メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3820x2688 (7.16MB) |
撮影日時 | 2024-11-19 00:54:18 +0900 |
モノクロ専用のモニターが手に入りました。知人がネットでジャンク品をゲットしたのですが、結局
自分の用途には合わずでタダでもらいました。医療用のレントゲン写真を表示するモニターなのですが、
やはり専用のビデオカードが必要ということで、普通のカードでは不本意にしか表示できないようです。
(上下並列2面表示でしか) しかしその画質の一端は垣間見ることができ、圧倒的な解像度とシャープさ、
高コントラストにさすがだなって思いました。モノクロカメラと同じ理屈なんですね。
まあ、これは遊びでの話です。
私が普通に使うPCのモニターは一時完全モノクロにしていたのですが、ほんの少しだけ色を付けること
にしました。全くの無彩色だとかえって分かりづらいところがあるわけで。物事は極論ではなく少し
中道に振ったところに良いものがあるのかもしれません。
生成AIとか人工知能の話をすると一般の方には理解できないことだとは十分承知していますが、今この
時代が雪崩をうってその方向に邁進しているわけですね。あと10年経てばとんでもないことになっている
のは確実です。
このAIはたとえばプログラミングができる人には朗報とも言えるものでして自動で短期間で労力を伴わず
にプログラミングコードを書いてくれるわけです。しかしプログラミングの知識がない人にはまともには
使えません。万事がそれでしてプロの優秀な人にとっては生成AIは最高のツールであり武器になるわけです。
そうすると結局は優秀な人達にとっては大変な利益をもたらすのですが、そうではない人達にとっては
おそらく不利益しかもたらされません。
ですからAIを使えるか使えないかで大変な格差が人々の間で生じるということになります。
今現在のインターネットやPCコンピューターでもそうなんでして、一般の人達は馬鹿みたいな使い方しか
出来ていないでしょう? 今でもそうなんだからこれからはその格差というのはもっともっと開いてしまう
というわけです。
機械より人間のほうが恐ろしいというのは確かにそのとおりです。機械は善悪の概念がありませんが、
人間には悪い人間と正しい人間がいます。弱い人間と強い人間も。(機械にも強弱がありますね)
そして時代にも正悪と強弱の時代分類があるんですね。
その時代と人間を区分している本質的な要素は同じものです。それで時代が悪くなれば悪人がはびこるし
時代が良くなれば善人が活躍するのです。
この本質的な仕組みがあるからこそ、機械はどんなに高度になっても人間を超える知能を獲得すること
はできません。しかし機械にはパワーがあります。核兵器などはその典型です。それで人工知能にも
ものすごいパワーがあるんですね。それが証拠にAIデータセンターを稼動させるには大電力を消費し
原発が必要になるほどです。
人工知能が核兵器並みに危険であると言われるのは、その強烈無比なパワーによるものです。核もAIも
それを制御する人間が悪人であれば、もしくは弱い人間であれば、人類を滅ぼしてしまいかねないわけ
ですね。
日本人は自然災害と人災の区別が厳密にできていないところがあります。原爆を落としたのは人間です。
しかしそれを自然災害とあまり区別せずに捉えているようなところがありますね。大地震は自然災害
ですけど原発を建設し破裂させたのはあくまで人間であり人災であるわけです。
そうは言っても結果として、自然災害も戦争などの人災も同じような苦しみを人々にもたらすわけで
あまり区別するのもさほどの意味がないところがあります。
週刊現代で落合陽一氏(筑波大準教授)のカメラが紹介されていました。ライカM型です。レンズは
ノルテルックス50ミリF1.2。2本同時に購入し、そのうち1本がキリッとしなくてソフトフォーカス
レンズのようなものだったそうで、その不良品がいたく気に入っているそうです。そういうレンズの
画像はAIでは表現できないと。(笑)
私はあくまでアマチュア写真家ですから、写真でお金を稼ぐことはできませんし、ジャーナリストでも
ないので写真に対しての社会的な使命感というのもありません。自分だけのささやかな写真活動が
できればそれでよし、というところです。
そういう場合に、写真とは細部にこだわるべし、という気持ちが強くあって、特に画質というものを
これまで大事にしてきました。黒白写真にしてから画質は大分捨てたのですけど、それでもこだわり
はまだありますね。
落合氏の記事を読んでいると、そういう売れっ子の有名人でも同じようなことを考えているのかと思い
苦笑しました。
細部に宿る写真の何かが欲しいからこそ私はこれまで写真を続けてきたというところがあります。
神は細部に宿る、これをモットーにして写真に限らず全ての物事に対処してきたところがあります。
普通の人達とはまったく視点が違うのでもとより理解してもらおうなんて露ぞ思っていません。
私がモノクロに拘るのもその細部への関心からです。