キヤノン EOS 5DS 作例

2015年6月18日発売

EOS 5DSの仕様

雑

写真というのは、見る力が必要ですが、これは何も写真に限らず、物事を見る能力というのは重要 です。そしてそれに劣らず、聞く力というのも大切だと私は思っています。見ると、聞く。この2つは同じ くらいの深い意味合いがあるんではないですかね。 例えば人の顔を見て話すというのと、むしろ相手の声を聞いてこちらも話すというのがあるわけです。 もしかすると見るよりも聞くほうが間違いがないのではと思う時があります。見ることだけでは案外に 相手を知ることができないかも知れなくて、それよりも相手の声を聞くほうの方がより正確なんでは、 と感じることがあります。 写真というのはともすれば見ることだけで完結してしまいそうになるわけですが、これは大いに片手落ち のところがありそうです。投稿写真にはコメントがつきます。これは言わば聞くことに通じるわけですが、 それは読むというになるとしても、基本は相手の思いや考えを聞いている、ということになるのだろうと 思ってます。 そして写真という画像自身も、ただ見る・見せるということだけでなく、相手の語りかけという声を、画像 から読み取る、もしくは聞き出すということをしなければならないだろうと考えるわけです。 仕事柄、相手と会話する時、この場合は見ることではなく圧倒的に聞く能力がものを言います。正確に 聞き取れなければこちらも話すことができないからです。相手の話すことを最後まで正確に聞き取る。 これが営業職の第一歩ですかね。(笑) そういう社会生活のいろはがあるとしても、やっぱり、この聞き取る能力を写真に生かすことは難しい かもしれません。写真はやはり見ることと見せることに軸足を置いているものなのですから。 それでも、この、聞くこと、聞かせることを写真なるものに生かせれば、面白いのじゃないのかなって 思うことがあります。 見ること、見せることは一瞬で完結するのですが、聞くこと、聞かせることは、一瞬ではなくて、時間の 経過や流れが必要です。ですから、静止画よりも動画のほうが、聞く・聞かせることに長けているよう な気がしますね。しかし我々は静止画という写真マニアですから。 とにかく、自分でも分けがわからんことを書いてますが(^^ゞ、これからの撮影では、ただ見る、観察する だけでなく、被写体の声を聞くことを考えながら、写真を撮って行きたいなって考えてます。 結局は、人は見たいものだけ見て、見せたいものだけを見せるという我意識があり、その点は、聞くと というのは比較的我意識が少ないと感じるからです。

雑文3

雑文3

つぶあんさん。ご丁寧なコメント、ありがとうございます。 動画は、消磁(機能)とはこんなことをするのか、というのが分かってなかなか興味深いですね。 しかしちょっと余計なことを書いてしまったかなって思っていて、つぶあんさんの、レンズ1本で 自分の写真をやっていきたいという覚悟が揺るがなければよいんてすが。 今の写真趣味というのは高齢者が多いですね。それは時間とお金に余裕があるからでしょう。 しかし若い人はそうはいきませんからね。それでも写真が好きな人は自らを律し自制しながら 写真をやっていきたいというのは大変に立派だと思います。 つぶあんさんは以前はペンタ67をお使いだったとか。フイルムカメラの時代ですから、つぶあん さんが20歳代のころでしょうか。若いときから写真をやっておられたということで、これは流石だ なって感じています。 ペンタ・モノクロームを見抜いた方は、つぶあんさんだけです。はっきり言って普通の方は分かり ません。と言いますか、そもそも黒白写真というものに馴染みがないので、カラーから黒白に 起こした写真と、黒白専用機の根本的な違いというものが理解できないのだろうと思っています。 https://photoxp.jp/pictures/223952 参考までにリンクしましたが、これはペンタックス独自のPEF-RAW(DNGではなく)で撮ったものを JPEGに展開したものです。18MBありますので、そうそうは投稿できません。シグマの10-20ズーム で撮影したもので、お世辞にも良いレンズとは言えませんが、オリジナルサイズで見れば(出来れば ダウンロードして)、そのレンズ中央部の解像力は、粒子感も出ていて眼を見張るものがあるようです。 このカメラは私のいつものカメラ道楽で買ったものですが、しかしこのカメラを手にしてからというものの、 私の機材道楽はピタッと止みました。不思議ですね。 つぶあんさんが書かれているように、モノクロネガフィルムのようだ、というのは正にそのとおりで、 私も20歳代に黒白フイルム写真をやっていたものですから、自分の当時の写真感覚を思い出した ようです。 そして若い頃はカメラ道楽なんてしなかった。どうやら、そういうのも思い出したようです。 このペンタモノクロームを使い出してからというものの、私が撮る写真は基本的にモノクロです。 本当はこのペンタ1台だけあればよいのですが、道楽で集めたカメラがありますので、ついでだから そういうカメラでもモノクロで撮るか、という具合になってます。645Dもそういう道楽カメラのひとつですね。 雑文/645Dは、JPEGのSサイズ。つまり画素数1/4で撮ってます。縦横各1/2づつですね。 大体どのカメラもJPEG-Sサイズは1/4になります。私の考えではそのサイズがモノクロにしたときに ちょうど良いかなって考えていて、それは余分な贅肉を削ぎ落とすという感覚ですか。 雑文2/K3MSMも、JPEGのSサイズでの撮影です。カラー写真の時は必ずRAWで撮影したのですが、 モノクロIに転向すると、JPEGでもいいんじゃない?という手の抜きようです。(笑) ついでに、この雑文3/5DSもJPEGのSサイズです。 なお、私の撮る全ての写真は、写真の表現のことは考えてなくて、つまり自分への記録写真ですね。 私は、こうこういうところに行ったよ、見てきたよっていう私的記録写真ばかりです。ですから人様に 見せるような高尚な写真ではないんです。撮影は歩き運動の一環としてと考えていて、カメラショット は何も考えずに撮ってます。 ちょっと長くなっているなって思うのですが、つぶあんさんは優秀な方なので長文に難儀することは ないと思い、このまま続けます。 私がこれまで道楽で買ってきたカメラ(中古ばかりですけど)の中では異色のカメラです。 このカメラを買ったがために、それまでの全てのカメラが霞んでしまいました。いや全否定された、 という感じです。もし私が最初にこのカメラを手にしていれば、私はカメラ道楽&レンズ沼なんかは しなかったと感じてます。 とにかくこのカメラ、なんか、特別なんですね。他のカメラとは違うんですよ。 『フォトヨドバシ PENTAX K-3 Mark III Monochrome』 http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome/ http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-2/ http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-3/ http://photo.yodobashi.com/pentax/camera/k3iii_monochrome-4/ ここで綴られているカメラマンさんの言葉。これを読むと、私もそのとうりだって頷くことしきりなんです。 私がこのカメラを使い出してから半年くらいになるんですけど、以来、私の考え方、写真だけてなく、 他のいろんな事柄も変わってきたと言わざるを得ないんです。 たかだかカメラ1台で何を言ってるの?と言われるかも知れませんが、もしかして最近私はこのカメラ 1台に思いっきり振り回されているんではないかと感じるほどです。 こういうカメラがペンタックスから出た。正確にはリコーイメージングですかね。もしかするとペンタックス というより、リコーだからこそ出せたカメラかもしれません。 このペンタモノクロームは、単にモノクロカメラというだけでなく、(モノクロカメラは他にもライカがある)、 そうじゃなくて、このカメラこそが本当のカメラであるという強い印象を受けるんですね。 私はペンタックスファンでもなんでもないんですよ。メインのカメラはキヤノンや二コンやソニーです。 そういう一般的カメラマニアでしかありませんね。 ペンタファンではないのでリミテッドレンズも持ってませんし、ペンタモノクロームで使うレンズは、ほぼ シグマの一般レベルのレンズです。もっと良いレンズが欲しいとも思わないのです。不思議ですね。 技術的にはペンタモノクロームは、ベイヤー式画素補完をしていない。RGBカラーフィルターを搭載し ていない。勿論ローバスフィルターも非搭載。たったこれだけなんですね。そしてシグマのフォビオン のように凝ったカラー方式もとっていません。よって、モノクロしか撮れません。 とにかく全てがダイレクトでストレートなんです。余計なものが一切ないというか。 それともうひとつありますね。光学式一眼レフのファインダーを採用していること。ライカモノクローム には、それがありません。よってライカとは使い勝手がぜんぜん違うはずです。AFも使えますし。 ペンタモノクロームの話ばかりになりましたけど、一番に驚き戸惑っているのは私本人ですね。 このカメラ、異端とかではなくて奇跡のカメラという気がしないでもありません。よくぞまあ、こんな カメラが出たものだなあって感心するほどです。 そうは言っても、もともと黒白写真が好きでない人には不便なだけのカメラかも知れませんね。(笑) 最近は、カラー機でありながら、モノクロモードを充実させているカメラが出ています。パナソニック、 フジ、二コンなんかですね。こういうのも、ライカやペンタのモノクロ機の影響かもしれませんね。 現実的には、デジダル黒白写真はカラー機から起こすのが一般的となります。むろん専用機には 敵わないのですが、可能な限りメーカーはモノクロへの技術力を高めて欲しいものです。そうして 黒白写真ファンが増えてくれれば嬉しいですね。 ところでリコーペンタックスは、フイルムカメラの復活を目指しているようです。 私としては、もうフイルムは不要ですけど、巻き上げレバー(チャージレバー)は復活して欲しいなあっ て思います。モータードライブではない手巻きレバーのあるデジタル一眼レフです。 つぶあんさんの「古里」のコメント。正直な感想に私も同感ですね。写真する者は、自分の眼で見た もので、確りと見てそして考えていきたいとの願っています。そういう百聞は一見にしかず。現場主義 への手助けに写真が使われるのが良いのかなって思っています。

