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『問われる政治との距離 激震・旧統一教会と日本政治【7月22日 (金) #報道1930】| TBS NEWS 』 https://www.youtube.com/watch?v=GoTRyhI7uak こんな風な感じで、自民党と統一教会の癒着というものが明らかになつつあります。と言いますか、 現在そういう報道が堂々とできるようになったわけです。 これは安倍晋三がもうこの世の中にいなくなった、非在した結果の最大の効果ですね。 安倍さんを占星術していて(原資としてネットで流布されている2時35分説をとりました)、非常に強く 感じたのは、これは政治家とか実務家のそれではなく、むしろ信仰者のそれではないのか?という 疑惑でした。つまり安倍さん自身も信仰によってマインドコントロールされているし、同時に国民を洗脳 する立場にもいたという二重の意味で、彼は宗教信仰的な人間であったということですかね。 それが死去によって国民全体へのマインドコントロールが溶けつつあるという気がしています。 本来は政治家としては問題外の人間です。政治信条などいうものは何もなかったでしょうね。すべて 物まねでしたし。それでも個人的に人気力というものが大きくあってそれで影響された人間は多かった んじゃないですか。選挙も上手かったわけですしね。しかしそういうものは生きていてナンボのもので すから死んでしまえば全ての効力は無くなってします。本当の政治家とか思想家とか起業家というの はたとえ亡くなっても未来に影響力を残すものですが、安倍さんにはそのようなものは皆無という気が します。 そこらあたりはプーチンにも良く似ているところがあります。プーチンも死んでしまえば忘れ去られる人間 ですが、ただ彼にはロシアを滅ぼしたという歴史的役割が与えられているわけでして、そういうことでは やはり歴史に残る政治家ですね。占星術をしていてもプーチンは面白かったです。 安倍さんの国葬をするようですが、よいんじゃないでしょうか。そもそも葬式というのはこれで故人は完全 に居なくなったよっていう確認儀式なんでしてそれ以上の意味はありません。日本は一刻も早く脱安倍 をすべきなんであってそのケジメになろうかと思います。 安倍政権の8年間はこの日本は眠っていたと、信仰の愉悦に浸っていたということで、何もなかった空白 の期間だったといえます。そろそろ国民も政治家も目を覚まさないといけません。 安倍さんの統一教会のビデオメッセージを見て、この団体との癒着が安倍の最大のスキャンダルだった というのではなく、そうではなくて、安倍さんの本質は宗教と信仰にあったのではないかと強く感じたわけ です。 宗教に引っかかるのは、心の弱い人、頭の悪い人、心の悪い人の3つですけど、安倍さんは悪い人では ありませんでした。どちらかといえば良い人でした。しかし加計学園問題では自殺者がでましたからね。 まぁあれは奥さんの失態だったわけですけど。とにかく安倍さんは頭もよく心も強かったとはいえませんで したね。本当に普通の人であって毛並みが良くて人気運があっただけの人です。それだけです。
新聞で中国の先端半導体事情の特集があり興味深く読みました。先端半導体の製造こそがこれから の経済や軍事を握っているのであって、中国はどうしてもそれを作れない。 しかし台湾や韓国では作れます。また製造機械や素材を提供しているのは欧米や日本です。なぜ 中国では作れないのか。半導体製造においては極めてクリーンな環境で、数百のという複雑な工程が あり、それをひとつひとつ細心の注意でもってやらなければなりません。忍耐強くないとできないんで すね。そして技術者同士が深く結びついて協力していかなければ出来ません。これらは国民性の問題 ですし、台湾で出来て中国では出来ないというのは、国民性と政治体制の根幹に関わることなのです。 そういうものが先端半導体製造です。これがなければ魅力的な商品は出来ませんし、軍事では高度 な兵器はつくれません。 高々もの作りといいますけど、これほどに高度な製造はそんなにあるものではないです。ウイルス研究 所で平気でウイルスを垂れ流すように国では出来ない相談です。どんなにか金をつぎ込んでもできない ことが世の中にはあるんですね。政府が号令を出してもだめ。 そういうのは航空機のエンジンとか自動車のエンジンでもそうです。 この一事だけ見ても世界の覇権は西欧の先進国が握るのであって独裁的な国家であるロシアや中国 ではないのが分かります。つまりは親中には限界があるということです。 日本は僅かな原材料、石油やガスや鉱物を輸入するだけで非常に高度な最終製品を多々作り出すこと ができます。その輸出入の差額が利益となって国民が食えています。食料などはそれで買っています。 これは言うななれば無から有を生み出すことであり、それを支えているのは国民の英知です。 コンピューターと言えばソフトであり、これを征すれば何でも出来ると思いがちですが、そのソフトが動く には集積回路という物質的な半導体製造が不可欠です。先端半導体が製造できるのは米国(インテル) と韓国のサムソン電子と台湾のTSMCくらい。日本では出来ないのかというと、昔は作っていましたか らね。もし韓国と台湾が中国のものになれば日本で作ることになるでしょう。そして中国が韓国や台湾を 手に入れたからと言っても、あの政治体制では早晩最先端のものは作れなくなるはずです。 そういう微妙なものが先端半導体製造なのであって、それを日本が事実上握っているといっても過言で はないのです。 半導体すらまともに作れない中国と組んで日本がやっていけるはずがありません。先端半導体がなれ れば経済には遅れをとり、軍事においては致命的です。日本がどの陣営と組めば良いのか一目瞭然で しょう。しかし中国が永遠に先端技術をものにできないかというと、そうとは限りません。中共が瓦解して 中国がいくつかの国に分裂したならば、中には日本の影響を受けた地域が最先端半導体を作れる所 もあるでしょう。でもそれは未来の話ですね。 米国が台湾や韓国を手放さないのはこの半導体問題があるからですね。ここを中国に取られれば米国 は中国に遅れをとるかもしれない。その恐れがあるので台湾と韓国、そして無論日本も、絶対に手放 さないと思います。そこらがウクライナとは事情が違うところです。 米国が世界に向けての覇権を維持しようと思えば、この先端半導体製造は絶対に確保して置かなけれ ばならないのです。そこらへんの事情は台湾も韓国も良く知っているところです。彼らにとって半導体は 安全保障そのものであるということ。これは日本も同じですよ。
