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Exif情報
メーカー名 RICOH IMAGING COMPANY, LTD.
機種名 PENTAX K-3 Mark III Monochrome
ソフトウェア Capture One 6 Windows
レンズ
焦点距離 20mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 -0.7
測光モード 中央重点測光
ISO感度 3200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (2.69MB)
撮影日時 2023-07-16 01:57:12 +0900

1   kusanagi   2024/1/2 20:55


昨年の写真としての私の1年は、自分なりに大きな出来ごとがありました。前半はいつものように
レンズ遊びでやりましたが、しかし後半はどんでん返しの黒白写真ライフに大転換してしまったのです。
この黒白写真ばかりの撮影がいつまで続くのは分かりませんが、今の私の写真のスタンダードは
黒白写真であり、もう二度とカラー写真が主体になることはないのかなあ、という感じになりました。
カラー写真と黒白写真には、実は大きな違いというか隔たりがあります。同じ写真として一括ることは
不可能ではないのか、とすら思っています。それはまったく別の写真文化なのかもしれないと感じて
います。

黒白写真は、思うにフイルム時代の自家現像の経験がなければできないのではないか?とすら
感じます。
例えば、俳優の佐野史郎さんが黒白写真の愛好家ですが、彼の母の実家が老舗の写真館。そして
医師だった父が写真マニアだったということで、氏は子ども時代から自然と黒白写真に接していたと
言います。薫陶を受けていたと言っていいのかもしれません。それくらいの経験というか環境がなけれ
ば、黒白写真の良さというものは実際のところ分からないかもしれませんね。
つまり黒白フイルムでの体感的な経験の有無が必要なのかも、とすら感じています。

面白いことにカラー写真も黒白写真も、それはフイルム時代でも現在のデジタルカメラであっても、
同じ機材が使えるという不思議さです。フイルム時代はカメラに入れるフイルムを変えればとぢらでも
可能であり、デジタル時代ではカメラ設定、もしくはPCソフトでの変更だけで選択が可能です。
それぼとに近似であって親和性が保たれているのに、その両者は文化として異なるという具合です。

しかし黒白フイルム写真の経験や記憶があるような人は稀ですね。佐野さんにしても父が残した膨大
な黒白フイルムや写真を見て、それで黒白写真の良さに気がついたと申されていました。もしその父の
遺産がなければ佐野さん自身も黒白写真に目覚めなかったかもしれません。
私の場合にしても、過去の黒白フイルムの経験は淡く封印されていて、それが目覚める切っ掛けは
黒白デジタルカメラの購入がきっかけになっています。もしこのカメラを手にすることがなかったならば、
もしかすれば私も永遠に黒白写真に向かうことはなかったのではないかと感じています。

このちっょとした切っ掛け。歴史時間の揺らぎのようなものが、その後の人生の歴史時間を変えてしまう
という不思議さですか。そういうものもあるのかも知れないねっていうことですか。
私が黒白写真をするようになってから、その劇的変換は、無駄なことをしなくなったということです。
無駄だったこと、贅肉を削ぎ落とせたということですか。それは機材にしても、時間にしてもそうでして、
シンプルさが増したということです。

もう何度も記しましたが、カラー写真のもつ属性である、キラキラと色イロがない黒白写真は、それを
製作する人間に対してもキラキラ色イロ感覚を削いでくれるようです。このキラキラ色イロは考えてみれば
写真自体の本質ではありませんね。言わば過剰な付加物であったわけですから、黒白写真に転換して
も写真そのものは変わらずで、事実、私の写真の撮影はちっとも変わっていません。
すでに撮影そのものは黒白写真に行くまでに自ら自覚して贅肉を落としスマートにしていたからでしょう。
それで大きく影響を受けたのは、機材に対しての無駄な欲望がなくなったということになります。

カラー写真はまさに豊穣という言葉が当てはまります。それは色情報が多岐に渡り、カメラやセンサー、
レンズの、種々の影響を複雑に受けて多様化するからです。それらをいちいち抑えていけば切がない
ほどです。
黒白写真をそれらを無駄なものとしてバッサリと刈り込んでいくわけですね。そりゃあ、機材に対しての
欲がなくなるのは当然なのでしょう。

