メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1Ds Mark III |
ソフトウェア | GIMP 2.10.32 |
レンズ | |
焦点距離 | 0.0mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/256sec. |
絞り値 | |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 部分測光 |
ISO感度 | 125 |
ホワイトバランス | 色温度直接設定 |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1600x1067 (1010KB) |
撮影日時 | 2025-04-10 19:03:38 +0900 |
ついうっかりkusanagiさんのコメントを深夜に見てしまい、月の入り時刻と方向、同じ一から長秒露光三脚持参の同じレンズでーと思いAM3時頃を狙ってーと考えてしまった私写真にも贋作という言葉が当てはまるのか分からないのですがクリソツに取ってみたらおもろいかな?と。
ビビター名のレンズ、私も持っていて、確か35ミリだったかな。ビビターはタムロンの輸出向けの
名前たったのかな? いや、もう忘れました。(笑)
昔は広角は35ミリ。望遠は135ミリというのが通り相場だったような。
この写真。黒白写真であっても、すぐに「桜」ってわかります。
写真には空気感とか空間感覚も大事ですけど、人物が入れば特にですが、ストーリー性、物語を
彷彿とさせるイメージングが大事ですね。その写真を見るものをして(つまり鑑賞者)、想像力というものを
出させる自然に生まれた演出というか、いやそこまでいかなくてもネタのようなものがあると、鑑賞者側は
楽しくなります。
つまり写真は時間性を生み出すことができ、静止画という範疇でありながら、動画のジャンルをも
侵食するものであって欲しいものなのです。
夢の中に出てくるリアルな画像は、ほぼ静止画でありながら、でも夢はストーリーがあって動画のような
感覚で夢を見ているわけです。パッパッと静止画が紙芝居のように捲られながら動画的な物語的展開を
している。
動画撮影が昼間の現実の光景であるならば、静止画という写真は夢の中で見るリアルな記憶強化の
ようなものかも知れないなと考えています。つまり、夢とは昼間の現実の、その思い出し記憶の強靭化で
あるとすれば、それがつまり人の長期記憶そのものとなるわけなので、詰まるところ人間の記憶の世界に、
より本質的に近づいた世界が写真であるということになります。
動画は便利な道具である。しかし写真は我々の記憶そのものを制御する機能がある、ということでしょうか。
だから写真は大事にしないといけないわけです。
動画のカメラで撮影して、その撮影中に静止画を取り出すことができる機能のカメラは多いです。
これは人間の脳の機能にそっくりですね。日常ではリアルに動画のように目で見ているわけですが、でも
脳の記憶にあるのはその動画(実はバーチャルなんですが)そのものではなくて、抽出された静止画群です。
その積み重なった静止画の記憶の中から、さらにより印象的なものを睡眠中の夢の中で選んで、それを
長期記憶として長く脳の中に保存をしていく。それが夢の機能というものらしいです。
そのような脳の機能を、写真というのは人の手で切り取り、脳に直結に届けるものかも知れないですね。
ですから、動画は便利な道具だけど、写真は神聖なものである。というわけです。
余談だけど、カメラというのは物としてブランド力が強いでしょう。ビデオカメラにはそんなブランドはないわけ
ですから。それは静止画という写真が、より神聖なものであるということにも通じているからですね。
簡単に言うと、写真とは既に抽出された記憶のエッセンスである。記憶の本質は画像とストーリー、物語性が
あるものなので、自ずと写真にはストーリーが備わるということでしょうか。またそのように人は写真を見ること
にしているのかもしれませんね。
カメラは記憶(脳)。レンズは眼です。眼は脳が外部に出た脳の一部なんですけどね。
このカメラとレンズというものはブランドを持ち、神聖的な信仰心に昇華する。大事な脳の機能を代替するの
だから、モノとして厳格でなければならない。それを作るのが上手かったのがドイツや日本であったという
だけなんですけどね。