黒白写真の真の意味
Exif情報
メーカー名 PENTAX
機種名 K-5 II s
ソフトウェア Utility 5 Ver.5.10.0
レンズ
焦点距離 10.0mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1.0sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 80
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 2048x1356 (1.05MB)
撮影日時 2013-03-19 19:35:09 +0900

1   kusanagi   2025/5/14 22:52

私がモノクロ写真撮影をするようになってから、もう2年近くが経っています。
当初の切っ掛けは単なる思い付きで、ペンタックスのモノクローム専用機を購入したことから始まりました。
しかしこれでモノクロ、黒白写真にどっぷりと嵌ってしまったわけです。以来、殆どの撮影がモノクローム撮影です。
もうカラー撮影に戻ることはないでしょう。自分には黒白写真が似合っていると思っています。私には黒白写真で
十分だと考えていますし、それで必要にして十分だということです。

黒白写真にしてから、まず機材への関心がまったく無くなってきました。と言いますか、次から次へと機材に欲望が
出てくるという方が異常なのであり不自然だったわけです。
私が20歳代に黒白フイルム写真で撮影し自家現像をしていた頃は、その機材は最低限のものでやっていました。
カメラが2台、レンズが数本というところで、それ以上欲しくもなかったし必要もないことを自覚していましたから。
一方、デジタルカメラで、カラー写真をし出してから20数年が経ちますが、それこそが普通ではなくて異常な時期で
あったわけで機材の欲望に翻弄されていました。それがデジタル黒白写真で正常に戻っただけなんですね。
なお、参考までに書くと、一般的に言って写真人の傾向として、機材への偏重か、もしくは撮影が過多か、という
ことであり、そのどちらも傾き過ぎるのはいけないということです。やたら毎週のように撮影に出かけて過ごすという
のも、それはそれで欲望に駆られているということです。

と言うことで、黒白撮影にしてから写真に対して過剰な思い入れ、というものが無くなったということです。それが
黒白デジタル写真の最大の効用であり、もしかすると全てかもしれません。
そうなってくると自分への、写真以外の関心というものが芽生えてくるわけです。それが自然です。
カラーデジタル写真では写真への過剰な思い入れというものが有り続けたということで、それが不自然であった
ということなんですね。それが正常な関心の配分に戻ったと言うことなんです。
所詮は写真です。たかが写真なんであって、それが自分の中で過剰に膨らんでいたということ自体が自然では
なかったということではないんですか。

デジタル写真、これはカラーのデジタル写真のことですが、人をして異常なまでに感心が増大して、もうそれしか
見えなくなる、という不自然で異常な事態になるということ。
それをズバッと切ってくれたのがモノクロデジタル写真でした。なんだ、写真なんて、こんなものだったのかと。
そう目覚めさせてくれる威力が黒白デジタル写真にはあったわけですね。

これ実は、写真だげてなく、パソコンやスマホでもそうですけど、モニターを持つ電子機器装置一般にも同様に言える
ということに気が付きました。
これらの製品は、つまりパソコン、スマホ、デジカメに共通するのは、画像モニター自体が発光し、その透過光で
人間の眼に直接、光が入ってくるものなんです。これは直射光ですね。
比較対比をしますと、紙の印刷物とか紙焼き写真というものは、光源が別にあり、その反射光ではじめて見るもの
なんですね。直射光と反射光、それは太陽と月くらいの大きな違いがあります。

この直接透過光の製品が本質的には曲者であるということなんです。大げさに言えばこれがこの今の世界を
ぐちゃぐちゃにしているっていうことです。
そして私としては、それへの対抗的な対策が黒白写真であったということに過ぎないんですね。画像を黒白オンリー
にすれば、透過直射光の神通力が見事に消えうせてしまう。そういうことなんです。
正直、モノクロ専用のモニターが欲しい。そう思います。黒白モニターならばネットの全てをモノクロで見ることができ
ますから。

フイルム写真、紙焼き写真でも普通の人は、時期的に言ってカラー写真から始めているでしょう。しかし私の場合
は黒白のフイルム写真から始めていました。1970年代ですね。無論カラー写真はありましたが手軽なのは黒白
フイルム写真でした。
カラー写真から始めた人はフイルム時代でもけっこう機材オーバーでやっていたようです。やはり反射光写真でも
カラーとなるとどうしても過剰になるみたいです。

白黒文化というのは文字印刷本が今でも白黒です。白い紙に墨で文字を印刷する。印刷も既にカラー時代ですけど
多量の文字情報の場合は今でも黒白文化で一向に変わらないのです。
ただしネットではカラーですね。どんなサイトもカラーで色づけされています。ここに紙文化と電子文化の違いが
あります。モニター文化というものはカラー表示、RGBがスタンダードなんです。
ということで、ここからが本題。ウィンドウズ7でも黒白表示ができそうなので早速やってみました。
"Salvatore" - Isabeau Levito performs to Lana Del Rey at 'Gold on Ice' 2024
https://www.youtube.com/watch?v=sCYYgtYK0bY
ショパン - 春のワルツ - (トスカーナ 4K) Chopin - Spring Waltz
https://www.youtube.com/watch?v=zrX_pYsQEp8
映像でもカラーでなくとも黒白画面でも美しいですね。なんら不足がないではないですか。
フォトXPを開けば、皆さん全て黒白写真で投稿されているみたいな。(笑) ちなみに黒白画面だと広告があまり
気になりません。

そういう時代の背景というものを知っておく必要がありますね。皆さん、パソコンもスマホもデジカメもインターネット
も夢中になって、もはや奴隷状態でやっているのではないですか。少しの時間があればスマホを取り出して見て
いるじゃないですか。電車に乗ればスマホ、レストランの椅子に座ればスマホ、信号待ちの歩道でも、自転車に
乗りながらでもスマホです。
それらは全て原因は、表示がカラーだからですよ。また透過直射光だからなんですね。
そういう時代の仕組みというものが私も段々と分かってきました。やはりそういう時代はおかしい、どこか間違っている
ということが分かったからこそ、私は確信的に黒白で写真をやることにしたんです。それは黒白の本を読むことと
通じる、この時代への正常な反応というか反旗というべきものかも知れません。

カラーデジタルで写真を撮って、そして投稿写真として黒白写真に仕上げる、と言いう方が増えてきたかもしれません。
しかし、私の黒白写真への考え方とはぜんぜん違います。皆さんはひとつの表現として、流行的に黒白写真を
しているに過ぎません。それは一時的なものです。私の場合は黒白撮影しかしませんから覚悟が全く違うんですね。
写真の本質はカラーでなくともできるわけでして、黒白写真時代でも写真文化があったわけですし、むしろ黒白写真
の時代のほうが写真文化は高かったです。
つまり写真というのは白黒で十分にできるわけです。写真として何ら本質に毀損はないのです。

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