雑文

雑文

⑳+③ ところで、パナソニックのDC-G9M2というのが人気のようです。ライカモノクロームというモードがある んですね。パナはライカ社と協業していますから、そのライカのモノクロ専用機のネームをもじった言葉 を借用しているんでしょうけど、確かにこれは便利でJPEGで撮影する場合は特に有用かと思います。 それはそうと、ペンタモノクロームに次ぐモノクロ専用機、とりわけフルサイズのカメラが出でくれないか なって期待しているんですが、パナソニックさんが出してくれたら嬉しいですね。 パナのフルサイズカメラはDC-S5M2なんですが、これを元にモノクローム専用モデルとしてくれれば 言うことなしです。 DC-G9M2やDC-S5M2のモデルは、この板ではORCAMさんが投稿されています。 黒白写真は私が今やっているようにカラー機のデジカメでも問題なくできるんですが、やはり本格的な 黒白写真は専用機には敵いません。と言いますか、専用機あってこその権威付けが出来るのであっ て、つまりカラー機のモノクロ化とモノクロ専用機は、兌換紙幣と本物のゴールドのような関係になりま すか。(笑)やはり金の裏づけは必要かと考えています。 これは世間一般的に通用するという意味でそうなのであって、本当のところはカラー機をモノクロ化を したもので十分なのですね。自分がモノクロ専用機としてのみ使用すると宣言すれば、カラー機でも 立派なモノクロ写真が撮れるんです。(^^ゞ  もし、カメラのファーウェアアップデートで、「あなたのカメラはこのソフトのアップデートで、これからは モノクロでしか撮れなくなります。しかしモノクロモードは現状よりも高画質になり、且つバラエティも 増えています。」というのがあったとすれば、人はそのアップデートを受け付けるでしょうか。これを やれば無料でモノクロ専用機を手にすることになるのですが。 しかしそういう人は世の中には皆無かというと、きっと幾ばくかの人がモノクロ化にするんではないか と思われます。センサーのカラーフィルターを駆使できるモノクロカメラは、それはそれで面白いから です。 冗談は別にして、これからはカメラ搭載のモードとして、黒白写真がより以上に洗練されてくるのは 確かでしょう。デジタルのスチルカメラ部門として、その立脚点のひとつとして黒白写真があるという、 そういうスタンスが一般にも認められてくるのではないでしょうか。純粋で高尚な原理主義的な静止画 カメラとして、ブランドと評判を高めたければ黒白写真の高画質化は避けて通れない気がしています。 すでに黒白写真に特化したプリンターがあるように、モノクロに向いたグラフィックカードやモニターなど を搭載したPCやソフトウェアなども出れば面白いです。 この20年間はデジタルカラー写真の時代だったわけですが、これからはカラーだけでなくモノクロも 写真として市民権を得るようになるかも知れませんね。まあ占星術的にはそうなってます。(笑) モノクロを主体に自分の写真をやっていくとすれば、おそらく誰もが自分の意識というものを変えざる を得なくなるように思います。私にしても、もうカラーでは写真をしたく無くなっていますからね。 カラー写真は皆さんに任せます。私はモノクロでいきますから、という具合です。 写真には、カラー意識とモノクロ意識というものがあって・・・という感じで、写真の根本を揺るがすほど の写真の意識変革が訪れるかもしれません。大げさですねえ。 https://photoxp.jp/pictures/225633 これはモノクロ写真をキヤノン板に投稿したものですが、はっきり言えば何が写っているのかよく分から ない写真となっています。いや、そもそもモノクロ写真というのは、カラー写真に比べれば、そういうもの であって、分かりやすい写真ではないのです。カラーに比べればモノクロは情報量としては1/3になり ます。ですからモノクロ写真には説明が必要なんですね。 新聞写真にしても本の写真にしてもモノクロ写真であればその写真の説明がなされています。写真には タイトルが必要というのも説明がなければ写真はよく分からないというのが根本にあります。 今回はその写真のカラー版を上げているのですが、これとてもあまり良く分からない写真でしょう。 この写真は半ば耕作放置されたミカン山の撮影なのです。この車はバンですが、かつては農作業の 諸道具を収めていた車なんです。倉庫として使っていたわけで、だいたいは里山で見かける放置車は そういう役割をしていたわけです。いらなくなったから捨てたという車ではありません。倉庫として第2の 役割を担っていたわけですが、ミカン山自体が見捨てられると倉庫車も放置車となります。 モノクロ写真は撮影者以外の他者が見る写真としてはすこぶる不便な写真です。 ところが撮影者自身がするにはモノクロ写真は立派に写真として成り得る写真なんですね。それは 撮影者は撮影時に得た記憶というものがあって、それを基にモノクロ写真を見ることができるからです。 撮影時記憶+モノクロ画像なのであって、それでやっと完結する写真なのではないですか。 つまりモノクロ写真は他者に見せるというサービス精神には富んでいないのです。 しかし撮影者としてはモノクロ写真は楽しめるのですし、無駄がない実にスマートな写真であるわけです。 特に現在のデジタルモノクロ写真というのは、徹底的に撮影者自身の為の写真であって、撮影者だけが 有意義に楽しめる写真ではないのか、と思い始めてきました。 カラーデジタル写真というのは、そういうことでは他者・鑑賞者にオモテナシをする写真かも知れません ね。カラー写真は何も考えずにパッと見て分かる写真でしょう。これは何なのかと考えながら読み取る ような写真ではありません。でもモノクロ写真はよっぽどよく見て考えて読み取ることをしなければならな い写真であるわけです。 こう考えるとカラー写真とモノクロ写真の違いはものすごく大きいです。 そしてカラー写真とは、オモテナシをするがゆえにそれは撮影者や作者にとっては大きな重荷になって いるんではないでしょうか。カラー写真はモノクロに比べて情報量の多さから3倍は疲れる画像だといえ ます。 現在のデジタル型モノクロ写真は、あくまで撮影者個人が楽しむべき写真であって、鑑賞者へのオモテ ナシを振り切った写真だと言えそうです。 しかし考えてみますと、なぜ撮影者がお金を掛けて苦労して撮った写真を、鑑賞者は無料で観ることが できるのですか。それはおかしいことではないですか。なぜ鑑賞者は、撮影者が鑑賞者の為に手取り 足取りして尽くさなければならないのでしょうか。それで得るものは撮影者に何かあるのでしょうか。 これらは根本的な問いですね。それから鑑賞者の側からしても、そんなに尽くして写真を見せて貰っても しようがないというところがあります。押し売りは御免だし只ほど高いものはないということで鑑賞者側 も貴重な時間を奪われていることになるのです。本当に見たかったら写真も読み解いてみなさい、という ことです。 もしかすればお互いに不利益を被っているのが現在のデジタルカラー写真かも知れません。 とにかくモノクロ写真、取り分けJPEG撮影は撮影者としては大変に楽です。こんなに楽ちんに写真が できるものとは知らなかったです。(笑) そして機材に対する物欲もなくなったように、無駄なことをしなく なりました。そういうわけでデジタルモノクローム写真は、スマートでエスディージーズですし、これこそが 現代の写真ではないかと思うほどです。 今回は、黒白写真は、撮影者には分かるし楽しいのですが、鑑賞者にはよく分からない写真だ。そういう ことが、私にも次第に理解できつつあるということで書きました。 撮影者は撮影時のカラーの記憶があるからなんですね。しかし鑑賞者にはそれがない。この違いは大き いです。撮影者はモノクロ写真をカラー写真として類推して見ることが出来るけれど、鑑賞者はそれが できないということ。 そして撮影者にとってモノクロ写真はストレスフリーです。画像で疲労するということがない。これは狙い 通りでした。 モノクロ写真をカラー化できるサービスが盛んです。クラウドAIを使ってやるんですが、やがてはモノクロ 写真を、AIを使用して鑑賞するということが流行るかもしれません。(笑) もう人間はAIに敵わなくなって いるのかも知れずで、黒白写真を読み解くことができなければAIに頼ることになるのでしょう。 私にも大昔に撮った古いフイルム黒白写真が多々あるのですが、当然に既に撮影当時の記憶はありま せん。そうなればAIでカラー化して鑑賞するという手がありますね。 私は建前としてはモノクロJPEGで撮影していますが、同時記録でRAWでも記録しています。別保存を していますので、そのRAWを見ることは、今回のような例外を除き、していません。 この、モノクロしか見ていないというのが大事であって、それでモノクロJPEGにしているんですね。 それで随分と黒白写真に慣れて来ていて、ずっとこのままで行けそうな感じです。 古いカメラは何台もあるので少しずつ、これまでカラーで撮ってきたカメラを今度は黒白で撮っていこうと 考えています。そういう意味で機材には不足していません。 モノクロで撮影すると機材ごとに違う顔を見せるというか、それぞれに個性があるんですね。無論装着 するレンズでも異なります。キラキラ色イロを削ぎとった写真が少しずつ分かるようになっているのかも 知れません。 考えてみると本当にカラーRAW写真画像は人を疲れさせるというか、無駄な消耗をさせることがわかる ようになりました。そしてそういう写真とは余所行きのオモテナシの写真なのであって、自分が本来として 楽しむ写真ではなかったということも分かるようになりました。 亀ならぬカメラに乗せられていたわけです。(浦島太郎です) モノクロにセットしたカメラは、何故か以前カラー設定と違って自分に忠実なような気がしています。 フイルムを詰めたカメラのように生きものとは感じませんが、自分を裏切ることのない純粋な道具として 感じられるんです。不思議にカメラが軽く感じられるみたいです。 デジタルモノクロームには不思議な力があるように思います。一時は、私のモノクロとは若い時分に やっていたフイルム黒白写真へのノスタルジーではないのか。とも考えていたのですが、そういうもので はないですね。オールドレンズを使えばノスタルジックになるとかいうのとは次元が違っています。 敢えて申せば、2千から数千万画素のカメラ時代に、数百万画素のオールドなデジカメを使うのに似て いるのですが、それ以上にストイックで本質的でしょう。 色を削ぎ落としキラキラ色イロを無くしたモノクロですが、本当はキラキラ色イロは自分の脳内に自分の 中にあったのだ。ということにも気づかされました。画像の中のキラキラ色イロよりも、そういう魅力的な ものは本来は、自分の中にあるほうが良いですからね。 とにかく自分で撮影するモノクロ写真というのは一般的な概念としての黒白写真とは違うのだということ です。自分撮影の黒白写真は、モノクロであるようでいて脳内記憶を使ったカラー写真であるということ。 もっと良く慣れれば、人様が撮影した黒白写真もやがてはカラーに見えてくるだろうとの予感もあります。 モノクロ写真を撮りだしてからまだ半年も経っていません。 それでも様々なことがわかるようになりましたが、まだまだこれからでしょうね。モノクロ写真とは何かが 分かるようになるのは。

