ペンタックス K-5 II s 作例

2012年10月19日発売

K-5 II sの仕様

無題

無題

里山歩きをして、3ヶ月余。だいぶ体力が付いてきたような気がしてます。家のリフォームを再開 しています。今までやる気が出なかったんですが、筋肉が強くなると、そういうやる気が出てくる みたいです。 それにしてもこの3ヶ月、皮膚に出来物や蕁麻疹が出て大変でした。特に脚、脚部。ふくろはぎ などと特に。こういうのは元の弱った筋肉が死滅して新しい強い筋肉で生まれ変わるから、そう なるんだとおもってます。今も右のお尻に出来物と右の耳たぶの腫れが出てます。 当初より私自身の考え方も大分変わりました。最初は、とにかく歩こうや、から、いや傾斜のある 山道でなければ。となって、さらには、意識して筋肉を鍛えなければ、に変わりました。 それから、山道で出会った多くの人達から有益な話や知識を得たというのも良かったですね。 中には凄い人もいました。レベルがぜんぜん違うなあという人。そういう方が居るというだけで 励まされます。 ただ里山歩きをするのではなく、カメラを持って歩いたというのも大変に良かったと思います。 そのカメラが、出会った人達との話のきっかけになったわけで、無駄なものではなかったなあって 感じてます。 何度も記しましたが、大体2キロから3キロのカメラをずっと手に持って歩いてます。カメラは 大きな光学式デジイチで、必ずバッテリーグリップを付け、レンズは大型のものをつけてます。 きちんとフードや幅広ストラップを装備です。交換レンズは基本持ちませんが、他の人の眼には カメラマンとしてきちんと正装をしているな、と分かるでしょう。スーツにネクタイという感じ でしょうか。 でも山歩きの服装としてはいい加減なんですね。まともなのはトレッキングシューズだけ。 普通のズボンにワイシャツ、野球帽に肩掛けバック。これ、山歩きの服装じゃありません。(笑) しかしカメラだけは奢っている。 実際とのところ、素人目には立派なカメラに見えますけど、本当は古い機材であり経済的な 価値はゼロみたいなもんです。だいたい皆さん高そうなカメラを持っているように見えている のですが、実際はそうじゃないです。しかしカメラは重く、身体にはこたえます。これを 評価してくれることもあるでしょう。 しかし他人にどう見えようとも、私としてはカメラがなければ山歩きが出来ません。これが 絶対的な前提となっているので、どうしても歩きにはカメラが必要なんですね。

無題

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67歳で女性初。死後に明かされた歩いた理由。 グランマ・ゲイトウッド アパラチアン・トレイル単独踏破【地図とアニメで解説】 https://www.youtube.com/watch?v=pdc2280wFxw アメリカにはこういう世間に影響を与える有名な高齢者が多いみたいですね。 軽装登山ということで多いに参考になりました。 私も相変わらずカメラ片手に里山を歩いてます。今回意識して里山を歩いて、もう2ヶ月半になります。 3ヶ月で体調は変わってくると思ってますので、もうちょいの間、日程を詰めて歩こうかと思ってます。 里山にも色々とあって、人気の山は必然的に出会う人が多くなり、情報収集になります。あまり知られて いない里山は道も悪くて出会う人も皆無というのもあります。人には出会わなくても自然には出会える わけで、それはそれでよいものです。 ところで自分の筋力がどれくらい付いたのかなと思い、とある急傾斜で知られている里山に登りました。 標高は300mくらいですが急傾斜の部分は200mほど。事前に里山愛好家の方に聞くと、香川では登坂が きつくて有名で、ほぼ直登で全線ロープを張ってるとか。私のようにカメラ片手ではむりでしょう。と 言われました。しかしロープを張ってくれていれば片手でも登れるんでは?と思いましたけどね。 それで実際に登りましたが、問題なく片手ロープで登れました。2キロのカメラは左右の手に交互に持ち 変え、空いた手でローブを。でも可能な限りロープを握らずに登りましたけど。 正直言って拍子抜けするほどだったんですけど、でも私としてはそれは想定内でした。ほとんどの登山者 は手ぶらか、もしくはストックを持って登ります。腕の腕力と体幹が鍛えられていないだろうと思って いたわけですね。しかし私はそうじゃない。つねに2キロの重りを持って歩いているわけですから。 そういうわけで、カメラ片手の里山歩き、効果はありました。 片手カメラの撮影スタイルは、私が写真をやり始めてからずっと続けている習慣です。バックには入れない。 肩には掛けない。ずっとむき出しのカメラを左右の手に交互に持ったまま、そういうスタイルでずっと 通してます。

モニター

モニター

前回のコメントで、自分には22インチモニターが最適、と言いながら、今回24インチモニターを復活 してみました。使っていた22インチモニターが不具合になり、それではと、長年使っていなかった 24インチモニターを取り出してみようか、となりました。 この古い24インチモニターは、1920×1200ピクセル。つまり1920×1080の22インチよりも縦が長い、 というだけですけど画面は大きく見えます。それで可能な限り、設置位置を下げました。高さを下げる ということ。それで何とか、見れるようになった感じです。 古い10数年前のモニターでエイゾウとNECのやつ。厚さが8センチくらいあって、重量はとても重いです。 発熱も凄くて冬場は良いのですが夏場は困りそうです。(笑) ひとつは画面が少しヤレていてやや角が黄色っぽくなっているけど画質は良いです。もうひとつのものは 輝度の調節が壊れていて、それでソフト側での調節なんですが、ほぼ未使用品で画面の劣化度は無し。 普通だったら捨ててしまうものなんですが、私は大事に物を使うということでしばらくこれでいこうか、 と思っています。両機とも随分以前に中古購入したもの。 例によって、ディスクトップの基調は黒に近いダークな単色で。これが眼を疲れさせない秘訣です。 またデイストップに表示するアイコンは最低限で。 久しぶりに使うモニターなので調節が大変です。ヤレている方のモニターの調節は大変でした。 当初は久しぶりの電源入れだったためか、色がおかしくて、通電したまま1日間放置。おそらく長く通電 していなかったのでアナログ回路が目覚めていないと判断。 そして本格的に調整に入りました。何度もなんども画面の色温度や各色の調節や輝度やコントラスト、 ガンマ値をしつこいくらいに調節を試みます。元々は高級機なので調節機能は多々あります。 それで当初とは様変わりして良い色と画質になりました。さすがに角周辺の黄ばみは無理なんですが、 ほぼ修正でき問題なく使えるようになりました。 その画像調節の為にサンプルとして使うのが、この掲示板に投稿された数多くの写真画像群です。 多くの写真が最大公約数的に良く見えるように調節を試みます。 キャリブレーションとかそういう便利な機器はないですから、皆さんの上げた写真の総合的な最適値で やります。結果的にこれが最も良いという事を経験値で分かっていますので。 この徹底的に調節を試みるというのがミソですが、それが出来たのは元々良いモニターだったから 出来たことなので、実は普通は調整してもどうしようもないモニターがほとんどです。 とは言え、細かく調節しすぎるのも問題で、これは写真の画像処理と同じ原理で返って画質を損ないます。 妥協は必要であり、そのモニターの現状性能以上のものは出せないですから。 とにかく最大限の試しをやってみること。これが大事かなって感じます。 もうひとつの新品並だけど輝度とコントラストが調節できないモニターは、nvidiaからのソフト面からの 調節で行いました。このモニターはヤレがないので微調節は不要。楽なものでした。 このモニターを手放した人は、ソフトウェアからの調節の仕方を知らなかったのかもしれません。 古いモニターはとにかく重くて暑いしで(電気も食う)、新しい中古モニターを買おうかなって考えたり もするんですが、今あるものを捨ててしまうのも自分の主義に反するわけで悩ましいところです。 参考までに記すと、使用したモニターは、エイゾウフレックススキャンSX2462WとNECマルチシニクP241W PCに関しては、もうウイン11は諦めたという感じです。それ1台で使う分にはよいのですが、有線LANで 複数台PCを接続して有機的に使うにはあまりにも不便で無理だと思いました。 それでウイン11から10に戻したPCもあります。ただウイン11もまだこれからアップデートで変わる可能性 があるので見守っては行きたいとおもってます。 今回、ネットワークに無線LANも導入しました。スマホやモバイルなんかだと有線では無理ですからね。 しかし無線LANは電磁波に害があるので設置はしたものの普段は切っています。やはり有線方式が安定 していますし健康のためにも安心ですからね。 とにかく15年くらい、PCに関しては何もしていなかったので知識がなく苦労しましたが基本線はできた かなって思ってます。 ウインドウズ7はまだ現役で使っています。まだまだウインドウズ7は現役でいける、というところです。 ウイン10/11に比べて軽いOSなので安定して性能の低いPCでも使えるからです。またコレクションレベル ですけどウインXP、ウイン2000、ウインサーバーOS、ウイン95/98も動けるようにしています。 ソフトウェアによっては古いOSでなければ動かないというのもあるんです。 知人がやっているのはウイン2000/XPベースで開発された業務用アプリケーションソフトをウイン10/11で 動作させることをしています。これ、需要があるんですね。 またネットでみると、コアi7のPCにウイン95/98を動作させているのがありました。面白いですね。

