Capture Oneソフトウェア 作例

雑感④

④ 香川の魅力は、まずは瀬戸内の穏やかな海です。晴れの好天気が常であり冬も暖かい。何時来ても くつろげないということがありません。海岸線は長くて起伏に富んでいます。内陸部も同様で箱庭のような 優しさのある地形です。 それから新しい観光のひとつとして、ただ風光明媚であればそれでよいというのではありません。そこに 住む人々の県民性というのもこれからは大事になってくると思っています。 香川と言うのは都会の人達と相性が良いのではと思うところがあります。古い村的な田舎ではないんで すね。排他性はなくてむしろ個人主義を重んじる自主独立の精神が県民性の特質でしょうか。日本一、 社長の比率が高く女性社長も多いです。 香川は明治政府に随分と苛められました。やっと香川だけが独立して県となったのは随分と後になって からです。香川では高校の私学というのがありません。無論あるのですが有名校は全て公立校です。 それで学費も安くつきますし、その公立校のレベルは高いです。これも県民を挙げての、御上に頼らない 精神の現われだろうと思ってます。私学というのは公立校がいい加減だからできるわけで。 そんなわけでこれからの観光産業というのは、もはや昔と違った観点から考えなければならないだろう と思っています。媚を売らない観光業、よけいなお節介はしないという観光業。過剰なサービスではなく セルフサービス的な観光業ですかね。セルフサービスで思い出しましたが日本で最初にガソリンスタンド がセルフになったのは香川です。うどん店でセルフには慣れてますから。 香川はうどんで有名になったわけですが、こういうエピソードがあるそうです。客が、「おやじ、ネギが切れ ているんだけど・・・」 そういうと店主は、表の畑にネギが植わっているから、それをとって食え。 客は素直にネギを刈り取って自分で包丁で刻んで食ったと言うお話です。(笑) 香川は災害に非常に強いです。そもそも盆地(瀬戸内盆地)ですから風雨にさらされることかありません。 大河川もなく枯れ川です。日本では珍しく水不足に悩ませられる県です。それと香川の大地の基盤は古 い花崗岩であり強固だということです。地震に強い県ですね。香川平野にポコポコと出ている小山は 全て花崗岩の山です。(山頂部は安山岩) 海岸部の砂浜は花崗岩の白砂です。 香川には雨が降らないこと。これが香川の独特な県民性と深く結びついていると私は考えています。 降雨が少なく川の水もなく、加えて大地が花崗岩質だと地力が低くそれで食物の生産力が低いということ だと思います。つまり貧乏な県であるということ。自分で工夫をしなければならなくてそれが自主独立の 精神を生んでいるのではと考えています。その典型例が膨大な数の溜池です。 それらの溜池のほとんどは地元の民が自主的に作り上げたものです。どんな小さな細流でも堰き止めて 池とするのです。この池がなければ香川ではネギ1本育ちません。その溜池は常に保守が大事で手を 抜くと決壊します。 ですから香川の農地や大地は天から与えられたものではなく住民が作り上げたものかもしれません。 手放しの自然の恵みではなかったわけです。きわめて人工的な大地です。そこのところが他県とは本質 的に違っていると思ってます。香川が箱庭や盆栽のような風景だと感じられるのは、人が作り上げた人工 の土地だからでしょうね。 他県の人が香川に来てどう思うのか。大体は穏やかな瀬戸の海と、絵本のような小山が印象にあるよう ですが、少し突っ込むと、なぜ晴ればかりなの?水はどうしているんだろう?という疑問を抱いてくれるだ ろうと思います。自然の恵みが少ないということはどういうことを意味するのか。そこから様々な考えが 浮かぶのではないですか。