雑文

雑文

タムロン200-500は∞指標がカチッと止まる少し手前にあるのは確かですが、それが実際の無限遠 なのかどうかは私も試していないので分かりません。本当は無限遠オーバーまで回らないといけない ですよね。 このレンズ、私はカメラ屋に置いてあって安かったし綺麗だったので購入したのですが、流石にMFは ピントが厳しいということで、後ほどに三脚の雲台に着けてサポートするレンズサポーターなるものを 購入しました。そのサポーターもいろいろとあって、種々の組み合わせをすることができます。 とは言っても、それでの撮影はまだできていないんですね。机上論でやってみただけですわ。(笑) 実際、この手の望遠ズームはかなり絞らないと綺麗にピントが定まらないので、手持ちは無理だと 思ってます。私の場合、こういう望遠は瀬戸内の海岸に出て、通り行く船舶とか橋などを撮影したり、 浜辺で遊ぶ人影を撮影することが多いです。しかし相当に天気に恵まれないと難しいですね。 しかしそれにしても何故か、望遠レンズはは海に持ち出したくなるんです。ちょっと不思議ですね。 https://photoxp.jp/pictures/220368 超望遠レンズの魅力っていうのがありますね。ひとつは重量級のレンズを持ち出し、それで身体が 鍛えられるんではないかという密かな願望。(笑) もうひとつは、スナイパーのようなロングショットの 感覚でしょうか。ある意味、極めて冷静なレンズだろうと考えます。 そうは言っても、ズームレンズなので、常に最望遠で撮影するわけではなく、最短の200ミリでも撮影 するわけですよね。最短側のほうが当然に画質はよろしいですから。最短側を主力に使おうと思え ば手持ちでも撮影可能です。 タムロンの初期型AFの20-500などは望遠側の画質はダメですが、200ミリでの描写は気に入って います。プラを多用した軽くてコンパクトなズームレンズなので、そこそこ使ってます。 https://photoxp.jp/pictures/223622 https://photoxp.jp/pictures/223467 これなんかそうでして、200-500の200ミリでの撮影です。 MFレンズは、車で言えばMT、マニュアル・トランスミッションです。(^^ゞ  現在の日本では絶滅危惧種とさえ言われていて、販売される車の数パーセントがMTで、ほとんどが ATなんですね。しかし車とエンジンの基本はMTにこそあります。このMTこそが車を安全に走らすこと ができるものなんです。(全世界的に言えばMTが多いんですよ) もっというと、人類の95パーセントは無駄です。(笑) そして5パーセントの人間が人類を発展させて いってるんですね。後の人達は模倣でフォロアーです。 そんなわけなので、MFレンズを使うことはまったくの正義ですね。AFレンズや手振れ補正を使う人間は 絶滅してもよいです。(笑) 冗談はともかく、MFレンズとかマニュアル露出というものを使うことは写真によって自分を見失うことが 少ないと言えます。

雑文

雑文

⑦ 写真のキラキラ色イロ、これを取り除いた、もしくは濁りを除去し、その本質のみを蒸留したものが 黒白写真だ、という考え方を私はしているんですが、無論これはあくまでも私個人の考え方、捉え方 です。 とにかく黒白写真をしていくと、気は楽になりますね。よけいなことを考えずに済みます。無駄をしなくて 済むといいますか、シンプルな写真行為となります。色気がなくなるのだから当然ですけど、考えてみ れば、これまで本当に無駄なことばかりをしていたという裏返しです。 5W1Hという言葉があります。これは新聞記事とかビジネス書などの文章を書く場合には必要なことで、 これを欠いた個人的主観の文では通用しないということです。 写真に於いてもそういうものがあるとすれば、カラー写真も黒白写真も5W1Hに関してはそんなに 違わないということです。黒白写真もきちんと最低限の5W1Hがあるということですね。 写真として5W1Hを考えると、それは画像として見せるということではなく、写真として読ませるという ことになるのんも知れません。見せるのではなく読む、のです。写真を観る側も、読む、考える、という ことに繋がるんではないでしょうか。 一方、見せる、というのは魅せるでもあり、理性ではなく感受性に訴えるものです。浸るということでも ありますか。黒白写真は色という情報量が少ない分、より5W1Hに拘らないと、ほんとうに何を撮ってい るのかわからないような写真になります。 尤もあまり理屈に囚われ過ぎると変な写真になりますしね。とにかくシンプルでストレートにいければ それで良いんではないでしょうか。 そして、これは絶対的かなって思うのは、黒白写真は撮った自分は満足ができるということです。 写真を見ている他人は関係ないなっていうことで。自己充足感が高い写真だろうということです。 ここが特に大事なところで、黒白写真は個人的に満足感の高い写真手法だということです。ですから 誰かに頼まれて写真をする場合には、カラー写真でないとダメなんですね。自分が満足できるからと いって、他人に黒白写真を押し付けることはできません。これは当然ですよね。 もちろんこれはカラー写真、デジタル写真が全盛の現代に於いてでの話です。そういう時代に黒白 写真をするということは、極めて個人的でマイナーで、典型的な少数派のエゴということでもあります。 私だけは黒白写真で多いに結構、満足だぜ、ということです。 今の時代における黒白写真というものの、その本質はきっとそういうところにあるんではないですかね。 黒白写真になってからは、機材に関心がなくなってしまった。これではメーカーも写真屋さんも困って しまいます。消費者としてGDPに貢献もできなくなってしまう。そうみれば黒白写真はエゴなんです。 写真はキラキラ色イロ。それに堪能して満足感を更新し続けていくことが現代の写真です。それに 背を向けてしまってはこの世の中は成り立たなくなってしまう。まあ大げさですけどね。しかし何事も 例外があるもので百人の内、一人くらいはそうでない人間がいてもいいもんです。

