Exif情報
| メーカー名 | SIGMA |
|---|---|
| 機種名 | SD1 Merrill |
| ソフトウェア | SIGMA Photo Pro 6.7.1 |
| 焦点距離 | 210mm |
| 露出制御モード | マニュアル |
| シャッタースピード | 1/320sec. |
| 絞り値 | F6.3 |
| 露出補正値 | +0.0 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 200 |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 4704x3136 (6.7MB) |
| 撮影日時 | 2019年12月23日(月) 11時54分 |
1.
2019/12/25 20:29
♀
3.
2019/12/30 19:36
kusanagiさん、ご無沙汰です。 カメラの件ですが、ライカ判はニコンF、コンタックスRTS、RTS II、で、打ち止め。デジタルは、京セラのNデジタルの二代目をと思っていたのですが撤退、で、SD14、SD1MとDP3のみ、iPhone以外のベーヤー機種を使用したことがないので、他の機種を云々することができません。 LマウントのFoveon X3が発売されたら、と、思っているのですが、高額でしたら手持ちの機種を使い倒してからです(笑 m4/3はピントが深いのでFoveon X3で出れば、昆虫撮影には最適なのですが無理でしょうね。 ところで、このPhotoXPはバーナー広告掲示板かと思いましたよ!! もう少しバーナーの張る位置なども考慮すればと思うのですが、これじゃ投稿者が減っても仕方ありませんね。 細々と投稿をしていこうと思っています。来年もよろしくお願いします。 ではでは、
同じSD1 Merrillで撮影された写真
SD1 Merrillで撮られた他の写真です。Exif情報つきで撮影設定を確認できます。
相変わらず素晴らしいお写真ですね。単なる昆虫写真のジャンルを超えて、見事な等身大レベル の風景写真にもなっていると考えています。この写真だけでなく昆虫写真板の一連の写真群もお 見事です。 そんなわけですから昆虫に疎い私ですら、自分にとっての手慣れた風景写真ジャンルとして捉える ことができ、大変に気持ちの通る親しみやすい写真となっています。小さなちいさな蝶であるわけで すが、蝶は擬人化されて我々の世界の風景と変わらない。これは凄いことだと思ってます。 当方最近は超高画素カメラに関心が出てきて、一連のシグマとか、最新ソニー製センサーを使った フルサイズカメラは、これまでのカメラとは何かが違う、という気がしております。一言でいうと画像 の総情報量が他とは大きく違ってしまい、ちょうど人工知能でいうところの技術的特異点、いわゆる シンギュラリティを突破した(とは言っても画素数と画質のみの話ですが)ものになっているのでは ないかと考えるのです。 ですからあまり深く考えもせず不用心に超高画素カメラを使うと、けっこう厳しいことになるのではない かな、という気がしてます。私が考える超高画素カメラというのは具体的には3つあって、ひとつは クワトロH、そしてニコンD850/ニコンZ、ソニーアルファ7RⅡ/Ⅲ/Ⅳですか。sdクワトロとdpクワトロを 加えてもいいかもしれません。いずれも画質は優れていて且つ高画素モデルです。またそれにほぼ 準ずるカメラとして、シグマメリル各種、ニコンD810/800、ソニー7R、ペンタックスK-1、イオス5DS/R もそうだろうと思います。 大別して写真傾向には、アート志向とネイチャー志向の2つがあると思うのですが、このアート志向 の考えの方々が、この一連の超高画素カメラを使って消滅したという気がしてならないのです。 幸いにネイチャー志向の方々は残存して写真を投稿され続けていますね。 私は多分ネイチャーではなく、アート志向(芸術志向というほどのものではなくて)の人間だと思うので すが、dpクワトロ、そしてsdクワトロHを試してみて、非常に脅威に感じているんですね。 ネイチャー写真というのはリアリズムの写真でしょうか。とにかく純粋に被写体を捉えるという心構え が出来上がっている方々です。喩えて言えばネイチャー志向の方は理科系の人。(笑) ならばアート 志向の人は人文系ということになりますか。 今回、自分がsdクワトロHを使ってはっきりと自覚できたのですが、アート志向の考え方、アプローチの 仕方では、sdクワトロHは扱えないな、ということでした。とにかく私は昔からシグマのカメラは持て余 し気味でして、使おうとしてダウン、またやろうとしてまたもやダウンを繰り返しています。(笑) そういう失敗の連続なのですが、今回はその原因というか法則のようなものが見えてきたかなっていう 気がしてます。 とにかく超高画素カメラはストレートに使うしか方法がない。人文的なアート志向の脳内処理は不可で あるという感じがしているんです。ストレートというのは法外なリアリズムをそのまま受け止めるという ことですか。 なにせ超高画素カメラはその総情報量の多さがネックになっているわけです。これを突破する原則的 な手法というものがあるんだろうな、ということなんです。しかし私には分からないことだけど。 私はアート志向というよりも人文志向で写真をやっているわけですが、超高画素カメラは向いていない と考えています。しかしこの世の中に超高画素カメラは存在するわけでして、且つ又、時代の志向と して超高画素写真に向かっているのも確実でしょう。ですから大変な難題を突き付けられているのだ と考えています。つまりはこれは写真におけるシンギュラリティの問題なんです。それを避けて通ること は出来ないだろうと思っています。 カメラが写真がシンギュラリティを突破してしまったと考えると、もう私には超高画素カメラの写真は 理解できないたろうということでしょうね。そんな気がしてます。そうか、これは敗北宣言というものなの かもしれません。(^^ゞ