雑感

キヤノン板 「マンタにくっつくコバンザメ 」 https://photoxp.jp/pictures/219398 ちょっと面白そうなことを書いていたので私もついでに。(^^ゞ  まずは、「自由落下 公式」 自由落下の速度は「v=gt」、落下距離は「y=(1/2)gt2」になります。 このとき、落下速度vは 時間tに比例していて、落下距離yはt2に比例しています。 gは重力加速度で、値は9.8m/s2です。 https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1165655731 問1 高さ200mの所から自由落下する物体が地面に達する時間、および地面に達する時の速度を求め なさい。 回答: y=1/2・gt^2より 200=1/2×9.8×t^2 400=9.8t^2 t^2=40.8 t=6.38 v^2=2gyより v^2=2×9.8×200 v^2=3920 v=62.6 地面に達するまでの時間→6.4〔s〕 地面に達する時の速度→63〔m/s〕 つまり高度200メートルを飛ぶミサゴから魚が落下するとして、ミサゴの飛行スピードと落下時の空気 抵抗を無視するとして、 y (高度)=1/2×g(重力加速度9.8)×t (タイム秒)の2乗 200メートル=0.5×9.8×6.4の2乗、というわけですね。 なお秒速63メートルは時速に直すと63×60秒×60分なので時速227k/時ですか。 衝突エネルギーに関してはジュール計算になのですが、計算式は運動エネルギー(ジュール:J)=1/2× 質量(㎏)×速度(m/s)の2乗です。 https://www.cs-driver.co.jp/sp/column/?id=1595891552-946810 そんなことをしなくても、重さ1キロの魚が時速200キロのスピード(実際は空気抵抗で半減すると思う)で 降ってくることを考えれば、それは恐ろしいものがあります。魚って結構流体力学的に優れていますから。 当然に硬い頭部を下にして落下します。 痩せっぽちのコバンザメどころか、重爆撃機ツポレフTu-95のお腹に仕込まれたツァーリ・ボンバのイメー ジですか。まあこの高度まで上がれば魚は死んでいるので暴れて落ち込むことはなさそうですが、しかし 案外に広島の街は油断ができません。(^^ゞ  ところで野鳥撮影一般に言えることですが、特に空を飛ぶ鳥の半逆光撮影では、フードがものを言う のではないのかと考えています。 私も一度失敗談があるのですが、旧型の古いタムロン200-500で、近くにいる地上の鳥を撮影したの ですが全然ピントが合いませんでした。フードは無し同然の装備でしたのでそれが原因だったのかな、 と思っています。 このレンズ、本来は大型のフードが付いているのですが、しかしそれとてもフルサイズカメラ、及びズーム 全領域に対応しているのでして、APSカメラで且つ長ミリ数限定ならば大胆にフードを狭めても問題は ないはずです。 フードの内部に黒い無反射のボール紙などで不要部部を四角くマスキングをしてやれば、かなり効果が あります。その改造フードが画質を上げAF性能も上げてくれますね。もちろんフィルターは無用なのです が敢えて付けて、このプロテクトフィルターに黒い紙でマスキングするのが一番手っ取り早いです。 そしてショット時はフード先端に指を掛けていればブレは最低限に抑えられます。 日本人は精神力というか、錬度で腕を上げるという手法をとりますが、機材の方を改造してやるという のがアメリカンでスマートなやり方です。 実はこのやり方は昔、シグマ50-500でやった手法です。フードは元々50ミリ対応ですのでショートです。 このフードに別のレンズ(シグマ100-300)のフードを二重掛けし、さらにフィルターに黒い紙で四角くマス キングしましたが効果は大きかったです。望遠ズームは、自分がどのミリ数の領域を駆使するのかで フードを改変するのが合理的考え方です。 短焦点レンズには敵わない望遠ズームですが、このフード改良で随分と性能が上がるわけで、これを 知らないユーザーが多いですね。多分、考えも付いていないと思います。 逆に、望遠ズームを低ミリ数側をよく使う場合は(望遠スナップ撮影等)、ショートなフードにします。 フードは無くてもよいくらいなのですが、込み入った場所で子供などに当たるケースがあるのでフードが あれば安全です。こういう安全対策としてのフードの活用もあるんです。よくフードを逆付けしている人を 見かけますがフィルターがむき出しになるので人に当たると怪我をします。 フード、そしてバッテリーグリップもそうですが、様々な使い方ができるアイテムであって、写真撮影には 必須だと私は思っています。 今はちょっと撮影を止めているので再開をすれば、この望遠ズームの件を再検証してみたいと思ってま す。手持ちのレンズで野鳥撮影に使えそうなのは、フィルム時代のシグマ50-500、同じくタムロン200- 500、タムロン300f2.8×ケンコーテレコン2倍、オリンパス70-300、EF300F4×EF2倍テレコン、ミノルタ 500ミラーレス・・・ これくらいかな。ほぼ全部古いジャンクレンズばかりです。無論AFレンズです。 オリンパスは既にフード3本掛けで作っていますがまだ野外では試していません。 野鳥撮影で長いフードを使用する場合は、フィルターは不要ですし無いほうが画質とAFに貢献します。 ここは抑えておかないといけませんね。そしてフード内部でのマスキングを上手く作れるかどうか。ここの 工作にかかっていると思ってます。二重壁でいきたいなって考えてます。 そうそうシグマ50-500を久しぶりに取り出してみますと前玉にややカビが見られたので分解して取り去り ました。以前からの弱点でしてカビが出やすいレンズのようです。前玉は3枚入ってましたね。 少し書きましたが手持ち望遠撮影の場合、フード先端に指を入れてショットする。これは効果があります。 皆さんはレンズ胴鏡を保持して撮影をするわけですが、フード指賭けだとレンズ全体を手元に引き付ける 効果が期待できるからだろうと思います。 最近は強力なAFのレンズやカメラが出ているので、ついずさんな撮影になりがちですが本来はきちんと ホールドできるかどうかが問われます。とはいえ最近は電磁波問題があるのでカメラを頭部に引き寄せな い撮影手法になりがちなので強力AFは必須となりました。上のレンズで手ぶれ補正が利くのはミノルタ (カメラ側で)とオリンパス(カメラ側)のみです。 野鳥撮影に於いて、基本的に大事なことは電磁波被爆の観点から、撮影ショット量をできるかぎり少なく することだと考えています。連写はしないという原則ですね。数ショットで確実に射止めるのが安全なやり 方です。カメラが電子シャッターモードがあれば必ずそれを使う。そして三脚撮影です。雲台はジンバル とかビデオ雲台ですかね。もしくは銅鏡部分を三脚に乗せるやり方です。V字型のホールドが市販されて いますのでこれは便利です。(カメラ部は手持ち) しかし三脚撮影は機動性が劣りますし狙いが不便なのでやはり手持ち撮影が主になります。 それでカメラのホールディングを高める為にバッテリーグリップは必須です。S9000さんはBGを使わない 人なのですが、それでなのか写真はやや不鮮明なのが多いですね。またBGはカメラを手に持って移動す る場合にも便利です。カメラを右手でも左手でも持てるからです。ただ右利きの人は左手でカメラを持つと いう習慣がないのかもしれないなと思ってます。それでSさんはタムロン600ミリズームを首に掛けている そうですね。(手で保持はしているそうですが) ちょっと信じられないのですがよっぽど首が太くてイノシシ のような人ならばよいかも知れませんが、頚骨をやられる可能性がありそうです。 カメラが出す電磁波に関しては、イオス70Dとイオス1DXは優れています。これが7Dとか1DⅢとかだと、 かなり電磁波が出ます。電磁波漏洩の高いカメラだと写真を長く続けることは出来ませんね。しかし少な いカメラでも長期間続けば積算値は溜まりますので注意が必要です。放射能の被爆と基本的には同じ なので軽く見てはいけません。 それでカメラを頭部に付けてする野鳥撮影ではミラーレスの電子シャッターカメラがベターです。EVFで 撮影することになるのですが光学一眼レフで被爆するよりはマシですから。私の場合ではオリンパスの 70-300が、E-M1かパナソニックGX7マークⅡに着ければ電子シャッターモードができ、且つボディ側手振 れ補正が可能なので一番使い勝手がよいですね。 ただ野鳥撮影の場合、写真を撮るだけでなく光学ファインターを見て、双眼鏡のように鳥を見て楽しむ というのがあり、それだとミラーレスカメラは撮影に特化したカメラですので満足感は少なくなります。 優れた光学ファインターのカメラで見る鳥は素晴らしいものがあります。もちろん双眼鏡には敵いません が。(^^ゞ  こんなことをつらつらと述べてきたのですが、私は野鳥撮影はしません。(笑) やはり電磁波被爆がダメ だからですね。現在は鳥撮影ブームなのですがブームだからと言って流行に乗ろうかとは考えません。 それで野鳥撮影では、カメラを三脚に乗せて、撮影というよりもファインダーを見て楽しむというのが一番 良いのかなって考えます。稀にショットするだけでよく、せいぜい数十ショットに留められるメディアを入れ ておく、という自制心ですかね。一番良いのは双眼鏡とかフィールドスコープでの観察です。 本来、本当に野鳥が好きな人は写真なんかを撮るのではなく観察がメインなのではないですか。 はっきり言えば本当の野鳥愛好者ならば写真は不要であり、写真を撮るのはただ単に自分を自慢したい だけではないですか?という気がしてます。 キヤノン板 「ミサゴン・スパイラル・タイフーン 」 https://photoxp.jp/pictures/219397 「水上の狩人 ミサゴ大全」という本がありまして、現在でもアマゾンで手にいるようです。 撮影者&著者は此方の方でして、私が御目にかかった当時はイオス1DマークⅡをお使いでした。 レンズはEF500でしたか。雲台はコブラのジンバルでした。これをマークⅢ&600ミリに更新するという ことで、使っていたマークⅡを私が引き取ったこともありました。ミサゴのみならず大型の猛禽類を対象 にしていましたね。香川では溜池が多く、それを狙うミサゴは身近な鳥です。偶に池の側の山中でフナ なんかが落ちていて、何だこれ?っていうことも。(^^ゞ  何といいますか、野鳥撮影はクセになると言いますか、彼も、ちょっと撮り過ぎたわいな。と後に反省の ようなことを述懐していたように思います。 野鳥、とりわけカワセミとかミサゴやハヤブサのようなハンティングする鳥は、野鳥カメラマンが特に 夢中になる鳥のようです。 この写真で面白いなって感じたのは環境を取り入れた写真となっていますので、撮影場所が特定でき ることです。広島城の南西角の石垣と三滝山らしきものが写っているので、グーグルマップから、ああ、 此処で撮影したのだと良く分かる写真となっています。そういうのも、写真の読み解く楽しみのひとつと なります。ところで広島城はマップで見ると今治城のような実用的な城のようですね。単純な区割りで、 使いやすいと言いますか、半ばは海城のような造りですね。 広島城のすぐ南に原爆ドームがあり、その上空で原爆は炸裂したと思うのですが、マップで見れば 非常に効果的な地点であることがよく分かります。三滝寺は山陰になっていて被害を免れたというのも 見て取れます。 航空写真や衛星写真は鳥瞰的俯瞰写真となりますので、このグーグルマップの登場以来、我々も 鳥瞰的な見方で自分の写真を撮るようになったと感じています。いわばカメラマンも鳥化していると言い ますか、これは面白い現象だと思いますね。とりわけドローン撮影をされる方は現実に実感しているで しょう。 しかし実際の野鳥撮影の醍醐味はそういう鳥瞰などは無関係であって、ハンティング撮影に尽きると 思ってます。特に600ミリクラスの大型レンズを装着しての撮影は大型装備故の愉快さがあり、さらに 手持ち撮影は腕力がモノをいいますから自己満足度は極限に達します。 現在ブームの野鳥撮影とは、要するにハンターが鳥を仕留めるのと大して変らない感覚でやっているの ではないですかね。そこに愛鳥精神というのはないと思います。自分はこういう珍しい鳥を見たよ、とか こんな風な滅多に見れないシーンを撮ったよ、とか、そういう腕自慢をしているようなところがあります。 これが今の鳥撮影ブームの実態であろうかと思います。 まあ、当人はそれで楽しければそれでも良いのかも知れませんが、野鳥にさほど関心のない私としては そんなことに時間を潰して面白いのかなって感じるところがあります。 占星術的に見て現在は風象の時代です。風ということで空を自由に飛ぶ鳥は魅力的ですよね。風の 時代ということで風力発電が主体に出てきました。ヨットなんかも、もしかすればブームなのかも知れませ ん。飛行機は残念ながらコロナ禍でボシャリましたがこれも本来ブームのはずです。 別に愛鳥でなくともかまわないんですが、鳥から学ぶことは多数あるように思います。そういう何らかの 学びが鳥撮影者の間から聞こえてくることはないですね。本物のバーターは多分鳥の撮影には熱心では ないのだろうと思いました。 これを書きながら手持ちの双眼鏡類を取り出して清掃しました。他にもフィールドスコープがあって1本は カメラを付けて撮影できるタイプです。いずれも安物ばかりですが鳥用に購入したものではなく、汎用品で す。いろいろと光学機器を試すのは楽しいというくらいのもの。 本当に鳥が好きならば双眼鏡で十分なのではないかと思いますがやはり後で調べることを思えば撮影は できたほうがよろしいです。鳥の観察もできながら撮影も可能ということで、やはり光学一眼レフは役に立 つ道具です。ファインダーの倍率を上げるということではマグニファイヤーとかアングルファインダーという ものもあります。アングルファインターは上から覗くタイプになるのですが、多少カメラから顔が離れますの で電磁波的には有利です。そしてファインダー倍率も2倍とかに上げられます。三脚据えになりますし上か ら覗きますので慣れないとやり難いのですが要は慣れかもしれません。 三脚の雲台はジンバルやビデオ雲台が使いやすいです。自由に動きますし望むところで止められます。 私は普通の撮影でもこれらの雲台を使用しています。下手な3ウェイ雲台よりも使いやすいのですがやや 重いというのが欠点ですか。 鳥板 「虹&鳥」 https://photoxp.jp/pictures/219213 撮影者も書いているように、風景の中の鳥、というわけですが、こういう写真こそが普通の人の好む写真 ではないでしょうか。小さな鳥を大きく撮ってみたいという気持ちは分からないではないですが、そのよう なクローズアップの写真ばかりでは飽きがきますね。そしてアップすればするほど鳥が居る環境というも のが疎かになります。よく母親が生まれた子供の顔ドアップの写真ばかり撮るというセンスでして案外に 鳥撮影の方は写真的には素人なのかも知れないと考えることがあります。 写真は被写体を取り巻く周囲の環境があってこそ写真足り得るものなのですが、そこらへんが理解できて いないのかもしれません。もちろんアップの写真があってもよいのですがそればかりではツマラナイという わけです。 実は写真的に構図を切り詰めたり、アップ撮影をするのは、絵画的には抽象画の類になります。その反 対は具象画ないし写実画ですね。絵画の画家でも分かるとおり、若い時期には写実画をするのですが、 これはエネルギーを要します。それで年を重ねれば画家は楽な抽象画に走るのですね。これは仕方がな いところがあります。 そんなわけで写真も構図切り詰め型に嵌めた写真を撮る人は高齢者に多く見られますね。広範囲の周囲 に配慮した写真を撮るのはエネルギーが要りますので、どうしても型にはまった切り取り写真となるので しょう。 そして切り取り構図の写真ばかりとなりますと、写真としての情報量が極めて少なくなり、鑑賞者としては 面白くない写真となるのです。いつも決まったワンパターンの狭めた構図やアップ写真というのは撮影者 自身のエネルギーが少なくなっていて、それは高齢化現象のひとつだというわけです。 この掲示板が次第に細ってきているのは、そういう写真としてのエネルギーや情報量が少なくなってきて しまったから。というのが正しい見方かと思います。 写真というのは本来は鑑賞者をして写真に突き動かされるものであるはずなのです。 卑近な例で言えば私が東北まで彼の地を見に行ったのは、zzr(9r)さんの東北撮影写真であったわけで す。もし彼の写真を見ることがなければ私は東北には行かなかったでしょう。いや東北というものを知る こともなかったはずです。それほどに東北の写真にはエネルギーと多くの情報量がありました。 そういう写真がもう、この掲示板にはなくなりました。今の掲示板の写真を見て何かを得るというものは稀 です。とはいえEkioさんの写真にはまだそれがあります。彼の撮影する関東地方の写真には関心を寄せ ていますね。 MN板 「台風一過」 https://photoxp.jp/pictures/218087 この写真は列車の車窓から撮影したものですが埼玉の武甲山ですか。驚きの画質にまず驚き(のちにこ のレンズを手にしました)、この山に関心も出てきて調べました。そういう関心の連想の発現が写真の持つ 本来の役目なんですね。 キヤノン板 「木曽川のコハクチョウ」 https://photoxp.jp/pictures/219396 この写真も美しく且つ有意な写真となっています。木曽川とありますので調べようと思えばグーグルマップ で撮影地を特定できると思います。私、木曽川はまだ行ったことがありません。この豊かな河を見て、行き たくなる写真ですね。とにかくアマチュアはまず地元の写真を撮るべきです。地元であればよく知っている ので具体的な写真を撮ることができます。ところが他所の観光地などになると詳しくはしりませんから抽象 的になるんですね。 随分と写評を混ぜて書きましたが、掲示板の写真の投後者も閲覧者も随分と減ってきているだろうと考え ています。こういコロナ禍では仕方がないわけですがいずれは新しい息吹が吹き込まれる掲示板になる かも知れません。 以下にちょっと専門的になるのですが面白い動画を見つけました。新しい風が吹きつつあるというわけで す。 #半導体 #TSMC #トヨタ生産方式 【半導体革命】日本復活の道筋はこれしかないっ!! ミニマルファブ https://www.youtube.com/watch?v=8_Ttb9HuLQs #半導体不足 #日産減産 #サプライチェーン 半導体が不足する「本当の理由」はこれが原因! https://www.youtube.com/watch?v=NeV2_1sN1Rs 過熱している全固体電池の実力値を「冷静に」読み解き、ソリューションが与える今後の影響を分かりやすく解説いたします。 https://www.youtube.com/watch?v=W3Fo0pXwVtI 【何故日本の半導体メーカーは今の状態に?】半導体市場の動向から探る「日本の勝ち筋」とは?日本の半導体はパワエレが鍵に!?【株式会社東芝 チーフエバンジェリスト 大幸秀成×TXFA 天野眞也】 https://www.youtube.com/watch?v=8YX8oc5fFtY 小さな小さな半導体製造システム ミニマルファブ【産総研公式】 https://www.youtube.com/watch?v=6kWS9Wy6WdA テスラをはるかに凌駕する自動車メーカーが誕生している!皆さん気が付いてますか?業界構造を劇的に変える可能性がある「この出来事」を過去の事例から紐解き、わかりやすく解説。 https://www.youtube.com/watch?v=e8UqlfJTitE 最強の半導体メーカー「TSMC」に秘められた本当の強みを理解してる?分かりやすく解説。 https://www.youtube.com/watch?v=ycdwTcLD1k0 こういうのはテレビとか一般入門的な動画では見られないものなのですが、昔でいうところの業界新聞み たいなものですか。個人営業のユーチューバーでも専門的に優れた報告をしてくれるところはあるんで す。 普通の市民とか消費者にはなかなか思いがよらないみたいなんですが、今の世の中はデータとネット ワークで動いています。つまりコンピューターですね。もしこのシステムが壊れれば世界は地獄になり ます。電気も水もこない、車も動かない電話もスマホも使えない状態を想像してみてください。工場も 事務所も商店も病院も営業ができません。 世の中は人と人との繋がり動いているというのはもはや昔話です。そういうこの世界の根本を支えている のがコンピューターシステムを動かす半導体なんです。 TSMCという企業名をご存知の方もおられると思いますが、正確には台湾積体電路製造、英語では、 Taiwan Semiconductor Manufacturing Company, Ltd.と言います。セミコンダクターとは半導体のことで すが、漢字では積体電路、つまり日本語でいう集積回路のことです。これが今の世界を根本的に支えて いるんですね。かつては日本の半導体産業は世界一だったのですが米国によって潰されてしまいまし た。とはいえ、政治的に潰されたわけで日本の技術や日本人技術者が行き詰っていたわけではありませ ん。現在最先端の半導体製造技術は台湾とか韓国が握っていますが、良く頑張られていますね。 じゃあ日本は老人大国になってしまって凋落する一方ではないのか?と問えば、このようにけっしてそう ではないことが分かります。 日々企業で働くエンジニアの方々、経営者の方々も工場の作業員も何とかして日本が再び豊かになる ことを目指して頑張っています。 小規模な半導体製造装置はこれまでの大量生産のやり方から比べれば、時代に即した新しい風である わけですね。そういえばニコンが新しい方式の半導体露光装置を作るそうです。オランダのASMLに取ら れていたシェアを挽回する予定です。 この世の中は本当の意味で行き詰るということがありません。行き詰っていると考えるその思考がダメな だけです。