雑文

雑文

⑧ 黒白になれば、レンズは何を使っても一緒。ということを書きましたが、実はそれはいい加減なことを 書いたのであって、実際は違います。優れたレンズを使えば、当然ながら黒白写真でも優れた画質 を提供してくれます。 しかし今や、私はそういうことを、優れた画質の黒白写真をするという気持ちにはなれません。私として は黒白写真は、もうJPEGの低画素サイズで十分とすら思っているのですから。 私が写真を始めた当初に、それが黒白フイルム写真だったということは極めて幸いだったかなって 思うところがあります。もしカラー写真から写真趣味を始めていけば、おそらく写真の意欲が衰えた時、 写真もそして撮影も自然に消滅していくだけだろうと思われるからです。 とにかく黒白写真に親しみがあったという記憶があることで、いまはこうして黒白写真で過ごすことが できています。そして黒白写真は撮影に於いては何も影響を及ぼすことがありません。 ここが黒白写真の見事なところで、画像は大きくダウンするけど、撮影には変らないという事実です。 私が黒白写真に行ってしまった本当のところは、やはり過去への回帰だろうと感じてます。 ながらくデジタルで写真をやってみて、昔の自分の写真(黒白写真だった)とは違うんではないかという 違和感がどうしても拭えなかったんです。20年間余もデジカメをやってきたんですが、その間ずっと その疑問はぬぐえませんでした。今になって判明したのは、それはパソコンの趣味の延長線でしかない のではなかったのかということでした。実際、そうだったと思ってます。 ところがひょんなことから黒白カメラを手に入れて、そこでやっと昔やったスタイルの写真に戻ることが できたというわけです。ですから今までのデジタル写真とは隔絶していくのは当然のことだったという ことですね。 パソコン趣味の延長にあるのは当然に写真ではなく画像でした。そういうのはネット写真の評論化的な 鑑賞趣味というのが最近はあるらしいのですが、それも写真ではなくて画像趣味だというのと同一です。

雑文

雑文

⑨ シッポ座さんの・・ https://photoxp.jp/pictures/225467 https://photoxp.jp/pictures/225471 これは、tamron200-500 f 5.6ですね。こういう望遠レンズを使うっていうのは面白いんです。なぜかって いうと、ひたすら身体的能力、腕力を鍛えられるからですね。AFではなくMF望遠だとさらにそうです。 こういうレンズは普通のレンズ遊びとはちょっと趣が違うかなって、私は思ってます。 レンズ愛好家だげてなく野鳥の撮影をされる方もこういう類の望遠レンズを使います。想像するに、彼ら は野鳥を撮りたいっていうことが半分と、もう半分は自分は重量級レンズを使いたいっていう心意気で あって、その2つが融合しているのだと考えてます。 ですからこういうレンズは、使いたいから使う。それが正解だろうと思ってます。 もしスマホのようなもので野鳥が難なく撮れる時代がくれば、野鳥撮影の熱は一気に覚めて野鳥オタク は消滅するでしょう。 私は広角好きの人間であって望遠レンズは趣味ではないんですが、ただし望遠端が300以上のレンズは 多少持っていて、このタムロンも所持しています。こういのを持ち出すと、手持ち撮影であっても鍛えられ ますし、三脚使用であっても三脚の重さが加わるので同じく鍛えられます。 こういう超望遠撮影。これは肉体と密接に結びついていますので、単なる機材道楽とは違うと思って います。ですから超望遠レンズでなくとも、重量級レンズでさえあれば広角や標準レンズでもOKなんで すね。しかしまあ普通は超望遠レンズとなります。 これは机上論の理屈ではなくて、骨身に滲みる男の現場世界での話です。 私の場合はレンズが2キロまでは手に持って歩いて撮影することができます。ボディが1キロなので合計 3キロです。それでもあまり長く歩くことはできませんね。それで、今でも欲しいなって考えているシグマ 60-600ミリは、レンズだけで3キロ弱なので計4キロとなり諦めています。 https://www.rentio.jp/matome/2019/04/sigma-60600-sports-review/ もし、4キロの機材を不自由なく持ち歩いて使えたら、それは素晴らしい事ですね。それで現実的には シグマの旧製品の50-500までしか使えません。これはレンズ2キロクラスなのでオーケーなんです。 このシグマ60-600ミリ。最近、ミラーレス用も発売されていて、そちらのほうは少し軽くなっています。 https://www.rentio.jp/matome/2023/01/sigma-60600mm-dg-dn-os-review/ AFと手振れ補正能力は凄いようです。しかし画質はデジイチ用と変わらないようです。この新型のミラー レス用レンズは、ソニーとパナソニックのミラーレス向けでイオスR用はないみたいです。 改めて上記のシグマ60-600デジイチ用の記事を見ると、重量は2700グラムです。これにフィルターを 付けると3キロ近くになります。 レンズフードはネジ固定式というのは嬉しいです。フードに手を添えて撮影してもフードが外れるということ がないからです。そして三脚座が立派で、手持ちの場合はこれを上に回して左手で持つことができるから です。 こういう機材は性能とか使いやすさとかが問題ではなく、その重量こそが正義です。この重力との戦い に勝つことに意義があるんですね。 50-500、60-600という重量級高倍率ズームレンズは、重さの正義だけでなく、標準域までカバーして くれていて、その標準レンズの場合にも重さが2キロ3キロというバカバカしさも魅力です。ズームロック を掛ければ文字通り重量級標準レンズとして使えるのです。こういうレンズ、他にはコシナがあるだけです。

