メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385 |
レンズ | |
焦点距離 | 27mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/250sec. |
絞り値 | F5.0 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2731x4096 (4.56MB) |
撮影日時 | 2024-10-12 21:59:19 +0900 |
今回の歩き、瀬戸内の島での10キロ余のあるきなんですが、久しぶりだったので得た収穫は大きかっ
たです。まず歩きは10キロくらいを超えないと、歩き運動にはならないということ。撮影をしながらです
から4時間くらいの歩きですね。その1週間くらい前に数キロ歩いたのですが、効果は感じられません
でした。
私の場合だけかもしれませんが、日々すこしづつ歩いてその効果が累積するとか、そういうのはない
んじゃないかって感じます。やはり連続して長い距離を歩かないとだめだと。今回の島歩きは昔歩いて
いた距離の半分です。ということは以前は1日の撮影で20キロ以上歩いていたということです。
それからこれは建築家の方と話して得られただろうという直感ですが、なぜ瀬戸内海だったのか、とい
うことに密接に繋がるのですが、瀬戸内の光景を歩くことは他の場所と違って格段に思考力を高める
のではないかということ。
ある本で見たのですが、県外の方が瀬戸内の海を見て他の海とは違うって感激するようなのですね。
それは多分、内海の穏やかさがそうさせるのではないかと思ってます。ほぼ湖のようなイメージで
波風は立たず、風はなく、天候は晴れで良くて雨も降らない。ただよく見ると潮の流れはあります。
そこが湖とは違うところ。塩の満ち引きも当然に。
とにかくこの穏やかな湖畔ではなく海辺に立つと自然の脅威というものは感じられず、ただ海と空だけ
となって、思考が透明になるというか雑念の余地がなくなるのです。雑念というか、見るべき注意すべ
きものがなく心が空白になる感じなんですね。島の道は大体は海辺を回っていますから、半分は山側
で半分は海と空なんです。過疎なので家並みも滅多にありません。
そうすると人はどうなるか。私が島歩きをして感じるのは、自分が日頃考えていることが再咀嚼する
ように自分の思考が脳の中にもたげて来て、それこそが日頃の雑念というものかもしれませんが、
その思考が頭の中でぐるぐると回りだすのです。
それを思考性向といってもいいのかもしれませんが、とにかく思考力が高められるような気がするん
です。つまり過疎の島という、海と空だけの単純に環境に置かれると、人間というのは自動的に脳が
回りだすのではないかということです。
これが都会の中の喧騒に身を置いていれば絶対に感じられないことであって、つまり例えて言えば
歩く禅のようなものではないかと思うんですね。純粋な思考だけの回転です。
もしかすれば建築家の方は、それにうすうす気が付いていたのではないかという気がしました。
瀬戸内を選んで古民家を買い、そして瀬戸内の海こそは純粋思考の場に相応しいと。
島で生活をしている人は日々の生活がありますから、空念で生きているわけではなくて純粋思考には
いかないかもしれませんが、たまに島を訪れる私のようなものには、島の光景とその歩きは格別な
ものがあるということです。建築家の方も別荘感覚で島の海辺の家を求めたわけで。
しかし私としては瀬戸内の海も、高知や徳島の太平洋の海も好きでよく足を伸ばします。しかしやはり
海の感覚は違うって思います。太平洋はパワフルです。それに無意識的に身構えないといけないよう
なところがあります。そして瀬戸内にはそういうものがあまりなく終始穏やかであるわけです。
そして思うのですが、この小さな島周りの感覚を四国という島に置き換えると、それが四国遍路、四国
巡礼の旅となるわけです。宗教的な感覚で捉えるのが相応しいかなって思うところがあります。