#読売テレビ #かんさい情報ネットten #読売テレビニュース 山上容疑者の伯父が語る”母と息子”の姿…日本を震撼させた凶行はなぜ行われたのか、徹底検証 https://www.youtube.com/watch?v=OpHRCFc15lc 全国霊感商法対策弁護士連絡会語る。 >私共としては安倍信晋三にも他の政治家にも、何回も統一教会の社会悪を考えたならばエールを 送るようなそういう行為はやめてもらいたい。どんなに被害者が悲しむのか苦しむのか絶望するのか。 しかも新しい被害者がそれによってまた生み出されかねないことについて政治家として配慮してもらい たいと繰り返しお願いしてまいりました。 #MBSニュース #毎日放送 #世界平和統一家庭連合 【元信者が語る】「旧統一教会」の実態...なぜ献金?どうやって勧誘?友人に誘われ「バレーボール」に行ったら周りは全員信者だった(2022年7月15日) https://www.youtube.com/watch?v=Nc_r8zsj9F8 岸、福田、安倍晋太郎の名前が見えていますね。 自己破産に離婚 旧統一教会の元2世信者が苦悩語る(2022年7月13日) https://www.youtube.com/watch?v=oAUfciipwW4 弁護士連絡会は、 >献金勧誘行為や信者獲得手法について、繰り返し違法判決が下されている統一教会やそのダミー 組織の活動にさいし政治家の方々が支持するような行為は厳に謹んで頂きたいと改めて切実にお願 いしたいと思います。 とここでも語られています。 テレビなどでは襲撃者は安倍総理と統一教会との繋がりを、個人的な思い込みで事を起こしたと語ら れていますね。しかし本当に勘違いなんでしょうかね。違うと思いますよ。十分に襲撃の対象としては 正鵠を得ていると思います。 ちょっと考えて見ましょうか。北朝鮮による拉致被害と、この統一教会の被害は本質的には同じもので はないでしょうか。朝鮮人による、日本国民に対する人を人とも思わない重大犯罪行為ですからね。 安倍晋三元総理はそのビデオメッセージによって統一教会やダミー組織と間違いなく関係がありまし た。そしてこれは、被害者弁護士協会が厳に慎んでもらいたいと再三にわたって申し出ていたことで す。安倍は一方で拉致被害の解決に向けて、いい格好をしながら(ちっとも解決できていないのですが)、 もう一方でこのように統一教会に加担してで国民を苦しめていたわけでしょう。 こういのを二枚舌というか嘘つきというんですね。本当にまともな政治家だったら問題のある宗教教団 とは縁を切るはずですから。 参政党の神谷宗幣さんは、最初自民党に入りましたが、彼が自民党を辞めた最大の理由は党による 金と宗教団体との関係に嫌気がさしたからだと、本人が公言していますね。 さらに考えて見ましょうか。 オウム事件です。警察当局はかなり早い段階からオウムの犯罪を知っていながらそれをストップさせ る勢力があったわけですね。自民党と深く繋がる宗教勢力ですね。そしてその要請を受けた自民党。 その結果未曾有の犯罪は防ぐことができず、その結果多くの国民の被害者と、海外に対する日本の 汚名でした。 ちなみに国家警察長長官を狙撃してのはオウムではなくオールド右翼の単独犯だったようです。しかし 警察と検察はオウムを早い段階で挙げられず、妨害にあったことがよっぽど悔しかったのでしょう。 無理やりオウムの犯行にしてしまいました。(笑) 宗教勢力は自民党と繋がり献金と票を約束して保護してもらい自民党も利益を得て、その結果、国民 は食い物にされ続けてきたんです。こういう話はタブーですから新聞やテレビにはでません。今回の 事件でやっとそれにスポットライトが当てられ始めたという具合です。 自民党が統一教会などの多くの宗教団体と結びついたのは、戦後の反共政策と深く結びついている ようですね。岸総理は社会党や共産党などに対しての反共勢力として利用したのだと思います。反共だ なんて言っても今の若い世代にはピンとこないでしょうが、当時は冷戦時代です。ソ連や中共と対峙す るには何でもかんでも利用したと思われます。 北朝鮮の拉致と、統一教会は同程度の犯罪度ですけど、そこに共産勢力と反共勢力という違いはあり ますね。でもこれは目くそ鼻くそのどっちが好き?という程度のものです。どちらも深く国民が傷ついて います。 しかしこの反共というのは、現在では反中と言い換えられていて未だに健在であり、反中の為なら宗教 勢力を利用し国民に被害が出ても眼をつぶるという実態となっています。反中のためなら犠牲も厭わ ずという具合で、ネットを見ても有名な保守勢力の論陣は押しなべてそういう論評を張っています。 しかし反中の為なら手段を無視しても構わない、というのは明らかに間違いです。国民を愚弄していま すね。 そんなわけですから、襲撃者が頭が悪くて勘違いで安倍総理を殺害したというのはちょっと違うでしょ う。安倍が反中ということで取り続けてきた一連の施策のひとつに襲撃者は異を唱えただけです。襲撃 者が犯行の直前に知人に当てた手紙が出ておりますが、その知能と知性の高さが伺える文面となっ ています。 はっきり申しまして、国民は愚かです。簡単に宗教や共産主義思想に洗脳されたりします。考えてみて も国政や経済・金融、安全保障や国防といったこと高度なことが理解できる人がどれほどいるのでしょ うか。よっぽど豊富な知識があり知能が高くなければ理解できないことばかりです。 安倍さんだってそんなに賢い人ではなかったですね。ただ安倍さんはそういう難しい課題を国民に分か りやすく伝える能力(雰囲気として分かったような気にさせるだけですが)はあったようです。とにかく人気 がありましたからね。 アベノミクスはレーガノミクスの焼き直しですし、インド太平洋の開かれた云々というのも、米海軍第7艦 隊のエリアと同じです。単に言い換えたにすぎません。少し賢い人だと安倍さんの言ってることは当た り前のことであって何ら新しいものはありません。 