メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D7100 |
ソフトウェア | Photoshop Elements 8.0 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/800sec. |
絞り値 | F7.1 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 250 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2200x1467 (823KB) |
撮影日時 | 2017-05-02 21:15:24 +0900 |
鎌倉の光明寺(浄土宗)です。右に「善導塚」とありますが
善導は、中国の僧で、法然や親鸞に大きな影響を与えました。
法然の教えは、善導の考え方を礎にしています。
レンズ Nikkor AF 28mm F2.8D
鎌倉と言えば鎌倉仏教、つまり禅宗や浄土宗浄土真宗、日蓮宗というイメージが濃厚にありますが、
この善導は中国浄土教の僧であり、生まれた時代も7世紀なので鎌倉時代とは違います。禅宗は
同時代に中国の南宋の時代に流行っていたものでしょうが、浄土宗等は新たに日本で生まれた
宗派であるとの認識が私にはあります。しかしオリジナルがなかったわけではなく、それが善導の
浄土教であったというのはご指摘のとおりですね。
歴史では鎌倉時代から中世という時代が始まります。この中世時代というのは、それまでの古代
という時代とは違い、集合的な人間観社会観ではなく、新たに人間個人の自覚というものが芽生え
た時代であったろうと思うのです。建前や常識ではなく、一人の個人の生身の視点から自らを心し、
また世の中を見るということですか。
それにより宗教は、古代の一切衆生を救うために権力者が大伽藍の寺社を建立するというものから、
あくまでも一人ひとりの庶民、つまり自らが自分を救うという形に宗教は変わっていったのでしょう。
それこそが中世の中世たる時代の所以かもしれませんね。
私は思うに、近世の民主主義社会というものは、中世に於けるこういう宗教観の変革がなければ、
本当には構築できないものだと考えています。禅宗も浄土宗も、鎌倉時代の仏教は個人の自覚を
大いに育て上げたということで貴重な時代であったろうと言えますね。
今風に言えば鎌倉幕府は小さな政府でした。その政権の基盤は、あくまでも鎌倉武士や庶民の
各々の自覚に基づいて作られていたので、平安朝廷や徳川幕藩時代そして近代国家のような大掛
かりなものを必用としていませんでした。
この人間一人ひとりの自助努力の精神や宗教観を、もう一度思い出してみたいですね。
※真鶴岬の人工物は、もしかすれば満潮時の船着場ではないですか?
私は、法然上人に興味があり、上人が生まれ育った岡山県の
誕生寺や僧として活動した京都の知恩院を訪ねた事が
あります。
真鶴岬の人工物は、船着場かもしれませんね。