モニターサイズ

モニターサイズ

私の考えですが、写真趣味をパソコンでやる場合に気をつけないといけないと思うのは、ただひとつ。 それは色調整でも現像のスピードでもなくて、モニター画面の大きさです。それもピクセル数ではなく、 インチ数の大きさですね。 私が普段使っているモニターは22インチです。ピクセル数は1920×1080のフルHD。これが私にとって もっとも見やすく眼にも負担にならない大きさです。以前は24インチモニターを使っていたのですが 早々に22インチに換えました。24インチは画面が大きすぎて眼が疲れたからです。 他にも20インチとか19インチとかあるのですが、私には22インチがちょうどよいのです。 ノートPCはあまり使わないのですが、例外的に1枚だけ常時使っていて、そのモニターは計ると17インチ でした。普通、ノートPCは15インチなのでちょっと大きい。且つ、このノートはグラフックボードが 別途付いていて画質は良いです。ただしLEDモニターなので写真の観賞としては自然な雰囲気が乏しくて パンフォーカス的な描写になるのが欠点です。 それでやっぱり、私には22インチモニターがよくて、しかもバックライトが古い蛍光管の方式が良いのです。 写真を紙プリントして観賞する場合はA4サイズもあれば十分なのですが、モニターでの観賞となると事情が 変わってくると思うのです。だいたい2倍してA3実寸くらいあれば写真として観賞できるのではないか。 そういう考えで私はやってます。 ですからノートPCの15インチモニターでは写真の観賞にはならないのではないか。 グーグルAIは彼自身の考えなどなくて、あくまでも多くの多数の人々の最大公約数を語ってます。 ですから画面の小さいノートPCで写真ができるというわけですが、私としてはそれは違うだろうという ことです。 私としては写真をやるには、ただひとつ、モニターのサイズが22インチくらいにしていないと難しいと いうことなので、他のことはどうでもよいと思ってます。ピクセル数はフルHD以下でも問題なくて、 CPUやGPUなどは高性能である必要などありません。色合わせもだいたいでよくて黒白がきちんと表示でき なくても問題ないです。 ついでに書くと、液晶モニター以前のブラウン管時代は、19インチや20インチを使っていたかと思い ます。17インチではつらかったです。 ---------------------------------------- モニターの絶対サイズ。そういうものが私にはあるというわけですが、それではカメラのセンサーにも そういうものがあるんじゃないかって、なりますね。 私としては、当然にあるのだ、ということになります。 APSセンサーサイズ・・・23.5×15.6ミリ フォーサーズサイズ・・・17.3×12.0 スマホ1インチセンサー・・・8.8×13.2 ここで注意を払っていただきたいのは、数字の後列は画面の縦位置のサイズであるという点です。 APSの縦は15.6ミリ、4/3は12.0ミリ、スマホ縦位置撮影(それが通常)は13.2ミリです。 どうでしょうか。横位置のサイズはさまざまですが、縦位置のサイズにはどうしても譲れない絶対の 数値があるんじゃないかって感じます。 人間の目というのは横方向というのは眼が両眼あることからも分かるようにフレキシビリティがあり ます。首も左右に振るのが上下よりも容易です。そこで大事になるのが一瞥して認識可能な上下の サイズが肝心なのではないかということです。 それで上下サイズにはセンサーサイズとしての絶対数値があるんだというわけです。 横位置の狭さは、足りなさは人間は想像で容易に補えるんです。しかし縦位置はそうではない。 勿論光学論としての机上論ではセンサーサイズが小さければ縮小光学系になるだけで理論としては 関係ないとなるわけですが、現実論としては画質が犠牲になります。つまり、リアリティのことです。 ねずみの目の大きさを持った人間なんて想像もできませんから。 富士のハーフサイズカメラのセンサーは、8.8×13.2ミリで縦位置サイズは13.2ミリ。どうですか、 私の理論の数値がでましたね。 スマホで横位置で撮る人は少ないと思います。構えからして縦位置撮影になるんですが、期せずして 理論値に収まるというわけです。 ------------------------------- こうしてみると結論として、フォーサーズは縦位置撮影を多用すべし。富士ハーフカメラはもっぱら 縦位置撮影がノーマルである、スマホも1インチのものならば画質的には悪くない、というわけです。 フルサイズカメラや中判カメラなんぞは、これはもう余裕であるということになります。 モニターにしろ、カメラのセンサーにしろ、要するにリアリティのある画質を獲得するということ。 それにはどうしても譲れない絶対的な数値があるということ。 それが写真としての最低限の要求要素であり、そしてそれこそが私としては写真の全てだというわけです。 もちろん画質を上げるにはセンサーの種類、現像をするRAWデータとか、そしてレンズなど、様々な 要素があります。もちろん撮影テクニックなどは当然ですが。 モニターもそうです。価格の相違は大きいですし、駆動するグラフィックボードの良し悪しもそう。 求めれば切がありませんが、私としてはサイズという絶対値だけ守っていれば写真は可能だと考えて います。逆に申せば、この絶対数値を守らないようでは如何に他の付随要素が素晴らしくともそれは 写真をするには苦難を伴うということです。 -------------------------------- この掲示板、管理人さんのご努力によって随分と画質が上がりました。マウスで画面をクリックすると 直ぐにオリジナル画質になります。縦横フルフレーミングの写真となり、さらにクリックでピクセル等倍に。 サーバーのマシンスペックが向上したものと思われます。 こんなにいい写真掲示板は他にはないのじゃないですか。 ウインドウズ7や8.1では見れなくなったのは残念ですが、これは時代の要請なので仕方がないという ところ。ウイン10インストール済みのリユースPCならば2~3万円から。ジャンクPCならば数千円から 手に入ります。私はそういうPCを多量ゲットし色々と試しました。 新品PCを買うのはばかげています。 ノートPCをお使いの方で、画面が小さいと言われるのは不愉快だ。と思われる人もいるでしょう。しかし これは簡単に解決ができます。外部モニターを追加するのです。ノートPCにはHDMIボートがあると思います ので、そこに別途で購入したモニター(中古でOK)を差し込みます。 気を付けなければならないのは、ノートPCのモニターは、1366×768ピクセルなんかであって、縦横比率は 1.77倍です。それに合致した比率のモニターでなければならないこと。通常のフルHDモニターは1920×1080 なので縦横比率は同じく1.77倍でOKですね。だいたいのモニターはその比率になっていますが、古いタイプ のモニターは横が狭くて比率が異なります。そういうものは使えません。この比率さえ注意していれば、 さらにモニター側もHDMIボートであれば簡単にノートPCと同じ画面が追加してモニターに映し出されます。 なおこの縦横比率、現在では普通の1.77倍のフルHD比率のモニターは、ノートPCのモニターもそうですが、 写真の観賞には上下が狭くて、つまり写真をフルに写しても左右に余白が出てしまって、もったいないと いうか、これは写真観賞としては非合理です。 少しでも写真を大きく写しだしたいと思えば、フルスクリーンモードにしてみましょう。通常はf11キーを 押せば上下幅いっぱいに写真が大きくなります。しかし私が所持している普通のHPのノート(15インチモニター) ではF11は機内モードだったりするので上手くいかない場合もあります。それでfnキー+f11でフルスクリーン になりました。 今回はこんなところでしょうか。もう撮影はあんまりやっていないんですが、まだ多少なりともパソコン 関係で思いつくところがありますので、そういう視点で投稿は続けていきたいと願っています。