雑文

雑文

⑩ デジタル写真はフイルム写真とは違います。その決定的な相違はなんだろうか、と思いますか? 応えは実に明瞭です。写真にパソコンが介入するか否か、です。もっと正確に申せばモニター・スクリーン ですね。 そしてこのモニター&スクリーンこそが、キラキラ色イロの正体であるということでもあるのです。 私は長らくデジタルで写真なるものをやってみて、どうしても違和感が拭えなかったと言いました。過去の フイルム黒白写真とは違うものであったということで、結局、デジタル写真とはパソコン趣味の延長であっ たのだろうと結論づけました。 つまりデジタル写真、いやデジタル文化というそのものがキラキラ色イロを本質的に内蔵しているという ことなんだろと思うのです。そしてこのキラキラ色イロとは無論人工的に作られたものであって、現実の ものではないということです。 パソコンのモニター&スクリーンは当初はブラウン管でしたがそれが液晶になり現在では有機液晶も 取り入れられています。これらはフイルム時代の紙の写真と比べて自己発光しているというのが決定的 に違います。フイルムも印画紙もプリント紙も反射光でもって見える素材ですが、モニター&スクリーンは それ自体が発光しているものです。 現実光景はどうでしょうか。その殆どは反射光で光景が形作られています。自己発光しているものもあり ますが、大部分は陽の光の反射光で間接光として認識できるものであるわけです。 キラキラ色イロとは有り体に言えば自己発光、それ自体が発光するのが最も効力があるのです。また 自己発光と同じくらいに反射率が高いものであるわけです。例えばゴールドとか宝石の類ですね。 昔から宝石とか金とか鏡とかは魔力のあるものとして認識されていました。それで為政者はそのような ものを好み、民衆に向けてその効力を放ったのです。 ここまで書けばもうお分かりだと思うのでずか、パソコンで見るものは全て自己発光であり、キラキラ 色イロの魔力でもって、我々は自己暗示に掛かるだろうということであるんですね。パソコンでもスマホ でもそうです。モニター&スクリーンという人工光はそれを見るものをして暗示にかからせ、現実感覚を 喪失してしまうというものなのです。 デジタル写真というものは、ゆえにその本質として現実感覚を失わせしめ自己暗示に掛からせてしまう ものなんです。と、そのように私は考えています。 こういうような認識ができれば、なぜ黒白写真なのか。ということが理解できてもらえると思ってます。 黒白写真はデジタル時代に於いて可能な限り、キラキラ色イロ感を喪失させようとする試みであるという ことなのです。 このことは単にデジタル写真の文化だけでなく、現在のデジタル世界の文明そのものへの本質的な問い かけにも繋がっているということでもあります。私は、世界がキラキラ色イロである限り、この文明は現実 感覚を維持することは不可能なのではないかと考えるまでに到っています。 そこまで大げさでもなくとも、写真という文化において、やはり自己発光のキラキラ色イロというものは 写真のその本質を見失しなさしめるものであるとの考えなのです。 皆さんが綺麗キレイと感じているデジタル写真とは、あくまでもモニター&スクリーン上でのキレイという 感覚でしかありません。それは現実とは異なります。 有り体に言えば、そもそも現実感覚というものは人間の心の中、脳内に記憶としか存在しえないもの です。我々か写真を撮る際に記憶として裸眼の現実光景を心に写しとめるのですが、それこそが現実 だというものでしょう。そして写真として記録されたものはそれとは異なって改変されています。デジタル 写真ではそれがキラキラ色イロとなるわけです。 デジタル写真に於いて、黒白写真化するということは、意識的にこのキラキラ色イロの効力を減衰させる 意図があるということですね。そうすればより現実感覚に近づくのではないかということです。 ここまで書いてきて、この本意が理解できる人は殆どいないだろうということに気がつくのですが、それは ともかくデジタル写真での黒白写真の立ち居地はそういうところにあるのだろうと考えています。 つまり写真として、デジタルカラー写真よりもデジタル黒白写真のほうがより現実感覚に沿うものであると いうこと。それこそが写真の本来の役割に近いものであるのではないかということなのです。 最もデジタル写真も紙にプリントすればカラー写真でも問題がないと考えています。なぜならば紙出しは 反射光であるからです。しかしカラープリントをする前に関門としてモニター&スクリーンを通さなければ ならないのでどうしてもキラキラ色イロから逃れることは難しそうです。 この現実感覚に寄り近いだろうというデジタル黒白写真。その本質性に気がついたからこそ、もうカラー 写真にはもう戻れないだろうという気分になっているのです。 カラー写真よりも現実的な黒白写真。不思議だと思われるかも知れませんが、現代に於いてはそれは より本質に迫るかもしれないとう、現在という時代の現実感覚だろうと考えています。 当初はやがて飽きてくるだろうとして軽く考えていた私の黒白写真。それが時を追うごとにより強固に なっていくのですが、このような気分になったことは初めてのことですね。その理由を何とかして見つけ 出したいと願っているのですが、その判明し難い理由というのは、大体こんなところにあるのだろうと いうことです。 様々な複合的な理由によって起きているというのは確かです。しかし最大の理由としてこのデジタル時代 として、決して通り過ぎることのできないモニター・スクリーンが鍵を握っているように思われてならないの です。 ペンタックスK3M3モノクロームは、その表示デザインにおいても黒白を徹底しています。メニュー画面で カラー表示になる場合もあるのですが、背面モニターは通常は黒白での表示です。そこまでしなくても いいんではないかと思うのですが、設計者は黒白を一貫して貫いているようです。モニターはカラー液晶 なのでこれは意図的です。 設計者は意識的にユーザーが黒白世界に没入するようにしているわけですね。それでこのカメラは 相当に煮詰められて設計されているという気がします。それもある特定の個人が主導権を握って設計 したという感じです。なんというか、この技術者はカラー写真を否定しているのではないかと思うほど です。 つまりこのカメラはキラキラ色イロを徹底して排除してしまったカメラであるということです。カラーである のは光学ファインダーだけなんですね。その徹底ぶりに今更ながら驚いています。 この設計者の意図した徹底的な設計思想というものがなければ、もしかすれば私はこれほどまでに 黒白写真に没入しなかったかもしれません。無言で語りかけてくるキラキラ色イロの排除。 それでなのか、私は装着するレンズはシグマのレンズです。シグマレンズは一部ロゴに金字が使われて いるだけで地味な外観ですね。私はこのレンズがカメラにピタリと合っていると思っていて、純正レンズ を使わないでいます。バッテリーグリップもペンタ製ではなく自作改造のものを使っています。 このカメラこそが私にとっての玉手箱であったと思ってます。目覚めさせてくれたカメラですね。 もしこのカメラがリリースされなくて、またもしくは自分が手にすることがなければ、私のキラキラ色イロは まだまだ続いただろうということです。

雑文

雑文

⑪ キラキラ色イロ主義が芽生えたのはデジタルからではありません。その発生はネガカラーフイルム からだと思っています。おそらく1980年代から。 私が黒白フイルム写真をやめてから20年余で再び写真趣味に舞い戻ったのですが、その当時は ネガカラーが全盛でした。そして当時の写真人たちのバブルさに驚いたものです。高級機をバンバン と購入して、猫も杓子もキラキラ写真・カラフル写真で舞い上がっていたのですね。 そしてデジタルカメラ、デジイチがぼちぼち出現した時代でもあったのです。 私が70年代に黒白フイルム写真をシコシコとやっていた時代とはまるでちがっていたので面食らった ものです。そして写真の文化には程遠いオジサン達も多く写真趣味人となっていました。 そのような人達を傍目に私は初期時代のデジタル写真をやり始めたのですが、しかしながらこの私 も次第に、彼らと同じく、今度はデジタルでもって、キラキラ色イロ写真に邁進していっというわけです。 カラーフイルム時代でキラキラ色イロ主義だった多くの方は、デジタル時代になってからは、大半は 写真趣味から離れていったのではないでしょうか。引き続き、デジタルでも写真をやられている人も 居るにはいるのでしょうが少ないだろうと思ってます。 それで時代を大きく分けますと、 1.黒白フイルム時代・・・カメラはメカニカルカメラ。当然にMFレンズです。 2.ネガカラーフイルム時代・・・カメラは電子制御カメラ。AFとMFの混在 3.デジタルカラー時代・・・勿論デジタルカメラですね。 私の場合、1から3に飛びました。2も少しはやりましたが。 この1から3まで全て体験された方を知っています。実はその方の影響で私はデジタルカメラに入った んですね。現在は90歳を軽く過ぎている方です。しかしこの人も正確に言えば、2は1の変形でして カラー写真はリバーサルフイルムを使っていたんです。このリバーサルカラーは1の時代に出現して いたもので、私も少なからずのカラーリバーサルを撮影していました。 この90歳余の先達は、黒白フイルム自家現像から始められたわけで、その当時の撮影は、私がやって いた写真スタイルや被写体などと共通するものでした。 そしてこの方が電力会社を退職して嵌ったのがカラー撮影でのヨーロッパ撮影です。10回くらい渡欧 されたんではないですかね。膨大なリバーサル写真を撮られていました。使ったカメラはコンタックス です。そしてツァイスレンズ。 そしてデジタル時代となってからは、主に撮り溜めたフイルムをスキャンしてそれを自費出版されると いう趣味にいきました。PCでスキャンして自分でプリントをして展覧会なども開いていました。 と同時に、キヤノンデジイチとかフジミラーレスカメラなどもデジタル写真として撮影されていましたね。 しかし私としては先達のパリのカラー写真なんかより、それ以前にやられていた黒白写真のほうに 理解を示したというか、気に入っていました。 結局、先達のカラーの渡欧写真はバブルといいますか、私が言うところのキラキラ色イロそのもので あったろうということです。先達とはパソコンでもって知り合いになったのですが、PCが不具合になれば 私に電話をしてくれて私は駆けつけたものです。当時の私はPC趣味まっしぐらでしたから私は重宝さ れていたのではないでしょか。(笑) 先達は有名な大学を出て地元大手の企業に勤め上げたわけですから非常に優秀な方でした。カラー 時代でも普通のオッチャン達の写真趣味レベルとは別格であったわけですが、それでもキラキラ色イロ 主義に嵌ってしまったわけです。 先達は機材の趣味ではなく撮影旅行の趣味がバブルでしたが、コダックのリバーサルフイルムを惜しげ もなく使い、旅費も相当なものだったわけですから、これも立派なキラキラ色イロ主義に陥っていたという わけです。 インテリ人でしたから写真と当時に随筆の趣味もあって同人会に参加して随筆作品も多く発表されて います。 年齢的に言えば、先達がヨーロッパ撮影真っ最中であったのと同じ位の年齢で、この私はキラキラ色 イロを捨てました。バブリーな写真から卒業をしたということですかね。 そういう意味で、私は先達を超えたかなって思うことにしています。(笑) 4.デジタルカメラでの白黒写真への一部復帰 これを上記の写真時代遍歴に付け加えてみたいと考えてます。 ライカが最初にモノクロームデジタルをリリースしたのは、2012年8月からでしょうか。初期モデルは CCDのセンサーです。2011年が東日本大震災だったのでその翌年ということになります。 1800万画素フルフレーム、カラーフィルターとローパスフィルターを搭載していません。この後に出現 したモデルはCMOSセンサーですので、CCDセンサーでは唯一のモノクロームカメラということに なります。 このカメラの出現でもって、デジタル黒白写真は出現したということになります。そして2023年の ペンタックスモノクロームが続くわけですね。 しかしだからと言って、写真時代がデジタルモノクロームに変わった、ということではありません。 時代は変わらずカラーデジタルの時代真っ盛りですから。その時代に於いて、極々少数の写真趣味人 がデジタル時代でも黒白写真が出来るということを初めて知った、ということであるのです。 2012年から2023年へは何と11年も過かっています。それほどにデジタルモノクロームの世界は マイナーであるということです。次のメーカーがモノクロームを出すのにはもう10年はかかるのでしょうか。 もちろん、ライカやペンタックスがなければ黒白写真は出来ないのか?というと、理屈的にはできない わけではありません。普通のカラーデジダルでもって、モノクロモードにするだけで黒白写真はできます。 しかしそれを永続してやり続けることはできません。 モノクロ専用機は絶対にカラー写真が撮れないのです。この違いはとてつもなく大きくて、そのカメラが 主張する声は厳格です。 私は現在、イオスでも黒白JPEG写真を撮っています。これもカラー写真にすることはできません。 そういうことではペンタックスモノクロームと同じです。しかしイオスは設定を変えればすぐさまカラー 写真を撮ることがでます。しかしペンタックスは永遠にカラー写真が撮れない。 こういう厳格さがあるからこそ、人はカラーを諦めて黒白に行くことができるんだと思っています。そして キラキラ色イロという世界から抜け出すことができるのです。 黒白世界からキラキラ色イロへ戻ることはできます。私もやがてはカラー写真に復帰するでしょう。 しかし精神的にはもう昔の自分ではないだろうということです。 人間は痛い目をして、始めて性根に入るというか自分を変えることができます。 モノクロカメラを使ったところで私は痛い目はしていないんですが、実はこのところ、体調は良くありま せん。とくにこの夏場は堪えました。どうやら不整脈が出ているようで不調の医術的な理由はこれの ようです。そういう意味では私は痛い目にあっているということでもありますね。(笑) 世界はどんどんと変わっていきますし自分自身も自ずと変化して行きます。いつまでもこれまでの やり方が通用するわけではありません。成功体験に拘ってはいけないんですね。積極的に変えてい かないと返って取り残されてしまいます。