無題

写真は長く継続することがよいことなのだという話をしましたが、最近はちょっと考え方が変ってきて、 それは連続的にではなく、むしろ断続的にするほうが良いのではないかと思えて来ています。 連続的に・・・は慣性力を使ってしまうので、つまり惰性でやってしまう可能性があるということです。 それで断続的・・・だとそのつど起動しなければならず、瞬発力のエネルギーが必要でその為に強い 意思を必要とするからです。その意思こそが重要で、自分にとって何のための写真なのか、ということ を考える切っ掛けを得ることができるからです。 断続的に、そして写真行為を長くやることが有効な結果を得られるのではないかと。これはデジタル 時代の写真術として、得てして惰性に流されやすく、しかも大量に撮影しすぎる弊害から逃れる手法 なのではないかなって思ったわけです。 この私にしても、デジタル写真をやり始めてから幾度も写真の休止をということをやってきていることを 思い出しています。最長の休止期間は半年だったかな。3ヶ月、1か月の停止期間はざらでしたね。 考えてみますとフィルム写真時代はその程度の休止はざらであって、そもそも撮影は1ヶ月に一度だけ というくらいのペースだったかと思っています。ともあれデジタル写真は撮り過ぎるという弊害が大きい よなあっていう気がしてます。 最近、この掲示板の表示が変わってきました。一覧で、カメラを選択して、どのカメラでもいいんですが 選んでクリックしますと、以前ならば最新の投稿写真から順に表示されていたのが、今は当初の古い 投稿順に並べられるようになってます。これは管理人さんが変更されたわけなんですが、過去の古い 写真こそに大きな意味があるというか、過去投稿の歴史こそが重要であって、むしろ最近の投稿には 意味が薄くなってきているという考えを表しているのかもしれません。 この掲示板が他の写真投稿サイトと決定的に違うのは、過去20年のデジタル写真の歴史を網羅して いてそれが容易に見ることができるということです。この歴史の背負いとしての重要性に管理人さんは 眼を向けているのかも知れませんね。 なお個別の板の写真一覧には従来どおりの最近投稿順に並んでいます。 写真趣味は末長く継続することは今もって大切だと考えていますが、もう少し緩やかに継続していくの がこのデジタル時代では重要性を持っているような気がしてきました。過去のフィルム時代では撮り過 ぎる撮影は財布を直撃しましたが、デジタルでは極度にランニングコストが低くなり、ともすれば撮り過ぎ るという弊害が多々出てきたように思います。 その弊害は既に述べたようにカメラの漏洩電磁波、PC作業のVDT症候群に代表されるものなのですが、 これらをしてカメラマンの寿命が短くなっているという現象が出てきていますね。つまり疲弊的な消耗戦に なってしまっているということです。 それを避けるにはやはり断続的な写真の休止が必要であるという考え方に到るようになっています。 そんなわけで私もしばらくは撮影を休止していこうかと思ってます。まあ今はちょっと撮影の時間が取れ ない状態なのでちょうといいかなって。そしてしばらく休んで再度復活すればまた新鮮さも違ってくるの ではないかと考えています。 そうはいっても掲示板の閲覧と投稿は休まずにやっていくつもりです。これを止めちゃうと本当に写真へ の意欲が減退してしまって、自分の撮影を再起動するには大変なエネルギーを要します。 ここら辺のテクニックは必要で、皆さんも覚えておくほうがよろしいかと思います。 それにしてもこの掲示板の過去の膨大な写真群。これは見る価値があるということで、これこそが管理人 さんが大事にされているものでして、確かにデジタル写真黎明期からの20年間の歴史が詰まっていま す。 しかしながら、やはり自分は今の現在に生きているのであって、過去の写真がいくら素晴らしかったところ で、やっぱり今の自分とは無関係ですね。写真とはやはり今であって永遠に今であり続けるものでしょう。

無題

youzakiさん、コメントありがとうございます。 イオス70Dを買い求められたんですね。このカメラはS9000さんもお使いで、優れたカメラです。 私が高評価する機材は何よりも健康を阻害しないカメラなんです。カメラのミラー・シッャターユニット を動作する際にチャージ用DCモーターが電磁波を出すのですが、その対策が優れているカメラが オリンパス・パナソニック一眼シリーズや、このイオス70Dなのです。イオス1DXもそうなんですね。 普通キヤノンは高性能が故に漏洩電磁波は多いほうなんですが、モデルによっては電磁の少ない 優れたカメラが稀に出るんです。ちなみにイオス7Dはそれなりに出でいますね。 そんなわけで70Dは優れたカメラだと私は認識しています。 ミラーレスカメラはメカニカルシャッターではなく、電子シャッター方式を選びますと電磁波はでません。 しかしながら光学式ファインダーが無く、EVF電子ビューファインダーを使わざるを得ず(特に野鳥撮影 では)、それで眼の疲れが著しいということになります。私などは頭痛もしてきますんでEVFは使いま せん。 もちろんカメラ背面の液晶スクリーンで撮影すれば問題はなくなるんですが、老眼で視度調整が必須 な場合、どうしてもEVFに頼らざるを得ず苦しい結末となってしまいます。それに背面液晶撮影では 望遠レンズの場合、カメラ保持が難しいですね。 そんなわけで、健康を阻害しないような優れたカメラに出会うことはなかなかないんですね。(^^ゞ  なお、オリンパスM-1は私も使っていますが、私の場合は広角レンズでの風景撮影なので背面モニター で撮影しています。もともと近眼ですので眼鏡をずらして裸眼で見れば、手元のカメラ画面が良く見える というのは実に有難いです。 もう私の写真撮影は歩くための健康維持という考え方でして、写真そのものを良くしようという気持ち はなくなっています。(笑) よく歩けてカメラを持って散歩ができればそれで十分という気持ちです。 自分の好きな被写体を探して見学でき、さらに撮影ができればそれこそが至高の喜びとなります。 言わば高齢者の写真術とでもいいますか、むしろ写真の原点に立ち返るような気がしていますね。 鳥は恐竜の末裔とよく言われます。恐竜そのものは6千万年前に滅びてしまいましたが鳥と姿を変えて 今に行き続けています。生息数も種類も多くて成功した生物群ですね。我々人類は哺乳類のひとつ ですが、哺乳類も恐竜・鳥類も、その歴史の長さはよく似ています。 高度に発達しすぎた人類はいつかは滅びると思いますが、その後も鳥類や哺乳類は生き延びて行く でしょう。それにしてもあの巨大な体躯で地球を席巻した恐竜が小さな鳥になるとは驚きですね。そう しなければ生き延びられなかったからそうなったわけですが、やがては人類の末裔もそのようになっ ていくのかも知れません。これは興味深いです。 石は千年万年億年を生き続けるものです。「さざれ石の巌となりて」といわれるがごとく、今眼に見える 石は、石の一生からすれば一瞬でしかありません。 金比羅山の森にはヤマガラ、ハシブトガラ、シジュウカラ、アオバツグミ、オオルリ、ムササビなどがいる とか。 「日本野鳥の会香川県支部 琴平山探鳥会」 https://www.shikoku-np.co.jp/feature/kotohira/story/58.html

雑感

『雑感②』と『雑感③』の写真が手違いで同じものになってしまいました。(^^ゞ  1月1日から投稿しいる狛犬写真は全て、四国讃岐の金比羅山にある狛犬でした。大きな神社ですが そんなに狛犬が多いというわけでもなくてむしろ少ない方でしたが、いずれも大きくて立派なものでした。 随分以前から初詣として12月31日に金比羅の山に登るのが密やかな習慣になっています。 少し小雪の降る寒い日でしたが多くの参拝者が参られていました。中国の方も数人ほどいて、その 一人の女性にスマホで撮影してねって頼まれました。まあよくあることですが、彼女らの自己ポーズの 手馴れたこと。(笑) まるで映画の太極拳を見るようで滑らかなポーズを次々と繰り出してくれました。 話は変りますが、防衛省がレールガンを本格的に開発するようです。米国が開発を断念したという経緯 がある新兵器ですが、無数にある中共のミサイル群を撃墜するにはこれしかないとの判断でしょう。 是非に画期的なものにして世界の兵器体系を覆すくらいのものに仕上げてもらいたいものです。

『雑感①』

『雑感①』 なんだか最近の投稿は狛犬ばかりになってます。(^^ゞ 狛犬は神社撮影でついでに撮っているだけなの ですが、youzakiさんが狛犬とおっしゃるので私も調子に乗ってしまいました。 鳥撮影の人は鳥を撮る。これは当たり前かもしれませんが、ある特定の事物やモノを写真として撮ると いうのも、これはこれで悪くないような気がしています。里山とか溜池の撮影の場合だと、広いですから モノとしての被写体というのではないんですね。なんとなく雰囲気で溜池も神社も撮っていたわけです。 そこに、特定の狛犬という被写体を与えられると、最近は狛犬ばかり目に付いてきています。(^^ゞ  良く考えてみると、漠然と写真の被写体やテーマを広く網羅して写真として纏めるっていうのは、それは 写真をしているのであって、本当に自分の好きな被写体を見ることからは外れるんではないかということ です。写真としてソツなくまとめる。食事に於いて満遍なくおかずを食うというのと同じで、作法としての 写真になるんではと思います。 写真は自分が気に入ったのがあれば、とことんそれを追求すれば良いのであってバランスとか配慮なん てのは無用かなって思います。それで今、狛犬とかが気になっ入ればそればかりの偏食でよいという 気がしてきました。 私は残念ながら野鳥は撮りません。あまり興味もないしそういうレンズも持っていませんしね。それに デジイチだと電磁波が気になるし、EVファインダーは使いたくないしで野鳥はパスってことなんですが、 人様が野鳥を撮っているのを見るのは好きです。この掲示板も鳥撮影が多くなってきて、これは良い傾向 かなって思ってます。 鳥は撮らないけど代わりに狛犬である。ということかも知れずで、ある特定のモノを撮影するっていうのは 新鮮な気がしています。本気で狛犬を撮影しようと思えば、長脚の三脚と脚立が必要だとつくづく思って います。そういう三脚も所持しているのでやろうと思えば出来ますが、もうひとつあれば良いのがシフト レンズです。これは所持していなくて買えば高価です。 しかしともかくそんなに本気で狛犬を撮っているわけではなくて、なんとなく可愛いので狛犬を撮影して いるに過ぎません。それで今回は特定のモノを特別に撮影をするというやり方をやっているんですね。 考えてみれば多くのカメラマンがそういうような撮影をされています。学ぶべきことはあると思いますね。                       *****************

