メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | PENTAX K-3 Mark III Monochrome |
ソフトウェア | Utility 5 Ver.5.10.0 |
レンズ | |
焦点距離 | 20mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/50sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4295x2688 (6.54MB) |
撮影日時 | 2024-11-19 00:54:18 +0900 |
前回のシッポ座さんの言う、AIよりも人間がこわい、というが気になっています。
そういわれてみればそうかもしれない、というところがあります。実は実例として非常に他者に悪影響を
与え続けている人間を知っているのですが、大体の人はその悪影響を与える人物の影響下に陥ってしまう、
つまり悪に陥落してしまうという不思議な現象を知っています。
私としては本当に不思議でしようがないのですか、その他者に悪影響を与える人物の癖は同じことを何度も
繰り返して話すということをしています。しかも人為的に狭ばめられた環境下でそれをやるわけです。
私は同じことを言う人間は信用しないのですが、というか、そもそも一度聞けば分かるわけで、くどくどと
話しを繰り返す人間は何らかの意図があるとして、それはCM広告と同じで、聞く耳を持たないわけですが、
大概の人はそれに引っかかってしまうようです。
悪意のある人間の悪影響に落ちるのかどうかは、おそらく人の知力の強弱によるものではないかと考えて
いるのですが、何度も言うように知力は学力とは別物ですよ。これを勘違いしている人が多いのですが、
とにかく知力は弱いものが強いものの悪影響を受けるという、そういう基本的性質があるようです。
そもそも悪意の人物は自己の中に知力の弱い部分があるわけで、まず自分みずからが自分の悪意に影響を
受けて染まって、そして他者にも同じようにその悪意を伝播させていくわけですね。
こういう悪意の流通を絶つには、何と言っても自分の知力を高めて強くするというのが一番です。弱い知力
は他者の悪意の餌食になるということ。これを知って対策を立てておけば大丈夫というわけです。
この知力というのはざっくばらんに言うと、直観力のことです。学校で習う学力とは別のものです。
この直観力を鍛えるということ。私はこれは自然に触れることが一番のことだと考えています。人工環境下
では直観力は鍛えられません。
その人間の背後に自然があるのかないのか。あれば直観力、つまり知力が高くて、逆に自然がなければ
その人は直観力、知力が低く弱いということです。そう考えれば学力はあっても騙させる人がいるという
のが理解できようかと思います。特に自分の直観力知力を削って学力を身につけた人が一番危ないという
わけです。例としてはオウム真理教の高学歴信者が悪意の教祖に影響を受けた事件がそうです。統一教会
の被害者でもそのようですね。
自然さえ身に着けていれば、といいますか自分が自然であれば他の人間の悪意の影響は受けようがない、
ということになります。風林火山というのもきっとそれだと思います。
知力というのはある程度は生まれつきというところがあります。これは仕方がないのですが、それでも
鍛えることができるのが知力や直観力です。
写真の撮影はこの知力を鍛えるには最適なものだと私は思っています。カメラさえ手に持てばたとえ街中
を撮影しても自然の中にいるのと同じになります。
ただし写真の画像趣味というのは逆に知力を貶めるところがあります。撮影でせっかく知力を高めても
後の画像いじりで知力を低下させては何にもなりません。画像は自然に受け入れるようにしたいですね。
そして写真は鑑賞すべきものではなくて自分が撮影するものです。シャッターを押した時点で写真の
9割はは終わっています。残りの1割は確認するだけのものです。
最近はこの知力が低下している人が多くなっているという気がしています。それは人々が自然から
遠ざかっているからかもしれません。なによりもまず人は歩かなくなった。口にする食物も自然なもの
が少なくなった。
そういえば私が知る冒頭の悪意の人物は歩いていません。座り仕事であり運動もせず車かバイクですね。
若い時よりずっとそういう生活を続けているようです。
そういうことでは歩かない人間は悪意に染まる可能性が高いということです。人間は動くようにできて
います。動物というのは動くことが基本です。動いてはじめて人は正常に生きれるようになっている。
しかしその動くというのはあくまで自分の足で移動するということであり機械を使うのは動くということ
ではありません。
撮影ら臨んでは必ず歩きましょう。そして何度かに一度は長距離を歩く習慣を身に着けましょう。