無題

無題

写真というのは、例えば美意識とかセンスとか、そういうのは画像とかフォトグラフとかピクチャーと しての、物としての写真だろうと思うのですが、もっと大きな長い眼でみると、そもそも写真というのは、 その写真行為を自身が長く継続することだろうと思ってます。言い方を変えると継続することでしか見え てこないものがあるのだろうと言うことです。 それともうひとつ、写真は被写体というものがあるわけなので当然に社会性や対人性を帯びてきます。 それらとの我と他者、自分と社会との関係も重要だろうと考えてます。 占星術ではそれを、つまり写真は蠍座・冥王星というもので現されるのですが、この星座なり星を持っ ていない人は、そもそも写真に興味を示しません。蠍座・冥王星は簡単に言うと、苦難の継続と他律性・ 他者愛を示します。 占星術で一番誤解を受けやすいとか、もしくは中々見えてこないという星座があります。その代表例が 蠍座です。運勢と精神年齢的には40歳~50歳代を示します。12星座のうちの年齢的には最後のほうに 出現する星座です。 写真には他に水瓶座・天王星とかが必要のようです。カメラが光学機器だからでしょうかね。ぶっちゃけ、 この蠍座と水瓶座があれば写真に関心を示し写真をしていくことができます。 実はこのふたつはあまり美学的な星座ではないんですよね。蠍座は泥臭いですし水瓶座はぶっ飛んで いたりしますから。 それで美意識のある別の星座が調味料として加わるという感じです。 この美学的で一般的な星座でもって皆さんは写真を云々しているところがあります。しかしそれは写真 の本質ではないんですね。本来の写真はけっして派手で目立つものでもないし、美しくしたものでも ないだろうと思ってます。 蠍座は一言で言えば、見る能力、見る力、見抜くことです。その能力を光学機器という技術力の水瓶座 で実現することなんでしょう。そういうのが写真の根本にあって、あとは付加価値としての味付けという ことになりますか。 しかし見る能力というのは、言い方を変えれば、ただ見ているだけで自分は主体的には参加しないと いうことでもあります。 写真を撮る無名のカメラマンと、その視線の先にあるであろう有名人や英雄や偉人とは違うということ です。写真を撮るよりも写真に撮られるほうが良いんではないかい?という落ち話しも出そうですけど、 悪いことをして写真に撮られるという可能性もあるので(笑)、私としては撮られるよりも撮るほうに回り たいですね。 冗談はともかく、趣味としてひっそりと写真行為に及ぶのは、まことに写真というのは、ひそやかで、 ささやかな趣味だろうということです。 私にしても趣味の写真で世間に対しては目立ちたくないですね。世間の隅っこでシコシコと写真がやれ ればそれで十分です。占星術的には実は蠍座というのはパワーがあるほうではないです。居るのか いないのかわからないというところがあるかもしれません。 それと写真は私にとってはあくまでも趣味です。世間に迷惑を掛けない程度に自分が楽しめればそれ でいいのだと考えてます。 よく撮影現場で知り合った方に、写真のコンテスト等に応募しているんですか?と聞かれます。 私はそういうコンテントとか展示会とか、そういう人目に自分の写真をさらしたいと思ったことは一度も ありません。そういう欲は皆無ですね。そういうことでモノとしての写真には到って無欲です。 しかし写真が職業ということであれば話は違ってきます。写真を撮られる側の人に対して、また写真を 閲覧される方に対しても、写真というものにその実利だけでなく、夢を与えないといけません。 写真というのは本当は凄いものなんだというプレゼンをしなくてはならないでしょう。ですから営業努力 というか、かっこいい姿でかっこよく撮らないといけないんですね。(^^ゞ  ぷ賭してはそういう派手さも必要になります。機材にしても一流メーカーのものを使わないといけないし、 何より写真そのものに美的センスを乗せないと顧客は満足しません。権威を付加するために若い時は コンテストで優勝もしなければならないでしょうし、各種団体にも所属しなければなりません。 写真を撮られる側、もしくは写真を閲覧し見る方と、それから写真を心底楽しみながら自分だけで写真 を道楽として行うこととは当然ながら大きな乖離があります。建前と本音って感じでしょうか。 しかし写真を生業とするならば、撮られる側の人たちの気持ちに合わせないといけないんですね。それ が写真が本質的に持つ、もうひとつの他律愛でもあります。 私の場合は全くの趣味でやってますし、写真を人様に見せることもありません。この掲示板には投稿を していますが、みなさん経験の長いハイマチュアの方ばかりなのでいたって気楽です。 話が逸れましたけど、写真行為そのものの中心に蠍座的なものがあり、それは物事を見たい知りたい、 もっと深く考えてみたいというのがあるんだろうと思ってます。 つまりそれは表現欲ではなく探求欲ですかね。多分それが写真の真髄だろうと思ってます。 ※投稿写真はRAWで撮影しモノクロ現像したものです。5000万画素から2000万画素くらいに落として いますが、これくらいがカラーカメラのモノクローム現像での落としどころかなって思います。本当は1/3~ 1/4くらいの出力が理論的には合うのかもしれませんが。 解像度やシャープさではモノクロ専用機にはなかなか太刀打ちできないのがカラーカメラの宿命です。 しかしカラーカメラは現像時に個別色を調節できるという大きな利点があります。それが余裕を生むと いう感じです。言うなれば色がのってるねっていう感じですか。モノクロカメラは実際にレンズにカラー フィルターを嵌めないとそれができません。それも一回に一種だけ。元々3色のカラーフィルターを載せ ているカラーカメラの優位性はそこにあります。 印刷やプリンター出力でもそうでして、墨1色版で黒白写真を印刷するのはローコスト印刷ですが、 作品レベルの写真を印刷する場合は4色製版全てを使います。インキジェットプリンターならばもっと多く の多色インキで印刷しますね。 そういう具合で、モノクロ専用機とベイヤーカラーカメラは大きく違ってきます。モノクロ専用機もHDR撮影 をしますと多少補えるかもしれませんね。逆に申せば補完処理をしてしまうということではありますが。 ペンタックスモノクロームを手に入れて使ってみて、いろいろなことが自分なりに理解できるようになった いう気がします。より写真なるものを深く理解できるようになれたというか。高価な買い物でしたが良かっ たかなって感じます。 それとカメラ機材としてはK3M3はとても良いカメラです。これまで使ったペンタックスとは次元が違って 優れて使いやすいカメラですね。かなりカッコイイので使う気にもなれるというのがよいです。 レンズは既存のシグマレンズオンリーで行こうと決めています。 そして何よりも黒白写真は自分に合っていると感じます。そしてカラー写真という、言わば雑音を含む 昨今の写真からは自由になれるという気もしています。特に掲示板では雑音をシャットアウトできます から。写真を何も分かっていないのに知ったかぶりをするような人物は黒白写真には関心がないで しょう。 黒白写真は基本的にモノクロJPEG+RAWで撮影することにしました。これで黒白写真だけを純粋に見る ことができますし、いざとなれば高品質モノクロ現像も可能、そして記録としてカラーデータも保存して いるという2重の体制でいけますからね。ローコスト写真から高度な写真までこなせるという体性となり ます。 昨今の生成AI は危惧されている反面、プログラミング技術がなくても本格的にコンピューターが使える ようになるという革新的な面があります。 それはどういうことかと申しますと、AIレベルに達していない知能の人間には毒になるけれど、AIよりも 優れた人たちには朗報であるということです。要するに以前からあるコンピューターがより発展したという ことでしかなく、本当はさほどのことではないわけです。しかし大衆側の人間としては今回の革新は極め て危険であるというのは事実だと思ってます。特に子供たちには。 黒白写真をやるには、この場合で言うところのプログラミング技術を持っているかいないかの違いがある ように感じます。たぶん殆どの人間は黒白写真を見ても分からないのではないですか。言い換えれば 普通の人はプログラミングコードを見ても分かんないでしょう?それと同じように黒白画像を見ても何が 写っているのかが理解できないだろうと思うわけです。黒白画像を見てリアルな現実光景を脳内で再現で きないだろうということですね。