無題

無題

「日本では報道されません…実は今中国がトンデモない状態でした【北村晴男/澁谷司】 28万回視聴 4週間前 https://www.youtube.com/watch?v=Iui8qTW7M0I 「南シナ海で中国軍艦と中国巡視船が衝突事故、フィリピン巡視船への妨害活動中」 https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/f39f57e00cd1560d8931ad894dec0ed79715bccf フィリッピン巡視艇が中国海警局に追突される瞬間、中国海軍の駆逐艦が急遽止めに 入った(衝突した)という動画が出てます。 こういう動画があると、あながちフェイクニュースとは言いにくいので興味深いです。 行政機関と軍隊が衝突するなど、日本国では考えられない事態ですが、中国では歴史的 に普通のことです。 現在の中国トップの権力も磐石ではなくなったということなんでしょう。 占星術では還暦法というのがあって、現在72歳であればマイナス60で過去の12歳の年代 を繰り返すというわけです。 1963年6月1日午前3時の生まれの人物を仮定すると、10歳代初期&70歳代初期は、火星、 冥王星、金星があります。これを乗り越えるのは大変です。 次の自民党総裁、日本の総理は誰になるのか。ものすごく簡単に言うと、高市さんに なるのかな。 それはトランシットの木星が今現在、蟹座に来ていて、氏の太陽魚座に有利だからです。 同様に石破さんの時は、木星が双子座であったので氏の太陽水瓶座に有利だったのです。 多分、たったそれだけだったでしょう。 あまりにも簡単な占いなのでイイカゲンもいいところですが、高市さんにとっても1年 くらいは有効かもしれません。1年後の来年は小泉さんにとって木星はよいですね。 中国にとって、高市さんがトップになるのは面白くないと思いますが、潮目が変わると いうことでは日本にとって良いことなのかも。

①ハイカーの寡黙 

①ハイカーの寡黙 

①ハイカーの寡黙 地元の1000メートルくらいの山での撮影。車で山頂までいけるのですが、あえて 8合目で車を降りて、後は歩いて登山。標高200メートル分くらい歩いたという ことになりますか。 標高400メートルくらいの山だと麓から歩いて登山するのですが、状況によって 登り方はいろいろです。 定期的に登山をして体を慣らしておかないと、てき面に体力が低下するのが分かり ます。労働や仕事は上半身の運動だけど、下半身は運動になっていない。 それで意識して下半身、足腰を鍛えるということで、趣味の撮影を生かして体力 を維持しておくということが大切なわけです。 仕事で一番いけないのが椅子に座ったままの仕事。車の運転もそうなりますか。 こういう労働をいつもしている人は意識して歩きの運動をやらないと、最後は 確実に病気になります。立ったままの仕事のほうがまだ良い。 座業が仕事の人が、趣味でパソコンとか釣りとか車のドライブでは何の意味もなくて、 とにかく歩くことが可能な趣味というものを見つけて、それを実践しなければなり ませんね。 私の撮影は歩くことが一番の目的ですから、撮影の待ち時間なんて馬鹿な撮影は できません。常に歩き回っていることが私の撮影だというわけです。歩きは平坦な 道よりも山道とか岩場のような起伏のあるところがもっと良いです。 山を登っていると、如何に多くの人たちが登山やハイキングの趣味をもって実践 しているのかがよく分かります。 こんなに多くの人たちが意識して自分の身体のケアをしてるのかと感心するほど ですが、彼らは寡黙です。 自分の健康と体力維持のことを声高に他人には語りません。 まあ、言ったところで他人には通じないことを知っているからでしょう。

②デジタル写真のフェイク 

②デジタル写真のフェイク 

②デジタル写真のフェイク  写真というのは建前があって、よい写真とは綺麗な写真、より高画質である わけで、それを皆さんは信奉しながら、まるでそれに疑いがないような素振りを しています。 しかしそれはやはり嘘なんですね。 私にしてもアップする写真は少しでも良い画質で、綺麗な写真であればと思うわけ ですが、もうそこにも嘘が漂うわけです。 真実は汚い写真も綺麗な写真も、そこに意味というか違いはないということです。 自分が自分の足で歩いて撮影をするという、そのことが本質なのであって、 そこを伏せておいて、写真は画質で綺麗だ、と建前で誤魔化しているわけです。 写真をする人は嘘つきかもしれません。カメラなんか持たずに黙々と山道を歩いて いるハイカーのほうがどれだけ正直であることかと思います。 写真綺麗の信奉は言わば平和憲法みたいなもんです。戦争が悲惨でいけないのは 誰でも知ってます。しかしそれでも戦争は起きるものであって、何もことさら 反戦の信奉論をかざしても何の意味もありません。それは欺瞞で慢心というものです。 あえて汚い写真を撮ろう。意味のない写真を撮ろう。そのほうが拠り真実に 近いというわけです。…というのも嘘ですけどね。 写真は画像に隠れた本当の事実に目を向けることが大事です。それは画像からは けっして見えてきません。

③デジタル写真とインターネット 

③デジタル写真とインターネット 

③デジタル写真とインターネット  デジタル写真は大きな嘘を抱えています。 私は今、パソコンをやっていますが、ごく基本的なコンピューターとしての視点 でやってます。ここでは嘘は通用しません。少しでも嘘があると動きませんから。 それから写真は、フイルム写真、そのケミカル的な自家現像は嘘ができません。 アナログですから大きくは失敗しなくても失敗は失敗となります。と言いますか、 失敗を自覚することができます。そこが大事です。 しかしデジタル写真とかインターネット(この2つは深く結びついてしまって一大 文化になってしまった)という巨大な技術体系のものは、無自覚に失敗をしても 気がつかないわけです。 嘘を虚として自覚できない。これは大問題です。 それでとにかく基本が大事だということで、私は古いパソコンを探求し続けて います。写真はもうフイルム写真は出来ないので、基本に忠実な撮影に心がけて います。デジタルモノクロ写真などもそのひとつでしょうか。 (これから先、時間の余裕ができれば、若い時期に撮り溜めたフイルム写真を スキャンなり直撮りなどをしてデジタル化し、半世紀ぶりにフイルム写真の復活 ができるようになるかも知れません。かなり時間を食うので実現するかどうかは 不明ですが、面白い試みだろうと考えます。AIでカラー化することも可能です。) もう何度も書きましたが、私のモノクロ写真は最初からモノクロで撮る写真で あるわけで、皆さんのように表現として、元々カラーで撮ったデータを気分転換で モノクロ変換したものではありません。 表現(人に見せるためのもの)としての黒白写真ではなく、撮影からの黒白写真 であるわけで、本質的に皆さんとは異なります。 もともとカラー情報を持っているデジタル写真データを、態々モノクロで撮って カラー情報を捨てるっていう、そういう気概は普通の人にはないでしょう。