安倍さんは個人的によく感じる力があって、それで中国への警戒心が強かったですね。それは占星術 では蟹座であるわけで、安倍さんはその能力が高かったです。この親中とか反中とかいうのは、この 日本の国の長い歴史において常に問われるところです。歴史を分析すれば日本は中国とは別に独立 していかなければならないわけで、その苦労が伺えるのがこの日本の歴史です。 ですから襲撃者が安倍の政治信条が駄目と言うのではなく、その態度というか手段が間違っていたと いうのは、実によく実態を捉えていたかと思います。 海外では安倍首相の評価は押しなべて高いようですが、日本国民においてはその毀誉褒貶が著しい です。功罰相半場するというか、安倍さんを好きな人と嫌いな人が半々でしょうかね。 今回国葬とするようですが、まあ海外の要人を呼んで外交をするとのはよいでしょう。しかし岸田内閣 にまともな外交ができるのかな。極めて疑問です。返って岸田総理の無能をさらけ出すようで危ないで す。また国民に於いては、安倍さんを評価をしている人は東京の一部の人だけで、国民の多くは眉唾物 で安倍を見ていたと思います。私の周囲でも安倍さんが良かったという言う人は頭が足りなさそうなごく 一部のオバサンだけです。 そもそも岸田内閣そのものが安倍さんの傀儡であったので安倍さんがいなくなれば瓦解するというの が本当です。自民党は安倍なき後の体制を素早く作らなければなりません。国葬なんて無駄をしてい る暇はないと思いますよ。とにかく脱安倍体制へいち早く行かなければ。 政治家は国民の犠牲を強いるものですが、国民総体にとっては政治家は国民の為の使い捨ての駒で す。もちろん常に歴史は国民のために政治家を使い潰ししてきたわけです。政治家とはそういうもので あって亡くなってしまえばそれまでです。 ともあれ、安倍自民での最大のスキャンダルが統一教会などの宗教団体とのつながりでしたね。 自公と言って、自民党と公明党との繋がりもこれから見直していくべきでしょうね。憲法改正にとって 公明の支持が得られないというのがネックにいるようです。 今回の機に、以前から気が進まなかった安倍総理などを占星術的に分析してみましたが散々な結果 でした。やはりこの程度だったのかという具合。つまりは日本の保守勢力の宣伝マンというしかなかった ということでしょう。それも効果があったのかどうか怪しいところです。 経済が中国に大きく頼るような時代ですので親中派は多くいます。しかし経済だけでは国政は動きま せん。国防と安全保障は別枠なのです。そこらを明確にしたのは安倍さんの功績ですね。そこらは 米国も西欧も同じなので、むしろ米国のやり方を安倍さんが真似ただけですか。要するに金だけでは 世の中は動いていないというわけです。 占星術的には安倍さんは面白くありませんでした。ほんとに人気だけの人でしたね。少し学べたのは、 襲撃者と安倍さんの相性が度を越してよかったことです。なんでも度を越すのは良くなくてそれが事件 に結びついたところがあります。しかしこの良い相性が襲撃者の完璧な仕事ぶりに結びついたように 思います。巻き添え被害者を誰一人ださなかった。襲撃者の能力の高さと(想定外のことを起こさない)、 相性が味方したように感じられます。
香川の西部の柞田川(くにたがわ)上流にある豊稔池ダムです。満水貯水量150万トンなので ちょうど満濃池の1/10ですか。水は満水でした。このダムの下流にある井関池の水は空っぽ でしたけどね。 柞田川水系にはもうひとつ五郷ダムというのが並列していてそちらは250万トン。さらに粟井ダム というのも別支流にあり、590万トン。小さな川に3つものダムがあって無駄に水は流さないという ことらしいです。(^^ゞ 香川のダムで最大なのが最近できた樺川ダム。満水1050万トンですので、それでも満濃池の 1500万トンには敵いません。香川用水調整池(香川用水専用)の宝山湖が300万トンなので池と しては大きいですね。というか満濃池を除いて最大です。しかしこれは池というか最新アースフィル 式ダムというべきか。旧来の溜池だと、だいたい100万トンクラスだと大きい池になります。 香川の多くの池は1600年代、江戸幕府が開かれて日本各地で新田開発が行われた時期に、三重 の津から貸し出された客臣の西嶋八兵衛によるものです。香川の溜池の父とも呼ばれています。 西嶋は藤堂高虎の臣下であり弟子ですね。藤堂高虎は江戸幕府の重鎮なので香川は良い人材 を宛がわれたことなります。 数多くのダムや溜池がある香川ですが、その生命線は高知県にある早明浦ダムに寄っています。 こちらの満水貯水量は3億1千6百万トン。樺川ダムの30倍です。(^^ゞ なお貯水量日本一は岐阜県 の徳山ダムでして6億6千トン。早明浦ダムは8位ですね。 ちなみに長江の三峡ダムは390億トンです。桁が違いますね。琵琶湖が270億トンですのでそういう レベルですから。(^^ゞ 日本には資源として水しかないわけなので、水の豊富な県が裕福な県です。香川はたぶん沖縄と 並んで水貧乏県なので、貧乏人同士気が合うのか、香川には沖縄県人が多くいます。(笑) 私などはダムや溜池が満水しているとそれを見るだけで幸せになれるという人間ですね。とはいえ、 耽々と水をたたえたダム湖などは恐怖心が湧いてきます。水はやはり怖くてそして強力です。 エネルギーのなかで水力発電が一番に高効率といいます。そりゃあそうでしょう。電気を作るときに 廃熱がないですから。火力発電も原子力発電も膨大な廃熱をだしていますからね。水力発電は水の 位置エネルギーのほぼそのまんま電力に変えることができます。 水というものに魅せられて随分と経ちますが水は魅力的です。溜池やダム湖、そして水田に河川に。 そして近年は石にも行き、もっと最近は神社の森に魅せられています。水とか石とか大木とか、こう いうのはすべて自然なものです。そういう第一次自然の資源を人間は最初に利用して文明を築きま した。いくら文明が高度になってもやはりそれらは最重要です。 写真趣味は自分が何の関心を持つのか、それに関わってきます。自分の好きな対象をふかく考える ことが大事だと思っています。