無題

無題

これもJPEG撮影です。草花の写真を黒白写真ではなかなかイメージ的にマッチしませんね。 花はダメでも女性ならば黒白写真でいけますね。 女性ポートレートはこれからはAI化粧加工が普通になるかもしれません。というか、ポートレート全般が そうなってしまうような気がします。撮影者のセンスではなく、AIセンスの時代になるのですかね。 ベイヤーカラーカメラのモノクロモードは、シャープでリアルなモノクロ専用機やシグマフォビオンと比べ ればとても柔らかい雰囲気となります。やはりフルサイズが良いですね。APSだとモノクロモードは苦しい という気がします。 ベイヤーカメラは補完処理をしますのでどうしてもリアルさ(解像感)が劣ります。カラーフィルターの存在 もそうですね。分厚いフイルムベースを使ったような画像となり、リアルさからは遠のくのですが、その 分はホンワカなイメージを与えてくれます。このカメラはローパスフィルター付きなのですがそれが返って 良いように感じられます。 ベイヤーカメラでローバスフィルターを外したモデルでは、最初にペンタK5マークⅡSを試しましたが、 どうも画質が汚いという気がして、それ以来ローパスフィルター付きのモデルを選んでいます。 K3マーク3モノクロームは当然にローパスフィルターレスですが、それは見事にマッチしています。また シグマもローバスフィルターがありません。そういう補完処理をしなくてすむカメラは良いのですが、 カラー写真として補完処理前提のカメラはむしろ、ローパスフィルターがあるほうが良いのではないか という気が私はしています。

無題

無題

フィルム写真、銀塩写真とも言いますが、これは撮影時から現像・紙焼きまで全部が文化という気が しています。しかしその文化はデジタル時代では失われようとしています。もしすれば紙の印刷文化 もやがてはそのようになるかも知れませんね。 面白いことにその写真や印刷の技術が、デジタル文明を支える根本であるところの半導体製造に 使われているのです。今は半導体という加減な言い方になっていますけど、高度集積回路ですね。 この半導体製造に関して、日本の企業は多くの貢献をしています。もし日本がなくなれば世界を覆う デジタル文明は崩壊してしまうでしょう。 面白いことに高度半導体製造で脚光を浴びている台湾とか韓国は、かつては日本の領土でした。 彼らは一時期日本国民であったわけですね。そう考えると21世紀を支えるデジタル文明は日本的な 文化や精神なくしては成り立たないということになるかもしれません。 そしてもうひとつ、カメラやレンズという映像機器はダントツで日本企業です。センサーの製造でも そうです。デジタル時代は同時に画像映像時代でもあるんですが、その根本を日本が抑えてます。 ちなみに半導体製造はものすごく難しくて、それは高度科学実験か傑作芸術か、というレベルで行わ れているそうです。最初は歩留まりゼロから始めて最終的には8割くらいにもって行くのでしょうけど、 工業製品だからといって当たり前に製造できるものではないんですね。例えば露光装置、引き伸ばし 機の親分のようなヤツですけど修士レベルの技術者が何十人も掛かってやっと動かせるのです。 私も今はデジタルで写真をやっているわけですけど、写真たるものの薫陶を受けたのはフイルム時代 です。いわばフイルム写真文化の遺産でもって今も写真を続けられていると考えています。 トライXの長巻を買ってきて暗室でパトローネに詰めることから始って、フィルムの現像そして紙焼きと、 そういう経験をしていたからこそ、デジタル時代になっても写真が出来ているんだろうと思ってます。 10代後半から20代後半まで10年間、フイルム500から1千本は撮ったかなって記憶してます。 今の若い人のようにフイルム文化を知らずにデジタルだけで写真を知りやっていくというのは、私に は想像外ですけど、それはどんなものなのかなあ、という気はしています。無論写真学校に入れば フイルム文化をおさらいするんでしょうけど、そうではなく自己流でスマホから写真に行くという人は、 どんなのかな?というところです。我々とは全く違った感覚で写真をとらえているのだろうと推察しま すね。 そして最近は生成AIという新時代に突入しました。リアルとフェイクの見分けが付かないような時代 になりつつあります。もはや写真という言葉は消滅して、ほんとに単なる画像文化という時代になった ようです。 今の若い方に申し上げたいのですけど、まだ写真文化があるうちに、学生時代のうちに、できれば カメラを買って、写真を自分で作ることをやっていただきたいなあって感じてます。デジタル写真で よいので、他人から与えられた画像ではなく自分が作る写真というものを体験しておいて欲しいなあっ ていうことですね。スマホではダメですよ。キチンとしたカメラとパソコンで。 その経験は一生の宝物になるだろうと思います。全部中古でいいんです。PCもネットに直接繋ぐ 必要もないです。PCはできればノートタイプではなくディスクトップで。 そういう自分で作った写真の経験があれば、これから氾濫するであろう偽物の画像に対してもある程 度の防衛ができますから。ディスクトップPCを勧めるのはバラせるからです。パソコンはコンピューター の始まりの勉強にもなりますからね。いきなりスマホやインターネット・クラウドでは何も分からずに 一生を過ごすことになりかねないです。 正直な感想として、今回の生成AIは極めて危険ですね。確実に人々の思考の劣化をももたらすだろう と思います。多くの人々が無思慮になれば、時代は確実に悪化していきます。一部の有能な人間が この世界をリードしているんではなく、この世界と時代を作っているのは多くの大衆ですから。 技術者や企業家はそころ辺が分かっていません。政治家ならは知っていることを彼らは知らない。 現在のデジタル文明の基礎(つまり半導体製造)を作り上げているのは日本型の東アジア諸国です。 それを知っている米国や西欧諸国は日本や諸国を守るでしょう。もちろん中国やロシアといった専制 国家群からです。 これは明白なのである程度安心ができるわけですが、それは裏返しとして核戦争の危機をはらんで います。つまり核戦争の危険性を冒してでもデジタル文明を遂行発展していかなければならないという そういう際立った時代だということです。 私は人工知能が人類や天才を凌駕するとは思っていませんが、それにむけて邁進するこの時代の 危うさというものには大きな危惧を抱いています。 そう言えば、ソフトバンクの孫さんが言っていましたね。自分は時代をリードするアーキテクト(建築家) になりたかったんだと。孫さん、それは無理です。この時代をこの世界を作っているのはあくまでも 大衆です。その大衆は、孫さんのような天才に引っぱられて行くのではなく、占星術でいうところの 天体の動きによって引っぱられているのですからね。(^^ゞ 孫さんが頑張れば頑張るほど、時代は 裏目に出てしまうのではないですか。 投稿写真はJPEGで撮っています。水遊びが好きな犬だそうです。人が石を投げて、それを探すために ワン公がばしゃばしゃと、泳ぎも達者で投げた石を探し出し咥えて持ってきてました。

