リコー PENTAX K-3 Mark III Monochrome 作例

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写真本

写真本

古本屋で買った、「渋谷」藤原新也著/東京書籍刊、を読みました。平成18年刊行ですから古い著作なん ですが、良い本だと思いました。ここで手首を切る感受性の高い少女の話が登場するのですけど、藤原が 主催した撮影会の公募モデルに応募したのが、その少女であり、虐められっ子で全く自信などなく日々を 過ごされているわけですね。登校できなかったりもしていますし。その消え入りそうなおずおずした少女が 自分で決めて、写真のモデルになる応募をしてきた。彼女は大変な決心をしたわけです。 そこで、写真とは何か。写真の本質とは?という問いが出できます。藤原は、写真とは今現在を絶対的に 肯定するものであり、その肯定感覚こそが写真の持つ本質であり、例えばモデルとなって被写体となる少女 にも自らを生きる自信を与えるものだと書いています。 私もそのとおりだと思います。それはモデルとなって被写体になる場合だけでなく、撮影をする側で あっても同じことであって、同じく写真というものを通じて、人は現在の今の瞬間の存在という肯定感を 得ることによって、撮影者自身も自己肯定感と自信を得るものだと思うわけです。 そういう自信には実は何の根拠もないわけですが、そもそも根拠のある自信なんてあるのかな、ということ にもなり、いわゆる自信感覚というのは本質的にどこにも根拠の無い証明不可能なものなんではないですか。 まず最初に根拠などのない、生まれ出でた混沌からの脱出の自信の芽生えというものがあって、それから 人は少しづつ歩んでいくものなんですから。 その最初の原初の細胞の一粒は、希薄なまでの、はかないまでのものであっても構わないわけです。 その少女にとって、第3者のカメラマンという存在者の眼を通して出来た自分の姿を見てみたい。それが 写真だったわけです。もちろん自分の姿など鏡を見ればわかります。女性は常に鏡を通して自分の姿を みているわけです。しかしそれと他者が撮る写真とは違うかも知れない。それにカメラマンは一流の 写真家だし。という具合で自分の存在の再発見を藤原の写真に託したのではないでしょうか。 そういうあらすじでこの本は出来がっています。全編を通して藤原の暖かいまなざしが見えてきます。 写真の本質、真髄というものが見え隠れする本となっています。 もうひとつの著作も書きましょう。 「今という永遠~写真家・繰上和美の90年」石川拓治著/幻冬舎刊、最新本です。 正直申して大した本ではありませんでした。得るものがなかったと言っていいような。著者は作家では あっても写真家ではなく、本質的に写真のことは知らない人だなって感じました。繰上の評伝となっていて そういうことでは偉人伝にはなっているのですがそれ以上ではありません。 それは別として、写真家の繰上は一流の写真家であり成功者であるわけです。上記の少女とは対極にいる 強者であり生まれ持った自信と能力を備えている人物です。そういう人物ですから体力と能力に恵まれ 幸運であり何をしても成功者となる運命にある人物です。本当はもっと写真家としての繰上本人の声を聞き たかったのですが、その肉声をレポーターの石川が邪魔をしているなと感じました。 それで写真の本質を知るには適さなかった本でした。 だいたい、写真のことを書いた本で良い本はなかなかないです。ジャーナリステックでも学術的にでも 写真を知らない人が書いてしまうので的外れが多いんですね。(そうではない本もたまにはありますが) それと写真家当人が書いてもなかなか良い本にはなりません。藤原のように写真もやれて作家でもある 両刀遣いの人物でしか、写真の本質を言葉で抉り取ることは難しいのだと思いました。

ウインドウズOS

ウインドウズOS

久しぶりに投稿をしようかと思っています。この掲示板のスタイルがガラリと変わり、 私が使っているウインドウズ7では、投稿することも、それどころか閲覧することも出来なくなり、 それで随分と投稿の間が空いてしまいました。 それで久しぶりの閲覧では、この掲示板は随分と投稿者は少なくなっているという印象です。 それはともかく、私も遅ればせながらウイン10/11を導入することになりました。こういう切っ掛け がないと、なかなか新しい(?)プラットフォームには移行できないわけですね。 とにかく、この掲示板の投稿を始めてから以来、私はずっとビスタとウイン7でやって来ました。 ビスタはコア2クワッドのPC、7はi7の初期型。そういう今となってはレトロなPCで長らく続けて きたわけですが、要するに写真撮影ばかりに傾向し邁進してPCの更新は捨て置いたわけですね。 写真を採るか、PCをとるのか。そのどちらかひとつでないと集中はできないというわけです。 実はウイン10/11のPCはすでに貰って所持はしていたのですが、使うことはなく捨て置いていました。 まずそれを取り出して起動させることから始まり、やがては同じウイン10/11と言ってもバージョンが 多数存在し、けっこう操作感覚は違うものだと判明。そうなると多種のバージョンを見てみたくなり、 あげく中古PCを物色することに。数十台は導入したかと思います。 感想として、ウイン10は何とか使えるけれど、11は私には手に負えません。ウイン11はがんじがらめに ユーザーを拘束しているようで、私としてはまともには使えないOSだと感じました。 マイクロソフトはPCを個人としてのパーソナルコンピューターではなく、クラウド下の管理された 端末機としてユーザーのPCを捉えているようで、これでは個人の自由が奪われてしまいます。 セキュリティ対策という名目でそうやっているのでしょうけど、本当にそういうので良のかな? という気がしています。これからはMS以外にもOSはグーグルとかリナックスもあるわけで、もっと 視野を広げていかなくてはと感じています。 ウイン11での決定的な使い難さは、ローカルネットワークが自由に使えなくなったこと。これに つきます。ウイン10はまだ大丈夫でした。私は複数のPCやデバイスを接続して、それらを一体化して 使っているので、LANが何不自由なくパスワードなしで接続できるのは絶対条件なんです。ましてや MSが推奨するクラウドに自分のデータを預けるなんてことはしたくもないですしね。 そうは言ってもウイン10/11にはウイン7にはない有利さもあり、OS自体にハードウェアに対して フレキシビリティを獲得したようです。かつてのウイン95系を思い出させるところがあり、そこの ところは面白いです。 随分と遅れてきたウイン10/11のPCユーザーとなったわけですが、時代は既にネットワークではなく AI時代となっています。AIが可能なPCを自分で持てるような時代となってきました。 パーソナルコンピューターの登場、インターネットの時代と続く、第3の時代の幕開けとなっています。 すでに先駆け的なAIパソコンはリリースされています。自分でAI的なプログラムを組んで自分独自の AI-PCを作れれば最高だなって思っています。

無題

無題

「潤日・ルンリー」日本を大脱出する中国人富裕層を追う 舛友雄大著 東洋経済 「ニッポン華僑100万人時代」日経新聞取材班 KADOKAWA この2著をいま読みつつあるのですが、すこぶる面白いですね。 高市さんがなぜ選ばれたのかといいますと、簡単に言うと時代の流れに沿っていて、 その時流に乗れた、ということなんじゃないかと思ってます。 高市さんは時代を捉えていた。しかし小泉氏や林氏はそうではなかった。違いはたった それだけだったろうと思います。 そういうのはトランプさんも同じなんですね。彼は銃撃を受けましたが、数センチの差 で当たらなかっわけです。それを言うと何ですが安部さんは当たっちゃった。 時代の流れ、その民意の求める時代の潮流に乗れた、というか代弁できていたかどうかが 銃弾によって問われたわけです。 占星術的に言って、トランプ氏も高市氏もホロスコープは大したことはないです。 ごく不通にあるチャートです。ネイタルの年運的にいっても60歳代の初期に総裁総理に なれるのか?という運勢なんです。ただし60歳代後半は良いですよ。 そういうごく不通の人であり、運勢的にも取り立てて良い時期でもないのに選ばれたと いうのは、考えて見れば占星術的には感慨深いところがあります。 実は占星術では、並外れた成功をする星座というのがあるんです。人為を超える結果 を出す人ですね。いや、そういう星座。獅子座と水瓶座です。この二つのうち一つを 強く持っていると、成功が約束されるというか天命を受ける場合があります。 もちろんそれだけじゃなくて本人の遺伝的な能力や環境も良くないといけないですし、 何よりも時代に乗れるということができないといけないわけです。 その時代の流れとは、この四半世紀、中国に流れ続けた財と富が日本に戻ってくると いうことですね。それを敏感に嗅ぎ付けているのが、潤日・ルンリーの人たちですよ。 20-30年掛けて気づき上げた膨大な富をこれから20・30年掛けて本来の姿に戻す。 そういう大きな時代の流れが既に始まっています。ロシアのそれも同じですね。ロシア の資源も中国の貿易黒字も、要は西側の援助があって初めてなしえたことです。彼らの 力じゃないです。 獅子座は太陽で王者です。水瓶座は天王星で天の王者。でも別段そう大した意味じゃ なくて、太陽とアセンダントに獅子座か水瓶座を持っている人は3人に1人もいるわけ で特別なことじゃありません。派手で目立つというくらいの意味でしかないです。 問題はその星座を生かしきれるかどうか。本人の生まれ持った才能と能力。それらを 育ててくれた家庭や地域の環境です。そしてその中の何十万分の一の確率で成功するか どうかが決まります。 占星術というのは運勢のリズムや方向を指し示すだけであって、本当に人の運勢を 支配しているものじゃありません。そこのところは誤解があってはいけません。 だいたい男か女かもすらも占星術では分からないのですから。 そういえば、偽香川県人さんは占星術が嫌いのようですが、物事の本質が理解できる には、やはり生まれながらの能力のいうものが求められるわけでして、それが乏しかっ たというだけのことでしょう。複雑な思考には向いていないだけのことでこれは普通 のことです。まして高齢化すればさらに能力は低下する。これも自然なことです。 メモ『占星術における時代の決定要素:土星と天王星の会合』 2032年6月28日に、土星と天王星が27度双子座で会合します。7年後ですね。 前回の会合は1988年2月13日に29度射手座で会合しました。どちらも低品位の星座で 会合します(した)ので、その後の時代もパッとしない時代を続行することになるよう です。参考までに言うと、基本的に射手座は米国、双子座は中国です。 土星と天王星の会合周期は大きな時代の骨格を作るわけで、40余年で会合が巡って くるようです。となると次の次の山羊座29度で会合するのは2079年2月27日ですから、 それまでは本当の意味での決定的な時代の発展や技術革新はできないだろうと考えて います。 参考までに記しますと、前々回は1942年5月4日で29度牡牛座で会合。第二次世界大戦 でした。 これをみると、おそらく2032年以降から中国共産党は瓦解するのではないかと考え られるのです。それは中国の分裂を意味するでしょう。ロシアもそうなるでしょう。 占星術的には今世紀の末、2080年以降から、本当の水瓶座の時代が本格的に始まる という気がしてきました。 1988年くらいから2032年くらいまでは時代の流れとしては中休みの状態です。 その前半期は中ロという専制的な大陸国家が躍進し、後半期はそれらが縮小に向かう という、そういう時代配分になっているみたいですね。 今現在は、そういう時代の折り返し点というべきです。 中国の時代がやってくる。米国を追い越して世界一の超大国になる。というのは かつてのソ連のように幻想でしかなかったということになります。結局は中国も ロシアも、西側諸国の米国や西欧や日本の持っていた財と技術の分け前を一時的に 預かっていただけだったということだったようです。 残念ながら私は2080年までは生きられません。もう一度、本当の意味で世界が前進 する時代を見ることができません。孫やひ孫の世代に期待をしましょう。(笑) 書店で台湾文学のセールをやっていました。2冊ほど台湾小説を買いましたが、本来 小説を読むのが苦手な私としては、さていつ完読できることやら。 ところで林健良氏によると、台湾国民の大多数は漢民族ではなくて遺伝子的にはマレー・ ポリネシア系であってもともとの台湾人なんですね。漢民族の中国人は戦後に大陸 から渡ってきた13パーセント(外省人)だけなようです。 多くの人たちが中国共産党や中国国民党の宣伝で、台湾人は漢民族が大多数だという のは嘘のプロパガンダだったということです。 マレー・ポリネシア系の血は日本人にも多く流れていて、台湾は中国というよりも 日本人に近いというのが本当のようです。 ということは大陸中国が台湾を併合しようとすることは民族的侵略であるということに なります。ロシアがウクライナを侵略していることと同じであるわけですね。 中国語をしゃべっているから台湾人は中国人というのはあたりません。それをいう のならば、日本人も音読み(訓読みの対)は中国語です。ただし北京語ではなく大陸 南部の読み方です。また漢字を使っているから台湾人は中国人というのもおかしな 話で、じゃあアルファベットを使っているアメリカ人もドイツ人も、はてはロシア人も、 みんなイタリア人か、ということになるわけです。アラビア数字を使うのは全世界 ですから地球はみんなアラビア人になっちゃう。 多くの人達やテレビも、大陸という陸地を中心として世界を考えています。それで 馬鹿なことに逆さ地図なんかを取り出して、中国大陸を塞いでいる日本列島なんて いう見方をするんてすね。 よく考えれば太平洋は多くの島々にあふれています。その中のひとつが日本列島や 台湾なんであって、そのバックには世界一の大洋が控えていて、占星術的には大きな 意味を持っています。海洋はけっして大陸に劣るものではないのであって、そこの ところの思考力が脆弱となっています。