『雑感②』

『雑感②』 ある特定の被写体を追いかけるというのが普通にみられる撮影術だとすれば、じゃあ、私が普段に やっているような里山とか溜池の撮影というのは何だろうかって思います。 おそらくそれは地理的な感覚とか歴史的な感性で、被写体たるべきものを演繹しているような気が しています。ですから特定の被写体というものは実はないんですね。もちろん押さえるべきモノは押え て撮影はしてます。溜池だと吐水口や取水設備(ユル)ですね。しかしそれ以外はなんとなくで撮影 しているんです。 そういうなんとなくの感覚でカメラを向けていますのでレンズとしては広角レンズひとつあれば十分 です。つまり写真一枚で見せるっていうのではなくて、連続した撮影の連なりで私は写真をしている ということでしょう。溜池の里山も河川も写真一枚で表すには大きすぎるじゃないですか。そんなの とうてい無理ですから。 溜池や里山の撮影では地理的地形的な思考は絶対に必要でして、常にそれを考えながら撮影をして います。撮影前や撮影後にPCでグーグルマップを必ず見ていますし。実は神社もそういう地理地形 と深く関わりがありますので地図片手に撮影をしてます。神社や寺院だと歴史とも深く関わりが出て きますね。農地や井戸なんかも農業生産の歴史でもあります。古い街道の町並みもそうです。 地理地形歴史というのは絶対に外せない事柄なんです。面白いのはマップは2次元ですが現地では 3次元となります。この違いはとてつもなく大きいです。 とにかくそういうようにして配慮をしながら撮影をしている人っているのかな?っていう気はしますが、 ともあれ私はそうやっているんです。 青年空海が修行で歩いた海岸沿いの道での撮影でも、地形や天候を感じながら自分が空海になった つもりで歩きました。(ほとんど車でしたが笑) 太平洋側の津波避難タワーの撮影でも、もし津波が くればどうなるのか、ということで撮影をしましたね。 ということは私の場合は、常に広域の眼で持って物事を見ているんじゃないかっていうことです。 それで特定の事物やモノを見るために撮影はしていなかったというわけでしょうね。 そうは言っても、むかし祭りの撮影をしていた頃はそうじゃなかったです。踊り連の人達を撮影していま したからね。明らかに事物やモノや人を撮影していたのです。それがいつの間にやら変化してしまった ようなんです。 おそらくその切っ掛けは、カメラの電磁波を防ぐ為に風景写真にシフトしたときからだろうと思います。 そのときから広角レンズでもって、簡易ノーファインダーやライブビュー撮影などに向かいましたから。 風景しか撮れないとなると、そりゃあ考えますからね。いかにして風景というか光景に意味を持たせる かとなるわけですから。 おそらくそこら辺りから、私の撮影や写真と、多くの皆さんとの写真の感覚や考え方がズレて来たかと 思ってます。そして風景を撮るからと言ってもイワユル風景美学の写真はしませんからね。観光写真 や芸術写真でもない、ほんとに風景というか光景写真ですから。 一般的な風景写真というのは風景をモノ化するんですね。芸術という視点から撮影時から脳内加工を して光景をモノ化するというわけです。ですから構図でガチガチに固めます。しかし私の風景写真はモノ 化することを拒絶してます。それでなんでもない光景をストレートに画像にしたものて、写真芸術に慣れた 人から見れば、これはなんじゃいな?となるんでしょうね。(笑) 撮影をした本人には分かっても、その 写真一枚を見るだけの人には意味が分かんないってなるわけでしょ、多分。 カメラの出す電磁波だけでなく、同時にPCモニターでの画像処理の時間切り詰めましたから、私の写真 は、ほんとに撮影時の画像のまんま。動画撮影の1コマを切り取っただけのような写真になっちゃったん ですね。電磁波障害とVDT症候群を避けるというのは私にとっては絶対命令なものでしたから、それで 写真がどうなろうと結果は問わなかったわけです。 そして結末として、私の写真と文を非難した人達は投稿をしなくなり、多分写真もやめているでしょう。 生き残ったのは私のほうです。 もう何度も書いているのですが、いちばん厳しかったのは電磁波(これは主に身体に出る)ではなく、 VDT症候群です。こちらのほうは心理的精神的に強く出るようで大変な失敗をする寸前にまでいきまし た。それで気がついて、以降VDTが強く出るシグマのカメラは中止しました。シグマはビューにすら時間 が掛かりすぎ、VDT症候群が強く出るカメラなんです。 こういう経緯で電磁波問題とVDT症候群を避けるために、自分の写真を徐々に変えて行ったというのが 私の写真史であってそれをこの掲示板に反映させています。 まあ余談はさておいて、私の写真は皆さん方とは、随分とその本質において違ってきているということを 言いたかったわけです。この掲示板でも高画素高画質のカメラを使っている方はほぼ居なくなりましたし、 電磁波漏洩が強いカメラを使っている方も投稿が少なくなっています。問題のある機材は自然と淘汰さ れていくわけです。その機材とセットになって投後者も去っていきましたね。 今掲示板では野鳥撮影が人気ですが、野鳥というのは大きく撮れません。大きくトリミングしますね。 このトリミングは既に脳内でも行われていて、また鳥にピントを合わせれば背景は大きくボケます。 それで高画素のカメラを使っても低画素カメラで撮るのもおなじように弊害は出にくいのです。そして 野鳥を撮影しているカメラは低電磁波のカメラをお使いの人が多いです。 こんな具合で現在の写真術は様々な弊害との戦いであるわけで、それを意識的に知っておくというのが 大切かなと思っています。偶々幸運に弊害の少ないカメラをお使いの方は有利ですが、それは偶然で あるということを知っておくべきです。今のカメラを買い換えるとすれば今後はミラーレスカメラになるわけ ですが、このカメラは電子シャッター方式ですから電磁波ということでは極めて有利ですがVDTという点 ではマイナスが大きいです。 ちなみに書いておくと、ミラーレスカメラは機械式シャッターも付属しているわけですが、そのシッャター では電磁波防御がほぼなされていませんので必ず電子シャッターで使うのをお奨めします。最近のカメラ ではシグマとかニコンZ9などは機械式シャッターすら廃止しています。 ミラーレスカメラで最大の問題となるのはファインダーが液晶ですのでそれを極近接で見るというVDT症 候群が撮影時にすら発生することです。 それで背面液晶での撮影がよいのですが、これで野鳥を撮影するのは難しいかもしれませんね。しかし 工夫をすればできないことはないでしょう。液晶フードの装備、さらにルーペをつけるとかで何とかなりそ うですし、加えて問題は手振れしやすいということ。これはボディを大きくすることで保持を高めるという ことが求められるでしょう。持ちやすいカメラにしなければなりません。                    ******************

『雑感③』

『雑感③』 鳥撮影の身体への有益度としてはやっぱり重量級のレンズを使うことですかね。鳥を撮らない私として は想像しているだけですが、レンズだけで2キロ3キロという目方を振り回す醍醐味があるだろうと思って います。これは確実に上腕筋の鍛錬になりますから。加えて山野を歩き回らないといけないので下半身 も鍛えられる。一挙両得でスマホでは絶対にできない芸当です。 鳥撮影は超望遠でなければならなく、これはデジイチの真骨頂でして(最近はミラーレスカメラでもできる ようですが)、スマホに侵食される写真術としては、鳥撮影は最後の砦か、言うなれば聖域となりました。 それ故にか、この掲示板でも野鳥撮影が大きな割合を占めるようになりましたね。 そういうことになりますと、鳥以外の写真はスマホ写真かインスタ写真(インスタント写真ではなくインスタ グラム)であって、あまり魅力のない分野になりつつありますね。そうそう、星景写真とか長秒写真とかも スマホでは無理です。 まあそれにしてもこんな風にアマチュア写真が変ってしまうとは思いもしませんで、時代の流れを思い 知ることになりました。結局最後は長いレンズか三脚(長い)ということになってしまいましたか。 長もの写真以外は次第に駆逐されていくのではないでしょうかね。 こういう野鳥撮影の実際において、面白い現象なのは、やはり写真は機材というものに大きく釣られて いるということです。機材には関心がないと言うカメラマンでも野鳥を撮っているというだけで本当は機材 に関心があったのだとなるわけです。ほんとに機材に無関心であればスマホで撮影するんじゃないです か。野鳥など撮影しないでしょう。 むしろ私のようにスマホで十分なような写真しか撮らない人間のほうが逆説的ですが機材的な思考をして いないのかもしれません。私はスマホは持っていませんし、持とうとも今は感じていません。それで スマホの脅威というものを身近に感じることができずですが、でも私と違い殆どの投後者はスマホを使っ ていて、それでスマホが如何にアマチュア写真を脅かしているかを知っているでしょう。 そういうことを感じているからこそ、スマホの手が届かない鳥撮影という領域に向かうのではないでしょう か。もちろん昔から鳥を撮っている人は別です。 写真は被写体が命であると言いながら本当は機材的発想をしていて、つまりアンチスマホをやっている たけだというわけです。流行と言いながら真実は底の浅い発想です。 本当に自分の好きな被写体ならば時代が流行がどうであろうと関係のないことなのですが、中々そうは いかないのが世の中ですね。 ともあれ、写真というものを離れて、自分に関心のある被写体というものに接近するのは難しいのだろう と思ってます。私のテーマとして被写体探しをずっとしているのてすが本当の被写体を探し出せずにその 周辺をぐるぐる回っているだけという気がしていますね。被写体探しは自分発見の旅というところがあって そう簡単に見つけ出せるものではないのかも知れません。                    ******************

『雑感④』

『雑感④』 おそらく私自身が目指しているのは写真作家的な見方の写真だろうと思ってます。 20年前にデジタル写真に出会って、デジダルで写真をやったところで結局はサンプル写真程度のこと しかできないだろうという思いがありました。それでもパソコンで写真をやるのは面白いかなっていう程度 のことで始めました。それがサンプル写真ですまなかったのは、カメラや写真の弊害への脅威でした。 これがあったからこそサンプル写真を脱却できたのだと感じています。 長いときは半年くらいは写真を撮らなかった時期がありました。数ヶ月程度の休止は何度も。そうやって いろいろと考えながらやってきたわけですね。 写真作家というのは当人は言わないけれども遠大なテーマというものがあって、それに沿って写真活動 をする人のことです。カメラマンでもないし写真趣味人でもないでしょう。写真的な発想から離れて、しかし 写真を通じて表現をする人のことです。 そういう作家になれたらいいなっていう憧れはあっても残念ながら私にはその表現者としての才能があり ません。こういうのは生まれ持った才能であるわけでしてね。(^^ゞ  それで私としては健康で写真ができればそれで十分というところがあります。平凡の領域をでるつもりは ありません。健康でいて体力温存で写真が続けられればそれで十分なことだと思ってます。 いつまで写真をやり続けられるかは神のみぞ知るところですが、これからもマイペースで写真がやれたら いいなって願ってます。 この掲示板では多くの参加者のお陰で、学ぶことは非常に多いと思っています。写真への学びの場とい うことでこれほどの良い掲示板はないと思ってますね。

