無題
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D5200
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/125sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 1330x2000 (1.59MB)
撮影日時 2022-01-01 00:11:50 +0900

1   kusanagi   2022/1/1 22:35

最近とくに思うのは、もはや写真のことだけを考えていたのでは写真撮影は出来ないようになっているの
ではなかと言うことです。時代が変わってきたと言うしかなくて、とにかく御自分の常日頃の関心事を追及
して、その為の道具として写真が存在するという具合になったような気がしてます。
写真自体は道具としてでしか意味を成さなくなったような感じですね。現在は非常にビジュアルな時代で
して、誰もが簡単に写真を撮れますし理由できる時代です。そして写真よりも高濃度な動画も一般的に
なってきていますので、昔のように写真をやっているというだけで威張れなくなったわけですね。(^^ゞ 

この掲示板では野鳥撮影の投稿比率が高くなってきました。これはレンズ交換式高級カメラでしか撮れな
い最後の聖域ということで、それでアマチュアカメラマンの最後の砦としての野鳥撮影が残されていたと
いうことかもしれません。
もはや普通の写真では一般人のスマホと変らない時代なんでして、アマチュア写真人の肩身は随分と
狭くなってしまったようです。芸術風な写真も写真加工で簡単にできる時代です。そうなってしまうと昔から
の写真愛好家は、もはや自分の出番がなくなってしまったと感じてしまうのではないでしょうかね。

つまり写真の時代は終わってしまったということです。正しく言うとハイアマチュアが活動できる場がなく
なってしまったということ。この世の中がデジタルなフォトビジュアル全盛になってしまったからこそ、もと
もとニッチな存在であったアマチュア写真家は存続できなくなってしまったという感じがします。
写真掲示板衰退の根本的な理由はそこら辺にあるだろうと考えています。そうなってくると写真愛好家
の方向は、カメラ機材に回帰するのか、それとももっと別な方向に行くのか、とにかく何かを見つけ出さな
ければ写真を続行できないような時代となっているようですね。

カメラ機材の回帰はこの私にもあって、なんでもない普通の写真を撮るのにやたら大げさな機材を持ち出
して自己満足しているのですが、こういうのは普通のスマホ人から見ればバカ丸出しかもしれません。し
かし当人は到ってそれで満足しているわけですからこれは趣味人の領域です。(^^ゞ 
ただこれだけは言えると思っているのですが、一般スマホ人が写真が分かっていると思っているのは
虚妄の世界であるということです。彼らが住んでいる世界はバーチャルなビジュアル世界であって、それ
と現実のリアルな世界とは違います。そこに彼らは気がついていないという実態がありますね。

私の写真への方向というものがあるとすば、それは機材の許す限りのリアルな撮影を今後もして行きた
いと言うことです。フォーサーズならばそれなりのリアルさがあるわけでそれを追求していけばよいだけ
です。またフルサイズカメラならばそれ様のリアルさを求めればよいということ。
スマホに関してはこれはカメラ、写真機ではないから使いませんしね。もし使うとしてもこれもまたそれ様
の写真があるだけのことです。それぞれの機材という制約の中で可能な限りリアルさを追い求めて行きた
いと言うこと。要するにそれだけなんではないかと思うのです。
前提として、ある機材があってそれを使って写真をやっていくということ。ですから機材を越えた抽象的な
写真というものがあるとは思えないのです。百のカメラがあれば百の写真術がある。それで写真の面白さ
とは機材の面白さであって、それ以上ではないのではないかということですね。

そんなわけでカメラを持つ以上は、機材への関心はなくならないのですし、それから写真のリアルさという
ものを追求していけば当然ながら、本命の自分の関心事に対してもリアルさの追及は緩めないと言うこと
ですね。そこに嘘とか虚飾とかいうものは不要なのですから。
ただ目前に目の前にあるリアルを、写真をやろうがやるまいが、カメラを持とうが持つまいが、リアル路線
には気を抜かないと言うこと。そういう写真的な生き方をこれからもして行きたいと思ってます。

投稿者の中には一台の機材を集中して使う人と、多種の機材を折り混ぜて使う人とがいますが、これは
あまり写真の本質とは関係ないようです。それぞれのやり方という以上のものではなさそうです。それに
カメラ1台、レンズ1本で行くという人はいません。カメラが1台の人でもレンズも多数所持されているわけで
すから。
ただ複数台のカメラを持てばカメラボディに関しての知識が増えるというのはありそうです。写真はレンズだけで決まるのではなく、ボディやセンサーやエンジンでも大きく異なるからです。