無題

無題

自民党、公明党と、政局が揺れ動いておりますが、トランシット火星が高市氏 の月、蠍座を運行していますのでしばらくは続きそうです。最終的に解決できる のは、トランシットの金星が蠍座に入座してからとなるので11月7日以降でしょうか。 それは自民、公明ともに納得できることになるかと思います。 今現在、金星は天秤座なので、決して悪い状態ではありません。色々と論議を 尽くして、最善の結果になるようにもっていって欲しいですね。 そんなことよりも、私としてはウクライナ・ロシアの最先端のドローン戦法に 興味がわいてきています。これ、今現在では世界最先端の軍事技術であり、かつ 革命的な戦術となっています。これを見るとこれからの世界の成り立ちが見えて くるという気がしています。 「中央歴史図書館」Central History Library https://www.youtube.com/@nationallibrary_official 裏盤 https://www.youtube.com/@%E8%A3%8F%E7%9B%A4 JPY - 軍隊 https://www.youtube.com/@JPYguntai Military Chronicle https://www.youtube.com/@militarychronicle2 これらを見ると戦争はAIなんかじゃなくて、人間の極限的な知恵が戦局を制する という感じです。そうでなくてはいけないですよね。もちろんベースとしてAIは ふんだんに使われているわけですが、それだけじゃ駄目だということ。これは 当然のことですかね。 ウクライナは2022年2月24日以降、当初の半年くらいはロシアに蹂躙されましたが、 それ以降は負けていないんですね。戦線は硬直してますが、ロシアの被害は大変な 事になってるわけです。 機を見るに敏なトランプ氏も、得意の前言撤回でウクライナが勝つだろうとか最近は 言ってます。歴史学者のハラリも(サピエンス全史の著者)、ウクライナが勝利と断言 してました。私としては3年前の占星術の通りなので当然かなとは思ってますが、 現実は21世紀の情報技術を駆使した軍事革命をも引き起こしたということで、瞠目に 値する戦争となったわけです。正直、驚きを通り越して感銘すら受けています。 日本もウクライナの軍事顧問をいち早く受け入れて対中戦略への備えとしなければ ならないでしょう。 ひところはプーチンが核を使うのではないかという憶測もでましたが、それは絶対 にないと思ってます。先制攻撃として核を使う為政者は世界にはいません。ひとたび 使えば歴史に最悪の汚点を出した人物として、人類史に永久に記憶されるからです。 プライドの高いプーチンがそのような決断をするはずがないということです。それは 習氏もそうです。

無題

無題

「太陽電池はなぜ失敗したのか? 地球の歴史 その122」 https://www.youtube.com/watch?v=6JNPBlN5CWE こういうものはもう1970年代から言われていて、現代文明はあくまで化石燃料の 石油文明であってそれ以上のものではない、ということが当時から言われていました。 最近は太陽光発電だけでなく、洋上風力発電も暗礁に乗り上げてきました。 EV車ではなくハイブリッド車に。きっと電力を大食らいするAIも上手くいかない でしょう。 50年前と比べて、火力発電は石油から天然ガスにシフトし、ガソリン車が ハイブリッド車に変わったくらいで、あんまり変わっていないなあって感じです。 脱炭素化なる標榜はあくまで机上論の絵空事であったかのようです。 半世紀前は電卓しかなかったけれどそれが進化してパソコンやスマホに変わった わけです。衛星放送は出現していてそれが今は世界を覆うインターネットになった。 しかし考えて見れば、私の若い頃も大型メインフレームはあったし、トランジスタ を集積した電卓からマイコンという時代でもあったので、今とそんなに劇的に 変わったということではないようです。 生成AIの理論はすでに1960年代に出現していて、日本の甘利俊一氏が数理的に理論化 していましたしね。 そうは言っても、電卓からパソコン/スマホ、そして生成AIへの技術革新は細部を 見れば、とんでもない計算力の進化なのであって、現在のAIが省電力性能さえ身に 着ければ確実に世の中を変えていくようです。 しかしそれはあくまで計算力なのであって、コンピューターが創造性を持ったり 知的進化を促すということではないようです。 そこに単に知的ということと、生命進化の神的ということの大きな相違を履き違え ているという気がしています。

④改めてデジタル黒白写真とは

④改めてデジタル黒白写真とは

④改めてデジタル黒白写真とは 多くのデジタル写真人は、なんとなくではありますが写真趣味は野外での活動的 な行為なのだから、自分の健康と体力の維持に良いはずだと知っていると思います。 大体10年くらい写真趣味をやれば誰でもそういう気づきができてきます。 しかし、写真が綺麗&高画質という信奉なり信仰を捨ててはいません。 いや別に、それでよいのではないかと言う人は多いでしょう。なるほど健康の為 にはそれでも良いのです。でも写真という行為のためには、そういう誤魔化しは 危険かもしれません。 写真は本質的に虚位を嫌います。矛盾も嫌います。これは写真に限らす、全ては そうなのです。ただ現在のデジタル写真・画像文化は巨大であり、インターネット も大きなシステムです。こういう巨大な文化や制度というのはそこに多少の虚位や 矛盾を内包しても普通は問題なく動いてしまうというところがあります。 しかしその虚位と矛盾は普段は上手く過ごせても、時として噴出し、個人や組織 を危機に陥れます。だいたい戦争とか自然災害というのもそういうふうにして 起こるわけです。矛盾が限界値を越えると破裂するわけですね。 また我々個人の身体構造というのも社会の仕組みに負けず劣らず巨大で複雑です。 ここにも虚位と矛盾が蓄積すれば、同様にいつかは限界がきます。 デジタル撮影が文句なく健康によいというのは一面的な見方であるわけで本当は あらゆる矛盾を抱えたままなのです。 私は思うにあらゆることは基本に立ち返る。これが大事だと常々感じています。 初心に立ち返ると言い換えてもいいでしょう。 写真も基本原理に忠実であること。 それは何かといえば、写真は記録です。記録以外のものは基本的なものではない ということです。綺麗とか画質とかいうものは余計なものであるわけですね。 たとえば黒白写真は記録としての最低限の技術であり、それ以上の余計なものが ありません。モノクロで困るのは色の記録が大事なネイチャーフォトくらいな ものです。大体のものは黒白写真でいけます。なぜならば人は想像で色を加味する ことができるからです。 この最低限で最小の写真である黒白写真を本格的にやるということは、写真に おける基本の原理を思い起こすことができるということになります。 ※投稿写真はモノクロJPEG撮影したものを加工せずに投稿しました。

パソコン

パソコン

このパソコンはモニター一体型のタイプですね。日本製です。コアi7の4コア8スレッドです。 (前回の省スペース型のPCで、16コアと書いたのは間違い。8コア16スレッドですか) 基盤や配線の密集度はデスクトップ型とノート型の中間といったところ。HDDは3.5インチ2TBで、ノートだと これが2.5インチHDDか、SSDになるわけです。 このパソコン、CPU冷却ファンがガタついていて騒音が出でます。それで清掃と、何とか静かにならんかなって いうところで裏蓋を開けてみました。結論を言うと完全には直らなかったのですが、清掃とファンの油差しは できました。少しは静かになったような気が。(笑) ベアリングが消耗しているのでファンを交換するしか根本対策がありませんが、ほとんど使わないPCなので これ以上、手はかけません。 このPCには思い出というか履歴として、ウイルスに感染して駄目になっちゃった経験があるんですね。それはもう 一気にやられました。 それでウイルス対応ソフトでもどうにもならなかったので、OSに備わっている機能の「復元」をやりました。 感染する1日前の状態に戻すとていうことで。これも簡易ではだめで、それで完全復元をしたのですが、なんと 2週間以上かかりました。どういうことかというと2週間以上昼夜電源を点けっ放し作動しぱなしでした。 最初はまあ1日くらいは掛かるかなって思っていたのですが、トンでもなかったですね。ファンのガタつきは その時に出たものです。 そういうことで、ウイルス感染と、本格的な復元を経験したパソコンとして私には意味あるPCなんですね。 もともとは知り合いから譲ってもらったパソコンで、ウィン7だったのをウィン10にしようと前ユーザーが考え、 本来アップグレードで行くべきところを間違って新規インストールしてしまって、アプリもデータも飛んでしまった やつなんです。(笑) 私としては貴重な正規ウィン10が入っているPCということで予備用としているんですが、モニターがLEDなので あまり好きじゃないです。 そうそう、前回でインターネット時、開けないサイトが多い、というの、解決しました。TCP/IPだと睨んで いましたが正しくそうでした。ウィン10は慣れていないので今回はユーチューブ先生の力を借りました。(笑) ネットでよく言う人がいるんですが、私のようにウィン7などの古いを使っているとウイルスにやられたり、 攻撃の踏み台にされるから危険だ、というの。それは間違いで、そういうのはウィン10や11という新しいPCが 利用されるんですね。ターゲットはそちらなんです。私が使っている古いやつは相手にされていないんで 返って安心なんですよ。 とは言っても、私の使っているウィン7は貴重なやつばかりなのでネット接続はほどほどにして、ネットは ウィン10でこれから行こうと思ってます。 それにしてもパソコン遊びはもうしていないので殆ど忘れてます。昔は高度なことを色々とやっていたんですが 今はもうぜんぜんです。それでもコレクションしているパソコンを稼動できるようにはしておきたいです。