無題

カメラには、非常に優れたカメラを使う喜びと、もうひとつ、さほどのカメラではないんだけど自分で工夫を してそれなりに使えるようになったカメラを使う楽しみと、二つあるのかもしれません。 文句なく優れたカメラというものはあるもので、そういうカメラは高級機材となります。 私は高級機材ばかりを使うことには昔から違和感を感じています。何十万円とするカメラと同じく高級な レンズを使えば、そりゃあ誰でも満足がいくでしょう。しかしそういう満足感というのは一時のものでして、 与えられた満足感とでも言いますかね。 それよりも性能の落ちるカメラや廉価機を自分で工夫をして、上手く使えるようになった満足感や達成感 のほうがより貴重な体験のように思います。 こういうのは使うカメラが一台では、多分感じることも体験することもできないよう思います。もちろん機材 には何の関心もないから今あるカメラひとつで十分だ、というのも分からないことはないです。しかしその カメラは偶々偶然の好運で手に入れただけのことなので、もし運が悪ければ写真が出来ていなかった 可能性もあるわけです。 写真にもカメラにも失敗の経験が必要です。写真だけでなく全ての事柄において失敗体験は無くてはなら ないものだと考えています。 機材にあまり関心がない人は、被写体というものに大きな関心を寄せるでしょう。写真をやらなければ 関心もなかったような事柄に、カメラを持って撮影に行くがゆえに関心が芽生えてきたというようなことが 多々あります。 この自分が世間や世界への物事や現象に関心を持つと言うことは当たり前と言えばそうなのですが、 そこにやはり道具と言うか武器というようなものがあれば真実に到る確度のようなものが高くなります。 写真を撮るということは実際にモノや獲物を持って帰ることではなくて情報をゲットすることですかね。 もしカメラがなければ、何処そこへ行って何々を見ても殆ど記憶には残らないだろうと思います。記録と 記憶ということでは、写真や映像はやはり強力です。 写真行為の原点はこの記憶の補強と記録にあるといえます。 もっと掘り下げていくと、自分がどこそこにいってあらゆるものを見て、そしてその見方のノウハウという ものを写真をすることで磨き上げていくことかもしれません。たとえば半日なりを費やして撮影をすると します。そうした場合に良い写真が撮れる時があることに気がつきます。良い被写体が巡って来るのは 行幸なのですけど、写真をすることでそういう時や一瞬を逃さないような訓練ができるような気がするん ですね。 そういうわけですから写真から遠ざかっても、そんな訓練というか反射神経というものがあれば写真を せずとも、ものごとをきちんと見ていくことができるような気がしているんです。まあ難しいかも知れませ んが。 これは物事の本質を捉える術のようなものかも知れませんし、もっと言えば本能が高められてくるという ことかもしれません。それはモノを見る力です。 そしてモノの本質を見る能力において、写真として邪魔になるのが美学なんですね。写真をキレイにして 見栄えをよくしようとする心です。写真は芸術だと考えている人はモノを見る力が妨げられます。 もちろん美学は自己申告なのでして、他人が見て美しいなあって思っていても当人は写真を芸術だとは 思っていないかもしれません。 そしてもうひとつあると思ってます。キレイに撮れる機材です。高級カメラや高級レンズは、ものを見る力 としては妨げになるだろうと考えています。 機材の性能というのは、そもそも相対的なものです。数万円のカメラと数十万円のカメラの違いは絶対 的なものてはなく比較してそうだといえるだけのものです。そして高級機を手にされた方は相対的に自分 の撮る写真がキレイで美しいじゃないかと思い込んでしまうんですね。 そしてこの思い込みが写真をして真実の眼で見ることに大きな妨げとなるのです。つまり見かけに騙され てしまうということ。 写真は下手で良いとか、カメラは廉価機で十分だとか、画像処理できれいに見せようとするのはいけない ねえっていうのは、すべては撮影者の慢心を防ぐためのものなんです。 最近は自分も高齢者の仲間ということで、次第に高齢期における写真術というものを考えるようになって います。若い時期の写真と高齢者となってからの写真とはやはり違う部分が多いと思いますね。 最近、自分の体重を数キロほど落としたのですが、やっぱりちょっと山に登っても違いが出てきました。 年末恒例の金比羅山詣りも、本社から上の奥社の間は撮影もせずノンストップで登りました。そういうの はここ数年なかったことなので、6キロほど体重を落とした現在が正常値という気がしてきました。 これに気がついたのはコロナ禍で身体の免疫を考えての結果だったので、私にとっはコロナは利益となり ました。 こんな具合で高齢期における健康術とか写真に関する事柄もこれから積極的に考えていこうとおもって ます。

無題

最近とくに思うのは、もはや写真のことだけを考えていたのでは写真撮影は出来ないようになっているの ではなかと言うことです。時代が変わってきたと言うしかなくて、とにかく御自分の常日頃の関心事を追及 して、その為の道具として写真が存在するという具合になったような気がしてます。 写真自体は道具としてでしか意味を成さなくなったような感じですね。現在は非常にビジュアルな時代で して、誰もが簡単に写真を撮れますし理由できる時代です。そして写真よりも高濃度な動画も一般的に なってきていますので、昔のように写真をやっているというだけで威張れなくなったわけですね。(^^ゞ  この掲示板では野鳥撮影の投稿比率が高くなってきました。これはレンズ交換式高級カメラでしか撮れな い最後の聖域ということで、それでアマチュアカメラマンの最後の砦としての野鳥撮影が残されていたと いうことかもしれません。 もはや普通の写真では一般人のスマホと変らない時代なんでして、アマチュア写真人の肩身は随分と 狭くなってしまったようです。芸術風な写真も写真加工で簡単にできる時代です。そうなってしまうと昔から の写真愛好家は、もはや自分の出番がなくなってしまったと感じてしまうのではないでしょうかね。 つまり写真の時代は終わってしまったということです。正しく言うとハイアマチュアが活動できる場がなく なってしまったということ。この世の中がデジタルなフォトビジュアル全盛になってしまったからこそ、もと もとニッチな存在であったアマチュア写真家は存続できなくなってしまったという感じがします。 写真掲示板衰退の根本的な理由はそこら辺にあるだろうと考えています。そうなってくると写真愛好家 の方向は、カメラ機材に回帰するのか、それとももっと別な方向に行くのか、とにかく何かを見つけ出さな ければ写真を続行できないような時代となっているようですね。 カメラ機材の回帰はこの私にもあって、なんでもない普通の写真を撮るのにやたら大げさな機材を持ち出 して自己満足しているのですが、こういうのは普通のスマホ人から見ればバカ丸出しかもしれません。し かし当人は到ってそれで満足しているわけですからこれは趣味人の領域です。(^^ゞ  ただこれだけは言えると思っているのですが、一般スマホ人が写真が分かっていると思っているのは 虚妄の世界であるということです。彼らが住んでいる世界はバーチャルなビジュアル世界であって、それ と現実のリアルな世界とは違います。そこに彼らは気がついていないという実態がありますね。 私の写真への方向というものがあるとすば、それは機材の許す限りのリアルな撮影を今後もして行きた いと言うことです。フォーサーズならばそれなりのリアルさがあるわけでそれを追求していけばよいだけ です。またフルサイズカメラならばそれ様のリアルさを求めればよいということ。 スマホに関してはこれはカメラ、写真機ではないから使いませんしね。もし使うとしてもこれもまたそれ様 の写真があるだけのことです。それぞれの機材という制約の中で可能な限りリアルさを追い求めて行きた いと言うこと。要するにそれだけなんではないかと思うのです。 前提として、ある機材があってそれを使って写真をやっていくということ。ですから機材を越えた抽象的な 写真というものがあるとは思えないのです。百のカメラがあれば百の写真術がある。それで写真の面白さ とは機材の面白さであって、それ以上ではないのではないかということですね。 そんなわけでカメラを持つ以上は、機材への関心はなくならないのですし、それから写真のリアルさという ものを追求していけば当然ながら、本命の自分の関心事に対してもリアルさの追及は緩めないと言うこと ですね。そこに嘘とか虚飾とかいうものは不要なのですから。 ただ目前に目の前にあるリアルを、写真をやろうがやるまいが、カメラを持とうが持つまいが、リアル路線 には気を抜かないと言うこと。そういう写真的な生き方をこれからもして行きたいと思ってます。 投稿者の中には一台の機材を集中して使う人と、多種の機材を折り混ぜて使う人とがいますが、これは あまり写真の本質とは関係ないようです。それぞれのやり方という以上のものではなさそうです。それに カメラ1台、レンズ1本で行くという人はいません。カメラが1台の人でもレンズも多数所持されているわけで すから。 ただ複数台のカメラを持てばカメラボディに関しての知識が増えるというのはありそうです。写真はレンズだけで決まるのではなく、ボディやセンサーやエンジンでも大きく異なるからです。 写真の撮影意欲、投稿が滞るのは、おそらくは撮影時に於ける「歩き」に深く関係があるものと私は考え ています。撮影時に一定量の歩きがなければ、次に撮影しようかという意欲が減退するというのがありま す。これは私の経験から言えるものでして、大きく外れていないものと思っています。 車や電車で移動はするものの、カメラを持っての歩きの移動が少なければ、写真における本質的な意欲 というものが減退するのです。また手に持っているカメラがスマホのように小さくなるのも同様な現象が みられると思います。それでコンデジばかりで撮影するのには限界があります。スマホやコンデジは小さ すぎるというわけです。 それで写真撮影では、「歩き」と「手に持つ」ということが極めて大事で、これがスポイルされると長く写真 をすることができません。意欲が減退してしまうのです。これは原始狩猟時代に於いて、ハンターが手に 槍や弓矢を持ち長い距離を歩くということに通じているのであって、写真の原点がそこら辺にあるというこ とでもあるでしょう。 それから写真を加工したり、そこまでいかなくても強い画像処理をする人も長続きしませんね。写真は飽く までもリアルが基本ですから、それをスポイルする処理は写真の属性そのものに反しているからです。 最近はカメラ自体が画像処理するように出来ていますのでこれは要注意ですね。 カメラ内の画像処理か強くなりますと写真はフラットになり自然なリアル感を損ないます。それで撮った 写真をみても面白くないとなり、撮影の意欲を失うのです。ソニーのセンサーのカメラはこれが強くて、 なるほど、一見して写真はキレイかもしれませんが面白くない写真となります。それで私はフォーサーズ はパナのセンサーが好きですし、ニコンでもソー製以外のセンサーを搭載したカメラを評価しています。 それでカメラの設定は可能な限り、ニュートラルにしていて、余計な設定(カメラの自動処理)はカットしてい ます。 少し誤解を防ぐ為に付け加えておきますと、センサーに、ソニーやキヤノンのようなメジャーなセンサーは 万能のセンサーなんですね。条件の悪い場合にでも、できるだけ良い画像にするように出来ています。 そしてマイナーやセンサー、シグマが代表的ですが、パナとかコダックや東芝などは悪条件下では画質 が大きく落ちます。しかし光の多い晴れた日中ならばマイナーセンサーが素晴らしくリアルな画質を出し てくれるんです。 そういう違いがあると思うので、メジャーのセンサー、マイナーなセンサーの本質的な相違を知っておい ての話になるんです。ですからカメラ一台で全ての写真をやるのであればメジャーセンサーでなければ いけないでしょう。しかし多くのカメラを抱えていて時と場合を選べるのであればマイナーセンサーは面白 いというだけのことです。 そしてカメラの画像や画質を追求していくと、マイナーなセンサーが面白いという話になるんです。それは 平均的な優等生よりも、ちょっと変ってるけど天才的な人間が面白いじゃないかというのと同じです。 写真の画像処理が好きな人はけっこういるので画像処理がいけないと言うのは気が引けるところであり ますが、ひとつだけ言いますと画像処理に邁進することは写真の持つ本来のリアルからは遠ざかること になり、それが人間の現実の認識にも影響を及ぼし、結果として不運を招く結果となりかねません。 これはデジタル時代だけではなく大昔から写真では言われていることです。 そんなわけで写真はあくまでも可能な限り、リアルを通して行くというのが肝心です。ネットではリアルか、 バーチャルかがよく言われますが、そもそもネットは全てバーチャルで虚妄な世界ですからねえ。しかし 我々がする写真はリアルでなければ行う意味がありません。またリアルでなければ長続きもしません。 世の中がビジュアル時代全盛となって、それでアマチュア写真は肩身の狭い思いをしてわけですが、こう いうリアルの世界とは何ぞや、という視点からみれば長く続いたアマチュア写真の文化も捨てたモノでは ないというわけです。 写真はカメラで撮ったまま、自分の眼で見たまんまが全てだと思っています。それ以上のことを考えるこ とから写真における不具合が発生するのではないでしょうか。 その点は、野鳥撮影などは撮るのに精一杯で余計なことをやる余裕がありません。そういうことで鳥の 撮影はシンプルでよいものです。 本来、写真とはカメラが出す画像なのであって極めてシンプルなものなのですが、人はそこに何らかの 期待なり意味合いを付け加えたくなるようです。自分の撮る写真を少しでも美しく見栄えの良いものにし たいという欲です。それは若い女性が自分を少しでも着飾りたい良く見せたいと願うことと似ていますね。 その結果としてテレビで見る韓国人女性のような、つるっとした皆おなじ顔になっちゃうというか。