写真の撮影意欲、投稿が滞るのは、おそらくは撮影時に於ける「歩き」に深く関係があるものと私は考え
ています。撮影時に一定量の歩きがなければ、次に撮影しようかという意欲が減退するというのがありま
す。これは私の経験から言えるものでして、大きく外れていないものと思っています。
車や電車で移動はするものの、カメラを持っての歩きの移動が少なければ、写真における本質的な意欲
というものが減退するのです。また手に持っているカメラがスマホのように小さくなるのも同様な現象が
みられると思います。それでコンデジばかりで撮影するのには限界があります。スマホやコンデジは小さ
すぎるというわけです。
それで写真撮影では、「歩き」と「手に持つ」ということが極めて大事で、これがスポイルされると長く写真
をすることができません。意欲が減退してしまうのです。これは原始狩猟時代に於いて、ハンターが手に
槍や弓矢を持ち長い距離を歩くということに通じているのであって、写真の原点がそこら辺にあるというこ
とでもあるでしょう。

それから写真を加工したり、そこまでいかなくても強い画像処理をする人も長続きしませんね。写真は飽く
までもリアルが基本ですから、それをスポイルする処理は写真の属性そのものに反しているからです。
最近はカメラ自体が画像処理するように出来ていますのでこれは要注意ですね。
カメラ内の画像処理か強くなりますと写真はフラットになり自然なリアル感を損ないます。それで撮った
写真をみても面白くないとなり、撮影の意欲を失うのです。ソニーのセンサーのカメラはこれが強くて、
なるほど、一見して写真はキレイかもしれませんが面白くない写真となります。それで私はフォーサーズ
はパナのセンサーが好きですし、ニコンでもソー製以外のセンサーを搭載したカメラを評価しています。
それでカメラの設定は可能な限り、ニュートラルにしていて、余計な設定(カメラの自動処理)はカットしてい
ます。

少し誤解を防ぐ為に付け加えておきますと、センサーに、ソニーやキヤノンのようなメジャーなセンサーは
万能のセンサーなんですね。条件の悪い場合にでも、できるだけ良い画像にするように出来ています。
そしてマイナーやセンサー、シグマが代表的ですが、パナとかコダックや東芝などは悪条件下では画質
が大きく落ちます。しかし光の多い晴れた日中ならばマイナーセンサーが素晴らしくリアルな画質を出し
てくれるんです。
そういう違いがあると思うので、メジャーのセンサー、マイナーなセンサーの本質的な相違を知っておい
ての話になるんです。ですからカメラ一台で全ての写真をやるのであればメジャーセンサーでなければ
いけないでしょう。しかし多くのカメラを抱えていて時と場合を選べるのであればマイナーセンサーは面白
いというだけのことです。
そしてカメラの画像や画質を追求していくと、マイナーなセンサーが面白いという話になるんです。それは
平均的な優等生よりも、ちょっと変ってるけど天才的な人間が面白いじゃないかというのと同じです。

写真の画像処理が好きな人はけっこういるので画像処理がいけないと言うのは気が引けるところであり
ますが、ひとつだけ言いますと画像処理に邁進することは写真の持つ本来のリアルからは遠ざかること
になり、それが人間の現実の認識にも影響を及ぼし、結果として不運を招く結果となりかねません。
これはデジタル時代だけではなく大昔から写真では言われていることです。
そんなわけで写真はあくまでも可能な限り、リアルを通して行くというのが肝心です。ネットではリアルか、
バーチャルかがよく言われますが、そもそもネットは全てバーチャルで虚妄な世界ですからねえ。しかし
我々がする写真はリアルでなければ行う意味がありません。またリアルでなければ長続きもしません。

世の中がビジュアル時代全盛となって、それでアマチュア写真は肩身の狭い思いをしてわけですが、こう
いうリアルの世界とは何ぞや、という視点からみれば長く続いたアマチュア写真の文化も捨てたモノでは
ないというわけです。
写真はカメラで撮ったまま、自分の眼で見たまんまが全てだと思っています。それ以上のことを考えるこ
とから写真における不具合が発生するのではないでしょうか。
その点は、野鳥撮影などは撮るのに精一杯で余計なことをやる余裕がありません。そういうことで鳥の
撮影はシンプルでよいものです。

本来、写真とはカメラが出す画像なのであって極めてシンプルなものなのですが、人はそこに何らかの
期待なり意味合いを付け加えたくなるようです。自分の撮る写真を少しでも美しく見栄えの良いものにし
たいという欲です。それは若い女性が自分を少しでも着飾りたい良く見せたいと願うことと似ていますね。
その結果としてテレビで見る韓国人女性のような、つるっとした皆おなじ顔になっちゃうというか。

戻る