火星が牡牛座に入り、天王星と同座するようになってから急遽、世界が動き出しました。英国の ジョンソン首相が退陣に追い込まれるようになりました。そして日本の安倍元総理が襲撃により死去 しました。それで岸田内閣は不安定化すると思います。 この急変な星の相が最大になるのが結末から来月始めにかけてです。それはもしかすればウクライナ における核使用の可能性もあるのではと考えたこともありましたが、こうなると可能性が高いのは プーチン暗殺とか失脚ですかね。とにかく世界を震撼させる出来事が起きると思われます。 それにしても安倍総理が襲われ死亡するとは思いもよりませんでした。幸いにも襲撃者の放った銃弾 は安倍さん以外に巻き添え被害をもたらすことがなく不幸中の幸いとも言うべきものでした。 銃弾は2発発射されて最初のものは外れて流れ弾となったはずです。動画で見ると一発めの直後、 安倍さんは後ろを振り向いていますね。と同時に2発めが発射されて倒れました。ほぼ即時だった ようです。 どんな政治家にも功罰というものがあり、海外のメディアでも安倍氏の外交や経済政策の成果と共に、 国民を分断させたということが言われております。ここ数年というか、2000年以降の無差別大量殺傷 事件で特に目立つのは、不安定な職種で所得の低い大勢の方が苦しんでいてその挙句、加害者と なったという現実です。 これを放置してしまった政治の責任というものがあるようにも思えます。まずなによりも日本ファースト ではなかったのか、という疑問がでてきますよね。野党も何をしていたのだと言いたくもなりますし。 海外で金をばら撒いてええカッコするのが政治じゃないてすし、憲法々々とか言って国民の生活を捨て 置いたのもそうです。憲法なんて糞食らえではないですか。あんなのは文化財に指定すれば聖徳太子 の17条の憲法と変らなくなります。それよりも困苦民には今月の給料の額が大切なんです。 とにかく苦労なしのええとこのボンボンが政治をするのは限界があるように思います。
秋葉原通り魔事件 2008年6月8日 相模原障害者施設殺傷事件 2016年7月26日 京都アニメ放火殺人事件 2019年7月18日 北新地ビル放火殺人事件 2021年12月17日 こういう無差別大量殺人事件が過去にもあるわけですが犯人はいずれも未来を見出せない底辺の人達 の、しかも方向性の無い犯罪でした。今回の襲撃事件もそのようになる可能性がありましたね。爆弾を 使わず手製銃に変えたことで、しかも相当に練ったことで被害を最低限にすることができました。 奈良県警が叩かれておりますが、むしろ何もしなかったことで暴発や射撃ミスを防げたと思います。 民主主義には選挙というものがあり、候補者は地方にも有権者の近くに寄って参ります。握手も出来る しツーショット写真も撮らせてくれる。リモート選挙では勝てないわけですね。そこが民主主義のよいところ で襲撃者はそれを利用しました。為政者が東京の奥の院に閉じこもり、テレビでリモートで選挙活動する だけだと、それはプーチンの皇帝政治やバイデンのイカサマ選挙と変らなくなります。 今回の事件は日本が民主主義の国だからこそ起きた事件であって、ロシアや中国では考えられないです ね。 とにかく虐げられていた底辺の国民がその方向性を始めて見出したということで、今回の事件は少し注目 に値すると思っています。弱者が弱者同士を殺しあって為政者には安心安全な時代から、ちょっと変って 来たなというわけです。これから政治家を志すには命を懸けてやる必要があるというわけですね。 ウクライナの国民が命をかけて戦うのを全世界の人々が見ています。そういう影響が日本にも及んで来 たのかもしれません。
今回の投稿写真は少しコントラストを強めてみました。だふんソニーらしい写真になったかと思います。 写真は歩きだと申しますか、私はそれを常々強調していますね。歩きの効果は健康維持だけでなく、 頭の働きにも大いに関係がありますね。脳卒中になる人、ボケが進む人、物忘れが激しい人などは、 共通して言えるのは、日頃の歩きが乏しいということです。 歩きには健康維持だけだと週に3回ほど30分ほどの歩きで十分なのですが、頭の脳の活動を維持しよう とすれは週に1回は数時間の歩きがないと保てないように感じています。そして何度かのうち1回は歩き で限界まで行かないとだめなようにも感じます。 私も最近はそこまでの歩きが出来ていないので脳の働きが少しばかり落ちてきたなって感じるところが あります。(笑) これは年齢には関係なくて、月に1回くらいは歩きの限界までいくということが大事です。 最近は平地ばかりの歩行で山歩きができていません。やはり山歩きは本当に大切なんだなっていうこと が良くわかるようになりました。 写真歩きは犬の散歩とは違います。いつもと同じ道ではなく、初めての道でありそして場合によっては 険しく全身を使っての歩きとなります。そして高度差の移動を伴います。平地の歩きではこれが叶いま せんね。さらに無心になって歩きに専念することが大事でそれで限界まで行くことが求められます。 歩き撮影をするには、写真は記録写真程度に留めておくというのがあります。歩きが主目的であり、 撮影は付属物だからです。 ともあれ、最近は時間がとれず、歩きが疎かになっているのが残念です。
下のコメントの、小型のカメラでいいじゃん?っていうのは、とりあえずは撤回です。(笑) そして、キヤノン板から https://photoxp.jp/pictures/220895 少し前に地元タウン誌で脳卒中の経験談がシリーズで載っていたんです。そのなかで高血圧を下げ るには歩きが一番だという話が出ていたんですね。私は高血圧ではないのですが、身近で脳梗塞や 脳卒中(脳卒中とは脳梗塞・脳出血・くも膜下出血を言う)になった人をたくさん見ておりますので、 その危険性は知っていてるつもりです。 その頭がまだありましたので、バッテリーがアウトになった時、自分で歩いて店まで行って買って来よ うという発案が浮かびました。車にはバッテリー接続ケーブルも載せいてるんですけど、とにかく歩き たいという気分だったんですね。(^^ゞ 15分で店までいけると踏んでいたのですがその店は閉店になりシヤッターが閉まりました。もう15分 歩けば別の店があるということで片道30分ほどの歩きでした。しかし帰りは4~5キロはあろかという 荷物を手に持ってですので40分くらいはかかりましたかね。 そんなわけで久しぶりの手荷物(常にはそれがカメラなんですね)を持っての歩き。