無題

神社に関しては、こういう視点もあるとのことで興味深いです。 「日本と古代イスラエルとの共通点」 http://www1.s-cat.ne.jp/0123/Jew_ronkou/japan/nihon_heburai_kyouutuuten.html 「日本とヘブライの共通点」 http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html 日本列島は、大陸からの影響と言えばすぐさま中国の文化を思い浮かべるのですが、実はそればか りではなかったというお話です。おそらく古代に於いては現在の世界と同じようにグローバルな世界観 が全世界的にあったのではないかと密かに私は想像しています。 ですから古代ヘブライの文化の移入は、近現代の欧米文化の大きな影響と同じようなものがかつても あったということではないでしょうか。古代と近代は案外に似ているとごがあり、大きく異なるのは中世の 時代ですかね。中世時代においては狭い地域間国家間で閉じこもる傾向にあり、言葉を変えていえば、 とにかく国内に、そして個人の熟成そのものに眼を向けた時代だったのかも知れません。 とにかく神社の成立の創世記には中近東の文化の影響が大きくあったのだとする観方は、長大な人類 の文明史を見るにつけ見逃せない観点だろうと思います。この日本は中国シナばかりの影響を受けて いたわけではなくて、インドやオリエントの影響も強く受けて日本の文化と歴史を形作ってきたと私は考え ています。仏教が主にシナの影響を受けたものとすれば、神社宗教は広い意味でオリエントとかの西洋 の影響の産物だったのだということです。 そもそも日本神道は日本に昔からあった自然観から出発しているわけですが、そこに西欧から伝わった 神社宗教が付け加わって融合化されたという気がしています。神社を訪れて、それは気分のいい違和感 なのですが、ストレートな直線配置と広い何もない空間があることに気がつきます。こういうものは本来の 日本の自然観や美意識からはほど遠いものなのですが、そこに西洋の宗教が加わったのだとすれば 納得がいくものです。 それから日本仏教にしても、シナ様式も多々あるもののインドやガンダーラの影響も強くて西洋的な要素 がかなり強く反映されているものといえます。建築物はシナ様式かもしれませんが仏像は極めて西洋的 ですね。私の好きなお地蔵さんや石仏はシナではなくて源流は西洋だろうと考えています。 神社に眼が向いたついでに、これからは街中の写真もやっていきたいなと考えています。神社は山里に もありますが当然に街中にも存在するということであえて区別する必要がありません。この神社を取っ掛 かりにして市中にも眼を向けたいかなと思ってます。 最近は小さな街でも綺麗に街中が整備されて静かな佇まいとなっていますね。昔はもっと煩雑で活気が あったわけですが、最近の街は綺麗過ぎるほどにキレイになってます。人通りも少なくなり昔の雑然さが 懐かしい気もしますが、静かに写真を撮るのには相応しい環境となりました。 以前から、いつかは街中の撮影に眼を向けなければと考えていたので良い機会です。

無題

先に写真は下手でよい、と言いましたが、もうひとつ言えば写真は被写体のコレクションで良いという ことです。被写体に対してはコレクション以上のものを求めないと言うことでしょうか。 私の溜池撮影、里山撮影、そして神社撮影は全てコレクションなのであって、地元にあるそれらを全部 網羅したいと願っているのですが勿論実際はなかなか難しいです。 ですから一回撮影をしたものは次に撮影することはめったにありません。そういう暇があれば別の所 のものを撮影しに行きますからね。この一所一種に拘らない姿勢がコレクション写真だというわけです。 コレクション写真の良いところはしがらみがないということです。 柵と書いてしがらみと読むのですが 自らに柵を設けないことが写真への自由に繋がるからです。それでいて継続すべき自分のテーマは続 行できるわけですからね。ある特定の場所で特定の被写体をしぶとく狙うというのは、それは芸術に 被れるおそれがありますから。 この投稿掲示板に於いて、長く写真を続けておられる方々は、野鳥撮影の方が多いです。鳥の撮影は 芸術とは無関係です。そして撮影は鳥まかせです。蝶の撮影もそうでしょうね。 こういう芸術的な写真とは関係のない被写体を追いかけるのが写真としてはベストなのかもしれませ んね。

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写真は下手こそが良し。というのはカメラが発明されて以降の不変の真理です。 このことを知らない人かたまにいます。例えば、他人をして機材に凝る人は写真が下手であるというよう に。そういう方は、自分本人は機材に凝らないので写真が上手であると自負しているのかも知れません が、事実はそのような人は写真を長く永続することができません。すぐさま爺さんになってカメラを持ち出 すこともできなくなります。 ほんとうに写真を良く分かっている人は、わざと写真を下手にしているんですね。写真を上手に撮ろう、と か写真を突き詰めて上手くなりたいと思っている人がいれば、その方の写真寿命は短いものとなります。 なぜでしょうか。それは写真は本来、被写体とカメラという道具だけで成り立っているからです。この二つ の間に写真美学というものを挟み込んだ時点で写真行為は欺瞞への一途を辿るからです。 写真美学でも写真芸術でもいいんですが、そういうものは本来存在しない空想物であるわけです。写真 行為には記録(被写体であり自分自身への)が一番大事であって、無論多少の表現はよろしいのですが、 そこに美学とか芸術とかを入れ込んだ時点で、自分自身を喪失するという憂き目に逢うのです。 写真の三位一体論とは、被写体、道具としての機材、そしてカメラマン自身のこの三つです。ですから 写真の美学なりを入れ込めば、カメラマン自身がはじき出されるという結果になるのです。 このようなことは大昔から言われていることなのですが、相変わらず理解をしていない方が多いのです。 それは写真を表面的にしか見ていないからでしょうね。いや写真だけでなく物事も世界も自分で考えるの ではなく表層的に形や色だけでしか見ていないと、こういう過ちを幾世代にわたって続けてしまうというこ とになるのでしょう。 そうは言ってもそういう仕組みがこの世界の現実であって、写真をすることで自分を見失うのも、これも またこの世界の既定路線なのかもしれません。そういう人にとっての写真とは、竜宮城であり浦島太郎 であるというわけですね。 というわけで写真のことが良く分かっている人は写真を上手にしません。写真は被写体とカメラだけで良く て美学などは挟み込まないのです。 私の経験から言えば、写真に美学を排除しますと、写真行為は非常に楽になるという気がしてます。 気を入れ心を注入するのは被写体と機材だけで済むからです。このシンプルさが心地よく、写真を撮るの が楽しくなるわけですね。ですので写真美学というものは1ミリたりとも入れ込まないようにしています。 というか、そういうものはもう完全に忘れています。 最近手にしているカメラで面白いなあって思ったのは、ニコンD5200/5300です。ほとんど性能は同じで すが、両機は搭載しているセンサーのメーカーが異なるだけです。東芝とソニーですか。その違いも大し たことはなく、特に面白いと感じたのは、カメラボディの表面に液晶スクリーンが見当たらないことです。 つまり背面液晶は反転して隠すことができるのです。光学ファインダーを見て撮影する限りは余計なスク リーンを見ないですむという潔さがあります。 とは言え、殆どのユーザーはライブビューで撮影するのかもしれません。両機ともニコンの廉価機になる わけですが、こういった入門機種もやがてはミラーレスカメラになるだろうと思います。 そしてこの廉価機に、自作のバッテリーグリップを着けて撮影すると非常に使いやすいということを発見 しました。バッテリーグリップといっても専用のそれではなく只単に、何にでも着く様に改造したグリップな のですが(縦位置レリーズも出来ず、予備バッテリーも入れられず)、ボディよりもグリップが少し大きくて、 それが使い良さの秘訣となっているようです。 廉価小型機というのは小さくて軽いのですが、いざ使う段になると小さすぎて持ちにくく使いにくいのが 欠点です。それを自作グリップがカバーしてくれることを発見したわけです。下手な専用グリップよりも使 いやすいということで、中国製専用グリップの購入は止めました。 小さなカメラを大きくして使いやすくする、これがグリップの本来の目的であるわけなので、良い発見をし たものだと思っています。 この写真のカメラは何となくコダックDSC-14Nに雰囲気が似ていると感じてます。(^^ゞ  このグリップはプラスチックのドンガラなので軽くて重さを感じません。外せば小さなバックにも入れられる ということで、カメラ本体のサイズと軽さもスポイルしていないのです。 なおボディにスポンジの貼り付け(グリップ性の向上)やストラップにも工夫をしています。リングを挟み込 んだり滑り止めゴムの縫込み(写真には写ってない)なんかですね。 こういう具合に改造をしていきますと、廉価機でも大きなレンズを装着することが可能です。自分のカメラ を使いやすくして、撮影に傾注できれば被写体に注ぐ集中力も増します。理屈を捏ねて芸術ぶるよりも とにかく使いやすいカメラを目指そうじゃないかということですね。 カメラはなにも高級機を買う必要はありません。中古廉価カメラで十分です。それで少しの改造でとても 使いやすくできるし大型レンズの装着をしても苦になりません。短焦点高級レンズを着けるとフルサイズ にも負けない描写をしてくれます。そしてグリップを付加することで長丁場の撮影も可能になります。 写真における大体の悩みはカメラ機材を工夫することで大体は解決できると思ってます。メーカーで出し ているカメラはあくまでもスタンダードのスタイルでして、それをそのまま有難がって使うというのでは良い 撮影はできません。カメラは車検もなければ違法改造で捕まることもないんです。もっと自由な眼で機材 を工夫されてはいかがでしょうか。

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この狛犬はどうみてもサルのような顔をしています。(^^ゞ 作者によって狛犬の顔やデザインは千差万別 でして、そこが狛犬撮影の面白いところ。 少し分かったこと。この神社は狛犬が多くて鳥居から山門まで4セットの狛犬が並んでいました。そして とにかく神社側としては大きな狛犬こそが大事であって、狛犬そのものの出来は問わないということらしい です。鳥居の一番席の狛犬は大きさこそあれ出来の悪いものでした。そして境内の中の分社の狛犬は 小型ながら秀作でしたね。

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これは上で書いた秀作レベルの狛犬です。このデザインの狛犬は香川の各地の神社に多くあり、もう 何度も見かけているのですが、おそらくそれらの全ては同じ作家というか工房(石屋さん)で作られている ものと思われます。 優れた彫刻であって全て古くて新しいものはありません。しかしこういうハイレベルの狛犬が香川で作ら れていたというのは嬉しいものです。 香川は石像やお地蔵さんのレベルは低いのですけど、狛犬だけは誇れるものがあるということで。

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何でもない風景ですけど曇り日の空から陽がさして来ました。それが気持ちよくて、これは神社の山門 からの光景です。 この日は3:2のフルサイズカメラをアスペクト比変更で、5:4で撮影をしました。最近のカメラはアスペクト 比を自由にカ変えられるメラが多いのですが、古いカメラはなかなかそういうものがありません。 D800の場合、4:3はなくて、5:4でもあっただけめっもんです。

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こういう5:4の感じだとほぼ中判カメラの雰囲気で撮影することができます。横位置撮影だと上下に余裕 があり、縦位置撮影だと横幅に余裕が出てきます。それらの余裕が画面としての安定感を産む、という 気がしています。 撮影時にフレーミングしているだけ、と言ってしまえばそれまでですが、案外このアスペクトのフォーマット が気に入りました。撮影中に随時に広角側のミリ数を切り替えるような感覚でアスペクトの変更が可能な ので、そこは要領よくやっています。つまりは3:2の写真だけが全てではないというわけです。 わざわざフレーミング撮影などしなくても、撮影後にトリミングすればよいではないかと言われそうですが、 そこはやはり違います。撮影時こそ大事にしたいと思えば、写真はフレーミングこそが大切なんですね。 私も撮影後のPCの前でトリミングをして投稿したりしますが、それはデータ量の倹約という意味が大きくて 本来はトリミングは好きではありません。 このD800は光学ファインダーに、5:4だと指示枠が表示されて少しは見やすくなってます。