物と情報の管理

物と情報の管理

久しぶりにネット&文字うち兼用のパソコンを新調しました。と言ってもタダで頂いたもので中古です。 2台あって、一台は正常動作するのですが、もう一台は開けないサイトが多数でます。ネットワークが 正常に動作していないようです。そのうちに直したいと思っているのですが時間がかかりそうですね。 両方ともウインドウズ10なのでネット閲覧には問題がないですし、省エネタイプの小型なのは良いのですが、 今まで使っていた大型タイプのものに比べれば、画質が良くないてす。〈笑〉 大型のパソコンを使う意味はつまるところ、アナログ的な画質にあるんですね。そういうのは撮影の方でも、 スマホと専用デジカメの違いというのと理由は全く同じです。 大型のPCは出来る限りネット接続はしないようにして、画像処理などの作業に使うわけです。これだと OSはウィンドウズ7などの古くても問題がなく、むしろセキュリティ関連のソフトを載せなくてもよいので 高性能になります。もちろん画質を高めるために大型のグラフィックカードも入れられます。 モニターも貰ったのですが、LEDモニターのもありました。一見して綺麗なイメージですが、私のように 態と輝度を落として使う場合は逆に見にくくなり、やはりバックライトは古い蛍光管タイプのモニターが 私には向いています。室内の照明はLEDにしていますが、モニターは蛍光管タイプが良いという気がします。 今作業に使っているPCは省エネ・小型スリムタイプでウイン10プロ、CPUは16コアのようです。Mドット2の SSDというか記憶装置が載ってます。起動は速いです。ただ容量が少ないので外付けHDDを追加しました。 もう一台は同じくウイン10でスリム型。8コアで1TBのHDDで手堅い設計です。 両方とも小型で省エネなので同時に使用することができます。モニターは安物の22~23インチで輝度も発色 も落として目に優しくして使ってます。1枚はDELLのノングレアで、もう一枚はアイオーのグレアタイプ。 文字うち作業をするのはノングレアの方ですね。 今回感じたのは、パソコンというのはやはり機械モノですから、自動車と同じように日ごろから使ってい ないと不具合がでるということです。毎日少しづつコンスタントに使っていると動作は安定してきて、 ソフトウェア的にも不具合が消化され、そう簡単に壊れるということがありません。ただ消耗品として 電源部だけは交換する必要があります。それは車のバッテリーやタイヤと同じです。そして内部のファン 等の清掃は必要です。車で言えば洗車やワックス掛けと同じですね。 とにかくモノはメンテナンスを施し大事に長く使っていきたいものです。 このところ忙しかったので長らく撮り溜めた写真のバックアップができていませんでした。何と4年間 も放置されていたんですね。これは拙いということで、今回2重のバックアップをやりました。数日は かかりました。 私は写真は撮影しても後は見ないタイプですが、それでもデータを無くしてもよいというわけではありま せん。データの記録は大切で、自分が、歩き、動いたという記録でもあるので、大切なものです。 今回、10台くらいの中古PCをもらったのですが、引き換えに内部の情報データは管理保存するということ になっています。サーバーPCが4台、データ満載です。ワークステーションやマックもあります。ただで もらったのが却って高く付きそうです。まあ、壊れてもいいけど情報漏洩だけはいけませんからね。 そこだけ気を付けていればいいかな。 私はガラクタ集めが趣味なので、自然とモノが集まるのですが、普通の人だとそのモノやデータに押し潰さ れてしまうようになります。それを防ぐにはモノはきちんと整理をするということです。整理のノウハウ を持っていないと、その物量に負けてしまうんですね。 それでそういう整理のノウハウがない人は、可能な限りモノは持たないほうがよいです。断捨離ですか。 ダンシャリ。私のガラクタ・コレクションは、パソコンとデータ、カメラと写真、書籍、さらに工具文具 という具合ですが、その全部を記憶しているわけではなくて、ただ関連付けて整理しているだけです。 そして実は私はモノそのものにはあまり欲望はなくて整理すること自体が楽しみというところがあります。 そしてモノや情報には、人間の個体の能力を超えた価値があるということですね。それを知っているので 安易にモノは捨てられないというところがあります。

写真はなぜ「歩き」なのか

写真はなぜ「歩き」なのか

前回のシッポ座さんの言う、AIよりも人間がこわい、というが気になっています。 そういわれてみればそうかもしれない、というところがあります。実は実例として非常に他者に悪影響を 与え続けている人間を知っているのですが、大体の人はその悪影響を与える人物の影響下に陥ってしまう、 つまり悪に陥落してしまうという不思議な現象を知っています。 私としては本当に不思議でしようがないのですか、その他者に悪影響を与える人物の癖は同じことを何度も 繰り返して話すということをしています。しかも人為的に狭ばめられた環境下でそれをやるわけです。 私は同じことを言う人間は信用しないのですが、というか、そもそも一度聞けば分かるわけで、くどくどと 話しを繰り返す人間は何らかの意図があるとして、それはCM広告と同じで、聞く耳を持たないわけですが、 大概の人はそれに引っかかってしまうようです。 悪意のある人間の悪影響に落ちるのかどうかは、おそらく人の知力の強弱によるものではないかと考えて いるのですが、何度も言うように知力は学力とは別物ですよ。これを勘違いしている人が多いのですが、 とにかく知力は弱いものが強いものの悪影響を受けるという、そういう基本的性質があるようです。 そもそも悪意の人物は自己の中に知力の弱い部分があるわけで、まず自分みずからが自分の悪意に影響を 受けて染まって、そして他者にも同じようにその悪意を伝播させていくわけですね。 こういう悪意の流通を絶つには、何と言っても自分の知力を高めて強くするというのが一番です。弱い知力 は他者の悪意の餌食になるということ。これを知って対策を立てておけば大丈夫というわけです。 この知力というのはざっくばらんに言うと、直観力のことです。学校で習う学力とは別のものです。 この直観力を鍛えるということ。私はこれは自然に触れることが一番のことだと考えています。人工環境下 では直観力は鍛えられません。 その人間の背後に自然があるのかないのか。あれば直観力、つまり知力が高くて、逆に自然がなければ その人は直観力、知力が低く弱いということです。そう考えれば学力はあっても騙させる人がいるという のが理解できようかと思います。特に自分の直観力知力を削って学力を身につけた人が一番危ないという わけです。例としてはオウム真理教の高学歴信者が悪意の教祖に影響を受けた事件がそうです。統一教会 の被害者でもそのようですね。 自然さえ身に着けていれば、といいますか自分が自然であれば他の人間の悪意の影響は受けようがない、 ということになります。風林火山というのもきっとそれだと思います。 知力というのはある程度は生まれつきというところがあります。これは仕方がないのですが、それでも 鍛えることができるのが知力や直観力です。 写真の撮影はこの知力を鍛えるには最適なものだと私は思っています。カメラさえ手に持てばたとえ街中 を撮影しても自然の中にいるのと同じになります。 ただし写真の画像趣味というのは逆に知力を貶めるところがあります。撮影でせっかく知力を高めても 後の画像いじりで知力を低下させては何にもなりません。画像は自然に受け入れるようにしたいですね。 そして写真は鑑賞すべきものではなくて自分が撮影するものです。シャッターを押した時点で写真の 9割はは終わっています。残りの1割は確認するだけのものです。 最近はこの知力が低下している人が多くなっているという気がしています。それは人々が自然から 遠ざかっているからかもしれません。なによりもまず人は歩かなくなった。口にする食物も自然なもの が少なくなった。 そういえば私が知る冒頭の悪意の人物は歩いていません。座り仕事であり運動もせず車かバイクですね。 若い時よりずっとそういう生活を続けているようです。 そういうことでは歩かない人間は悪意に染まる可能性が高いということです。人間は動くようにできて います。動物というのは動くことが基本です。動いてはじめて人は正常に生きれるようになっている。 しかしその動くというのはあくまで自分の足で移動するということであり機械を使うのは動くということ ではありません。 撮影ら臨んでは必ず歩きましょう。そして何度かに一度は長距離を歩く習慣を身に着けましょう。 渡良瀬遊水地の谷中湖一周は約10キロ、遊水地全体の周囲は約30キロだとありました。30キロでも1日 で回れますね。10キロだと普通です。 写真撮影はまずそういうところから始まると私は考えています。とにかく歩くのです。歩かないところ からは写真は生まれないと確信していますから。歩かない写真は単なる画像です。その画像に命を与える のが歩きという活動です。この写真と画像の違いはものすごく大きいのです。 歩くことによって見える光景があります。歩かないと見えなくなる景色があるわけです。そこを知り、 画像として捉えるのが写真だと思うのです。 写真は良い趣味だと言われることが多いのですが、それは歩きが写真趣味の属性として備わっているか らだと私は考えています。身体が不健康になり歩けなくなってからでは遅すぎます。10年先を見据えて、 歩くことができるうちに、写真趣味ということにかこつけて歩ければ、これほど素晴らしいことはありません。 歩きの効果は即効で現れます。そして歩きは人を裏切りません。(筋肉は裏切らないという) こんな風に書くと、私がシッポ座さんに何やらアドバイスをしているように思われるかも知れませんが、 それは文脈上の仮の設定なのであっと、本当は自分自身に言い聞かせているわけです。何度も何度も書いて 自らの決心を新たにしなければ人の心と言うのは揺らぐのです。 それほどに重要なのが、歩くという行為です。 人間には五感とか六感といわれる感覚器官があります。車の自動運転が話題ですが、今のところ視覚のみ の感覚(センサー)でやっているようです。可視光とレーダー波、超音波もあるかもしれません。これに 音声や音を聞いたりする聴覚を加えることは可能です。大体はこれで車の自動運転は出来るようでして、 いずれは自動運転の車が主になるでしょう。 車は安全に走るだけなので単純ですが、人間個人のアドバイザーとしての人工知能やロボットができると すると、もっと広範囲のセンサーが必要になります。触覚や嗅覚・味覚といったものも。また人間には 検知しにくい電磁波や放射線のセンサーも付け加わるでしょう。 やがては人間の感覚器官を超えた人工知能が誕生するのは時間の問題だろうと思ってます。 ありとあらゆることで人間は人工知能に勝てなくなる時代が来そうですが、ただ人間は失敗をするという こと。そしてその失敗から学ぶことができるという長所があります。人間は失敗ばかり、誤ってばかりして いるのですが、そのことこそが人間の可能性を大いに高めています。 機械は誤らないように失敗しないように作られるのですが、もしくは誤っても修正する機能が付加されて います。そのように機械は合目的的に作られていますが、人間は逸脱してもぜんぜん平気というところが ありますね。(笑) 人間というのは行き当たりばったりでして、とにかく生きられればそれで良しというところがあります。 人間は知能を獲得して進化しましたが、これだって成り行きだったかもしれないのです。高度な知能を 持つのは哺乳類ですが、それは億年もの間、恐竜にいじめられたからかもしれません。当時の哺乳類は ねずみほどの小さな生き物でした。恐竜というニワトリくらいの大きさから巨大な恐竜まで、かれらが 地球を支配していたわけで、哺乳類などは彼らの餌でしかなかったわけで。 人工知能のことで是非とも知っておきたいことは、AIが模擬しているのは人間の大脳皮質の新しい脳の部分 だけです。これは人の学力を生み出す部分だろうと思います。ここが良いと学校の成績がよく高学歴となり 一流会社に入れます。皆さんが普通に頭が良いと思われているところですね。 しかし脳は大脳皮質だけではなく大脳基底核、大脳辺縁系、視床下部などの、人間の感情・欲望・価値観 (善悪のこと)などをつかさどるところがあります。こういう発生学的に古い部分の脳はAI化することはできない だろうと思っています。 しかし人間として本当に大事な部分は正にそこですよね。人の基本的な生き方を決めているのはそういう 脳の中心部分なんですね。機械によって決してシュミレーションすることのできない脳の大切な部分。 シッポ座さんが言いたかったことは、この部分の働きのことではないでしょうかね。私がいう本当の知力や 直観力というのも、同じく脳の中心部分の働きだろうと思っています。 そういう脳の構造も大事ですが、人間は脳だけで出来ているのではなく、身体全体が全て大切な働きをして いると見るべきです。体全体で全てが何一つ無駄なく大事な役目の働きをしていると考えると、なぜ歩くと 健康に良く、知力を高めるのかが分かろうかというものです。写真は歩きの撮影が大事で、画像に思い入れ が過ぎると写真ではなくなっちゃう、というのもきちんと道理が通るわけですね。 ※前回投稿した写真は黒白モニターでやったため、セピア色が付いているのに気が付きませんでした。 今回は色を抜いての再投稿です。

