添い遂げ
極個人事になりますがネットの掲示板で知り合った方とメールを交わすことをしていたのですが
写メを添付して季節の移り変わりをメールに認めていました
そんな方とももう15年は過ぎたころに数ヶ月経っても返信は来ずの状態からしばらくして旦那さんより次のステージへ旅たったとのご連絡を受けたのが昨年
今もなぜでしょうね、旦那さんへ忘れていたかのように やはり写メを添付してはメールを送っております
お袋からすればこのようなやりとりもお付き合いだと話すのに違和感というか
言葉のあやというのか
日本語は難しいですね
一度だけ撮影をしただけでも今頃どうしているのか
あの時あの場所で会った人間の記憶を思い出すこともしばし
そういう年齢なのでしょうね
インターネットを利用した通信、メールでもSNSでも何でもそうだと思うのですが、
これは本当の人と人との繋がりには、なり得ないと私は以前から思っています。
普通の対面の対話であっても、真意というものは伝わりにくいものです。ですから
ネット経由の通信というのは、あくまで仮想的なものだと割り切らないといけません。
バーチャルだということでリアルとは違うということでしょうかね。
しかしそう割り切って考えれば、多少は役に立つ、ということだと考えています。
それで私の場合は、自分自身への啓発には役に立つと思っていて、今も皆さんから
多くのアイデアを頂いています。そして自分の思考をより高めることができる、と
いうわけです。しかしその結果の自分の思考を他者に伝えることは不可能ですね。
でもそれはそれでいいんです。人と人とはそういうものなのてすから。
結局は、いかにして他者の発した信号を正しく正確に受け止めることができるのか
ということに尽きるように思います。まず受信能力ありきで、これがお粗末だと
自分の思考すらままならなくなります。
そういうのは言葉だけでなく、画像でも写真でも事情は同じだろうと思いますね。
写真というのは自己の表現であってそれを発信することだと思っている人が多いか
も知れませんが、一番大事なのは発信ではなく、自他を問わず、写真への受信能力、
受け取り方、読み解く能力だろうと考えています。
益子焼、良いですね。私も焼き物は好きで、ついつい集めてしまう癖があります。
しかし良いものは人に取られてしまって(姉には大分持ってかれた。笑)ガラクタ
しか残っていないのですけど、そういうのも捨てずに大事に使っています。