黒白写真に行くまでに、私自身は既に自分の写真行為は、写真という画像ではなく写真を撮影するという
写真する行為の方に向いていました。つまりはカメラを手にして、それを手土産にして、自分が撮影に
かこつけて歩く行為自体が目的であるという風に。
とは言え、やはり撮った写真の画像は気になるものです。撮った写真をあまり見なかった私ですが、
この獲得画像の縛りというものはやはりあったわけで、それでレンズ遊びなんかもしていたわけですね。それを徹底排除できたのはやはり黒白写真です。

黒白写真をするには、その黒白の表現の良さ、奥の深さとでも言うのですか、と、いうものを自覚できな
いと行えません。これがない限りは黒白写真を永続できず、カラー写真のキラキラ色イロに留まるという
ことになります。
これは本質的にはその人個人の美学の問題です。黒白に美意識を見出すのは、多分、不足感という
独自の美意識を理解できていないと難しいかもしれません。例えば水墨画とか枯山水という美意識は
決してカッコイイものではないと思っています。それは不足していて、貧であり、さびしいものです。しかし
それで十分に事足りるという強さがないと理解できないものかもしれません。

デジタルモノクロームではわかりませんが、商業印刷ではカラーとモノクロではコストの違いは大きいの
です。版代が4倍となります。日本画ではさらに差があります。岩絵の具は高く金箔ではもっと。水墨画
は墨のみなので安くあがります。こういうコストの面から考えるとカラーとモノクロには大きな違いがある
ことになります。
デジタル写真は基本がカラー対応なのでそういうコスト面のことを考えることはありませんが、本来は
カラーとモノクロには大変な差があるということです。フイルム時代のカラーとモノクロにも大きな違いが
ありましたね。

そうは申しても、黒白写真は何も我慢するだけのものではなく、そこに積極的な美意識を見出さなけれ
ば長く続けることはできません。黒白写真も極めれば黒白専用機とか、カラー機でも多画素高画質の
カメラが必要になり、レンズも良いものとなるのですが、そこまで行ってしまうと黒白写真の本質を踏み
外すことになりかねないので注意が必要です。

私はまだ黒白写真の撮影はJPEGの小サイズでやっています。同時記録でRAWも保存していますが、
まあ滅多に開けることはありません。まだまだ黒白写真としては入門クラスだと自覚しているので、
カラー画像の見えないJPEGで行こうというわけです。そして何といっても、JPEG撮影は簡易で無駄を
最小にできる点が高評価です。
画質はRAWでの黒白現像に比べれば随分と落ちるわけですが、そういう画質意識は写真の本質とは
違うと思ってますので。こういう意識もカラー写真時代ではなかったことで、黒白写真にしてから芽生えた
新しい意識です。

デジタルカラー写真は、何が何でもオーバースペックで、オーバークオリティです。まず撮影量からして
フイルムとは桁違い。撮影スピードもそうです。昔はクオリティも劣っていたデジタルですが今は完全に
逆転しています。この過剰なスペックにユーザーは振り回されているという気がしないでもありませんね。
その過剰さを本来のユーザーの等身大に戻す、振り返るという意味で、現在のデジタル黒白写真は
意味を持つのではないでしょうか。

そういうのはデジタルの、ピントがシャープすぎるという反発からマニュアルレンズでの撮影に。というの
もそうでしょう。撮れすぎるへの反発からマニュアルピント、マニュアル露出、三脚撮影というのもあるはず
です。
そう考えれば黒白写真も、そういうゆったりとした使い方をしたいっていう、ユーザーの意識から行き着く
ひとつの到達点だとも言えます。

※投稿した写真は年末恒例の金比羅山参拝での撮影。レンズはいつものシグマではなくて、ペンタックス
20-40ミリです。やはりシグマと違い、諧調が豊かですね。小型レンズなのでバッテリーグリップ不装着で
撮影。陽も落ちているのですが良い描写をしてくれます。RAWで現像すれば格段によくなるのですが
JPEG小サイズでの撮影。

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