予言書の読み方

予言書の読み方

7月初日の、太平洋側に大津波が押し寄せるという予言ですが、結構新聞でも取り上げ られていたようです。お騒がせなフェイクニュースという扱いですが、私の考えでは この予言は当たったと考えています。 つまり、津波はトランプ関税のことだったわけですね。7月の初めから相互関税が複数 国に対して合意をしてきました。日本も22日に合意しましたね。予言との時期的な一致 もみられます。インドネシア、ベトナム、フィリッピン、英国、日本ですか。 そして日本人ファーストを謳った参院選の参政党の躍進もその予言のひとつだったろう といえるでしょうか。 一般の人は予言というものの本質を知らないので、予言書の言葉通りに意味を捉える わけですけど、予言というのは象徴的な意味合いでの連想ゲームのようなものでして、 言葉通りに読むのは予言の本質を知らない人のいうことなのです。陰謀論とか都市伝説 なども実はそうなんですね。言葉どおりに考えるのは要するに本当の世の中の物事を 知らないわけですね。 日鉄がUSSを買収できたのは予想通りでしたが、相互関税もこのパターンで解決するの ではないかと思ってましたが、ほぼそのようになったようです。80兆円の対米投資補助 なんて書いていますが、役人さんは孫さんと同じで大きく話を盛るのが上手いので実際 は1/10か1/100でしょうか。 そもそも、もう米国は第2次産業の工業が壊滅してるので日本や韓国の企業の投資と経営 や技術がなければ何も出来ない国になってます。中国を除く東アジアの協力国の助けを 借りなければ、米国は軍艦ひとつ、スマホのひとつも作れない国になってますね。 東アジアはかつての大東亜共栄圏です。韓国台湾などは大日本帝国の一部でした。中国 だって半場は日本の植民地だったわけで、近代日本の力が時間を置いて花咲いている わけですね。明治昭和の遺産というのは大変なものだったと感じます。 ラピダスが思いのほか頑張っているようです。絶対に失敗するわ、っていう下評判ばかり でしたが、この会社、占星術では中国のファーウェイに良く似ています。そう簡単には こけないのではないですか。 最先端半導体の工場はTSMCの熊本があるわけですか、やはり外国企業です。日本の 国益と安全保障のことを考えれば、やはり日本企業の工場が日本に必要なわけです。 これからはAI半導体が膨大に必要になってくるわけで、そのための電力も原発が必要 とかで、これからは世の中ががらりと変わってくる気配があります。ラピダスは どうしても日本に必要だと感じます。大化けしてくれると面白いですね。 古いパソコンで、フリーズしまくりのものを貰ったのてすが、いろいろとやって みると、その原因はノートンのウイルスバスターでした。これをアンインストール するとフリーズはなくなりました。しかしネットワークシステムが既に壊れてます。 OSを入れなおすしか根本解決はできないのですが、貴重なソフトがインストールされ ているのでこのままにして、このPCはネット接続なしでいくことにしました。 今回は原因が分からずでだいぶ苦労しましが、こうなった背景には、ネットワーク の基本を守らなかった前ユーザーにあるようです。こういう共有の仕方をしては いけないというのが数件見つかりましたし、ローカルネットワーク規模なのに不要な WANも使ってました。 壊れたPCのネットワークシステムは、正常な他のPCにも悪影響がでて、危うく他の PCも壊すところでした。ウイルス対策ソフトが結果的に裏目にでて、まるでウイルス のように振舞ってネットワーク全体に悪影響を及ぼす。それを実際に体験すると、 ネットワークというのはなんとも脆弱なんだなって分かりましたね。 今回は大分勉強になりました。まあこういう勉強がしたいがために、わざと壊れた PCを貰ってこつこつとやっているわけでしてね。(笑)

素早く小回りの利くウインドウズ10

素早く小回りの利くウインドウズ10

最近は古いPCばかりではなく、比較的新しいPCにも目が向いてきました。と言っても 10年近く前のPCです。メモリがDDR4タイプで記憶装置がMドット2というようなクラスです。 OSは当然にウインドウズ10です。 そのうちのひとつでデルのノートPC、ゲーミングPCで高性能です。これはキーボード がやれていて使えなくなったということで貰いました。バッテリーもだめでした。 記憶装置は外されていて、M.2タイプ。2.5インチのSSDも入っていましたが、初めての M.2に挑戦ということで購入。当然にOSは入っていないので自分でインストールしなけれ ばなりません。 簡単だなあと思いきや、大きく躓いてしまいました。これは既に書いたわけですが、 バイオスが初めて見るUFEIだったので理解が及ばなかったわけです。しかしそこさえ 突破すれば高性能で且つ、画面もヤレてなくて綺麗という高性能ノートPCをゲットする ことができました。 コアi5なので、まあi5までは許されるかなあというところ。これがコアi3だと遅くて だめですけどね。ゲーミングPCだけあってユーチューブ動画なんかは問題なく見れ ます。 ウィン10はアイオーアクセスが遅くてあまり使う気がしないわけですが、ひょんな ことから、マウスやキーボードの操作が速くなる方法を見つけました。 写真のPCはタワー型PCのコアI7-4775ですが、RAMメモリを4GB×2枚をデュアルチャンネル の方式を無視して載っけてます。こうするとアイオーアクセスが速くなるんですね。 通常はメモリスロットを交互に空けながら差し込むのですが、写真は近接して挿し 込んでます。まあ、裏技のようなものです。(笑) それでウィン10なのにウィン7並のアイオーアクセスのスピードを誇ります。 このPCはジャンクPCでして、中古店がOSを載せて売っていたものです。メモリは DDR3の8GB×3枚の24GB。多すぎるので小さくしました。グラフックボードも大型の ものが差し込まれていましたが私には不要なので小型のものに換装。すべては アイオーアクセスを速くするための処置です。素早く小回りの利くPCが私には 向いているので。

省スペースPC、スリム型PCとは何ぞや?

省スペースPC、スリム型PCとは何ぞや?