細部へのこだわり

細部へのこだわり

モノクロ専用のモニターが手に入りました。知人がネットでジャンク品をゲットしたのですが、結局 自分の用途には合わずでタダでもらいました。医療用のレントゲン写真を表示するモニターなのですが、 やはり専用のビデオカードが必要ということで、普通のカードでは不本意にしか表示できないようです。 (上下並列2面表示でしか) しかしその画質の一端は垣間見ることができ、圧倒的な解像度とシャープさ、 高コントラストにさすがだなって思いました。モノクロカメラと同じ理屈なんですね。 まあ、これは遊びでの話です。 私が普通に使うPCのモニターは一時完全モノクロにしていたのですが、ほんの少しだけ色を付けること にしました。全くの無彩色だとかえって分かりづらいところがあるわけで。物事は極論ではなく少し 中道に振ったところに良いものがあるのかもしれません。 生成AIとか人工知能の話をすると一般の方には理解できないことだとは十分承知していますが、今この 時代が雪崩をうってその方向に邁進しているわけですね。あと10年経てばとんでもないことになっている のは確実です。 このAIはたとえばプログラミングができる人には朗報とも言えるものでして自動で短期間で労力を伴わず にプログラミングコードを書いてくれるわけです。しかしプログラミングの知識がない人にはまともには 使えません。万事がそれでしてプロの優秀な人にとっては生成AIは最高のツールであり武器になるわけです。 そうすると結局は優秀な人達にとっては大変な利益をもたらすのですが、そうではない人達にとっては おそらく不利益しかもたらされません。 ですからAIを使えるか使えないかで大変な格差が人々の間で生じるということになります。 今現在のインターネットやPCコンピューターでもそうなんでして、一般の人達は馬鹿みたいな使い方しか 出来ていないでしょう? 今でもそうなんだからこれからはその格差というのはもっともっと開いてしまう というわけです。 機械より人間のほうが恐ろしいというのは確かにそのとおりです。機械は善悪の概念がありませんが、 人間には悪い人間と正しい人間がいます。弱い人間と強い人間も。(機械にも強弱がありますね) そして時代にも正悪と強弱の時代分類があるんですね。 その時代と人間を区分している本質的な要素は同じものです。それで時代が悪くなれば悪人がはびこるし 時代が良くなれば善人が活躍するのです。 この本質的な仕組みがあるからこそ、機械はどんなに高度になっても人間を超える知能を獲得すること はできません。しかし機械にはパワーがあります。核兵器などはその典型です。それで人工知能にも ものすごいパワーがあるんですね。それが証拠にAIデータセンターを稼動させるには大電力を消費し 原発が必要になるほどです。 人工知能が核兵器並みに危険であると言われるのは、その強烈無比なパワーによるものです。核もAIも それを制御する人間が悪人であれば、もしくは弱い人間であれば、人類を滅ぼしてしまいかねないわけ ですね。 日本人は自然災害と人災の区別が厳密にできていないところがあります。原爆を落としたのは人間です。 しかしそれを自然災害とあまり区別せずに捉えているようなところがありますね。大地震は自然災害 ですけど原発を建設し破裂させたのはあくまで人間であり人災であるわけです。 そうは言っても結果として、自然災害も戦争などの人災も同じような苦しみを人々にもたらすわけで あまり区別するのもさほどの意味がないところがあります。 週刊現代で落合陽一氏(筑波大準教授)のカメラが紹介されていました。ライカM型です。レンズは ノルテルックス50ミリF1.2。2本同時に購入し、そのうち1本がキリッとしなくてソフトフォーカス レンズのようなものだったそうで、その不良品がいたく気に入っているそうです。そういうレンズの 画像はAIでは表現できないと。(笑) 私はあくまでアマチュア写真家ですから、写真でお金を稼ぐことはできませんし、ジャーナリストでも ないので写真に対しての社会的な使命感というのもありません。自分だけのささやかな写真活動が できればそれでよし、というところです。 そういう場合に、写真とは細部にこだわるべし、という気持ちが強くあって、特に画質というものを これまで大事にしてきました。黒白写真にしてから画質は大分捨てたのですけど、それでもこだわり はまだありますね。 落合氏の記事を読んでいると、そういう売れっ子の有名人でも同じようなことを考えているのかと思い 苦笑しました。 細部に宿る写真の何かが欲しいからこそ私はこれまで写真を続けてきたというところがあります。 神は細部に宿る、これをモットーにして写真に限らず全ての物事に対処してきたところがあります。 普通の人達とはまったく視点が違うのでもとより理解してもらおうなんて露ぞ思っていません。 私がモノクロに拘るのもその細部への関心からです。

脱モニターの時代

脱モニターの時代

脱画面の時代。 【まじか‼️】スマホがなくなる日は、近いのか?OpenAIの新デバイス計画の謎 https://www.youtube.com/watch?v=VjvAT3nqz4I 今現在、パソコンはマウスとキーボード。スマホは画面タッチで操作をしていますが、これはモニター というカラー画面があるからできることで、GUI、グラフィックインターフェイスの操作法であるわけ です。それ以前はキャラクターインターフェイスでテキスト文字をキーボードでコマンド打ちをしての 操作でしたね。いずれにせよモニターがあって出来得たことです。 私はこの、GUIというカラーモニターが大いに問題を引き起こしていると提言をしたわけです。 デジタル写真をする場合、このモニターでの操作を避けることはできません。デジカメで写真を撮った 場合、まずカメラ背面モニターで見ることができ、そしてデータをPCに持って来て、現像なり画像修正 を行うわけでずか、それにはモニター画面での操作か欠かせません。 この画面を見なくて写真ができないのか?と問えば、フイルム時代はそんなの無かったじゃないか、と 言ってもデジタル写真ではモニター画面を見ることは不可欠なんですね。 それで対抗策として私は黒白写真で行こう、となったわけです。しかしこれはあくまでも対策であって 根本からの解決法ではありません。対症療法的な対策法というか逃避行動であるわけです。本来はモニター 画面なんか見なくて写真ができればいいんです。つまり脱モニター画面。 それがスマホやPCの次の次世代のデバイスでは画面なくしてコンピューターが操作できる、つまりは デジタル写真も脱画面が適そうな雰囲気になってきました。 この新聞記事を読んで、これだって思いましたね。 「スマホの次は脱画面」オープンAI、新端末開発へ。アイオー・プロダクツ買収。音声操作に商機。 io Productsとはアイフォーンのデザインを主導した元アップルのジョナサン・アイブ氏が創設した会社。 つまり今現在のスマホと言うコンピューターデバイスの操作感を決定付けた人物なんですね。 アイブ氏は、自分がデザインしたスマホやPCという利便性と高いデバイスというものが、益と同時に そのマイナス面も大きくて、様々な問題を引き起こしていることを知っていたわけです。またそういう 自分への責務というものを感じていたそうです。 ですから画面を無くするというアイデアは実に的を得ていると私は思っています。 私は画面を黒白にすることで対処しましたが、画面が無くなれば、これこそは根本的な解決法になるわけです。 それから私もユーチューブの動画も見ますが、実際は画面は見ずに音声だけ聞いているわけです。またそういう 音声内容の濃いものしか見ません。 そうなのでモニター画面をなくして音声でいく、というのはこれからの時代に即したやり方でしょう。 生成AIは高度になってきて、もはや画面を見て人が一々操作をするということが不要になったわけですね。 ということでやがてAIによって全く新しい形のデバイスが登場するということなんです。 モニターという透過直射光、特に眼にきついカラー画面が無くなればこれは革命的です。思い切ってコンピューター を使うことができるというわけです。 ただここで大きな本質的な問題が新たに発生するだろうということは避けられません。 たとえば画面に映った文字配列でのキャラクターインターフェースの場合は、人に思考というものを要求され ましたが、これから起こるAIインターフェースではその思考は必要がなくなるという根本的な問題が出てくる わけです。 つまりコンピューターを自分で操作するこということがなくなり、むしろコンピーターに人が操作されるという ことになるわけですね。 殆どの人はAIの知能に敵わない時代になりました。IQが120オーバーでないともうAIには敵わなくなってくる。 そうなると人は自分より高いIQのAIデバイスの言いなりになっちゃうんですよ。人が自分の意思をAIによって 奪われるという本格的な時代に突入します。 まあ、それは置いといて、とにかくしばらくは画面からの脱却ができるようになるということでは革命的な 変革の時代になってきそうです。とりあえずモニター画面の症候群からは脱出できるようになるわけです。 そして自分を取り戻さなければなりませんね。

写真家というか、カメラマンは馬鹿にならんといかんぜ

写真家というか、カメラマンは馬鹿にならんといかんぜ

写真家というか、カメラマンは馬鹿にならんといかんぜと思う 幕末、尊皇攘夷ということで馬鹿騒ぎをしていました。倒幕ですね。そりゃあもう直ぐに刀は抜くわ切腹はするわで 西国大名の下っ端サムライは大騒ぎをしていたんです。馬鹿丸出しです。それで実際に天下を取れば攘夷なんて アホはしません。ようするに攘夷なんて嘘っぱちの方便だったわけです。 幕末、幕府を倒したのは九州や中国四国といった西日本の諸大名下の位の低い若い侍です。例外的に水戸藩が 尊皇派だったんですけどね。 西日本の人間は馬鹿ができます。ここが東日本の人間と違うところですね。日本の首都は江戸期以降ずっと東京 です。地理的にそこしかないです。しかし幕末期、東日本の江戸幕府は対外政策で躓きました。そこを突いたのが 西国諸国であったわけで、もしこの時期に倒幕ができずにそのままいけば、外国勢力に傀儡化されで日本は落ちぶれ ていたでしょう。仕方がないから西日本の人間が出張ったわけです。 時代が大きく変わるとき、馬鹿ができる人間が登場しないとその国は持ちません。嘘でも何でもいいから変革する ことが大事なんですね。人間は馬鹿にならないといけないんです。馬鹿ができないと、すまし顔では何もできずに 終了してしまうからです。戦争ではスピードが肝心でチンタラやっていると全てが終わってしまうんです。 写真はフイルム写真からデジタル写真へと変わりました。それはここ20から30年のことです。しかしそれが本当の 黒船だったかというとそうではなかったのです。本当の大変革は今やって来つつあるAI画像です。もう写真というのは 風前のともし火の危機的状況になっているんですね。それに気が付かない人が多いです。 フイルム写真が懐かしい?とんでもない。デジタル写真ですら懐かしむような時代にこれからなってきます。 私kusanagiがコメント主体で掲示板に投稿しようと考えたのは、写真がアナログからデジタルの時代という時代の 変わり目に、その変革期のレポートを買って出ようと思ったからです。つまり自ら進んで馬鹿を買って出ようと思った からです。嘘でも何でもいい。とにかく書いてやろうということでした。それが時代の記録になるだとういうことで。 この私の馬鹿さ加減を知っているのが匿名のコバンザメさんです。九州の人らしいので分かるのかもしれません。 写真は人それぞれ、個性という名の自分勝手でいい。なんていう流暢なことを言っていると、その自分勝手なこと すらできない時代になってしまいます。 日本は光学技術を握っていました。それでフイルム時代もデジタル写真時代も第一線でやれました。しかしAI写真 では、文字通り黒船であり日本の企業は大手米国AI企業の下請けでしかなくなります。それがどんなに面白くない ことなのか分かっていない人ばかりです。 まずはAIで米国や中国に負けないような企業を日本企業が立ち上げる。これをやろうとしているのがソフトバンクです。 AIは駄目だとか、そういう攘夷論ではないんですね。AI時代於いても日本は写真や映像を握っていないといけない のです。 これから10年20年後、今現在デジタル写真を謳歌していた人がどれだけ生き残っていることやら。 とにかく、写真はお澄ましでは何もできません。馬鹿になり切らないと。