なかなか良かった と思ってます。こう暑いと、ついつい不精をしたくなるのが人間ですが、そうはあってはならないという のがカメラ趣味人の矜持というものでしょうか。(^^ゞ 何度も書きましたけど、私はカメラは撮影中はずっと手に持ったままなんですね。例えば3時間撮影に 時間を割いたとしますと、その間はカメラを肩に掛けるということはせず、常に左か右かの手に持った ままでやります。つまり歩いている間中は常時撮影タイムですのでカメラは手の中にあるというわけ です。 もちろんカメラを2台持てば1台は肩掛けですよ。これは当然ですしバックもそうです。山歩きで杖を持て ば、手には杖であり肩にカメラとなります。で、その杖というのは樫の棒なのでカメラくらいの重さがあ るでしょう。つまり歩くことでは必ず手に何かを持つ、というのが私の歩きの哲学のようなものですね。 そのカメラの重さというのはどれくらいなのか。ミラーレスカメラだと1キロ前後でしょうか。デジイチだと 2キロ近く行くかもしれません。少し前に使ったシグマ50-500ミリ+イオス1DXで3キロくらい。サンニッ パだと4キロくらいですかね。新しいシグマ60-600にデジイチとなると4キロくらいになりますので、これ だと長歩きはできません。私の場合は撮影は3キロまでのカメラということになります。 後は、カメラレンズを軽く抑えれば長く歩けて、重ければそうは歩けないという選択の問題になります。 しかしやはりミラーレスの1キロというのはちょっと軽すぎですかね。2キロくらいがスタンダードという 気がしてます。 ミラーレスのカメラは軽すぎるというのが最大の短所ですかね。それで気の利いた人はデジイチレンズ を着けて撮影するんですね。そしてバッテリーグリップ。これで少しは重くなりカメラらしくなります。 こういう話は写真バカの人には分からないことなんですが常識人の人には賛同してもらえるでしょう。 普通の人にとっては、写真とはすなわちカメラを持つということですから。 写真趣味はできるかぎり常識から離れないことが大切ですね。オタクになってしまうと危ないですし、 閉じこもってしまうとさらによくありません。そして何よりも現物実物の思考から離れないことです。抽象 的に論理を振りかざしてしまうと迷宮に入って出られなくなりますからね。これは自分は撮影しないけ れど、人の写真を評論するだけという写真評論家の方達によく見られます。左翼系の人達ですかね。 写真とは暑くても寒くてもとにかく野外に出て重いカメラを持ってひいひい言いながら写真を撮るという こと。これに尽きます。翌日の筋肉痛がなにより気持ちいいっていうことです。(^^ゞ そこにこそ写真の真髄が隠されているというわけでして、身体を使わない頭だけの写真論なんてのは 幻影みたいなもんですかね。昔からそういう頭だけ人間は一定数いるようで、私が写真を始めた黒白 フィルム時代もいました。完全に左巻きの人でしたが。
暑くて考えるのも面倒なので、撮影で持ち出すカメラはやはり小型のものに限りますね。 とにかくまずは出かけようで始まり、気が向きままに歩ければそれで良いかなというところ。(^^ゞ
別段に花が好きというわけではないのですが、花が咲いていればその時期の証拠というものにも なり、花と人の記憶には深いものがあると思ってます。花はほぼどの季節でも咲いているようなの で、人は花と時節の深いかかわりも文化の中に取り込んでいるように思います。
さすがにこのところ暑いです。(^^ゞ 撮影は滞りがちになるのですが、少しでも時間があれば義務的で あっても撮影をして歩かなければと心がけています。 歩きこそが自分の健康維持の基本であるとしてカメラを持つのはオマケ程度のものですが、それでも 郷土の新しい発見は途切れることはありません。最近は地下水脈が面白いねって感じてます。
Exif情報が出ていないようですが、パナソニックのLC-1での撮影です。(下の写真もそう) 下の写真はRAWで撮影しライトルームで現像していますが、正直言って撮影があまりにもスローモーに なり、途中でJPEG撮影に切り替えました。この撮影はJPEG撮影のものです。 見るPCのモニターによっては、RAW撮影でもJPEG撮影も変わりがないようです。
満濃池の排水ゲートです。水の乏しい香川でこんなに水が流れるというのは台風時以外にありません。 それ以外にはこのような田植え時のユル抜きですね。
奥に見えるのが堤防下部のユル抜き口です。このすぐ下流にゲートがあります。
水は国です。鉄は国家なりといいましたが、それよりも水がこの国を支えていて水か水田稲作をはじめ 製造業や都市を営なませているのです。 日本にある資源は水だけ、とって言っても過言でなく、しかし水こそが全ての源であるというのは言うま でもありませんね。 私が水に関心があったのは水資源の乏しい香川だったからこそなのかもしれません。そもそも雨は あまり降らず降っても直ぐに海に流れてしまう土地柄なので昔から水には苦労をして、溜池大国となり ました。 そのため池のなかで最大のものが満濃池。溜池というよりもダム湖というべきかもしれません。
満濃池
満濃池
満濃池
「チャグチャグ馬コ」 https://photoxp.jp/pictures/220735 https://photoxp.jp/pictures/220733 https://photoxp.jp/pictures/220734 これも優れた写真なので紹介します。masaさんの写真ですね。 前回紹介の一耕人のお父さん(兄さんではなかった)の写真とならんて、心を打つ写真となって おります。 このご両人さんの写真に共通するのは、それが被写体が、東北の人達であるという点です。 東北の人々、東北の大地というものは、写真としてかなり優れた被写体ではなかろうかと、私も 以前から思っております。関東でもない北陸でもない、東北に共通する何かがあるように思うんで すね。 これは感覚的なものなのでその理由は分かりません。少し考えられるのは、人口が過疎である こと。(地方ならば当然のことか) そして地形の特に山の、山容が実になだらかであるということ。 山が峻険ではないというのは実に特徴的でして、例えば四国は大体は山が切り立っているのが 普通なんですね。ただ徳島の南部の場合だと山容が緩やかなんですね。