省スペースPC、スリム型PCとは何ぞや? 今回は一般的なPCである省スペースPC、別名スリム型PCというものが如何に駄目である かを書きたいと思います。 左側にある大き目のやつがタワー型、ミドルタワーといわれるタイプのパソコンです。 今現在、私はこのPCでネット&文字打ちりワープロをやってます。 直前に使っていたのが右側の小型PCで省スペースPC、スリム型PCと言われるやつですね。 この小型のPCは家庭でも企業でも数多く使われていると思うのですが、今回は不具合が 大き過ぎました。何かの拍子にモニター電源が切れるんですね。実はもうひとつの小型PC でもそれが起きていて、モニターが悪いのかしらん?と思っていたんですが、大き目の タワー型に変えると不具合がなくなりました。 原因はただひとつ、電気的な電力不足です。パソコンって所詮は家電製品なんですね。 結論から言えば小型PCは電源部が小さくてパワーが足りないんです。 タワー型とスリム型の間にあるのがさらに小さな省スペースPCです。これも不具合を 抱えていてネットワークが不全です。DELLのやつ。 とにかく比較対象をするタワー型、スリム型ともスペック上では性能は変わりません。 ほぼ同じですしOSも同じです。しかし決定的に違うのが箱のケースの大きさとそれと 密接に関連する電源部の余裕の相違です。 スリムが200ワット、タワーが300ワットの違いがありますが、大きさは全然違っていて、 実質的なパワーの差は数倍でしょう。電源は最高出力の数値だけを見ては分からないん です。 そして廃熱問題として、優位なのはタワー型です。奥に銀色のパソコンが見えてますが、 これは前回清掃でむき出しのスタイルで投稿したやつです。フルタワーというタイプ です。まあここまで大きくする必要はないのですが、ミドルタワー型くらいは欲しい というのが実感です。 タワー型は電源部のサイズが決まっていて縦横の寸法はみな同じ、取り付けねじ穴も 同じ規格。奥行きが違うだけなので古くなると新品に交換をするというのが常識です。 車のバッテリー交換の感覚ですかね。 スリム型PCはメーカー独自のサイズが多いので電源交換は難しいですし、メーカーの 戦略としては電源が終わればPCそのものを廃棄して新しいものを買って頂戴という具合 なので、メーカーも長く持たせようとかという考えはないのです。 数年でガタが来る。いや最初から電源不足でうまく動かないというケースが多いんです。 とにかくタワー型はケースが大きいので、①廃熱処理が基本的に優位、②電源部が大きく パワーがある。③CPUクーラーファンの大きいのが付けられる。④GPUカードの大きいの も付けられる。⑤各所に換気のファンが付けられる。 こんな感じでスリム型とは基本の性能がまるで違ってきます。正常なのはタワー型であり スリム型は矮小された劣ったPCなんですね。 裏技として、実はスリム型PCの基盤(マザーボード)を取り出してタワー型に移行する ことが可能です。自組みの経験があれば誰にでもできます。 パソコン操作で不具合を抱えていけば、そのパソコンの基本性能を疑ってみる必要が あるということですね。 多くの人が不具合のPCで我慢をして使っているという現実がありますね。特に日本人は 我慢強い。でも私は例外ですけどね。道具や機械を我慢してそれに自分を合わせるという 発想は私にはないです。機械の方を人間に合わせるという発想をします。機械と人間と どっちが偉いんだ?!ということです。

パソコン3

パソコン3

私が使っている画像処理&写真データ管理用のパソコンです。ウインドウズ7です。もうかれこれ15年以上 使っているのでしょうか。写真に関してしか使わないので故障したことはありません。 今回ちょっと内部の簡易清掃をしました。 内蔵SSD×1、HDD×3で、リムーバブル式でさらに裸体HDD×2が挿入できます。外部HDDとしてUSBとNASが 繫がっています。つまり最大で8本の記憶装置を自由に駆動できるわけです。 また、ウィン7はセキュリティにリソースをあまり使っていないので動作は俊敏で、純粋に高性能です。 こういうインターネットに繋がなくても済むパソコンは、ウインドウズ10や11ではなく、ウインドウズ7が 最適です。8個の記憶装置を縦横無尽に駆動するのは、事実上ウィン10では無理です。 と言っても、このパソコン、インターネットにも接続できますし、画像処理ソフトも満載です。万能に 仕上げているのですが、自分でも思うのですが、このパソコンはアタリでした。十数年間、一度も不具合 を起こしたことがなく、現在でも問題なく全ての機能を使えるのですから。 このパソコン、自作のパソコンなんですね。超寿命の秘訣は筐体、ケースにあるようです。このケースも CPUもマザーボートもメモリもHDDも中古パーツ使用ですが、冷却ファンと電源とSSDは新品で入れました。 ケースは知り合いから売りつけられたものですが、安くしてくれたとはいえ、ケースだけで新品のパソコン が買える値段でした。 普通のパソコンケースと違って、二重構造になっており、静音で、且つ埃が入り難い様になってます。 背が高い(フルタワータイプ)であるのも温度管理に有利です。 これよりも高性能なパソコン、例えばサーバータイプやゲーミングPC等もあるんですが、五月蝿いし、 神経質で使い難い等で、やはりこの自作パソコンが一番なんですね。まだまだ使えると思ってます。

パソコン2

パソコン2

ウインドウズ7で、業務用に使っていたパソコン。2台ほど貰ったのてすが、一度もインターネットには 繋がっていなかったやつです。こういう場合、そのままではインターネットには接続できません。 私が今現在、ビスタやセブンでインターネットに接続できているのは、常からインターネットに接続して いて、常時、更新プログラムを収得していたから可能だったのであって、当初からインターネットに 接続していなかったパソコンでは、時すでに遅くて、OSにあるブラウザのインターネットエキスプローラー はインターネットに沈黙したままなのです。 インターネットに接続できないパソコンって、今どき考えられないのではないですか。(笑) ウイン7はとっくにサポートが切れていますから、そういうパソコンをもらってもどうしようもないわけ です。インストールされているソフト内で遊ぶしか手がない。しかしそういう古くさいパソコンを復活する 手があるんですね。 今回の写真はウィン7プロのSP1インストール済み(IEは8)、エキスプローラーでインターネットには全く 接続できないパソコンを、今回新たにインターネット接続して、ユーチューブ動画と、フォトXP掲示板を 開いた時の証拠写真です。 残念ながらエキスプローラー11も(エッジも)入れたのですが不完全です。ということはアップデート機能 で更新プログラムを自力で自動習得できないということです。 こういうパソコンは捨てられるわけで、ガラクタ集めが趣味の私のところにやってくるわけです。 それで思ったのですが、インターネットに接続できないパソコンは、素のままのコンピューターであって、 一般人が使うには「あまりにも華がない」っていうことですか。 今回、そういう地味なパソコンを、いうなれば白黒写真をカラー化し、花を咲かせたような感じになって、 ああ、これが現在のパソコンの姿であるのだということがよく分かるようになりました。 インターネットなくしてパソコンなし。スマホもインターネットができるから面白いのであって、 電話機能だけだと地味でつまんないのと同じです。