鉄茶

鉄茶

このところ、古い愛車の調子が悪くなってきて、なんとかならんかなと試行錯誤の連続。 まずはプラグ交換。前回交換してから10万キロは走ってる。その時は長寿命のプラグとプラグコードを奢ったのですが、 今回はもうあと2万キロ弱乗れればいいということで、安物プラグで交換。コードはソケット部が緩んでいたのでカシメて、 内ひとつは銅線巻きで対処。またスロットルワイヤーが緩んでいたの清掃とでテンション張り。 それでもまだ不調。アイドリングは正調になったけど発進時にもたつく。ストール現象すらも。それでこれはエアインテーク 関係かなと目星を付け、まずは試しに市販のパーツクリーナーで清掃。そして15,000円もしたけどISCV、アイドリング スピードコントロールバルブを新品に交換。(この交換は2度目) まあまあと良くなったけどまだまだ。 そして今回はクレ・エンジンコンディショッナーなるものでエアインテーク部をアワアワとクリーニング。強力な化学反応に よって、かなりエンジンは改善してきました。こんどはソレをプラグ穴から燃焼室に吹き込もうかと考えています。 23万5000キロ走破の24年ものの古いスバル軽自動車です。目標は25万キロ走破。(笑) 今までは調子は良かったのですけど、このところのガソリン高騰で、それまでハイオクガソリンを給油していたのを レギュラーガソリンにしてから不調になったので、やはりハイオクに含まれている添加剤で保っていたのがレギュラーに しことでボロガ出たなあというところか。 そして違法だけどブローバイガスをエアインテークに戻す経路を遮断。車検時につければいいとして大気放出で。 こういう話は車とかバイクを自分で整備している人だと分かるかなと思います。 そしてこういう知識は全てインターネットで、とくにユーチューブで学んでます。車に限りません。家もリフォームもそう。 全く初心者で無知であっても、自分で学べばやり方が見えてくるんですね。 ただし自分で学ぼうという謙虚で真摯な態度が必要です。少しづつちょっとづつ学んでいく。チリも積もれば山となるで いつの間にか自分でも信じられないほどに通になっていくんですね。 最初から頭から拒否していたんでは何事も改善していきませんね。俺はよく分かっている、学びなどいまさら不要だ、 と思っていると学力は向上しません。知識を学び実践して経験を積んでいく。軍隊だと訓練といいますか。 車も家のリフォームも私は素人だったれど、身体の知識に関しては昔から多くを学んでいました。しかし今でもそれ だけでは全く不足だということで学びを続けています。最近ではウイルスとワクチン、そして免疫力ですね。相当に 難しくて理解できたとは言えないんですけど、それでも大分賢くなったような気がします。 免疫や糖質制限以外で、最近、おやっと思ったのは、鉄分の補給です。これを今年の1月にそういう著作を読んで 腑に落ちるところがあり、すぐさま実践。私は実践力と現場力が高いんです。机上論なんてしないですしね。 いろいろと私が人様にアドバイスをすると、大体の人はすぐに言い訳けをして理解しようとも実践しようともしません。 それは本気になっていないからですね。自分が駄目になるのはまだ先だと思っているだろうし、なったはなったで、 誰かが助けてくれるように楽観視しているんでしょう。そういう人が殆どです。 それで鉄分の話に戻すと、肉の赤肉などのヘム鉄は食物から摂るしかないんだけど、ホウレンソウなどの普通鉄は 簡単に摂れるんです。たとえば鉄なべ、鉄瓶、鉄急須など。しかしもっと簡単にやれる方法があります。 お茶を入れる磁器の急須に鉄釘(軟鉄の一番安いやつ)をバラバラと入れてお茶の葉にお湯を注ぐだけ。これで濃厚な 鉄茶が飲めます。 私はこれに気が付いたというか、あり得るかもと感じたのは、引越しをして体調が悪くなりました。当然に水道水が変わ りましたね。以前より美味しい水道水となりました。これはすぐに分かりました。考えてみると以前のは金気水に近かった わけです。金気の水道水が来るのは、ひとつは源泉水が金気を多く含んでいる土地である場合。また鉄製の水道管が 錆びている場合です。 金気水は美味しくないのだけど、しかし鉄分が水から補給できるというメリットがあります。水の変化から自分の身体に 鉄分が不足しているんではないかと、その著作を見てピンと来たわけですね。日ごろ自分の体調を観察していると何か 変だ。とわかるようになります。 そういう時に鉄分補給の本に出会った。早速に実践。以来ずっと続けていてもう4ヶ月ですかね。引越し以来落ちていた 体調や体力が復活できたという気がしてます。なんでも新しいことを始めてから3ヶ月を過ぎると効果が眼に見えてくるん です。これは長年の経験からです。 この1ヶ月ぜんぜん休みなしで動いています。それでもしんどいとか疲れたという気がしません。それは鉄分補給の お陰かなって思うようになりました。 鉄分は栄養素ですから食物と同じで即効力があります。誰でも3ヶ月やれば効果を確認できます。 お茶は葉っぱでいれる煎茶とかの類ですね。タンニンを含んでいないと駄目なのでコーヒーでは駄目かと。(笑) なお急須が必要です。ペットボトルのお茶は無理かと思います。鉄釘は小さめの方が鉄分が溶けやすいです。螺子釘 とかコンクリート釘のような合金ではなく、普通の最安値の軟鉄の釘でないと溶けません。 鉄釘茶は、私にとっては久しぶりのヒット作となりました。時期的に糖質制限と同時にやってしまったのでどちらの 効果が分かりにくいところがありますが、鉄茶はかなり効果があるようです。

ペリリュー島の戦い

ペリリュー島の戦い

自転車をあげるって言われているのですが、歩きが一番と思っている私には必要がないのではないかと考えていました。 しかし自転車は、押し歩きというスタイルも可能なんですね。そういう使い方もできるといことで貰おうかなっていう気が してきました。 シッポ座さんからの啓示ですかね。前後に大きな籠がついているので荷物がいっぱい積めます。それを乗るのではなく 押して歩くということ。そういう使い方だと私のセオリーと矛盾しないのです。 パワーマックG4ですかね。ポリタンク型のやつ。3台ほどもらいました。もとより3~4台所持しているのでコレクションが 増えるっていうだけ。これでネットはできないですし使い道はないのですけど、イラレやフォトショがインストールされている ようなので少しは遊べるかな。(笑) 私の特技、みんなから不思議とよくモノを貰うんですね。食い物もなぜかくれたりする。顔に、ちょーだい、って書いている のかな。(笑) 貰うものは基本断りません。ありがたく貰う。お返しなんかしたことがない。それでも不思議に次から次へと くれるんですね。 これ、占星術的には分かっているんです。私には0歳の大吉星があるからです。つまり赤ん坊です。赤ん坊だから貰って 当然、ということか。 しかし私の総合的な精神年齢は40~60歳代なんです。これ、べらぼーに精神年齢は高いんです。普通の人はだいたい 10歳代から20歳代の人が多いわけですが、私の精神年齢は皆さんとは隔絶しています。ですから殆どの人は、私の 思考が見えません。見えないんだけど、ただひとつ、私には赤ん坊の年代星があるので、それだけが見えるんですね。 あっ、こいつは馬鹿だと。ベイビーだなと。(笑) そして、この0歳、赤ん坊の星が、実は私の占星術の駆動力になっているわけです。 ですから、世の中の殆どの人が、私の思考力と感性の挟み撃ちになって、いわば翻弄されます。唯一、私と同じ高い 精神年齢を持つ人だけがそれを避けられるわけです。 高度に精神年齢が高いということは、別の言い方をすれば知能が高いということでしょうか。高すぎて困ってしまうという ところがあります。普通の人とは30ポイントくらいの差があるでしょう。 ですから普通の人とはまともに話ができないので、それで小学校高学年のころから読書生活に行きました。それは今も 続いているというわけ。本を書くレベルの人くらいしか話し相手がいないわけですね。 考えてみればこれはかなり不幸なことかも知れません。 【ペリリュー島の戦い】終わりなき持久戦…地獄の戦場に残された戦跡を現地からわかりやすく解説 【大人の教養チャンネル】 https://www.youtube.com/watch?v=_ddnRi69v4U この中で、火炎放射器とガソリンというのが出てきます。これでパッとひらめく人がいればすごい。 そう、つまり日航機123便事件のことです。 ペリリュー島の戦いは終わらない。永遠に日本人の心の底に溜まったままです。それと同じように都市伝説としての 日航機123便は無くならないのです。終わりなき旅路であり、永遠にさ迷ったままなのです。 こういうのもあるのでついでに視聴してくださいな。 「民間人1万人が自決…サイパン島に残された戦争の爪痕を巡る 地獄の戦場を現地からわかりやすく解説」 https://www.youtube.com/watch?v=KDXNWjWWj7M 「日本兵52万人が犠牲に…フィリピンに残された戦争の爪痕をめぐる 最悪の戦場を現地からわかりやすく解説」 https://www.youtube.com/watch?v=gmY-X670Vrc ドントテルミー・ア・ライさんが現地に行ってレポート解説をされています。非常に良い番組です。

歴史

歴史

米国との関税交渉開始 でも石破内閣では役者不足 / 赤沢大臣は甘利氏にアドバイスを求め 本格交渉に臨むのは経済安全保障の猛者たちか? 【渡邉哲也Show】20250418-647 Vol.1 (2025/4/18) https://www.youtube.com/watch?v=s1h_bXfluaE 弱音を吐くしかない中国 本当に八方ふさがりに / トランプ関税で中国が協議申し入れ? 弱みを見せられない習近平… 【渡邉哲也Show】20250418-647 Vol.2 https://www.youtube.com/watch?v=BUtozDX3ibg&list=PLoMREUbYtkxLfi-RiHe-DSaib8eJ7DaC0 中国半導体の末路 米国無じゃ何もできない / 米国内から共産色を一掃しようと躍起のトランプ大統領 ハーバードにも容赦なし 【渡邉哲也Show】20250418-647 Vol.3 https://www.youtube.com/watch?v=swk2UzxFHs8 疾風怒濤のトランプ関税 狙いは中国包囲網と新国連 / 甘利氏が赤沢大臣にアドバイス 本当に打つ手なしの石破政権 【渡邉哲也Show】一般公開ライブ 20250418-648 Vol.1 (2025/4/18) https://www.youtube.com/watch?v=b-ydZ5JXFlU  トランプ大統領が創造するのは 無法な中国が無い世界 / 軍事力ではなく中国の一番痛い所をつき じわりと追いつめるトランプ戦術 【渡邉哲也Show】一般公開ライブ 20250418-648 Vol.2 https://www.youtube.com/watch?v=TxKPktdsQmM 赤沢大臣が渡米し日米関税交渉開始 トランプ疾風怒濤の戦略 / 台湾も米国と関税交渉を開始 その中で裏技を使えば台湾を国家承認‼ 【渡邉哲也Show】 今週の渡邉さん 20250418 https://www.youtube.com/watch?v=Xjta5ex-kMU&list=PLoMREUbYtkxLfi-RiHe-DSaib8eJ7DaC0 トランプ関税の本質はこんなところだろうと思っています。 それと2025年7月の天変地異というのは、このトランプ関税が現わしている世界的な転換なのではないかとも考えています。 グローバリズム1極構造から米中の2極態勢になるっていうことじゃないですかね。それは大変換なんですよ。 つまり今後は米ソのような2極冷戦構造に舞い戻るっていうことであって、そもそも世界が1つにまとまるっていうこと事態が本質的に おかしいというところがあるので、これは世界がマトモになるっていうことじゃないでしょうか。 日本は歴史的に大昔から、中国に付くか、アンチ中国で行くかの繰り返しバトルの歴史です。 ところで少子化の本質は中国化での結果というところがあるんじゃないかって思ってます。韓国もそうですよね。 残念ながら日本列島は小さいので、日本独自のオリジナルな文明を構築することはできません。それて歴史的に中国大陸につくか、 もしくは中国以外の文明の手助けを得て日本独自路線を行くか、その二者択一しかないんですね。 私が関心を持っている神社宗教は、古代イスラエルの影響下にあって創造されたものじゃないかなって考えています。 飛鳥時代に大陸から中国仏教という大きな文明パワーが押し寄せたとき、アンチ中国の日本人は中国以外の文明でもって 対抗しようとしたのではないかと思ってます。中国以外であれば何でも良かったんです。たまたま古代イスラエルのマイナーな 文明も来ていたのでそれを利用したのだと思いますね。 そうやってバランスをとってやってきたので日本は中国化せずに独自の文明発展を遂げられたのだと思ってます。 トランプ政権の本質は対中国政策(冷戦)なのであって、高関税を掛けて世界経済を貶めるというものではありません。ただ中国を 外してしまうと結果的に一時的にも経済は落ち込むというのはあります。それは仕方がないということで、長い眼で見れば日本に とっては有利な結果が待っています。 そもそも歴史的に中国が栄えれば日本は沈み、日本が興隆すれば中国は萎むっていうシーソー関係があるわけです。これを 忘れてはいけませんね。全世界どこに行ってもチャイナ製品で溢れかえるという時代はもう御免こうむりたいものです。 日本の政局も昔から親中派とアンチ親中派の戦いというか相克なのであって、今この現在の政権もそうです。親中派の勢力は かなり強いんではないでしょうか。色々な利権とかお金が絡んでいるんでしょうね。そういう自己利益のためなら日本が没落しても 構わないという人間は多数居るはずです。 歴史を学べば世界や世の中が見えてくるし未来のことも分かるようになります。歴史は大人の教養です。

