくてミイラになってしまう。
しかしリアルなデジタル写真では写真の中に出入りが自由にできるという。その違いはあまりにも
大きいと言わざるを得ません。

本当のデジタル写真とは現実に足をつけて自分を見失うしなわない写真ではないでしょうか。
そんな気がしてくるんですが、きっと大部分のデジタル写真愛好家の賛同は得られないでしょう。

3   府中の裏街道   2016/9/26 13:51

こんにちは。
これ全部読んでると仕事に影響しますから後日ゆっくりと・・・。(^^ゞ
私ね、このお方の写真大好きなんですよ。

http://makichicam.exblog.jp/

4   kusanagi   2016/9/26 22:58

まちき写真工房、いいですねー。
黒白写真って今も健在というか、この方は黒白写真の為のノウハウをきちんと持ってますね。
黒白ってカラーとぜんぜん違って、こういう独自の視点というか、ひねりというか、隠しワザというか、
そういうことをいつも考えていないと出来ない写真なんです。
ただ被写体に向けて綺麗に撮るだけじゃだめで、どういう具合に表現しようかと、そういうノウハウを
数多く持っていていないと黒白写真はまったくできません。

ですからねー、黒白写真をやるっていうことはすごく考えるようになるんです。もちろん見るという
こともですけどね。ストレートの威力だけでなくて変化球が投げれて、かつ知能プレーができなければ
いけないんです。
ああ、久しぶりにいい写真を見せてもらったです。私もこういうの、すっかり忘れてましたよ。(笑)


ちょっと補足すると、フォビオン写真はメリルから難しくなったのかな。つまり画素数が上がったという
ことが大いにあります。
メリルは出力は1500万画素ですけど、総画素数は4600万画素じゃないですか。考えてみればこれ、
もの凄い数値じゃないですか。
ソニーフルサイズとかニコンD800が3600万画素。クワトロが3000万画素。
ニュー・ソニーが4200万画素、イオスが5000万画素。
これらに比べてもメリルの凄さが分かるでしょう。
もしかすれば、「4000万画素の壁」、というものがあるかも知れないですね。

ソニー3600、ニコン3600とクワトロ3000を使ってみての感想ですが、メリルほどモニター画像を見ても
疲れないです。まっ、クワトロは発色が凄いしコントラストもそうなのでやや疲れ気味ですけどね。
とにかく、ソニーとニコンは、普通の2000万画素級のカメラとさほど違わない気楽さがあります。
これはモニターを観ての感想ですよ。
とにかくメリルというカメラは、簡単に撮れるけど後の鑑賞が大変なんです。
パソコンのパワーを食うというのもありますけど、画像をみて点検するだけでも疲れちゃうんです。

それは4000万画素の壁なのか、そうではなくやはりフォビオン独自の凄さなのかは不明ですけど、
それは今後イオス5000とかソニー4200なんかを見ていけば、そのうち分かるようになるかも知れません。
イオスやソニーは不明ですけど、フジとかのデジタル中判は間違いなくメリル並の凄さを持ってる
でしょうね。

とにかく、メリルというのは普通のカメラを使っている人には持て余すというか、凄すぎるカメラだと
思うんですね。
まだクワトロとかが無難ですし、それより超高画素のニコンやソニーやイオスが使いやすいです。
そういう私も、長らくシグマばかり使ってきてくたびれたっていうところがあり、それで今はニコンや
ソニー、キヤノンやペンタックスを使ってます。実に気楽でらくちんなんですよ。
とにかくシグマは、メリルやクワトロは写真の鑑賞疲れというところがあるんです。
超画像、超画質ですかね。それは鑑賞者の負担が大きいんです。

しかし写真はそういう方向ばかりでなく、気軽に写真できるっていうのも大切じゃないですか。
私、今けっこう古い600万画素のカメラも使ってるんですが、こういうカメラを使う場合には工夫が
求められるんですね。低画素機で今の高画素機に対抗するにはプラスアルファの工夫が要るん
ですが、それでも実に気楽に撮影できるというメリットは大きいです。

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