『写真よさようなら』

『写真よさようなら』

今私が撮影に取り組んでいる高知県室戸半島の、海岸段丘の台地の俯瞰写真です。掲示看板を撮影。 これは室戸市ですが、田野町/安田町に跨る大野台地はもっとスケールが大きいです。 https://www.47news.jp/4780923.html 長野県などに行きますと、これが河川の河岸段丘になりますね。 普通の海岸部の沖積平野と違い、完全な水平平面ではないのですが、そこは台地なので多少の傾斜はある ものの、広大な農地が広がっている様は、ちょっと異世界ですね。遠望して太平洋が見えますし。 室戸半島は地震の度に隆起を繰り返すようで、台地の部分はかつては海岸線だったところです。それが 証拠に、田畑の石垣に丸石(河口部や海岸部でしか生成されない)が積まれていて、なんと山の中で丸石が。 という具合で不思議感がいっぱいです。(笑) 普通、車で室戸岬まで走らせると55号線を(画面右下)走るんですが、この段丘の台地は全く見えなくて、 海の反対側は峻険な山が連続しているようにしか見えません。県外の観光客はその山の上に農耕地がある などとは想像もできないでしょうね。 台地に上がるには海岸線の道から登るわけですが途中は鬱蒼とした原生林です。このまま行っても大丈夫 かなって不安になりますが突然開けて農地が広がっている様は、感くるっちゃうという具合。 山の中の台地だと、水は?という気持ちになりますが、背後にもっと高い山が控えていますので問題は なく、植えられたばかりの水田に滔滔と水が流れていました。 田地の土は独特の赤い土で、これは地質学的には古代三紀から中新世の付加体というもので、太平洋の海底 で堆積されたものが陸地としてくっ付いたものです。花崗土と違いきめ細かくて保水性はよさそうです。 ミネラル栄養分もあると思います。 私がする写真は、こんな具合で写真の為の写真ではなく、自分に関心がある対象を見てみたい、行ってみたい という延長線上に記録としての写真があるわけで、芸術とか表現などとは何も関係はありません。 この海岸段丘の台地は、高知県の海岸部の散策でたまたま見つけてしまったもので偶然の産物なのですが、 最初は南海トラフの津波被害はどうなるの?から始まった高知行きからです。津波非難タワーを散策し、 ついで室戸市にある地震のたびに起こる隆起現象に関心が移り、そしてその隆起が地形をも形作っている 台地にたどり着いたというわけです。 ところで、なぜ写真が芸術や表現であってはまずいのでしょうか。 その疑問が湧いてきませんか。自分は芸術などに興味があるから是非に写真でそれを試してみたいと いう方もおられると思います。 しかし写真は原理的に大変リアルなもので光学的な道具を使ってやります。その構造は人間の目の仕組み とさほど違わない構造になっています。ほぼ同じと言っていいです。それでそういうリアルなものに 過剰な追加物を入れると、人間は正常な判断とか価値観がくるって来るのではないかと思うのです。 これは脳の基本的な機能を根本から揺るがす可能性があります。そこらあたりは大変難しいのですが、 結果として写真に過剰な芸術的装飾を付加すると、そういう人間は邪悪に染まる可能性が高いです。 自ら悪を具現するか、もしくは他の悪人に感化されるようになるわけです。そういう病的な結果になって しまう気がしています。簡単に言うとその人の運が悪くなってしまうし能力も落ちます。 ですからこの問題は、写真人が自らの写真を云々という事態に留まらず、メディアやネット上で流れる 画像や映像が、過剰に画像処理されたり、AIで作成されたものが多くなると、一般の鑑賞者視聴者にも 大きな悪影響を与える可能性が非常に高くなるということです。 AIで生成された画像が人の脳内の記憶に蓄積されるというのは、これは考えてみればとても怖いことです。 もちろん芸術や表現が絵画で行われるのならば問題がないでしょう。(しかし幼児や子供には不自然な 抽象画はいけないかもしれない) しかしそれが、その芸術表現が元よりリアルを前提した写真において 行われることが問題なんですね。これからAI画像が一般化して広く流れるようになると、世の中全体が 不本意なことになる可能性が高いと私は危惧しているのです。 SNSのキラキラ写真ですら、若い少女がコンプレックスに包まれ気落ちして自殺するということもある わけで、この問題はもっともっと注意深く考慮されるべきだと考えています。 ちなみに私は学生時代、絵画やデザインをやっていました。皆さん方よりも絵を描くことを知ってると 思います。それで私は写真を始めて、当初より写真が芸術だとか表現だとかは一切考えたことがありません。 写真は記録という一辺倒でやってきました。表現をやりたければ絵を描けばいいんです。 とにかく写真で芸風を装うのは、皆さんが思っている以上に危険なことがある。そういうことをちょっと 追加しておきます。 写真の怖さ、というのがあるわけですね。この問題は70年代には真剣に写真論として取り上げられた ことがあります。写真がモノクロフイルム全盛時代だったころです。 当時、黒白写真という時代の中で、写真の有様に反旗を翻した一群の若い人達がいて、ある意味では 表現手法といえるものを写真に取り入れようとしたことがありました。 当然に当時の風潮からは大反発を食いました。コンポラ写真といって多くはアレ・ブレ・ボケの作風 だったのですが、これは写真をある意味、逆説的に絵画化する試みだったのかも知れません。 でも今から考えれば、黒白であり明らかに現実とは異なるものだったので、さらにカメラ雑誌だけの 発表だったので、一般的には悪影響は与えていなかったと思います。当時の若い写真家の間だけで 行われただけですね。そういう私も当時は若かったので影響を受けていたわけですが、表現と言っても 綺麗すぎる写真をわざと汚くするものだったので現在とは間逆でしたね。当時の緻密で綺麗でリアル という写真こそが、すまし顔過ぎて絵画的だ、返ってリアルではないじゃないかという反発心から 起きた運動です。 しかし今の現在のデジタル写真によるキレイ過ぎる画像処理過多やAI画像は事情が大いに異なります。 今は一般の人々を直撃し、若い成長期の判断力のない人達をも巻き込んでいます。 このコンポラ写真、コンテンポラリー写真の日本版ですが、昨今事情では若い一般の人達の間で、 チェキなどの簡易プリントカメラが流行ったり、古いコンデジの作風が良いということでブームに なったりするのと同じなのではないのかなっていう気がしています。 デジタル時代のコンポラ写真という意味で捉えると大変に興味深い現象です。少し前に流行った 若い人達のフイルムカメラ回帰もそうだったのでしょう。今も昔も若い人は時代に敏感で且つ率直 ですから、時代の嘘を見抜くんでしょうね。 そういえば今の時代の、老齢なアマチュア写真人がやたら画像処理過多の表現写真をしたがるのは、 認知症世代特有の現象と言えなくはないです。これは逆バージョンですかね。(笑) 「写真よさようなら」森山大道 https://www.shashasha.co/jp/book/farewell-photography-2 https://www.sankei.com/article/20170828-K3VCQMHRHFLMJCO2DF2RQ4B4FI/ 1970年代初期にコンポラ写真は流行ったのですが、戦後からはじまった写真ブームはひとまずここで 頂点に達しました。それは黒白写真の時代が写真文化として極まったということを意味します。 そして1970年代後半から80年代以降となると今度は完全にカラー写真の時代になります。 カラー写真は黒白写真と違い、基本、メーカーの現像所で現像と印刷をします。黒白の場合は撮影者が 現像とプリントもするのが一般的でしたから随分と違いました。写真の成り立ちが違ってくると写真文化 もリセットされます。今現在のアマチュア写真家で古株の方はこの時期に写真を始めたと思います。 カメラも変わっていきましたね。黒白時代はメカニカルカメラでしたが、カラー写真時代はAFになり モータードライブ装備のカメラになりました。京セラコンタックスなどはMFでしたがMDでした。 写真はカラー情報を獲得し新たな出発をしました。ただフイルムカラー写真は個人が自分で現像や プリントができません。それで黒白時代のような言わば画像処理ができないわけで、カメラマンは 撮影オンリーとレンズ選択で自己表現を楽しんでいたというわけです。 当時のフイルムカラー時代の熟成期にはライカカメラがブームになったのではないですかね。 