メーカー名 | SONY |
機種名 | α900 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/500sec. |
絞り値 | F8.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1365 (1.47MB) |
撮影日時 | 2010-09-18 18:43:11 +0900 |
渡邊康弘氏の見解ではなく、1976年(昭和51年)の警察白書の「極左暴力集団の動向」からの抜粋
ですかね。
https://www.fnn.jp/articles/-/648706
三菱重工ビル爆破事件は1974年8月30日ですので、私もまだ学生でした。当時の私は哲学書などに
夢中でしたので(そして黒白写真にも)、ああいう新左翼系の論理などはバカバカしくて、そしてあまり
にも幼稚すぎて、なんの感慨もなかったことを覚えています。
ただ若いので暴れたかった、というだけの話ではないでしょうか。そういうはオウム真理教と変わりま
せんし、京アニに放火した青葉被告とも五十歩百歩です。当時の流行だったというだけのことでしょう。
ともあれ、彼は、桐島容疑者はその後、逃亡しながら何十年も生き抜きました。そちらのほうに彼の
生きた値打ちがあるといえます。50歳代の頃(占星術では太陽金星の山羊座の時)、20歳年下の女性
に結婚話を持ちかけられたそうです。とにかく彼の半世紀にも及ぶ逃亡生活は、後悔の念以外には
なかったろうと思いますね。
しかし人間は過去を後悔しても何も始りません。ただ全ての現実を受け入れて今を生きるしかなかった
ろうと言えます。
よく犯罪者に対して、お前はなぜそうしたのか、今の反省の気持ちを聞きたい、などと言っていますが、
そんなもの、当人にも分かるはずがないじゃないですか。
ただ巨大な時代の力と、当人に与えられた運勢の指示に従っただけ。というのが真実といえばそう
なんでしょう。人間の自意識なんてちっぽけなものですからね。あってないようなものです。
とは言いながらも、もしかすれば人の自意識が勝てる部分も少しはあるのではないかと密かに考える
こともあります。それはこれからの私の研究課題となっています。
住み込みで働いていた工務店は鵠沼・石上の
江ノ電線路傍で、西側は線路沿いに道路が
ありますが工務店側は無く住んでいた家屋は
取り壊しを待つ空家に見えます。
湘南鎌倉病院には徳洲会総帥の徳田虎雄氏が
います。尚、60年安保闘争時、全学連委員長
だった唐牛健太郎氏が運動から身を引いた後
一時期徳田氏と係わりがあったそうです。