それでね、すごく広さを 感じるんです。( これは岩質がもろくて直ぐに崩れるために傾斜が緩やかなだけです。自然そのもの は厳しくて洪水と渇水は常に) 阿波の那珂川を散策した時、特にそれを感じて、これは何故か東北に感じが似ているって思いま したから。それは、とにかく空が広くて明るく感じるんです。緩やかだから車で走っても楽ですし、 とにかく開放感があります。圧迫感というものが少ない。 それでね、おそらく其処に住む人達も鷹揚であって、ぎすぎすしていないのではないかと言うこと です。優しさを育む土地なのかな。 東北の大地は緩やかさが特徴ですね。そして広いです。北海道もそうだろうと思うんですが、 東北には長い独自の歴史と伝統がありますね。そこが北海道とは少し違うところ。 おそらく東北に長く住んでいる方は多分、東北の良さというものが当たり前だから気づいていない だろうと思います。 masaさんのこの写真、素晴らしいですね。着飾った馬の長い列に見入ってしまいます。馬の衣装 には相当な金がかかっている筈。東北は豊かなんですね。それに牛ではなく馬です。此方とは格が 違いますね。
① ソニー板の、爺児さんの一連の写真に注目しています。オールドレンズに関して私の知識は皆無なので コメントはできませんが、投稿された写真に関してはとても美しいですね。ただ観る側は、かなりのPC/ モニターでないと正確には観られないかもしれません。 昔の古いレンズを加工して最新のミラーレスカメラに着けて撮影をされているようですが、レンズ遊びと 言えばそうですし、こういうスタイルの撮影もあるのだと言えば゛充分納得のいくところでもあります。 私にはとてもじゃないですが真似ができません。そもそも、もうマニュアルでピントを合わせるということ 自体がもう不可能になってきてるので。(^^ゞ これからも爺児さんの写真を静かに鑑賞していきたいと願っています。 人には真似のできない写真スタイルを持つということは強みになります。それは自分ひとりだけでも写真 を継続していくことができるからです。多くの写真人は同好の写真人と相まって連携して写真をやり続け ているわけですが、本来、写真というものは個人的な技であるわけです。たしかに連携の妙もあるわけ ですが、やはり基本は一人でも写真ができるという能力が必要です。 この掲示板がそういう独自スタイルの方のためにも役立つことを願っております。
② キヤノン板、一耕人さんの写真です。 https://photoxp.jp/pictures/220727 久しぶりに感激する写真を見せてもらいました。 一耕人さん、ありがとう。(^^ゞ 優しい兄さんがおられますね。 もう私にはこういう写真は撮れないです。 今の私の写真術は、カメラを持って野山をあるいて、それが健康維持になるというだけの話です。 きわめて個人的で、我欲のしみったれだけで、社会性のひとつすらありません。 といいますか、私はとっくに写真は辞めているわけでしてね。単にカメラ遊びをしているだけです。 そのカメラ遊びにしても世間様に恥ずかしいから、人のいないところでひっそりとやってます。 たまに誰かに出会って、「写真趣味をやっているんですか?良い趣味をお持ちですね。」なんて 声かけられた時には、顔から火が出るほどに恥ずかしいです。 即下に、いえいえ違います、ただの見物人です。と全否定しています。大人気ないんではありますが。 今はもう、写真をしてるということを可能な限り隠してます。そもそも写真をするのは道楽者、半端者、 やくざれ者と相場は決まってますからね。まともな人間は写真をやりません。ましてやカメラ遊びなん かは絶対にしませんから。 撮影の場が田舎だから、田圃で働いている人を撮ることもあります。そっと、遠巻きに撮影するだけ です。しかしそういう野良仕事をしている人とはよく話はするんですよ。あくまで世間話であって写真 の話題などは絶対しません。もちろん農地や作物の話はしますけどね。 そもそも昔から写真で目立つことは一切しておりません。コンテストに応募したこともないし、同好会 に入ったこともありません。だいだい自分の写真を人様に見せるってのは好きではないんですね。 私が写真やカメラの話をするのは、偶に撮影時に出合った同好の趣味人とか、カメラ屋さんとか、 それとこの掲示板だけです。それ以外は写真なんて関係ないですからね。 写真やカメラは密やかな個人趣味とすべし、なんです。 多分、私ほど実際の人間と掲示板のキャラクターが違う人間はいないだろうと思ってます。
⑪ 写真には撮影時の満足感というものの他に、やはり出来あがった画像に対する満足感というのも あるのでしょう。私の場合は良い色とか発色ができれば満足というくらいですが、それだけの満足感を 得るだけでも機材などでお金を使ってしまいます。 画像の満足感を、撮影時の偶然か、もしくは画像処理の技術だけで満足のいくものにするのは難題 でして、やはりレンズやカメラという機材が大きくものを言っているということになるわけです。 考えてみれば、この発色の満足感ほど贅沢なものはないのでして、カメラやレンズだけでなく、PCや モニター、プリンターそして現像ソフトという機材類にも大きく関連してきます。 こういうのは本来の写真撮影の満足感とは別の種類のものですが、デジタル時代に限らず昔から多く のカメラマンが悩まされてきた問題です。 昔はフィルムとかレンズだけで画質は変わったものですが、現在ではフィルムがボディそのものに なってしまったわけなので多額の資金が必要になってきました。そしてレンズも以前とは違い多種多様 です。黒白写真時代が無駄遣いせず良かったねって思いますね。 この画像の満足感というのは、それこそ本来の写真としては邪道そのものなんですが、なかなかそれ を止められないというのが現実です。私だけでなく多くのユーザー、カメラマンが常に悩まされている 問題ですね。しかし撮影後の満足感としては、この画質の満足感というのは非常に大きいわけです。 つまり、この「撮影後満足感」というものは、本来の写真術とは別に考える必要がありそうです。むしろ 絵画的なそれに近いものがあるということでしょうか。つまり絵作り的な満足感なのでしょうか。
