無題

1   kusanagi   2013/1/6 22:24

人間の人生とは、もしかするとカメラと写真のようなものではないか、と私は
考えています。そろそろ老境に入ってきた私ですが、いづれはこの身とおさらば
しなければなりませんね。

上の写真のカメラは一度は重症のダメージを受けて壊れてしまったのですが、
気を持ち直し修理代を奮発して復活したカメラなんです。
カメラが壊れると悲しいですね。どんなものでも壊れて動かなくなると悲しくて
寂しいものです。
おそらく人間の肉体というものも、このカメラのようなものではないだろうかという
ことです。カメラは写真愛好家にとっては我が身の分身とも言えるもので、
ちょっと不調だっただけでも心が騒ぐものです。

ところが人間というものは現金なもので、そんなことはしばらくすればケロッと
忘れるんですね。古いカメラを下取りに出して新しいカメラを手に入れるなんて
平気ですし。(売り飛ばすことをお嫁に行く、なーんて言う)
カメラなんて只の道具とばかりに使い捨てにするのが人間なのです。
写真家・カメラマンにとってはカメラは単なる写真を撮るための道具でしかない
というのが本当ですよね。

カメラは壊れたり代を重ねたりして次々と新しくなるのですが、それはカメラが
写真を撮るための道具だと人間からキッチリと割り切られているからですね。
もし、カメラにこころというものがあるとすれば、俺は一体なんなんだろう?と
思いをはせるでしょうか。
そんなことはありませんね。カメラ君はただ黙々とシャッターを切りセンサーに
当てられた光を電気信号に変換しメディアなデータを書き込むだけなのです。
それだけをもう生真面目にやりこなしているだけなんです。

「あっ、今のちょっと絞りすぎ、アンダーになっちゃうよ。」「低速シャッターなんだ
から御主人様、ぶらさないで!」「あれっ、今のピント合わなかったね、ごめん」
カメラ君はそんなことばかり考えているだろうと思いますね。(^^;
実は、カメラ君は自分が、いわゆる写真なるものを撮っていることなどぜんぜん
知らないんですね。いや、写真というものがどんなものか、そいつを理解すること
すらできないんです。関心もないですし、理解する能力もないんです。

しかしカメラ君がいなければ写真はできません。人間はそのことをよく知っている
のでカメラ君を大事にするんですが、如何せん、カメラ君は写真の素晴らしさを
知らず、そして人間という御主人様は写真を作るためにカメラ君を大事にして
いることも分かりません。
いつかそのカメラ君は古びて捨てられ、御主人は新しいカメラ嬢に夢中になる。

このようにカメラ君の一生は頑張って働いて最後は捨てられる運命にあるわけ
ですが、でもそれだけでなく、カメラ君には窺い知れない素晴らしい写真を生み
出した人生でもあったんですね。
ちよっとカメラを擬人化してみましたが、我々人間の人生も、儚きカメラ君の肉体性と、
それを越えた永続的な写真という精神性をも兼ね備えた何者かである、という
気がしてなりません。

前世、今世、来世ということを多くの人は語りますが、それゆえに宗教というもの
が発達して、四国霊場なんかも生まれるんですね。(^^;
人間が死んだらどうなるのか。来世というものはあるのだろうか、それはどの
ようなものなのか。等々、こんなの考えたって結局答えはでないわけでね。
ただ来世というものがなければ寂しいじゃないか、その程度の理由ひとつでやって
いるだけでしょうか。

カメラ君が延々と考え込んだって、絶対にカメラには写真の価値とか芸術とか
精神性なんて分からないわけです。
ただカメラ君にもぼんやりとなから知っていて、御主人様が喜悦しているのは
オイラが吐き出した写真なるものだなってことはだいたい推測がついていると
思うんです。
カメラと写真の関係って考えれば不思議なもので、カメラがなければ写真は
生まれない。これ絶対です。しかしカメラがなくても存続するのも写真なんです。

写真はカメラを越えていて、1台のカメラが潰れれば写真もそれで終わりって
こと、絶対にないですよね。(^^;  写真はカメラを次元的に越えているから、
カメラ君が古びれば若いカメラ嬢が代役を努めるだけです。
しかしカメラという物質機械がなければ、写真というものは最初から生まれ出る
こともなかったのも真理なんです。

写真というものの価値観は、そもそもカメラというものに負っているんですが、
同時にカメラを犠牲にすることでカメラの限界を突破してもいるんです。
この日本人には不思議な考え方、これは西洋ではよく理解してもらえるんです。
父(神)と子と精霊、キリスト教の三位一体の神学です。(^^;

カメラ君の前にもカメラ爺がいただろし、カメラ君の後にもカメラ嬢がいる。
カメラは次々と変わって行くんだけど、ご主人様の撮る写真は変わらないんです。
ある意味普遍的な写真と、限定的なカメラの両方、その二つの考え方ですね。
まあっ、私の考える人間の人生とはそんなものかなって思いをはせているんです
れけどね。

おそらくわれわれ人間の死なるものって、カメラ潰れて買い換えるっていう程度
のものでしょうか。(笑) 一方で写真なるものはカメラを越えて延々と続くもの
ですからね。はかない物質性に囚われたカメラと言う肉体と、それらを軽く
越えた非物質的な写真という精神性なるもの。この二つを同時に持っているのが
われわれ人間と言うものかのかなあ。

2   Suzume   2013/1/9 11:30

 どちらにしても 我々人間は[カメラ・写真一般]の恩恵を 被むつています 宇宙科学防衛マスコミニケ—シヨン生活一般その他
 何処をとつても[写真」無くしては成り立ちません そこで[写真稲荷]を提案します 車庫も無い狭いとこに住んでいるので
 不可能ですが 土地に余裕があれば[写真稲荷」を作ります 近くに「ニコン」「キャノン」「リコー」の会社があります
 さしあたり私は「宮司」をやつてみます そして社の両脇に「御影石」で「ライカスタイル」と[コンタックススタイル」の銅像を
 置き 上手になりたい人の悩みを聞き 高級カメラを巻き上げ安カメラをあたえ 又来たら他の安カメラと取り換えて モニヤ〃〃
 インチキ祝詞をあげて返す マスコミに乗れば沢山「カモ」ワン左腕さ・・ばれたら しばらく外国に逃げる・・・きまり。

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