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フェイスブックのインスタグラムへの批判が出でいますね。インスタは他のSNSりも危険であると。特に 十代の少女に悪影響を与えているとか・・・らしいです。 インスタグラムは画像を伴うので文字だけのものよりも悪影響が大きいのじゃないかと思います。画像 とはつまりは写真です。そして加工された写真でしょうね。とにかく写真があると具体的に想像が働くん でしょう。しかし写真がそのまま事実やリアルな現実とは言えないのであって、そこらへんが人生経験の 浅い子供にとっては分からないのだろうと思います。 これが動画になると写真のようにイメージで誘導することが難しく、それで一番危険なのが写真画像だと いうことになるのかも知れません。 私はというと、SNSも掲示板も文字情報も、そして写真画像も動画も、全てこれらは架空のものであって 事実とは違うものだと当初から認識しています。ネット上に広がるSNSも掲示板も、それらの向こうに 実在の人間がそのままの姿でいるとはけっして思ってないんですね。そこにあるのはとりあえずは電子記 号や電子情報ですから。 それが大前提であって、そこから本物の人間の気配というものを探り寄せていくことなのだと言えます。 ところがこの現実というものがわからない人達が多すぎるように感じます。けっこうな大人でも誤解をして いるみたいですね。これが私には不思議でしようがないのですが。 それから写真画像を見るのは、つまりは読み取るのはかなり難しいと思っています。実際に写真行為を やっている私ですらそう思うのですから、写真などは全然知らない若い人達は、写真に騙されて自我を 傷つけられるのは当然の成り行きかもしれません。 この掲示板だと、まず写真が難しい、さらに文章というものも難しいです。私のように文語体で書けば殆ど 人達が読み解くことができないからです。それなのに受け取る側は写真も文も分かったような気になって いるわけです。そういう、何もわかっていない、読み取れていないのに知ってるつもり。そういう現実があ りますね。 コロナ禍で良かったなあって思うことがあります。ひとつは仕事が少し暇になって写真の撮影がよく出来る ようになったこと。(笑) もうひとつはウイルスとか免疫の勉強ができて、より深く身体のことが分かるよう になったことです。 それで自分の体重を減らしています。6キロくらい減量できましたね。おかげで体調は良いです。もうこれ くらいでよいかなって、後はこの体重をキープするだけかなと思っています。 こいうことが出来たのも、その背後にはフォーサーズカメラを使い出したことが現実的にあるのかも知れ ないと感じています。私の所持しているフォーサーズ機は500~1600万画素ですね。そしてセンサーサイ ズはAPS機よりもちょっと小さい。この手軽さが、もしかすれば体重の減量と深く結びついているのかも 分かりません。 このフォーサーズ機を今後も自分の写真やカメラのベースにしていくだろうと確信しています。 これからフルサイズ機や高画素カメラも使うでしょうけど、それは仮の姿であって私の本当の写真やカメラ はフォーサーズ機であるということになります。 これは誰からも他者からの影響を受けたのではなく(厳密に言えばそうではないけど)、自分の考えで選ん だ写真ですね。こういうのは皆さんもそれぞれのやり方というものがあるだろうと思ってますので、私のこ の考えもそのひとつにしか過ぎません。自分に合った写真でカメラであればそれで良いのです。 まだまだフォーサーズ機のことが分かっていないと自分でも感じています。とりあえずは一番、ユーザー に優しいカメラであって健康にも良い、というくらいにしか分かっていません。今はただ直感で選んでいる だけであって、細かな分析はまだまだですね。 今のところちょっとだけ、しかし強く感じているのがアスペクトフォーマットの4:3です。これが他のデジカメ と根本的に異なります。通常のレンズ交換式カメラは3:2ですので。 低画素のカメラは無論今まで使ったことがあります。低電磁波のカメラも同様です。そしてフォーサーズ機 はミラーレス式もデジイチ機も同様に使いやすいわけです。何の違和感もなくミラーレスとデジイチを往復 できます。 そして面白いのですが、ペンタ645DはオリンパスE-1を大きくしたくらいにしか感じられずで、これがまた 使いやすいのです。この645Dもアスペクト比4:3てすね。 それからフォーサーズ機にはオリンパスとパナソニックがありますが、このメーカーの差もあまり気になら ないのです。それはまあセンサーは同じだしボディも同じものがあるので当然かも知れませんが。 まあとにかく、フォーサーズ機の魅力の解明はこれからです。

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私の場合は、いかに長く写真趣味を続行できるのかが課題と言えばそういうことです。短期的に集中 して写真をやられる方は多いです。太く短くですね。しかし私は細々でいいから長くやっていけたらな あって昔から考えてます。 それで大前提として、まず心身の健康の維持が大切だということ。幸い写真趣味は歩きを伴うので 健康維持には有利です。そして撮影と並んで画像処理の点では、これは可能な限りセーブすることを 考えています。眼と脳を保護するためです。とにかく眼を疲れさせないこと。それでカメラのEVFは当初 から使っていません。光学ファインダーにしても長く見続けると眼が疲れますのでノーファインター的な 手法を大いに利用しています。 この半ばのノーファインダー手法はもカメラボディから顔面を若干離してレリーズするわけなので、デジ イチが発する漏洩電磁波を低減することにもなり両得のノウハウとなります。 漏洩電磁波問題では、なんといってもライブビュー撮影が有利ですね。カメラと顔面を完全に離せるこ とが可能ですから。さらに言えば電子シャッター式カメラであれば、カメラを持つ手の被爆も防ぐことが できます。 デジイチでもオリンパスのように機械式シャッターを使用しても漏洩電磁波が低いカメラもあり、また 防御ができていない高いカメラもあります。それそれに応じた対処法が求められますね。それで電磁波 測定器は現代では必須のアイテムです。 この漏洩電磁波と、EVFやPCモニターというスクリーンを可能な限り回避することで、脳や眼を疲れさ せないことが出来るわけで、それが長く写真趣味を続行できる基本的なノウハウになると思います。。 そしてこのノウハウは写真趣味だけでなく、現代人における日常の生活や仕事でも大いに生きるノウ ハウなのであって、むしろこのノウハウを獲得するためにこそ、写真趣味という遊びが実利として役に 立つということが言えるのだと思ってます。 そしてスクリーン全盛の現代では、PCにしろスマホにしろ、その使い方に於いて眼と脳を疲れさせない 為の高度なノウハウを自分で構築して積んでいくことが求められますね。これをやらなければ現代では 健康的に生きていくことができません。 島津亜矢 J-POPで一番難しい曲♪白日 https://www.youtube.com/watch?v=dN9Ob2I78-8 King Gnu - 白日 https://www.youtube.com/watch?v=ony539T074w 【絶対女王・新妻聖子「白日」歌唱動画】 https://www.youtube.com/watch?v=Oiwv5HgWFxw このリンクはKing Gnuというシンガーの「白日」という歌ですが、現代における多くの諸問題を示唆して いるようです。本来こういう歌は歌曲的に有り得ないのですが、それをやらざるを得ないような状況が 今の世の中にあるわけですね。ほとんど拷問のような叫びのような歌です。これを作り歌うシンガーは 天才的だと思ってます。 このような歌が今の人達に受けている。歌は世につれ世は歌につれですので、現代という時代の凄さ がそこに現われているというわけです。このような歌は特に東京などの電磁波スモッグの都市部に住 む若い人達に受けるのでしょう。眼と脳を心身を疲れさせる現代の究極の姿がこの歌に現われている と私は感じました。まあ田舎ではそこまでも行ってませんね。獅子舞に意欲を見出す青年が地方には いますから。 ところで、最近この左利きの本が出てきて話題になっていますね。私も今読んでいる途中ですが、分か りやすい本です。しかし多分右利きの人にはもしかすれば難しい本かもしれません。 左利き、つまり右脳の人間は脳に蓄積された膨大なデータベースから直感的に解決を導くことが可能 です。右利きの人間はどうしても言葉に縛られていますのでそれが苦手です。 言葉というか世間での決められたルールといいますか、そういう縛りというものから逃れられないようで す。例えば上の白日はそういう縛りの状態の具現化なんですね。歌詞を読めばそれがよく分かります。 歌詞ををみれば現代人は病気であるというのがよくわかります。 写真趣味もそうなんでして、多くの9割くらいの人達はそういう縛りから抜け出せてはいませんね。それ で限界が早々に訪れるというわけです。写真はもっと自由にやればいいはずなんですがそれができな いのです。 そもそも写真というのは画像なんですね。カメラマンは画像的思考が得意なはずなのですが、それでも 言葉に拘りすぎている現実があります。そして多くの写真愛好家達はその画像自体にも負けてしまうの ですね。それは現在のデジタル写真があまりにも高度になりすぎてしまったからでしょう。 私がフォーサーズ機という2000万画素もいかないカメラに落ち着いたのは、高画素高画質がカメラで 写真であるという言葉の縛りに陥っていないからです。フルサイズで数千万画素というスペックでなけれ れば現在の写真ではない、という何処の誰が言ったのか分からないような、いい加減な言葉に惑わされ ないからです。 そして言葉ではなくて、実際に自分でやってみればフォーサーズ機の使いやすさや優しさというものが よくわかるようになります。フォーサーズ機は余裕で写真趣味ができます。なによりも自分の実体験が 大事ですね。信じてよいのは他人の言葉ではなく自分の実体験ですから。 ところでフォーサーズ機というのはフォーマットのアスペクト比率が4:3です。もちろんライカ判135カメラは 3:2です。 以前からなんとなく気になったいたのですが、4:3の写真に慣れると3:2は横長すぎるという気がしてい ます。私がフォーサーズ機に落ち着いたというのは、もしかすれば、この比率も大いに関係があるのかも しれないと感じていです。 4:3だとフレーミングがしやすいのですし、結果としての写真画像も安定しているように感じます。 3:2のフォーマットが万能だという思い込みがずったあったわけですが、もしかして写真としての使いよさ は3:2ではなくて4:3なのじゃないのかなって思うようになってます。(^^ゞ  そしてフォーサーズ機はオリンパスとパナソニックの合体機ですが、これが良くできているということです。 デジイチ機は極めて低電磁波ですしね。そしてパナのイメージセンサーも良いです。

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youzakiさん、狛犬撮影を見てくださってありがとうございます。(^^ゞ まあ狛犬さんは手軽に撮影できる 被写体でして、神社を見つければ必ずと言ってよいぼと狛犬は鎮座しています。大きな神社だと複数体 ありますね。誰でも何時でも撮影できる対象物でして、そういうことでは草花や樹木と変わりありません。 しかし狛犬だけが神社ではありませんので、神社を撮影する時のついでに狛犬も撮ろうか、というところ です。 その神社も神社撮影だけが目当てではなくて、その周囲の農村や街などの中の有り様として神社が造ら れているのであって、そういう周囲の環境をも考慮に入れて観察していくのが楽しいですね。 この神社は平野部に神社にあるのですが、東西に走る参道の中に鉄道路線が走っているんですよ。 参道を横切る道路は珍しくないのですがJR線が横切るのはあまりないです。(笑) 神社は大体は背景を山にして造られるのが多いです。鎮守の杜が形成されやすいのが主な理由ですか ね。しかし完全な平野部ではそうもいかず境内と杜と参道の一式が平野部にあるという、考えてみれば 贅沢な造りになる場合があります。その分は農地が削られるわけですからね。 そういえばこの森には大きな樫の木がありました。いままで見たこともないような大木でして葉も大きかっ です。雑木ともいえる樫ですが鎮守の森の中の木となるとそう簡単には切り倒せませんね。 神社の中に生えている樹木を観察するのも神社撮影の楽しいところです。森があれば野鳥や小動物も やってきます。人々にとっての憩いの場ともなり、これらも神社の役割のひとつかと考えています。 神社は何人も拒まないというのが気に入っています。村の神社でも私のようなよそ者が立ち入ることが でき、撮影も自由です。もともと神道というのは人ではなく大自然を祭っているわけですから、その自然が 人を選り分けることはできないわけでして、そういうところが私は好きですね。 考えてみますと野に咲く草花とか樹木でも虫でも鳥でも、それらは自然のものでして人のモノではありま せん。人が所有することができないものですから、特定個人のものでもなく、もちろん皆のものでもないし そもそも人間のものではないわけですよね。神社も宗教的にはそういうものだと思っています。 写真に於いては、ある特定のもの、つまり決められた被写体物というものを撮るのが写真である。という ような思考法があったんではないかなって考えています。おそらくそれはカラー写真が一般的になって、 多くのカメラマンが出現した80年代前後からの思考法だろうと思うんですね。 ところが現代のデジタル写真になってからは次第にそういう観念が薄れていって、モノそのものではなく モノをも含むおざっぱな環境的なもの、そういうものへと変化していったのではないかと考えています。 例を挙げますと鉄道写真では形式写真的な鉄道車両そのものを大写しに撮るというのが昔の鉄道写真 でした。しかし現代では鉄道や列車を含みこそすれ、大きく周囲の環境を取り込んだ新しい鉄道写真の 手法に変ってきていますね。逆に部分だけアップで撮るというのも。 そういうのは虫でも鳥でもそうなんではないかなって感じますね。つまりモノから環境へと人々の関心の 変化というものが土台にあるんじゃないかって感じてます。 これはどういういうことかと言いますと、デジタルになってフィルムとは段違いに写真のコストが安くなり、 数多くのショットを撮れるようになったからだと思っています。それで風景写真的なというか、私は光景の 写真と言っているのですが、周囲の環境に配慮した方向の写真に流行が変っていったと思ってます。 そういえば風景写真のジャンルも、昔はがぢがちに構図を決めていたのが今では緩やかなフレーミング になってますね。 私の場合は写真を始めたのが黒白写真でしたのでカラーに比べればランニングコストが安かったです。 それで今風な写真を昔から撮っていたというところがあります。 風景写真が苦手だ、という方もおられるようですが、それはモノから光景に写真の軸が変っていている ということを思えば、そこは写真としての見方を切り替えればよいのではないかなって感じますね。 モノよりもコトというか、つまり環境であり総合的な考え方に写真自体が変ってきたんでしょう。 デジタル写真は自分の眼で見たまんまの光景を多く撮ることができます。もちろんカメラならではの望遠 撮影とかマクロ撮影も可能です。とにかくいくらでも撮れるから、昔のように写真はこうこうだ、ということ を言わなくなってきていますね。

