メーカー名 | OLYMPUS IMAGING CORP. |
機種名 | TG-610 |
ソフトウェア | Version 1.0 |
レンズ | |
焦点距離 | |
露出制御モード | |
シャッタースピード | 1/640sec. |
絞り値 | F4.4 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | |
ISO感度 | 80 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1000x750 (170KB) |
撮影日時 | 2012-06-06 16:19:17 +0900 |
JR山陽本線 庭瀬・北長瀬間 白石鉄橋
写真って、第一義的には事物・モノをはっきり撮るっていうことだと
考えています。モノでも人でもよいんですが、はっきりとした目的を
持って対象物を撮るってことなんでしょうね。
なので、こういう風に電気機関車をストレートに撮るのは、まさしく
写真の原点だろうと言うことです。
自分が何を撮りたいのか解っている人。その反対に何を撮りたいのか
分からない人っていうのもいます。いや、分からなくなってしまったと
いうか。
何を撮るのかっていうのは、イコール、自分が今何を知りたいのかって
いうことだろうと言えますまいか。
もし、自分が知りたいことが無くなってしまうと、写真行為は形骸化
してしまいます。(偉そうに言ってしまいましたね、でも本当のことです)
http://photoxp.daifukuya.com/exec?board=other&action=large_picture&id=1727
kusanagiさん、コメントをどうも有り難うございました。
そうですね。
世界をよく観察し、善い人間に近づいていきたいものです。
リンク先の伊方原発の写真を拝見して、大衆が現場のようすを
見るべきだということなど、
大切なメッセージがあるんだな、と思いました。
http://photoxp.daifukuya.com/exec/landscape/9618
http://photoxp.daifukuya.com/exec/landscape/9569
グレート浄瑠璃さん、島根へは早くも3月に行かれていますね。
4月の伊方撮影は同日で、私の方が数時間遅かったな。(^^;
下の祝島は、山口県上関原発計画予定地の真向かいにある
島です。
グレート浄瑠璃さんが撮られた島根のショットは、私も撮って
おりました。さすがに四国から島根は遠いので次回撮影は無理
ですね。
http://photoxp.daifukuya.com/exec/other/1728
http://photoxp.daifukuya.com/exec/nikon/44373
http://photoxp.daifukuya.com/exec/nikon/47536
いま写真趣味にどっぷりと浸かっている人は案外に社会的な感心
は薄いのじゃないかと考えています。
昔はそうではなくて写真と時事社会的な感心は緊密だったのですが、
時代が下がるにつれ、写真趣味は純粋に画像的絵画的な趣味に
なってしまいました。
ちょっと、それ、もったいないなっていう気がしていますね。(^^;
私が未だに古い形態の写真の考え方をしているのは、おそらく
長い写真趣味のブランクがあったからだろうと考えています。
1970年代に写真を続け、以降写真は趣味は完全に止めてしまって
いました。再開をしたのはつい10年ほど前です。20年間ほどのブランク
があるんですね。
そういう意味では、私はタイムマシンに乗って過去からやって来た
写真人間であるわけです。
原発の問題。本を読んで頭だけで考えたり、マスコミ記事をまんま
信じたりするのではなく、やはりその現場に行って、自分の足で立って、
自分の眼で見て、考えることは、やっぱり面白いんですよ。(^^;
写真行為の面白さは、やっぱりそこにあるって思います。
正直言って、巨大なプラントである原発っていうのは魅力的です。
その大きさって言うのは、遠くから撮影していても分からないんです。
撮った写真を高解像度で大きく伸ばしてじっくり見て、それでも想像力
の外にあるみたいな感じです。
過酷な原発事故は一般人の想像力を軽く越えていたわけですが、
原発を推進している人達もその一般人の範疇を越えていないわけで
あって、それほどに核の危険性を認識している人は、過去も現在も
極僅かだったんですね。(ごく一部の科学者のみ)
核兵器も原発も同じで、十分に国家を滅ぼす力があります。もっと
言えばその猛毒な核廃棄物は国家どころか、人類の文明をすら滅
ぼしてしまうのだろうと想像しています。
・・・とてつもないものに手を染めてしまった。
酒を飲んで人が死ぬほどの交通事故を起こしてしまった瞬間、とでも
言ってよいほどの大失態を日本は(我々のこと)してしまったということ
でしょうか。
写真は初心者でも社会に向かって発信できる途です。
それなのに「お稽古事」に堕していないだろうか?
「先生」から評価を貰い、「コンテスト」に入選を目指す。
他人からの評価を気にして時流に呑まれてしまっていないか?
少数の「専門家」に「指導」されていて良いのだろうか?
その「専門家」は企業の意を請けていないか?
「先生」が「ダメ!」と言うなら「先生」を疑ってみてはどうか?
優れた仕事を遺した人は独自の学習もしたはずですね。
業界の空気に流されることは権勢の側から操作されることです。