⑫ 最近ちょっと腕時計が止まってしまい、どうせなら自分で電池交換をしようじゃないかと思い、ネット 動画でみれば簡単に電池交換ができることを知りました。私が持っているのは数千円のクラスなので 電池交換に2千円も取られれば馬鹿馬鹿しいじゃないかということです。幸いに裏蓋を開ける工具は カメラ用のがそのまま使えて簡単に開きました。その電池を家電店で買うと数百円です。 私にとっては腕時計は単なる道具なので数個しか所持してません。数千円から一万のレベルのもの。 自分にはそれ以上の欲はなくて飽くまでも道具レベルに留まっています。 ところがカメラ類となるとそうはいかないのです。時計は正確な時刻を知るだけの道具ですが、カメラ は画像を得るという道具に留まらずに、画質という発色や解像力というプラスアルファがあるからです ね。 この画質というものが曲者です。実にアナログな、明確な定義不可能なものでして、感覚そのもの。 そして相対的なものです。1万円のレンズと10万円のレンズは相対的に画質が違うのだけど、その違 いこそが面白いということです。その違いを見ることが面白くてレンズやカメラのコレクションをやめられ ないということなんだと思います。 私の場合、10万円のレンズで満足することができずに、1万のレンズ、5万円のレンズも揃えたくなる。 色んなレンズを見てみたいとなるわけで、カメラボディもそういうことになります。 世の中には10万円レンズがあればそれ以下は不要という考え方をする人が多いのだけど、そうでない 人も多くいるんですね。それは違いを楽しみたいといういうことだと思います。 簡単に言うと、各々のレンズやカメラで世界が違って見えるというわけです。もちろんこれは錯覚に 過ぎないのですが、そう見えると信じるところに意味があるというわけです。(笑) レンズ沼、カメラ 沼に浸るとはそういうことなんでしょうね。これはきっと信仰の世界そのものだと思ってます。
⑬ 写真画像にこの世の中がどのように写ろうとも、この世界の真実はひとつです。それは時計の時刻が 正しくはひとつしかないというのも同じですね。こう言ってしまえば身も蓋もないのですが写真画像には 揺らぎという曖昧なものが許されています。 絵画の場合は製作者の画材や筆遣いひとつで変わるわけですが、写真の場合は機材がモノを言いま す。と言いますか、それしか方法がないわけです。写真は大げさになりますね。 写真は過剰で無駄が多すぎると思いますが、本来は写真における真実はひとつであるわけで、時計 の時刻がたったひとつしかないのと同じく、写真画像は本質的にひとつだけのものであることです。 しかしその真実のひとつは決してカメラで写すことはできせん。どんなに高級な機材でも真実に迫る ことはできないのです。迫ることができないということでは、高級レンズも廉価レンズでも同じです。 同価値しかないんです。このことはよく理解しておく必要があります。 そうは言っても、例えば産業カメラや軍事カメラでは良い機材を搭載したものが高性能で良い仕事を してくれます。それも事実ですね。そういう相対性と実用的レベルと絶対性の違いというものも理解し ておかなければなりません。 とにかく機材遊びは程ほどにしておかなければ財布をやせ細ることになるので、とにかく写真の画質 の真実はひとつしかなく、それに達することは永遠に不可能であるということは肝に銘じておくべきで すね。
⑭ 腕時計とカメラには共通するものがあります。それは手に持つ、ということ。 両方とも手に持つ、手に着けるということで、本来の役目(正確な時刻、および画像を得ること)とは 別に、人の手にフィットした人間的工学的性能が求められます。そういうデザインもさることながら、 重さ や大きさに自ずと制限があるということです。 馬鹿でかくて重たい腕時計というものはありませんし、カメラ機材も5キロを越えれば三脚を使わずに 持ち歩くことはできません。私の場合はカメラ+レンズで3キロを越えれば撮影として持ち歩くことはでき ません。当然ながら軽い機材ほど撮影力は増します。 そして高級カメラ、高性能レンズほど重くなり使い勝手は悪くなります。良い画像を得るのは高級機材 ですが、良い写真を撮れるのは廉価機材であるという相反する現実が基幹に横たわっているのです。 ここに写真撮影の面白さがありますね。 面白さと言うより真実に迫る事柄です。実はこういうのは写真に限らず世の中に全て言えることでし て、単眼思考では物事は理解できないということなのです。それで結局はほどぼとの中庸レベルの ものが一番ヒット率が高いという結論に達します。 とにかくカメラ機材は基本的に人の手で持つことで成り立っていて、機械として人間の友となることが できます。手に馴染む機械であり身体に害を及ぼさないものであるべきです。健康に害を与えないと いうことでは、今のカメラはまだ合格していません。昔のメカニカルカメラの方が遥かに安全であり、 今のカメラはまだ発展途上にあります。
⑮ 以前、狙撃手と写真の共通性について言及しましたが、一番に忘れてはならないものは狙撃のスコア を誇るな、スコアなんて忘れろ、ということでした。 これは写真に当てはめれば、自分の撮った過去の写真なんて忘れろ、ということを意味していると思い ます。 写真は常に今しかない。ということです。もしくはこれから撮るべき近未来の写真ですか。 もし歳をとってカメラが持てないようになれば写真は撮れなくなるのですが、それでも自分の眼がある 限り仮想的に写真は撮れるかもしれないということを意味しますし、眼が見えなくなれば耳で撮り、肌 で感じ撮ることもできるだろうということです。 色んな意味で写真とは常に今であり、この瞬間であって、過去のことなんて関係ないということでしょ う。 要するに写真とは人の生き様を意味するのではないですか。たかがカメラという道具によるべきことで はないはずです。カメラなんて無くなっても写真は撮れます。そう考えるべきですね。 写真と狙撃の最大の違いがあります。これは当たり前ですが、狙撃は軍隊に於いて命令によってする ことです。しかし写真は個人が自らの意思でやるべきことなんです。狙撃手は不幸ですが写真人は そうではありません。 真の意味で写真人は自由で幸運であるべきです。狙撃手は命令に反して狙撃を辞めることは出来ま せんが、写真人は自らの意思でいつでもカメラを置くことができます。 よくコメントで、連写のことを連射と間違えて書く人が多いですね。不用心ですけどかなり根本的な過ち をしていますね。射と写は本質的な違いがあります。写真とは本来、平和で受動的なものなんです。