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最近の狛犬は、このように花崗岩でできています。昔は彫刻技術が乏しかったので硬い花崗岩を細工 するのは難しく、せいぜいレリーフのお地蔵さんまででしたが、今は技術の向上で立体的な彫刻ができ ますので、最新のものはほぼすべて花崗岩の狛犬となっています。中国製の狛犬も出回っているみたい ですね。 しかし狛犬マニアとしては、花崗岩のものはキレイ過ぎて味わいに乏しいと感じています。まあ、後百年 もすれば味が出てくるかなって思いますが、その時は既に私はいません。(笑) 狛犬には瓦陶器製のものもあります。私も3回ほど見たことがありますね。また個人で焼き物として作る 人もおられます。それは置物ですかね。そういえば狛犬をブロンズ青銅で作ったのもあったと記憶します ね。牛などではコンクリート製もありました。神社には牛とか神馬なども置かれていますが青銅製が多い です。そして手水場には龍とかですね。 神社の石像物としては、とにかく石段であり鳥居であり灯篭や祠などがそうなのですが、その中でもっとも 愛らしいのが狛犬・獅子です。 これがお寺になりますと石像やお地蔵さんになります。人型になるんですね。香川の石仏や地蔵は今ひとつという気がしていたんですが、狛犬を求めて撮影に行きますとなかなか立派なのが多くありました。 石灯篭なんかもこれから意識してみていくと様々なものがありそうですがあまり面白くはなさそうですね。

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ペンタックス645DのRAW画像は、私のPCではライトルーム4.1とペンタックス・デジタルカメラ・ユーティリ ティ4で現像できるのですが、もうひとつ、ピカサ3をインストールしている関係で、ピカサ・フォトビューア でも簡単に見ることができます。スピーディに閲覧できるのですが、本体のピカサ3は現像に対応していな いようで、それでピカサ・フォトビューアの表示画像をコピーして、ウィンドウズのペイントに貼り付けると 90MBくらいのPNGファイルになります。それをキャプチャーワンでJPEGに圧縮したのがこの投稿写真で す。 このやり方の画像生成自体はまどろっこしいのですが、とにかくピカサ・フォトビューアで簡単に閲覧でき るのは何と言っても有難いです。 ピカサ・フォトビューアはペンタックスやオリンパスのRAW画像が閲覧できるのですが、今回の645Dが可 能だったので、ピカサをインストールしていて良かったかなって思ってます。 現像はともかくとして、簡単にスピーディに閲覧できるソフト的な手段は持つべきであって、シグマは純正 RAWソフト以外は閲覧もできないわけですね。それで645Dの優位性を感じています。 もっとも、素早く見る為のノウハウとしては、撮影時点でRAW+JPEG撮影をすれば何の問題もないわけで すよね。(^^ゞ ただ、RAW+JPEG同時記録は、書き込みが遅くなることと、撮った後のデータ管理が煩雑と いうことで、私は昔からやっていません。撮影もデータ管理もシンプルで、というのが私の考え方です。 JPEGで見て、さらにRAWソフトでも見るとなると二重に閲覧することになり、画像データに心身が塗れ過 ぎるわけでして、私の考え方の、できる限りPCでの画像操作を短縮したいという考え方に反することにな ります。それで今後も二重記録撮影はしないでしょう。 そうは言いながらも実は、ピカサ・フォトビューアはほとんど使っていません。(笑) 使うのはライトルーム だけですね。やはり画像データの二重見は私は好きでないということなんでしょう。一発でTIFFデータ並 みの画質がビューできないと、画像閲覧の意味が薄れると私は考えているからです。ペンタックス・デジタ ルカメラ・ユーティリティ4は閲覧画像がダメなので既に脱落しています。 こういう感じで、メインのソフトはキャプチャーワン、そしてシグマSPP、さらにそれらから漏れ出たカメラは ライトルールで、ということになりました。 それと多重のソフトを使うというのも私は賛成できません。これをやっていた方達は長く写真趣味が続行 できなかったと思っていますので。とにかく一発撮影と一発現像閲覧ですかね。これに勝る方法はないだ ろうと私は考えてます。 それから自分はJPEG撮影しかしない、というのもアリだと思ってます。JPEGだけの記録でRAWなどは 無視というのも潔くて良いと考えます。手持ちのカメラもJPEG撮影しかできないというのがあり、その場合 は当然にJPEGで撮影します。JPEGデータはTIFFデータと並んで永遠性があり、百年経っても閲覧できる という高い信頼性があります。

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残留思念という言葉があります。ある人が自分の思い、思念、ついては欲望というものを物に込める というくらいの意味です。その典型が古代の王の墳墓です。殆どの墓は盗掘にあってしまい王の 思念は残ることがありません。もちろんそれで良いわけです。 そして写真にも自分の思念を込めることが可能ですが、特別な思考をする自欲過多の人が写真に 念を込めることをするようです。断っておきますがそれは芸術ではありませんし、写真の本性でも ありません。芸術の仮面を被っているようでいて、その実は単なる自己拡張を写真に押し付けている だけなのです。それを見抜かないと人は簡単に残留思念の弊害(呪い)を受けてしまいます。 私はよく神社を撮ります。神社の発祥や起源は様々ですが、最近面白い神社を見ました。 元は古墳です。かなり大きな円墳なのですが、その半分が神社の建物によって削られているのです。 これはどういうことかというと、残留思念という古墳の残滓を、神社という装置によって浄化するという 役割を担わせているのではないかということです。 神社は浄化のシステムを持った一種の装置でしょうか。香川は溜池が多いのですが、大きな池には 必ず神社が付随します。溜池は大きなインフラなんですが当然に自然を破壊してしまいます。その 償いとして人々は神社を建立するのではないかと感じたわけです。そして神社の杜には無くなった 土地に生えていた樹木を添えるのです。これは罪滅ぼしの意識なのかもしれません。 神社には偉大な人物を起源とする神社も多々在ります。日光東照宮などは典型ですし天神や八幡 もそうです。出雲大社も伊勢神宮もそうかもしれません。これは人物を称えているようでいて、 本当はそうではなく罪や穢れの意識から祭り上げているように思えてきます。どんなに偉い人物で あっても所詮は人間であって、多くの人々の願いや欲望というものの総意で国を建てたとはいえ、 それによって自然というものは破壊され姿を変えていかざるを得なくなります。そう考えれば大きな 神社も、溜池に付随する小さな神社と役割は変らないということになりますね。 神社の造りは極めてシンプルです。鳥居があって真っ直ぐに進んだところに拝殿と本殿がある だけです。このストレートな配置とその間の空間が神社の命という気がしています。 とって着けたような説明かもしれませんが、これはカメラに良く似ていますね。まずレンズ先端が あって、その中をストレートに光が進み、そしてフィルムやセンサーに到達しますから。(笑) 鳥居と本殿のあいだの空間はデジタルになってからますます狭くなっていますけど、まっすぐに 光が走るということは変りません。 私は罰当たりかもしれませんが神社に詣でて撮影をしていて、手を合わせるなどいうことをしたこと がありません。平気でずかずかと入っていき無遠慮に撮影しまくります。鳥居があり石柱や狛犬獅子 があり石灯篭があり・・・そういうのはカメラのレンズの中を通り過ぎていくという感覚であって、 私自身が光であるとすれば何の遠慮もいらないということになりますから。 おそらく全ての神社の大本は太陽神かもしれません。太陽の光と水があれば作物や植物や動物 たちは育ち生きていけるのであって、これよりも根源的なものは他にありません。 こういう神社装置というものがあって、それによって穢れを取り去り人としての罪の意識を払拭する のではないでしょうかね。おもしろいものを発明したよねっていう気がしています。 私は一個の光の粒子にすぎないのであって、レンズやカメラの中を散策するようにして神社とこの 世界というものを見ている。そういう気がしています。

道

このカメラは液晶モニターが壊れていて画像を見ることもカメラを設定することも不完全になっています。 電源のオンオフの接触も悪かったのですけどそれは何とか直ったみたい。しかしAFの定め置きができま せん。レリーズボタンの接触が鈍っているのでしょうか。なんとも不完全なカメラですけど、こうやってまだ まだ使えています。 ようするにカメラは手に持って歩いて撮影できればそれでいいんだいという気がしてます。(^^ゞ  島山歩きの記録写真です。船に乗って自転車で走り、山道を歩いて山頂にのぼり縦走しました。二百㍍ 程度の小さな山ですが文字通り海抜からの登りとなっています。あえて言えば「道」ということがこの写真 群のテーマでしょうか。 我々は生まれて以来からずっと、人それぞれに人生の道というものを歩まされるのですがその道は平坦 とばかりはいえません。初てっばなから苦難の道だったり、また途中で墜落することだってありますね。 しかしその道筋のほとんどは先人が歩んで出来上がった道でしょう。こうして小さな山でも既に山道は 出来上がっているのでして、そこを外れて歩くことはあまりしません。しかし失われてしまった道も多くあり その道を歩いて復活させることもできます。 人生の道があれば、この歴史にも道筋というものがあります。歴史は繰り返すと言われているように大概 は良く似た道を繰り返しているみたいですね。もしかすれば世界の歴史も百年前と同じ道を歩んでいるの かもしれません。 こうやってカメラをもって写真を撮り、道を歩けることが何よりの楽しみとなりました。歩けていることが何よ りも嬉しいということですか。この身体も70年近く続けていると何処そこに不如意なところが出てきます。 脛が痛んだり記憶力が衰えたりでその都度原因を模索して解決しているのですが、やがては思うにまか せぬようになるのてしょう。とにかく人生の最後の友は写真やカメラになったという感じですね。(^^ゞ  それが写真ではなく菜園だったり釣りだったりする人もおられるでしょう。なんでもいいからやはり有意義 な趣味というのは必要かなって思っています。 しかし写真は高齢者の友だけだとは限りません。それは当然のことであってむしろ若い人にこそ写真と いうものを身に着けて、そのノウハウでもってこれからの人生を楽しんでいってほしいと願っています。 私の場合、写真の第一義として、歩きを大前提としてあげています。これは10歳代で写真を始めた頃から の習慣です。もし私が50歳代で写真を始めたならば、こういう歩きの写真術は学べなかったかもしれませ ん。また撮影中ずっとカメラを手に持っての撮影術も同じでしょう。 物事への習慣づけというものはやはり若くなければ身に付かないように思えますね。