無題
Exif情報
メーカー名 NIKON CORPORATION
機種名 D5200
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 35mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/320sec.
絞り値 F9.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 800
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4000x6016 (14.3MB)
撮影日時 2021-12-06 00:21:28 +0900

1   kusanagi   2021/12/6 21:55

youzakiさん、狛犬撮影を見てくださってありがとうございます。(^^ゞ まあ狛犬さんは手軽に撮影できる
被写体でして、神社を見つければ必ずと言ってよいぼと狛犬は鎮座しています。大きな神社だと複数体
ありますね。誰でも何時でも撮影できる対象物でして、そういうことでは草花や樹木と変わりありません。
しかし狛犬だけが神社ではありませんので、神社を撮影する時のついでに狛犬も撮ろうか、というところ
です。
その神社も神社撮影だけが目当てではなくて、その周囲の農村や街などの中の有り様として神社が造ら
れているのであって、そういう周囲の環境をも考慮に入れて観察していくのが楽しいですね。

この神社は平野部に神社にあるのですが、東西に走る参道の中に鉄道路線が走っているんですよ。
参道を横切る道路は珍しくないのですがJR線が横切るのはあまりないです。(笑)
神社は大体は背景を山にして造られるのが多いです。鎮守の杜が形成されやすいのが主な理由ですか
ね。しかし完全な平野部ではそうもいかず境内と杜と参道の一式が平野部にあるという、考えてみれば
贅沢な造りになる場合があります。その分は農地が削られるわけですからね。

そういえばこの森には大きな樫の木がありました。いままで見たこともないような大木でして葉も大きかっ
です。雑木ともいえる樫ですが鎮守の森の中の木となるとそう簡単には切り倒せませんね。
神社の中に生えている樹木を観察するのも神社撮影の楽しいところです。森があれば野鳥や小動物も
やってきます。人々にとっての憩いの場ともなり、これらも神社の役割のひとつかと考えています。

神社は何人も拒まないというのが気に入っています。村の神社でも私のようなよそ者が立ち入ることが
でき、撮影も自由です。もともと神道というのは人ではなく大自然を祭っているわけですから、その自然が
人を選り分けることはできないわけでして、そういうところが私は好きですね。
考えてみますと野に咲く草花とか樹木でも虫でも鳥でも、それらは自然のものでして人のモノではありま
せん。人が所有することができないものですから、特定個人のものでもなく、もちろん皆のものでもないし
そもそも人間のものではないわけですよね。神社も宗教的にはそういうものだと思っています。

写真に於いては、ある特定のもの、つまり決められた被写体物というものを撮るのが写真である。という
ような思考法があったんではないかなって考えています。おそらくそれはカラー写真が一般的になって、
多くのカメラマンが出現した80年代前後からの思考法だろうと思うんですね。
ところが現代のデジタル写真になってからは次第にそういう観念が薄れていって、モノそのものではなく
モノをも含むおざっぱな環境的なもの、そういうものへと変化していったのではないかと考えています。
例を挙げますと鉄道写真では形式写真的な鉄道車両そのものを大写しに撮るというのが昔の鉄道写真
でした。しかし現代では鉄道や列車を含みこそすれ、大きく周囲の環境を取り込んだ新しい鉄道写真の
手法に変ってきていますね。逆に部分だけアップで撮るというのも。

そういうのは虫でも鳥でもそうなんではないかなって感じますね。つまりモノから環境へと人々の関心の
変化というものが土台にあるんじゃないかって感じてます。
これはどういういうことかと言いますと、デジタルになってフィルムとは段違いに写真のコストが安くなり、
数多くのショットを撮れるようになったからだと思っています。それで風景写真的なというか、私は光景の
写真と言っているのですが、周囲の環境に配慮した方向の写真に流行が変っていったと思ってます。
そういえば風景写真のジャンルも、昔はがぢがちに構図を決めていたのが今では緩やかなフレーミング
になってますね。

私の場合は写真を始めたのが黒白写真でしたのでカラーに比べればランニングコストが安かったです。
それで今風な写真を昔から撮っていたというところがあります。
風景写真が苦手だ、という方もおられるようですが、それはモノから光景に写真の軸が変っていている
ということを思えば、そこは写真としての見方を切り替えればよいのではないかなって感じますね。
モノよりもコトというか、つまり環境であり総合的な考え方に写真自体が変ってきたんでしょう。
デジタル写真は自分の眼で見たまんまの光景を多く撮ることができます。もちろんカメラならではの望遠
撮影とかマクロ撮影も可能です。とにかくいくらでも撮れるから、昔のように写真はこうこうだ、ということ
を言わなくなってきていますね。

戻る