⑯ キヤノン板から・・裏街道さんの撮られた美しい写真です。 https://photoxp.jp/pictures/220698 「越前海岸の柱状節理の鉾島神社」 https://ameblo.jp/yukibayonetta/entry-12710058975.html 越前加賀海岸国定公園の鉾島は観光地『東尋坊』と同じく、岩体が柱状になった節理が見られます ね。 また神の島といわれる雄島も有名なようですし、地質学的にはもっと南の若狭の水月湖が別の意味で 面白そうです。(水月湖の年縞) さらには柱状節理で有名なのが、玄武岩の名の由来となった兵庫県 豊岡市の玄武洞ですか。(越前海岸は安山岩や流紋岩のようですが) こういう美しい写真に啓発されて色々とネットで調べるだけでも興味が尽きませんね。観る側に調べる という楽しみがあります。 しかし近頃はただ風景を綺麗だけとして終わらせるのではなくて、風景や被写体の原質をもっと深く 追求しながら撮影をなさる方が多く見られます。植物植生や動物野鳥昆虫等を撮影なされる方々が 特に顕著すね。 昔とは時代が変わったという気がします。つまりはネイチャーフォトということだと思いますが、かなり 学識があり博物学の知識がないと写真は撮れなくなったということなのかも知れません。 私はそういうのは苦手なんでして、ただキレイと自分が感じれればそれだけで写真にしても良いんじゃ ないかと思うんですがね。この写真の裏街道さんもきっとそうでしょう。 写真の本質として、本当に大事なのは被写体ではなくて撮影をされる人間の方のように思いますか ら、そういう意味では最近の写真術は、肉声が乏しく無機質性が漂っているように感じられます。 優等生すぎるというか、最近の教育現場に似たようなところがあって、反作用としてイジメが横行する んですけど、これは日本独特の現象なのかもしれません。もっとも若い人達の写真はそうではないと 思うので、きっとこれは日本の高齢者写真だけの現象なんでしょうかね。 余談ながら日本的高齢者写真術の動静を見たければフォトXPを見るべし、なんてことになっているの かも。(笑) そういえば高齢者写真とはすなわち認知症写真なのかなあ。そう考えればかなり興味深 いことではあります。認知症とはなにか?から始まるわけですしね。 よく平和ボケといいますけど、ボケは認知症の意味ですから、平和の意味をよく理解できていない認知 症的現象というくらいの意味でしょうか。 とにかく写真における認知症研究でも始めれば面白いことになるかもしれません。私もそういう年齢に 差し掛かってきて、他人事ではなく思うことがあります。 あっ、ひとつ発見しました。認知症現象を。現在のフォトXP掲示板は各板を統合したものですが、今だ に個別の板に閉じこもっている人達が多いのはきっと認知症のひとつだと思います。(笑)
⑰ 写真とは結局は人である。このことは忘れないでおこうと思ってます。 写真は人を離れては存在しきれないものですからね。撮影者とは無関係に写真は存在しえません。 ですから写真の評論は撮影者への評論になるのであって、只単に写真画像というそのものがこの 世の中に撮影者と無関係に存在して、その写真だけを評論できるものではないのです。 それを言えば撮影者がもし認知力を喪失した場合、その写真とは何なのか。興味深いところです。 多分、それはただの画像なのでしょう。 このkusanagiが、この掲示板のコメントで撮影者に関してコメントをするのはけしからんことだ。とよく 言われるわけですが、そのご意見は本質的に間違っています。写真=撮影者であって、その写真を 評価するには撮影者への思いを馳せなければなりません。また撮影者の意図とかも深く。 おそらくそういう方は、写真というものが撮影者の個性や人間性とは関係なく存在しえて且つ上達でき るものだと考えているのかもしれません。 しかし現実は、写真は撮影者という人間性から生み出されるものであって、AIやロボットが撮影したも のではないですね。 写真が撮影者の人間性とは無関係にあるものだと考えている方は写真の本質を知らないでいます。 それから写真評論の本も記事も読んだことがないのでしょう。 これは一種の認知症でして、例えば武器があるから、基地があるから戦争が起きるのであって、それ ら禁じれば戦争は起きないという不思議な論理とよくにています。そもそも戦争とは侵略する側の国家 の人間達が明確に意図して起こすものであって、武器や軍隊組織自体がかつてに起こすものではあり ません。武器=写真、侵略者の人間=撮影者であるわけですね。 こういうことからして、写真評論とは当然の帰結として撮影者への(写真的)評価となりうるのです。 しかし最近は写真が無機質化してきて撮影者という人間の匂いがしない写真が多くなってきています。 私はそれを写真ではなく画像だとして考えるのですが、これはデジタル時代の特徴かもしれませんね。 しかし無機質写真という画像は同時に認知症写真でもあるわけです。
⑱ 「独ソ戦」〈絶滅戦争の惨禍〉大木毅著 岩波新書 これから読もうと思っていてる本です。2019年7月 初刊で22年4月で22刷ですのでベストセラーだと思います。 ロシアではこの独ソ戦を大祖国戦争と言われていて、ソ連や現在のロシアの国家的存在意義となる 戦争だそうです。戦争が、防衛戦争が国家の存在意義というのは日本では考えられませんが、それを 言えば今の憲法は日米戦争がもたらしたものですので多少の関連はあるかもしれません。しかし左翼 ではない普通の日本人の感覚では国は戦争だけで成り立っているものではないわけですね。 プーチンの頭のなかでは今もってこの独ソ戦とナチズムがあるみたいです。そしてソ連がね。 20世紀になぜイデオロギー戦争が起きたのか。その根本には国家総動員体制の戦争が起きた時代と 深く関わっていると感じてます。国民大衆を総動員するには人為的宗教動員が必要だったからではな いでしょうか。イデオロギーとは人為的な擬似宗教ですよね。日常の利益損得とは関係ないですから。 しかし21世紀の時代はもはや宗教の世紀ではありません。何の科学的根拠のないイデオロギーなど は無用の長物です。憲法9条はイデオロギーそのものですからやがてなくなると思います。