田中長徳氏などか盛んにライカの撮影に際してのオタク感覚を言っていたような記憶があります。 私は90年代末にPCデジタルスキャナでもって写真を再開しました。ほぼ20年ぶりの写真復活でした。 その時代が、2000年代に入ってデジタルカメラの時代になってきたわけですね。 当初はコンデジでしだか一眼レフもデジタル化の時代になりました。ニコンとキヤノンがデジタル化 の先端を開き、それからは怒涛のごとく写真もカメラもデジタル化まっしぐらでした。この時期に 私はその時代の先端を走っていたようです。すでに私は90年代にPCオタクでしたから画像処理などは できて、もちろんデジタルカメラもコンピューターですから。 この時期、多くのフイルムカメラマンがコンデジやデジイチになったわけです。写真屋さんが対策 におおわらわになった時代です。フイルムカメラマンが当初はデジタルカメラを敵視していたのですが やがて皆がデジタル化して、もうカメラマン全員がデジタル赤信号を渡りだしたわけです。デジタルカメラ 全盛の時代です。 そして2010年代からスマートフォンが登場します。高性能カメラが付随しているのでコンデジがまず 廃れます。やがてデジイチ並みの高画質にもなります。合わせてデジイチの光学一眼レフからミラーレス のタイプに移ります。これは対スマホ戦略という意味も多少あったように思えます。 スマホの画質が高性能になったのは内部の画像処理が巧みになったのも一因です。カメラマン自身も 画像処理技術を磨いていった時代です。 つまりデジタル写真の2000年以降は、カラー写真でありながら写真屋という業者に出さずに、自分で 現像や画像処理やプリントが出来る時代になったわけです。これは言うなれば、かつての黒白フイルム 時代が再びやってきたというを意味します。当時の黒白フイルムの自家現像が基本でしたから。 私は2000年代に入り直ぐにデジイチを手にし、PCで自家処理ができましたから、これは革命的な変革 で写真文化は大きく変わるだろうと気がつきました。デジカメやデジイチが登場する以前から、PCの スキャナで写真が出来ていたので、この状況の変化に気づくのは早かったわけです。 今にしておもえば確かにそのとおりになりました。むしろやり過ぎるぐらいになったわけで、その弊害が 今の写真界を覆っているという現状です。 そして現在、画像処理の極めつけと言うべき生成AI画像の登場です。もうメーカー自身が画像処理の ツールは当たり前という時代になり、スマホ写真は自動で画像処理した写真しか得られなくなりました。 本格的な生成AI写真時代はこれからでしょうけど、多くの一般の人が利用するのは明らかです。 現在はこういう写真時代を生きているわけです。 そして再び「写真よさようなら」の反旗が出てくるということです。 デジタルAI時代の写真とは一億総認知症時代であり、写真が人間に対して害を加えるような時代に なっていくわけです。そうなってると、もう作られた写真などは見たくないという見識者が多くなる でしょう。国によってはAI画像は禁止、というのも出てくるかも知れません。オーストラリアで若年期 のSNS禁止というのと同じですね。 私は皆さんよりも速くデジタル写真を始めましたので、このデジタル写真の弊害に気づくのは早かった と思います。デジイチをミラーレスに変えた時期から分かりだして、写真は撮影はするものの、自分 の写真を見ることは止めにしました。撮りっぱなし戦術で、撮影は歩き運動になるからやっていました が、それだともはや写真は辞めてしまっているのと同じ状況でした。 私はいち早く、デジタル写真よさようなら、をやっていたのでしょう。そして最後の難関であった 機材依存を黒白デジタルで突破したというわけです。 写真の歴史50年余をかいつまんで書きました。(笑)少しは参考になったでしょうか。 つまり時代というのは繰り返すわけですね。シッポ座さんが現在の状況で、写真にさようならを 告げるのはマトモな人間ならば当たり前の行動だということです。すでにこの掲示板でも以前から 離れていった人が多くいます。 こういう時代において、今なお写真を続けられるのは、写真は記録だと明確に理解している人と、 すでに脳みそが壊れてしまった人だけです。この2つに分けられるでしょう。 デジタル写真、当初の00年代はまだフイルム時代の延長でして、ただカラーフイルムをデジタル素子 に変えただげでした。それが本格的にデジタル時代になっていったのはミラーレスカメラやスマホの 登場の時期からですね。格段に画質は鮮明になり電子シャッターが登場し、同時に画像処理ソフト技術 も向上しました。そして今現在はデジタル写真の頂点を極めた時代であると言えます。 これから生成AI写真が本格化するわけですが、本当に一般の人々に受け入れられるかどうかは不明と いうところがあるでしょう。いやそもそも、人工知能というもの自体がこれからの次の時代に覇権を 握るかどうかも分からないところがあります。プロフェッショナルの間では有効でしょうが、一般では 拒否反応が起きる可能性があります。 その弊害が大きすぎれば人々はAIを拒絶する可能性も高いわけです。ユーチューブなどでは生成AIの 画像が多く使われるようになりましたが、作られる画像のワンパターン性にうんざりするところが あり、もう私はそういう画像は眼をそむけて見なくなりました。 生成AI画像が写真足りうるか、と言えばもちろん写真ではありません。肝心の撮影が抜けているから です。写真としてはあくまでも画像処理の強力版という立ち居地です。 私はAI画像は、拒否をする人と、そのまま受けいれる人の2つに人々が分かれるのではないかと思い ます。知力の乏しい人はAI画像で満足をするわけです。およそリアリティに乏しく、そしてフェイク な画像です。スマホ向け動画でもAI動画がありますね。キレイすぎるし女子フィギアスケートの動画 ですが、人間として、もしくは物理的にありえない動きをしてます。しかしそういう動画を本物として 疑わない人も多く出てくるわけです。何度も書きますがこういう偽の画像や映像を脳内に記憶として 溜め込むことは極めて危険だと思います。 こういう時代において、敢えて自らが写真をする意味はあるのか。と問えば勿論あるわけです。 今の時代の一般的な人の写真というのは、これはもう膨大な量を多くの人達が撮影をしているわけ ですし、しかもそれがインターネットにも多く載せられています。 しかし今の時代、写真は極めてプライベートに収斂してしまって、若い人の写真観というのは、 写真の対象ははあくまで自分だけ、その仲間だけという範囲を超えなくなりました。写真に社会性 が失われたのです。昔の家族写真もそうだったわけですけど、もっと範囲が狭くなっています。 自撮りなんていうのが象徴的。自分と仲間とそれしか写っていないのです。撮影地は観光地だけ。 実際に若い人のハイアマチュア的に写真に関心のある人の写真を見せてもらってもそうなんです。 めっちゃトリミング(いやフレーミング)してます。 年配のアマチュア人の自分は野鳥だけ、鉄道だけとかで自らの関心を狭めています。たしかに肖像権 とか個人情報とか言い出してややこしくなると気後れするのは分かりますが。 こうなってると一般的にこの世界を記録する人が居なくなるわけですね。膨大な画像はあふれ出て いるけど、本当の写真は少なくなった。実に逆説的な時代になっています。 かえって時代の光景が見えなくなった時代です。画像は溢れているけど写真としては低下している というわけです。 昔のフイルム時代の写真をスキャンニングして復活させるというのは興味深いです。私も半世紀前 の写真のストックがあります。フイルムにして数百本は眠っていると思います。スキャナで読み込む のは面倒なのでミラーレスカメラで接写撮影は出来ないかなって考えてます。 若い人は知り合いの高齢者の方の写真を説得して譲り受けるという手もあります。写真は文化財でも あるので死亡して失われてしまうのは惜しいです。 今では古いモノクロ写真もAIでカラー化ができ新鮮となります。生成AIはプロが使うと生きるツール なんですね。何でもかんでもAIは危険、というわけではありません。 そういう温故知新から新たな写真世界が見えてくるというのもあるのではないですか。 こんな感じで長々と記しましたが、私としてはこれまてどおり、歩きの撮影を続けるばかりです。 写真とは記録、写真で歩き、それを続けるだけなのです。 今回は私が運よく半世紀にわたる写真の歴史を知っていたことが幸いかなって感じています。 写真よさようなら、は過去にもあったということで、けっして今が特別の時代ではないということ です。