歩く

歩く

この掲示板、広告が表示されなかった貴重なPCがなくなると、当然に広告が出張ってきて、正直言ってあまり閲覧 する気がしなくなりました。もっともこれは想定内ですけどね。 とにかく最初にすることは広告を消すこと、全部消すこと。それから掲示板を見ることになるので面倒至極です。 広告の量と、掲示板や投稿写真の質は反比例します。これは当たり前のことなのでいまさら言っても仕方ないわけ ですが、とにかく最初に広告を消す儀式はしっかりと行ってください。 「歩く マジで人生が変わる習慣」 池田光史著 この本、かなり面白いです。シューズについても深く追求して書か れているので参考になります。現代のねじれない靴が筋力と間接を弱らせていると。そして、足は1ヶ月で変わるとも。 良い靴やシューズを選んで歩き、生活するのはもはや必須という時代になったようです。 シッポ座さんがバイクを押して6時間、というのは、これも歩きですね。バイクを押して歩くことに意義があった、という ことになります。貴重な体験をなされた、と思います。 人間は歩かないと写真は撮れません。もしくは写真を撮るためには歩かないといけません。写真と歩きは不可分の 関係なので、写真趣味の人は多かれ少なかれ歩くことになります。そして歩くことは考えるということなので、今の 時代、考えることができるというのは、写真とは良い趣味だといえそうです。 バイクは押して歩くこともできる。自転車もそうです。カメラと同じく、良い道具だということです。 自転車遅乗り競争というのが運動会であってような気がするんですが、バイクや自転車を押して長時間歩くという 競技もあってよいのではないかと思ってます。 アシスト付き自転車は坂道でも漕いで走れますが、普通の自転車は長い坂道は押して歩かないといけません。 これがまた良いんですね。坂を上りきると後は猛スピードで下り坂、一気に帰り着く。というのを島巡りで体験したこと があります。あの爽快感は今でも忘れられません。 カメラという道具は重さがあります。この重さ、というのがいいんです。もし重さと大きさがゼロというカメラがあると すれば、それは写真としては面白くありません。私がスマホ写真をあまり評価しないのはスマホが、コンデジもそう ですが、カメラとしては軽すぎるからです。 カメラというのは、あの重さがあるから、自分の思ったような写真を撮れるんですね。ここを忘れてしまうと写真趣味 としては残念なことになります。重いカメラという道具をわざわざ手に持って歩くということ。そこに深い意義があります。 コンデジ撮影の場合、私はグリップ等を追加して、わざわざ重く大きくして使っていました。スマホもそういうことが できそうですね。タブレットで撮影をする人がおられますが、あれは大きさ重さからいうとカメラという道具になるでしょう か。そういえば折りたたみ式スマホを持たしてもらったことがあって、あれ結構重くて長電話だと腕が疲れた。(笑) サムスンかなんかだったかと思うのですが、あれだと重いのでよりカメラらしいか。 でもやはり本物のカメラにはスマホもコンデジも敵いません。手に持って歩くように最初から作られているからですね。 もうあまり写真を撮らないので、カメラバックは大工道具を入れたりビス螺子を入れる箱やバッグになっています。(笑) 自分でリフォームをしているので電動道具などや大工道具がだいたい揃ってきて、それを入れるバックにカメラバック がぴったりと合うというわけ。 大工仕事は趣味として面白いのですが、残念ながら歩きがないので写真趣味には敵いません。写真撮影趣味、 これは趣味としては最高です。

デジタル時代の写真

デジタル時代の写真

歩く人に大病なし。歩く人に馬鹿はなし。逆に申せば、歩かない人は病気になり馬鹿になってしまう かもしれないということです。 そして写真趣味はその原則に則ってやらなければ意味がないということでしょうか。 写真撮影趣味というのは、かなり贅沢な趣味でして、金も時間もかかります。これを自分に対する 投資として考えると、そこから得られるものは何なのか、ということを考えなくてはなりませんね。 それはまず病気にはならないこと。そして馬鹿にはならないことだということです。 この二つだけでも得られれば、これほどの利益を得られるものは他にはないということです。 私はこの大事な二つを得られれば他には何もいらないんじゃないかって思ってます。 デジタル時代のデジタル写真の真髄とでも言えるものは、もしかすればこれじゃないかなって思うん ですね。自分を正常に保てていること、健康であり頭がクリアであるという、それだけでよいんじゃ ないですか。 スラムさんの投稿写真には最初から興味を持っています。彼は低画質の写真しか投稿していません。 それは徹底していて、640x480 ピクセル以外の投稿がないということです。 ですから、画像には関心がなくて、あくまで自分が歩いて写真を撮った。ということだけに注力している ということです。ひたすらにまでにそのことを訴えているみたいな感じなんですね。 私がカラー画像に関心がなくて黒白画像にしてるように、スラムさんはもっと過激で低ピクセルで充分 事足りると言っているようなものなのです。 デジタル時代の写真とはそういうものではないのか?と言っているのではないですか。 誰もがいつでもどこでも撮れるデジタル写真の時代になってしまった。デジタル画像は溢れんばかり にころがっている。そんな写真画像にはもう意味がない。存在価値すらなくなってしまっている。 だから、写真とはあくまで自分が歩いて撮影することに尽きる。ということになるような・・・・。 とにかく病気になるな。アホになるな。そんなものを自慢するな、ということです。

写真の時間軸

写真の時間軸

10年先20年先を見ること。これはこと健康に関してはそのとおりです。今、充分に歩いていれば 先々の人生に於いて健康が約束されるようなものです。歩くことは最大の免疫力を約束してくれる ようで、歩かなかった人は後々後悔をすることになるのですが、もはやその時では遅すぎます。 結果にはそれに先立った原因がある。これが分からない人は多いです。時間軸を理解できる人は 少ないんですね。 しかし思い立ったが吉日。という言葉もあって、今こそやるべきだ、ということも言えるわけです。 写真は常に今現在しか撮ることができません。タイムマシンなるカメラがあれば面白いのですが、 そうはならないのが写真の原理です。 日々の今が積み重なって、それが写真の記録というものを形作り、次第に時間軸を形成してくる ということも言えるわけですが、それには最低限、数十年の月日が必要です。デジタルカメラが発明 されてまだ20年余。これではまだ無理で、やはりフイルム写真の経験がなければ写真の時間軸は 見えてきません。 そこで大切になるのは古の先人の写真を見ることです。つまり写真集ですね。それをどれだけ見て いるか、いないか。それで時間軸の写真を知ることができるかもしれません。 このベースがある人と無い人とでは随分と写真の考えかたが違うものです。

感化される写真

感化される写真

私が人の写真を見て、影響を受けるのは、撮影者が自分の住んでいるところを大切に思い、それを 愛でて撮影した写真であるということです。かつては東北に在住の方の上げた掲示板の写真が大いに 気に入り、あげく自分も行って見たいということで分不相応に足を伸ばしたことがありました。 やはりその土地の良さというのはそこで住んでいる人でなければ分かりません。 そして私にとって良い写真とは、その土地の風景の良さが感じられるのが良い写真であり、何も 感じられないのは詰まらない写真だということになります。 その場所に自分も行きたいと感じさせるように写真。ただ行きたいと感じるたけでなく、その土地の ことを考えさせられるものでなければなりません。これは総合的なものであって、個別の写真に写る 物でもなければ産物でもありません。敢えて言えば空気感がただよっていないといけないのです。 ですから加工写真は論外であって素直な自然の写真でなければなりません。モノしか見ていない ような写真の狭い写真も駄目です。さらにいけないのは自分の我を出した写真は最悪です。 写真は愚かな人間をもっと愚かにもできるし、優れた人をもっと高みに持っていくこともできます。

瀬戸内の光景

瀬戸内の光景

今回の歩き、瀬戸内の島での10キロ余のあるきなんですが、久しぶりだったので得た収穫は大きかっ たです。まず歩きは10キロくらいを超えないと、歩き運動にはならないということ。撮影をしながらです から4時間くらいの歩きですね。その1週間くらい前に数キロ歩いたのですが、効果は感じられません でした。 私の場合だけかもしれませんが、日々すこしづつ歩いてその効果が累積するとか、そういうのはない んじゃないかって感じます。やはり連続して長い距離を歩かないとだめだと。今回の島歩きは昔歩いて いた距離の半分です。ということは以前は1日の撮影で20キロ以上歩いていたということです。 それからこれは建築家の方と話して得られただろうという直感ですが、なぜ瀬戸内海だったのか、とい うことに密接に繋がるのですが、瀬戸内の光景を歩くことは他の場所と違って格段に思考力を高める のではないかということ。 ある本で見たのですが、県外の方が瀬戸内の海を見て他の海とは違うって感激するようなのですね。 それは多分、内海の穏やかさがそうさせるのではないかと思ってます。ほぼ湖のようなイメージで 波風は立たず、風はなく、天候は晴れで良くて雨も降らない。ただよく見ると潮の流れはあります。 そこが湖とは違うところ。塩の満ち引きも当然に。 とにかくこの穏やかな湖畔ではなく海辺に立つと自然の脅威というものは感じられず、ただ海と空だけ となって、思考が透明になるというか雑念の余地がなくなるのです。雑念というか、見るべき注意すべ きものがなく心が空白になる感じなんですね。島の道は大体は海辺を回っていますから、半分は山側 で半分は海と空なんです。過疎なので家並みも滅多にありません。 そうすると人はどうなるか。私が島歩きをして感じるのは、自分が日頃考えていることが再咀嚼する ように自分の思考が脳の中にもたげて来て、それこそが日頃の雑念というものかもしれませんが、 その思考が頭の中でぐるぐると回りだすのです。 それを思考性向といってもいいのかもしれませんが、とにかく思考力が高められるような気がするん です。つまり過疎の島という、海と空だけの単純に環境に置かれると、人間というのは自動的に脳が 回りだすのではないかということです。 これが都会の中の喧騒に身を置いていれば絶対に感じられないことであって、つまり例えて言えば 歩く禅のようなものではないかと思うんですね。純粋な思考だけの回転です。 もしかすれば建築家の方は、それにうすうす気が付いていたのではないかという気がしました。 瀬戸内を選んで古民家を買い、そして瀬戸内の海こそは純粋思考の場に相応しいと。 島で生活をしている人は日々の生活がありますから、空念で生きているわけではなくて純粋思考には いかないかもしれませんが、たまに島を訪れる私のようなものには、島の光景とその歩きは格別な ものがあるということです。建築家の方も別荘感覚で島の海辺の家を求めたわけで。 しかし私としては瀬戸内の海も、高知や徳島の太平洋の海も好きでよく足を伸ばします。しかしやはり 海の感覚は違うって思います。太平洋はパワフルです。それに無意識的に身構えないといけないよう なところがあります。そして瀬戸内にはそういうものがあまりなく終始穏やかであるわけです。 そして思うのですが、この小さな島周りの感覚を四国という島に置き換えると、それが四国遍路、四国 巡礼の旅となるわけです。宗教的な感覚で捉えるのが相応しいかなって思うところがあります。

