メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 50mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/100sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 中央重点測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1365x2048 (1.81MB) |
撮影日時 | 2023-07-15 00:24:35 +0900 |
私が、この20余年間、デジタルで写真趣味をやって、それで何が良かったのか、さて何を自分は
得たのだろうかと、そういうことを改めて考えると…
①まず現場主義が身についたこと。見たいな、撮りたいなと思えば、千キロ車で走って行くことも
したこと。
②そして徹底的に歩くことが写真であることを知ったこと。これが結果として健康維持にすごく役に
たっていること。
③最後に理解できたことだけど、写真画像の大きな落とし穴に気が付いたこと。すっかり分かって
いることだと思っていたことが、実は何も分かっていなかったことだと知ったこと。(でも実際、これは
紙一重なのですが)
やはり写真というのは、その得られる画像と、写真の写真する行為を切り離して考えていかないと、
上手く行かないのではと考えています。つまり、モノという写真画像と、モノではない写真行為と
いうものを、この2つを全く別のものであるという認識が必要ではないかということです。どちらが
重要かと問われれば勿論、画像ではなく写真行為そのものです。
カメラ技術の発展は、この画像を常に高度化する方向でやってきました。つまりよい絵が得られる
ようにと技術は発展してきたのです。
しかし写真行為という面では、技術の発展はむしろマイナスのところが大きいです。私が若い時分
に使っていた、完全メカニカルカメラ(フイルムカメラというのではなく)と黒白フイルムの崇高性は、
今のカメラには得ようとしても得られないものなのです。
だからこそ、当時の写真には文化があったんですね。今のデジタル&ネットの写真などに文化など
ないですから。有態に言えばネット、スマホ、そして生成AIなんてのは劣化現象そのものです。
それでは今はデジタルカメラしかないからそれでやっていくのですが…