『写真は芸術表現なのか?それとも…』

『写真は芸術表現なのか?それとも…』

『写真は芸術表現なのか?それとも…』 写真は芸術であるとか、表現のツールであるとか、そういう考え方をなされている人はとても多いの ではないかと思います。 しかしそういう思い込みがあると、場合によると写真というのが自分の心の重荷になることがあるので はないですか。 私は写真とは最初から記録であると思っていて、芸術のひとつだとは全く考えていません。ただ撮影時に 少しでもカッコよく記録できればそれに越したことはないね、というぐらいです。 シッポ座さんのお父さんか撮られた写真はあくまで記録です。そりゃあ妻や子供たちが綺麗に撮れて いればそれに越したことはない、というのはあるでしょう。しかし芸術的に表現をしようとして撮影を されたことは一度もないと言えます。 撮影時に心の何で考えたことは、子供たちが元気ですくすく育ってほしい。女房も達者でいてほしい という純粋な願いだけだったろうと思います。 最近はインスタグラム等のSNSで、すんごく綺麗に写真しないと駄目、だなんていう風潮があります。 そういう綺麗過ぎる画像を見て、鑑賞者がコンプレックスをもってしまうことがあるそうです。 写真投稿のために見栄を張り無理をして衣服を買ったり旅行したりして、自分の承認要求を満たす というのもあるようです。 スマホにしてもキレイキレイモードがあって、自分なのに別人の自分が撮れる?というようなことも。 それから過剰に肖像権とか個人情報を振りかざすというのも写真を狭めていて、それで写真と言えば 自分と仲間だけの自分撮りや、写真は観光地でしか撮ってはいけないもの、とかも。 私のように何処でもスナップ写真を撮っていると、怪しいやつ、不審なやつと見られているようです。 これはら明らかに行き過ぎで、写真が人を不幸にしているわけですね。写真はもっと自由であるべき なのに。 写真が芸術的な表現であるというのは、最初にそういう風に考えた人がいて、特に従来の絵画との関連で、 そんな具合になっちゃったのだろうと思っています。 写真が芸術であり、綺麗に上手く撮らないといけないという風潮は、本当は大嘘でありフェイクなん ですが、一旦そう思い込むと人間というのはなかなかその思考を脱出することができなくなるようです。 一種の洗脳であり、これを子供のときから、また写真を始めたときから受けた人間は、その思考法から 自由になることができなくなるのです。 私が写真を始めた1960~70年代は、写真とは芸術なんかではなく、飽くまでも記録であり、キレイ過ぎる 写真はリアルではないと返って排斥される時代でした。 ですから私は記録以外の写真を撮ったことがありません。カメラという道具は記録するためのもので あって、けっして表現することを押し付けてくるものではありませんでした。 写真が表現だ芸術だという風潮に変わったのは多分、1980年代以降でしょうか。その時代、私は既に 写真から遠ざかっていたので実際はよくは知らないのですが。 私はカメラやレンズのコレクターでもあるので(要するにガラクタ集め趣味のこと)、カメラ機材が 増えても気になりません。パソコンもコレクションしてますしね。本もそうでした。(笑) カメラが芸術表現の為のツールであり、モノとしてのカメラが無言でお前は表現せよ、と訴えてくる のならば、私はとっくに発狂しているでしょう。アゲー・サゲー氏が言うように病気であるというわけ。(笑) ちなみにアゲサゲ氏は写真は芸術であるから点数が付けられると信じて疑わない人物です。他人の 私的な記録に点数を付けられてもねえ。勘違い馬鹿というのは昨今多すぎる気がしてます。 この掲示板では写真を真面目にやればやるほど行き詰ってしまう投稿者がいるわけですが、何度も いうようにそれは、写真は芸術で表現であるから、そうしないと自分の心が苦しいというようになって くるわけですね。 私がいうところの、写真は記録、というのは紙とペンのようなもので平易なメモ書きであるということ ですよ。だから写真は画像ではなく歩きだ、何ていうことも平気で言うわけですね。 こういうように私が言うと、それは写真に対する冒涜だ。と本気で怒り出す人間がいます。 宗教と同じで洗脳を受けるということは、厄介なことなんですね。日本人の美意識は宗教的なまでに 強力化されていて、それが今、民族的なまでに足かせとなって日本人を滅ぼしつつあると私は看破する わけですが、洗脳されて固まった頭を持っている人間にとっては、私は宗教的な異端者であるのてしょう。 私が特別に掲示板で攻撃されるのは、そういう理由があるわけです。 俳句とか短歌というのがありますね。あれも最初は平易な言葉で書く単なるメモ書きだったわけです。 それが誰かが芸術なんぞに高めて(人としては低めてかもしれない)しまったので話がややこしくなった わけです。日本人は凝り性で生真面目なので、何でもかんでも芸術にしたがる悪い癖がありますね。 茶道とか生け花、書道なんていうのもそうです。作法とか美意識とか、そんなの詰まらんことでは ないですか。とくにいけないのは一旦確立された作法や思考法を永遠に変えたがらない日本人の 特質です。改革を嫌うので大勢と自分の考え方が違ってくると止めるしか選択肢がなくなるのです。 全てかゼロか、なんですね。硬直的です。 とにかく写真は表現芸だ、という思い込みは人の脳内にこびり付くわけで、これが写真そのものを 駄目にしているところがあります。写真は綺麗でなければならないとばかり、やたら画像処理をし過ぎ てみたり、メーカーすらもAI的補正を掛けたりするわけです。 最近、若い人の間で古いコンデジが人気のようです。画質は荒いのですがスマホのように自動補正が 掛かっていないので絵が自然だ、という訳です。それが本来の記録としての写真であるわけで、 誤った写真の洗脳を受けていない、若くて率直な人はちゃんと的を着いているわけですね。若い人は 何時だって柔軟な考え方をする人が現れます。しかし多くの知力のとぼしい若い人は間違った写真の虜に なってしまうのです。 もう何度も書いたのですけど、私がモノクロ写真を本格的に初めて、機材の浪費壁が止みました。 写真に色彩というキラキラ感がなくなるとカメラもレンズもみな同じって感じになるので、色々と試して みたりする必要がなくなるのです。 モノクロカメラを買って2年ほど。もうすっかり浪費壁もなくなったのでそろそろカラーでも撮って みようかと思っています。写真はモノクロで十分完結するのであり、写真の本質は色彩ではないという ことが分かりました。それさえ分かれば目的は達成したわけです。 しかし当初は、モノクロカメラを手にしたとは言え、最初は自分をモノクロ化するのは大変でした。 しばらくはモノクロカメラしか手にしませんでした。普通のカラーカメラでもモノクロは撮影できる わけですが、カラー情報を内在しているため、JPEG+RAWで撮影して、PCではそれを別フォルダ保存して モニターで見るのはJPEGフォルダのみ、ということをしてました。 それぼと苦労を重ねて自分自身をモノクロ写真向きにしたわけですが、その結果として自然と機材に 対する無駄な欲望というものが無くなったわけですね。 カラー写真という、頭にこびり付いた積年の垢を削り取るのは実に大変だったということです。 写真は芸術で表現だ、というのは私に言わせれば、そういうこびり付いた垢や焦げのようなものでして、 これを取り去るのは大変だろうと思ってます。しかも私のモノクロのケースとはもうひとつ次元が違う わけですね。 シッポ座さんが思い切って手持ちの機材を処分した、というのは大いにうなづける話です。 たぶんそうしないと、こびり付いた脳内の思い込みをクリアにすることは出来ないと思いますね。 本当に写真が好きならば、将来また写真を始めるわけで、とにかく今は写真から離れてみる、という のはベストな選択肢だろうと考えます。 お父さんの撮った写真等は大変に参考になろうかと思います。純粋に記録として撮られた写真なので 学ぶべきことは多いと思いますね。家族写真というのは写真の原点というところがあります。家族の 記録ということ以外を考えていないからです。 写真は記録である。リアルな事実や真実の記録であるという当たり前のことが忘れられて久しいです。 この真実を取り返さないと写真をすることが苦しくなるだけです。なんだ、記録だけだったのかと分かる と写真は気楽に続けられます。

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