無題

無題

久しぶりに歩き撮影をしました。12キロくらい歩きました。長らく歩いていないので足元もやや覚束 ない感じも。しかし歩きは絶対に欠かすことの出来ない健康(免疫力)への必須の条件ですから、 無理をしても時間を作り、歩かないといけませんね。それを今は痛切に感じています。 今日はちょっと建築家の方と話す機会に恵まれました。なんか私の方が一方的にしゃべってばかり だったので申し訳なかったような。物静かで大変優秀な方でしたね。 しかし私としては「食」と並んで「住」の環境も危機感を感じているので、プロの方に伝いたいことは伝え たかったわけです。衣食住という基本ラインが駄目になっている昨今の日本。このままにしておくと 日本人は滅びますから。 カメラマンはコックさん、料理人ですか。なるほど、写真は理詰めでいかないといけませんね。 多くの人は写真を芸風というか美学の感覚で捉えているんでしょう。しかもそれを日本的な美意識、 つまり見かけさえよければその機能や効能、はては健康や命すら見失ってもいい。という具合なので、 毒を盛ってるコックさん、ともなりかねないです。 オフロードバイクの良いところは、いつでもどこでもスッと降りて歩いて撮影できる点です。撮影には 最高の相棒というわけです。自動車だと軽自動車が一番有利です。やはり軽いこと、小さいこと。 というのは歩きの延長線上に位置するので、この利便性を見逃すことはできません。 シッポ座さんやスラムさんの写真の影響で、関東平野に関心が涌いてきています。 広大な関東平野ですが、地質学的な肝は、千葉(神奈川南部)・茨城にあると踏んでいます。ここが 標高が高くて、言わば関東平野の蓋をしていて、そのお陰で広大な平野が生まれたというわけです。 千葉茨城がなければ、今の関東平野は存在せず、局地的に前橋や宇都宮の小さな平野があるだけ だったでしょう。(仙台平野や静岡の平野のような) そして利根川の存在は大きいですね。実際に関東平野を造ったのは利根川です。西と北の山地から 膨大な土石を運んで内海を埋めたてて平野を造りました。その自然の堤防が千葉と茨城の山地だった わけで、もしその堤防がなかったならば土石は日本海溝に流れ沈むだけでした。

私の黒白写真

私の黒白写真

私は今、糖質制限をしていますが、これは写真に例えて言えばカラーの度合いを低めようとするような ものです。色彩は魅力的ですがどうしても依存症になりがちです。依存症になるのは糖質も同じであっ て糖質過多は成人病生活習慣病の際たるものでして、若い時期はともかく高齢になれば少ないほうが いいんですね。 私が黒白専用機を購入したのは、そういうチャンスに偶々巡りあったということだけなのですが、 当初は単にコレクションカメラのひとつとして購入したに過ぎません。その少し前にツァイスのレンズを 試してみて、世界一と言えどもこんなものなのか、という諦観がある程度あったというのもあるんでしょう。 もう色彩色味を追求してもしようがないというところがありました。 ところがその黒白機を実際に使ってみると、大昔の黒白フイルムの世界を思い出したというか、逆に デジタルカラー写真の無駄の多いことに気が付いたというわけです。写真は黒白でも充分じゃないか。 それで事足りるわけでして、私の写真に関する考え方はがらりと変わったわけです。 この自覚は自分としては写真趣味だけに留まらずに、生活全般に無意識の内に伝播していったような 気がしています。私にとっては、写真とはただ単に余裕の大尽趣味だけに留まってはいなかったようで、 自分の写真が変われば自分の生活全体に影響を及ぼすもののようでした。 それから程なくして住居を変えました。先のことを見据えて経済的に負荷の少ない小ぶりな家に。 それで自分なりの改造ということでリフォームに忙しいんですけどね。また現在の仕事もおそらく後1~2年 だろうと分かっていますから生活をスリムにしないといけないわけです。 写真と言えば、黒白カメラにしてからはほとんど機材は購入していません。もう必要がないというか。 それでもコレクションしているカメラはまだ手元にあります。一部屋はすべてカメラ機材に当ててます。 これもいつかは手放すときが来るだろうとは思いますが、写真をやっている間は保管しておこうと。 これからの自分の趣味というか、念願というのはやはり占星術への探求です。これを何とか完成したい という気持ちがあります。それには書物が大事で、それで住居のあらゆるところが書棚という具合に なりそうです。どんな蔵書もすぐに取り出せる、それが目的ですから。(今は倉庫に山積み) しかし写真撮影はこれからもやっていきます。歩き運動という健康維持には最適なものですし、写真 をすることで得られるものは数多くあるからですね。 そういう具合で、自分のこれからをきちんと見れるようになったのは、まさに黒白写真のお陰だと感じて います。 しかしこれは私か過去に黒白フイルム写真を若い時期に10年ほどやっていたからこそ可能だったろう と思っています。過去に得たストックというか資源を再利用できたからです。ですから黒白写真をやって いかった人には通用しないでしょう。黒白にしても何にしても、やはり若い頃に得たセンスというか感覚が なければ身につかないものですから。 この若い頃に身につけたセンスというか、既得力はとても大事です。年をとってから初めて始めたもの なんてモノになるわけではないんでしてね。私の占星術は30代から。これぎりぎりです。40代から始めた パソコンは結局ものになりませんでした。とは言え一般の人と比べればITの知識は豊富な方でしょう。 そして10代の頃に得たセンスもあるんですね。それは会社業界知識です。年の離れた兄の影響で そういう類の本を常に読んでしました。普通小説なんかを読んでいる時期の中高校生がビジネス本を 読んでいたわけで。(笑) それで今でも日経新聞や経済誌は楽しく読んでいます。 私が今やっているリフォーム、これは幼稚園や小学校低学年の頃に、近所の大工さんのところに入り びたりになって目で見て覚えたセンスなんですね。ただ見ていただなんですよ。それなのに大人になって から大工道具を使うとすっと使えるんです。ちなみに中学校卒業前にその大工さんからスカウトの話が あったんですけどね。(^^ゞ 如何に子供のころや若い時期に覚えたセンスが大事なのだということです。 占星術はある程度の人生経験がないと出来ないものなので、30代から始めたと言うのは遅いわけでは ありません。それよりも20歳代に哲学や歴史や宗教、心理学や精神分析の著書を数多く読んでいたと いうのが根っこになっていると思います。こういう基礎学問を知らなければ占星術は単なる占いごっこ に終わるからです。総合力がモノを言う人文的擬似科学なんですね。 デジタル写真をやった20年間余、というのは楽しかったけど別の見方をすれば運勢的に停滞していた 時期だったろうと思います。浦島太郎のように遊んで暮らした、という感じでした。それが終わった今は 本当の自己実現に向けて邁進していきたいと考えてます。 まあ経済的なことも生きていくには大事ですけど、やっぱり目的というものが見据えられていないと人は ぶれてしまいます。志が大事で金はあとから付いてきます。 十代末から20代末までの10年間。フイルム時代ですからスローモーですけどみっちりと黒白写真をやった というのは、私にとっては何ものにも代え難い財産だろうと思います。これでモノを見る力、人を見る力と いうものが付いたのではないかと密かに思ってます。 フィルム写真というのは実際にモノとして画像が記録されているわけでして、よい具合に光にかざすと 画像が見えてきますね。つまり極めて具体的なんです。デジタル時代ではそんなことは絶対に不可能 ですからね。メディアを眺めても記録された画像は見えません。そしてプリントは化学的な処理という ことで魔法のように暗室の中で絵が浮かび出てくる。こういうのもデジタルでは基本ないです。 そういう具合に写真の不思議さ、リアル感をありありと知っていると、写真を加工して云々、などとという 発想にはならないわけです。写真の有り難さを知らない今の人が写真加工などをいうものをするのであっ て、写真をよく知っている昔の人はそんなバチ当たりに発想すら抱きません。 それにしても思うのは、私が黒白専用機に出会ったのはまぐれであって、たまたまに過ぎません。もし ペンタックスからあの時期にカメラ画が発売されていなかったらどうなったのか。 おそらく私はライカモノクロームを手にしていただろう言えます。ツアイスレンズの次はライカしかないから です。今でも、もしキヤノンからフルサイズモノクローム専用機が出れば買いたいですよ。出ませんけどね。(笑) デジタルで黒白写真を志すには絶対に専用機が必要だ、と思ってます。カラー機を黒白機として使うには 限界があるんです。それはいつでもカラー機に戻せるからですね。ですからソフトウェア的にカラー機を デジタル専用機としてファームアップしてもう二度とカラーに戻せないというのであれば、それは立派な 黒白専用機となりえます。 しかし一機種でいいから黒白専用機を得て、黒白写真に馴染めば、普通のカラー機をモノクロ機として 使うことができます。厳密に言えば画質として専用機とカラー機のモノクロ化とは違うわけですが、それは 大した問題ではありません。要するに覚悟の問題なんですね。 黒白専用機はどんなにしてもカラー写真は撮れません。フイルムカメラであればフイルムを詰め替えれば カラーがとれます。しかしデジタル黒白機は永遠に不可能です。(合成AIでカラー化するしかないです) この潔さこそがデジタルモノクローム機の本質です。 もう1年以上、自分の写真は黒白で行くと決めて時間が経ちましたが、そこで失ったものよりも得たものの 方が遥かに大きいと思っています。写真を黒白という制限されたもので撮る力を得たということであり、 それは写真世界だけでなくあらゆるものに応用が可能だったからです。

