| メーカー名 | Canon |
| 機種名 | EOS 6D |
| ソフトウェア | DxO PhotoLab 3.3 |
| レンズ | EF24-105mm f/4L IS USM |
| 焦点距離 | 47mm |
| 露出制御モード | シャッター速度優先 |
| シャッタースピード | 1/256sec. |
| 絞り値 | F7.0 |
| 露出補正値 | +0.3 |
| 測光モード | 分割測光 |
| ISO感度 | 100 |
| ホワイトバランス | |
| フラッシュ | なし |
| サイズ | 1067x1600 (408KB) |
| 撮影日時 | 2014-08-27 23:17:50 +0900 |
あれから、もう75年の年が流れたのですね。
https://www.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/no-more-hibakusha/library/shogen/ja/695/
証言者のT氏は私の叔父です。
すでに鬼籍に入ってしまいましたが。
合掌
そうだったのですが。ご存命ならもう95歳ということになるのですね。私の祖父が死去した年齢です。私からも合掌。
祖父は、同郷の出生兵が多数戦死したことと、自分自身が40歳近い年齢かつ長男でありながら召集されたことにより、敗色濃厚であることを知ったそうですが、田舎であってもそうしたことを口に出して言うことははばかられたそうです。
これらのお話は前にも書きましたが、晩年、認知症が進む中で祖父は「戦死した弟たちの弔問に中尉さんが来られるから出迎えるのだ」と平成も半ばになったある年、強情を言い続けたことがあります。その中尉さんもとっくに故人であることを何度説明してもわかってくれない。そして、そのとき、なだめすかしていた私の父親もまた、少しずつあやしくなってきているのですが、どのようなことを言い出すのだろうと自然体で眺めています。
人々の記憶をつなぐ8月。
S9000 さんは長命の家系のようですね。
我が家は80過ぎるとポックリ逝く感じ。
私もあと20年は無さそうだな。
もっと、やりたいことやっとかなきゃ後悔するな。
彼も私の家族が東京に越してきたのとほぼ同じ時期に東京に移り住み、
親父との仕事の関連もあってよく顔を合わせてました。なかなか
豪快な性格の反面、優しい叔父さんでした。彼の姿がこうやって
ネット上に映像で残り見られるというのは嬉しい限りです。