渡良瀬遊水地の谷中湖一周は約10キロ、遊水地全体の周囲は約30キロだとありました。30キロでも1日
で回れますね。10キロだと普通です。
写真撮影はまずそういうところから始まると私は考えています。とにかく歩くのです。歩かないところ
からは写真は生まれないと確信していますから。歩かない写真は単なる画像です。その画像に命を与える
のが歩きという活動です。この写真と画像の違いはものすごく大きいのです。
歩くことによって見える光景があります。歩かないと見えなくなる景色があるわけです。そこを知り、
画像として捉えるのが写真だと思うのです。
写真は良い趣味だと言われることが多いのですが、それは歩きが写真趣味の属性として備わっているか
らだと私は考えています。身体が不健康になり歩けなくなってからでは遅すぎます。10年先を見据えて、
歩くことができるうちに、写真趣味ということにかこつけて歩ければ、これほど素晴らしいことはありません。
歩きの効果は即効で現れます。そして歩きは人を裏切りません。(筋肉は裏切らないという)
こんな風に書くと、私がシッポ座さんに何やらアドバイスをしているように思われるかも知れませんが、
それは文脈上の仮の設定なのであっと、本当は自分自身に言い聞かせているわけです。何度も何度も書いて
自らの決心を新たにしなければ人の心と言うのは揺らぐのです。
それほどに重要なのが、歩くという行為です。
人間には五感とか六感といわれる感覚器官があります。車の自動運転が話題ですが、今のところ視覚のみ
の感覚(センサー)でやっているようです。可視光とレーダー波、超音波もあるかもしれません。これに
音声や音を聞いたりする聴覚を加えることは可能です。大体はこれで車の自動運転は出来るようでして、
いずれは自動運転の車が主になるでしょう。
車は安全に走るだけなので単純ですが、人間個人のアドバイザーとしての人工知能やロボットができると
すると、もっと広範囲のセンサーが必要になります。触覚や嗅覚・味覚といったものも。また人間には
検知しにくい電磁波や放射線のセンサーも付け加わるでしょう。
やがては人間の感覚器官を超えた人工知能が誕生するのは時間の問題だろうと思ってます。
ありとあらゆることで人間は人工知能に勝てなくなる時代が来そうですが、ただ人間は失敗をするという
こと。そしてその失敗から学ぶことができるという長所があります。人間は失敗ばかり、誤ってばかりして
いるのですが、そのことこそが人間の可能性を大いに高めています。
機械は誤らないように失敗しないように作られるのですが、もしくは誤っても修正する機能が付加されて
います。そのように機械は合目的的に作られていますが、人間は逸脱してもぜんぜん平気というところが
ありますね。(笑)
人間というのは行き当たりばったりでして、とにかく生きられればそれで良しというところがあります。
人間は知能を獲得して進化しましたが、これだって成り行きだったかもしれないのです。高度な知能を
持つのは哺乳類ですが、それは億年もの間、恐竜にいじめられたからかもしれません。当時の哺乳類は
ねずみほどの小さな生き物でした。恐竜というニワトリくらいの大きさから巨大な恐竜まで、かれらが
地球を支配していたわけで、哺乳類などは彼らの餌でしかなかったわけで。
人工知能のことで是非とも知っておきたいことは、AIが模擬しているのは人間の大脳皮質の新しい脳の部分
だけです。これは人の学力を生み出す部分だろうと思います。ここが良いと学校の成績がよく高学歴となり
一流会社に入れます。皆さんが普通に頭が良いと思われているところですね。
しかし脳は大脳皮質だけではなく大脳基底核、大脳辺縁系、視床下部などの、人間の感情・欲望・価値観
(善悪のこと)などをつかさどるところがあります。こういう発生学的に古い部分の脳はAI化することはできない
だろうと思っています。
しかし人間として本当に大事な部分は正にそこですよね。人の基本的な生き方を決めているのはそういう
脳の中心部分なんですね。機械によって決してシュミレーションすることのできない脳の大切な部分。
シッポ座さんが言いたかったことは、この部分の働きのことではないでしょうかね。私がいう本当の知力や
直観力というのも、同じく脳の中心部分の働きだろうと思っています。
そういう脳の構造も大事ですが、人間は脳だけで出来ているのではなく、身体全体が全て大切な働きをして
いると見るべきです。体全体で全てが何一つ無駄なく大事な役目の働きをしていると考えると、なぜ歩くと
健康に良く、知力を高めるのかが分かろうかというものです。写真は歩きの撮影が大事で、画像に思い入れ
が過ぎると写真ではなくなっちゃう、というのもきちんと道理が通るわけですね。
※前回投稿した写真は黒白モニターでやったため、セピア色が付いているのに気が付きませんでした。
今回は色を抜いての再投稿です。