加工食品と加工写真

加工食品と加工写真

加工食品と加工写真 自分の写真は自分の人生を反映していて、それでその人の写真を見ればその方の人生というものが 占えるというところがあります。 これは不思議でもなんでもなくて、幼児教育では子どもが描く絵で発達情況や環境が分かるということが 昔から知られていますね。そういうことが写真に於いても発生しているわけです。 我々が日々食べる食物では、その最悪なものと言えば加工食品です。つまり工場で加工して大量に 作られてパックなどに包装されて売られているもの全て。もうほとんどのものが加工食品と言ってもいい くらいなんですが、その度合いも千差万別です。スーパーの食品売り場では加工食品が8割を占める のではないですかね。たしかに調理が簡単ですし日持ちもします。便利なので日々の食卓に並ぶことは 多いんではないですか。 しかし加工食品は確実に人の体を蝕んでいきます。この加工食品を遠ざけるだけで健康の度合いは 増そうというものです。食育というか健康な食事の第一歩はまず加工食品を摂らないことなのです。 これ、常識ですね。添加物たっぷりの工業製品が人の体に良いわけがないのは当たり前です。 加工食品と加工写真はゴロ合いが似てますね。ただ加工食品は消費者が手抜きで摂る食品ですが、 加工写真はユーザーが態々手間隙掛けて作り上げるものです。もっとも食品メーカーは手間隙をかけて 加工食品を製造するわけですから、たしかに同じと言えば同じですか。 加工写真とは写真を撮るユーザーが手間をかけて作り上げ、そしてその写真を視聴する、つまり視聴 ユーザーが楽をするという具合になるわけです。(無論、撮るユーザーもその視聴ユーザーの1人) そして結論して、加工写真はそれを作る撮影者もそれを視聴するユーザーも不健康になる写真だ、 というわけですね。インスタ写真などでそういう加工写真がいっぱいあるんではないですか。 この掲示板でもそういう加工写真大好き投後者がおられます。しかしもう一方で加工を最低限にして、 自然に仕上げた自然写真を投稿するかたも数多くいます。 いつからこの加工写真文化が増えたのははわかりませんが明らかに行き過ぎで、写真ともいえない 写真になってしまっています。加工食品が本来の食品とは異なるものになっているのと同じ情況でしょう。 我々写真を撮って写真の文化を楽しむ人にとっては加工写真は百害あって一利なしの写真となります。 手間と労力と時間を食い、そして本来の写真の自然さを失い、なにひとつ得るもののない写真である わけです。 そもそも写真現像のRAW現像は、カメラの不具合を調節するものであって、例えば露出とか色合いが 現実と違っていれば微調整をして本来の自然さに戻すものなんですね。それをどう勘違いするのか 分かりませんがギタギタの不自然極まりないものにするというのは、要するに写真を撮るユーザー自身が 既に不自然な状態になっているからだということです。 そうであればこそ、加工写真大好き人間は既に不健康に犯されている。人生の運がすでに傾いている ということがはっきりと言えるわけです。加工写真でなければ写真ではない、という人はその自分の 運勢の情況を自覚できないでしょうから他人が言っても仕方がないわけですが、その未来は見えていま すね。一番簡単な写真占いは、この加工写真ですかねぇ。これは誰にでもわかるので簡単でしょう。 黒白写真で言うと、普通のカメラはカラーなので、それをわざわざ黒白にするのは加工写真だということ になります。ですから写真を良く分かっている投稿者はカラーを黒白写真にしません。 私のように黒白写真専用機を使っている者。もしくはカラー機だけど最初から黒白機として使う場合は、 黒白写真でも加工したことにはならないんですね。自然な黒白写真であるというわけです。 とにかく写真という本来余裕の趣味に於いて、何もわざわざ不健康になる加工写真をする道理はあり ませんね。加工写真は確実にその人の人生の運を悪化させます。自己免疫疾患に陥るようなものじゃ ないですか。もしどうしても写真を加工したいという気持ちを抑えられない場合は写真そのものを止め ましょう。 そもそも写真とは自己表現ではありません。あくまでも記録です。それは写真の登場時からそうなんで あって、表現をしたいのであれば絵画とかCGでやるべきです。 しかしながら食物において加工食品がなくならないように、写真でも加工写真はなくならないでしょう。 とくに今はそういう時代なのであって自分で進んで運気を落とす人が続出するんですね。 超過死亡が大きくなっています。その殆どが高齢者なのであって、それはそれで当然なのでよいのかも 知れませんが、とにかく運気が落ちた人は続々と鬼籍に入るようになる時代です。 今回は最初にタイトルが浮かびました。いつもはコメントのタイトルなどテキトウなんですけど今回は 違った。加工写真=加工食品と頭に浮かびましたから。(笑) もちろん投稿写真とは無関係です。

腸力

腸力

「まじないの脳科学」中野信子著、という本を読みました。いや読み飛ばしたというべきか。 …なぜ、こんなに周りの言葉に苦しむの?   SNSまで猛威を振るういま、言葉がますます力を持ち、  正邪や幸不幸の価値観すら揺らぐ。…と帯にあります。 つまらない本であるのは重々承知で、しかしそういう本も偶には敢えて読むべし、という事で買った だけなんですね。(表紙帯の写真が気に入っただけで) それでつくづく思ったのは、大事なのは脳ではなく腸であるということ。頭ではなくて腹であるということ なのです。 精神や心の居所は脳ではなかったわけで、ハラであっということを再度確認できたというわけです。 かたや藤田紘一郎氏の著作、腹や腸、腸内細菌、免疫、食事法に関する本は数多く出版されていて、 それを古書店で何冊も購入し熟読していますが、こちらのほうが遥かに物事の、人間の本質を 突いています。 そういうふうに考えれば、写真に於いても、目ではなく脚であり手であるということが言えるわけです。 こと脳に関しては、知力と学力。知能と記憶力。この二つをきちんと分けて考えないといけない ですね。普通に頭がよい人というのは学力や記憶力が優れているわけです。しかしそれで知能が 高いとはいえません。学力や記憶力だけでは平和な時代ではうまくやっていけるでしょうけど、 時代の世の中が変化する時には付いていけなくて無能状態になるわけですね。物事を知り理解したり 問題解決ができるのはあくまで知力です。 これをパソコンに当てはめれば、学力や記憶力は記憶装置ですかね。そして知力はCPU演算装置 となります。高性能PCはCPUであるわけで、人間にとっても知能が鍵を握り、学力・記憶力、そして 学歴なんてそんなに大したことはないんです。 そして運というのがあるでしょう。それを制御しているのは腹です。腸です。これが第一の根本の 原理なのであって脳はその後から付いてくるものであるわけです。そういうことがやっと少しずつ 分かりかけてきました。腸を鍛えることが出来れば脳の知力は向上します。 ついでに言うと、AIはあくまで能力的には学力や記憶力の範囲内で納まっているので、本質的な 知能や、ましてや運力とは何の関係もないものです。そしてAIはCPUではなくGPUを使いますね。 そこでもAIとは本質的な知能とは関係がないことがわかります。 眼や頭だけでやっている写真には限界があり、そもそも面白くないものです。写真は身体全体で やるべきであって、命の本質に則ってやらなければ意味がないものとなります。食うということ、 身体を動かすということ。そこが原点です。 昔の人は学はなかったけれど、知力はありました。それは正しい食事をしていたからでしょうね。 今、日本人が滅びつつあるのは、真性の知力を失い食事などの正しい生活習慣から遠ざかった からだと言えます。 ネットで最近は合成AIを使った画像が頻繁に使われるのを目にするようになりました。当初は へぇーと思いましたが、慣れると詰まらない画像だなってわかるようになりました。ワンパターン なんですね。単に作ることに主眼がおかれていて、知るということに無頓着なのです。その作る ことすら既成のパターンの繰り返しですし。新鮮さはなにもありません。 AIとはこの程度だったんだなっていうのが、そういう画像ひとつで良くわかるようになりました。 こんなAIに膨大な電力と貿易赤字を抱えるのはバカバカしいという感じです。 中野流でいえば、まじないの写真画像というのがあるんではないですか。まじないのコメントと いうのもありそうだし。それらは本当の写真でもコメントでもないわけですが、ただ画像や言葉 を弄することで自分だけは一時的な満足感に浸れるからでしょう。自家中毒に陥っているというか、 自らを傷つける免疫の暴走が起きているという感じです。 身体だけでなく脳の能力を上げようと思えば、とにかく腸を鍛えなおすことに尽きるようです。 脳の知能指数がほぼ遺伝子で決まっているように、腸も乳幼児期の環境によって決まるよう です。とはいえ、努力は無駄ではありません。腸を正調すれば免疫力はつき、身体も脳力も 向上すると信じています。 具体的な人生の運勢のプログラムは脳にありますが(東枕法)、その根本の運勢全体の底上げ、 上下は腸にあります。これはプログラミングされていないと思うので、自意識による運勢の向上は、 腸力を上げるということになるのではないでしょうか。運勢改善の方法、ちょっと掴めてきたかなっ て感じです。 添付写真、敢えて、縦位置で撮った写真を横位置のままで載せました。私はカメラには常に横位置記録 をしていますが、頭の中で回転ができるので何ら問題がない気がする。 黒白写真をしだしてから1年半になりますが、もうすっかりと色の無い写真世界に慣れてきたようです。 久しぶりの撮影。終日小雨だったのでリフォームはやめて古書店巡り。百冊近く買ったと思う。1/3は プレゼント用だけど。 仕事をしていればネットはできても本が読めなくなる、という著作が出ていますが、私は読めます。 しかも同時に複数本を並読をしますし。スマホほ持たない主義なので読書が可能なのだと思っています。

写真集

写真集

私の場合、主に1970年代に撮ったフイルム写真が1000本ほど眠っていると思います。2000年前後に 撮ったものもありますか。それらの写真をスキャンなりをして、その殆どがモノクロ写真なので、最近の AIでカラー化して楽しみたいと切に願っているわけですが、例にって時間がなくて叶わぬ夢となったまま です。 自分が写真を始めた頃は、カメラはメカニカルです。喩えばペンタックスSPとかオリンパスOM1や二コンF やニコマート、キヤノンFTやF-1なんかですね。フイルムは殆どがコダック・トライXですか。長巻を買って きて、パトローネに自分で詰めて使ってました。40コマくらいはとれましたかね。 メカニカルカメラですから、フイルム装着は手動。このカメラにフイルムを装填するがまたいいんですね。 銃器に弾丸を詰めるのと同じ感覚のように感じられました。そもそも1コマ1コマレバーを巻いてシヤッター を押す感覚はデジタルにはないですから。 フイルム時代の写真を知らない人は不幸なんじゃないですかね。黒白写真は自家現像もやっていたので 印画紙に画像が出てくるわくわくした感覚もデジタルでは絶対に味わえないものです。 デジタル時代は自分だけでは満足できずで、ネット投稿をして他者からコメントを貰って初めて満足感に 浸るようですが、アナログのフイルム時代は自分で写真を撮るだけで充分に満足感がもてました。たとえ ばコメント文にしても、私は書くだけで満足をしているので他人に見てもらうことを意識していません。 今の時代は不満足の時代なのであって皆さん貧相な顔ばかりしていて、それがデジタル時代の本質だ。 というわけです。 写真や音楽は、ほぼ完全にデジタル時代になったようですが、書籍はまだまだアナログが頑張っていま す。この書籍を大事にしたいということで、私も今はリフォームに大わらわなんですが、万単位の蔵書を 本棚に並べたいという願いがあるんですね。 しかし書籍出版は最後の形の本はアナログ式の紙ですが、それまでの流れは完全にデジタル編集となり ました。そう考えれば、写真もカメラはデジタルになったとしても写真を紙媒体で写真集などにすれば、 それはアナログのままでありうるということです。 最近はオンデマンド印刷が普及しましたので小部数の自費出版が可能です。そういう写真集の本に すれば、写真を知っているか知らないか、画像だけで写真をやっていると勘違いをしているのかがよく 分かろうというものです。未だ持って写真界の何々賞受賞というのは写真集にしないと認められません。 ネットで写真をいくら貼り付けても無意味というわけです。それは画像であって写真ではないというわけ です。 私の場合は写真ではなくて他に研究したいことがあるので写真集は出しませんが、写真をやっていきた いと心から願っている人は写真集を出すべきですね。数十部や百部から本というのは出版できるもの です。自分でデジタル編集をして完全なデータで印刷屋に持ち込めばオンデマンド印刷ならば安い値段 で印刷ができます。フォトブックなんてのもあるくらいですからね。 そして写真集は写真を知らない普通の人達に見てもらうが良いですね。ドキッととした有益な感想が 帰ってきますから。くだらないネットのコメントなんかとは次元が違います。 時代がデジタル化すればするほど紙媒体の書籍や写真集が値打ちを持ってきます。それで写真は写真 集にしか存在しないという具合になるだろうと思ってます。ネットの写真は飽くまでも画像なんであって、 そういうことでは実に明解ですね。

PENTAX K-3 Mark III Monochromeで撮った写真の話題

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