雑感

雑感

私の現在のデシタル写真とは、もう画像とか写真なんかは関係なくて、カメラを持って撮影として野外 で歩くこと。その一言になっています。 私のデジタル写真とは歩きなんです。もうそれ以外の何物ではなくて。 それは高度情報化社会たるIT機器への対処そのものとまったく同じです。つまりそういう環境下では 運動不足と眼精疲労(脳疲労)があるわけなんです。それへの対処をすること。IT技術者は余暇には 運動、とりわけ自然環境下での運動を好みます。それでも彼らの職業寿命は短いですね。 具体的に言えば、電子機器類から発する電磁波や静電気環境、そしてモニターやスクリーンというも ので見るわけですがそういうVDT症候群への対処であるわけです。極度のまでの人工環境下では まともに人間というのはストレスで生きていけないということです。 余談ですけど、IT技術者がまだ少数だった時代。パソコン出現以前の70-80年代ではプログラマーが よく飛び降り自殺をして問題となりました。メインフレームやオフコンの時代です。 最近は車が荒地でも走れる走破性のよいSUVというのが人気ですね。クラウンもそれになりました。 ひとつは先進国以外でも車が普及するようになったことですが、先進国でも大人気なのは、IT技術の 一般化によってオフィスでは皆がIT技術者になったからです。彼らは余暇で大自然に入ることを好み ます。 カメラを出汁にして健康維持として歩くこと。それで身体の健康と体力維持、そして脳力を保つことな んですね。これはもう過去のフィルム写真時代とは隔絶の感のある変貌となっています。 いまだに写真の美学がどうのこうのと言う時代錯誤な人がおられますが、そういう人は写真として 歩いていない人ですね。 高度情報化社会では、写真は画像でも美学でもなくて何よりも自分の健康維持への対処が第一の 課題となっているわけです。写真とは狩猟採集文明への立ち返りであるということを言いましたが、 そういうのは現代の情報化社会では何よりも大切な課題となっているからです。 また余談ですけど、この掲示板で成功している板はMN板です。投後者にはIT技術者もいますね。 そして自然環境での撮影、ネイチャー写真を好んで撮影されています。そして面白いことに、光学 一眼レフで今後も行くよってアナウンスしているペンタックスの愛好者が多いです。 彼らの写真は美学的にはそう凝ったものではなく、とにかく被写体との出会いを大切にしていると いう気がします。 シッポ座さんか面白いことを言っておられました。写真を撮ることで自分の足を使い確認するという 作業は考古学にも似ている・・・  考古学、とりわけ現場の発掘は、埋もれている遺跡や遺物を見つけるには、非常に注意深く現場を 歩いて観察しないといけませんね。予算と期限の関係で滅多やたら掘ることはできませんから そこは観察力の勝負なんです。夢に出てきたところを掘ると遺跡が出できたという話もあるほどです。 夢にでるほどよく観察して考えていたということでしょう。 私も実際に発掘作業に一時携わったことがありますが、それは歩き写真とよく似ていて、良い写真が 撮れるには時の流れ上の山というのがあって、また当然にスルーするところも多々ありの中で、 よい被写体の鉱脈に行く着く、めぐり合う時というのが不思議にあるんですね。 これが歩き撮影の醍醐味です。歩き撮影とは、人が関心もなく無視しているところも歩きまわって、 とにかく自分で鉱脈を見つけることだと考えています。そうすると一回の撮影でどこかでひとつは お宝に出会うことができます。写真のお宝をゲットできるというわけ。(笑) そもそも写真は他人が見つけたものをコピーするように写真することではありません。自分の被写体 は自分で見つけること。これは昔も今も変わらない真実です。それを本来の写真というのですが。 誰もが撮影する観光地の場所に行って人と同じような写真を撮るのは(同じスポットで同じ角度で)、 写真とは言わなくて模倣というのです。素人さんがよくやる手ですね。ポスターと同じ写真が撮れて 嬉しいというような。 とにかくデジタルな現在では、写真を画像として美学的に求めるということは時代錯誤になっていま すし、綺麗に撮ろうとすること事すらも意識の遡上にのらないことがあります。 この掲示板を長く見てきて、そういう画像主義や美学意識ということをやっていた方々は退場して きました。もうそのような方はいなくなり残ったのは率直に写真として向き合おうという方々ばかりに なりました。 たぶん、これが本来のデジタル時代の写真なのではないかと私は考えます。ノスタルジックに写真 を考えている方は、私のコメントや写真を批判されますが、それは間違いです。その証拠に荒らしの 批判者は自分の写真を投稿できていませんし、おそらくもう写真撮影すらもやっていないでしょう。 現在のデジタル写真というものを良く考えて適切に対処していかないと、写真が続行できないという だけでなく、身体や精神すらも蝕まれることになります。取り返しのつかないことすらも起きます。 写真は魅力的なものですが甘くはないんです。

雑感

雑感

カメラ、道具として最も優れているのはミラーレスカメラです。何よりも身体に安心安全ですから。 当然に電子シャッターモードで且つ背面スクリーンを両目で見るやり方ですね。 光学一眼レフにMFレンズというのは、あくまでも写真として、また撮影としての理想論や精神論 のことを言っているのであって、現実的には厳しいところがあります。特にショット数の多いヘビー ユーザーは気をつけなければなりません。 このデジイチ+多量撮影でもって病気になられた方を私も少なからず知っています。そういえば この掲示板の中でも認知症を患っておられる方がいますね。だいたいそういう方はフィルム写真 時代をあまり知らず、デジタルになってから写真に夢中になられた方が多いです。 しかし写真をやりすぎて身体を壊すというのは飽くまでも自己責任です。誰に文句を言っても 始りません。遺伝子ワクチンを数多く接種して病気になる、死んでしまうというのと同じものです。 それで一番安全なカメラはミラーレスカメラをAFレンズでもって正統に使うやり方。これはデジイチ のカメラを電子シャッターモードでライブビュー撮影するのと原理的に同じです。 次にはデジイチにAFレンズを着けてアイアイポイント撮影をするケースになります。これは一般的 です。 私の経験で一番厳しいと思うのはMFレンズで良くピントの合うレンズを装着した場合。フォーカス エイド機能を利用して多量に撮影することができます。しかしついついハイアイポイント撮影がルーズ になるわけです。光学ファインダーの魔力に引きつられるといいますか、AFレンズと同じくらいの ショット数をたたき出していて後でびっくりすることがありました。 ですからMFレンズ装着で撮影する場合は自制してショット数を制限しないといけませんね。

キヤノンユーザーはなぜシグマに関心があったのか

キヤノンユーザーはなぜシグマに関心があったのか

キヤノンユーザーはなぜシグマに関心があったのか https://photoxp.jp/pictures/216997 (その4番ですね。6番は脱線のようです) これはキヤノン板でS9000さんから啓示というかインスピレーションをもらって、それでキヤノン使いの ユーザーが地味なシグマになぜ関心があったのか、その理由が少し分かりかけてきた、というお話です。 カメラの陰陽理論としての私の仮説です。(^^ゞ  光派メジャー・・・キヤノン、ニコン (強い陽) 光派マイナー・・・ペンタックス、オリンパス (やや弱い陽) 色派・・・ソニー、フジ、ツァイス (光が物質化したようなイメージ) 陰派・・・シグマ、ライカ、パナソニック、リコー (強い物質感、シグマ以外はやや付けたし?) この陰派に、中判デジタルカメラを付け足してもいいかなって思ってます。中判デジタルは国産メーカー ではペンタックスとフジがあります。センサーサイズはフルサイズの1.7倍です。 キヤノンユーザーは光派・陽派として積極的な写真展開をしていくというところがありますね。自信と実力 に溢れていますし、多方面に興味と好奇心があります。それはちょうどかつての西洋がキリスト教を全世 界に伝播しようとか、現在では米国が西洋民主主義を普遍的なものとして世界の隅々まで普遍化しようと するのに良く似ていると思います。 これは光の立場に立てば当然のことであって、闇とか陰というのは光の威力が及ばなかった状態である と彼らには考えられるからです。 キヤノンユーザーは自分は写真を征したという自負があり、それで彼らにとってキヤノンの対極に存在す る陰派の小さなシグマ、これがどうしても気になるということだったのだと思います。ついでにシグマも制 覇してみたいという気持ちになったんではないですかね。そうすると名実共に自分は写真の王者になると 考えたのでしょう。しかし実際にやってみると随分と勝手が違った。そういうことだったと思っています。 ところでシグマユーザーとしては自分はささやかな写真趣味をやっているだけでキングのキヤノンなどに たてつこうかと言う気持ちなどはさらさらありません。隅っこで自分の好きなカメラで気に入った被写体を 撮っていればそれで満足という立場です。シグマユーザーは目立ちたがり屋ではないのです。 陽のキヤノン、陰のシグマ。ユーザーの気分はだいたいはそんなところだったかと思います。 とにかくナポレオンの冬将軍のロシア遠征のごとく、キヤノンのシグマ制覇は失敗に終わったというところ なのですが、シグマを征することができなかっただけでなくご自分の写真すら危うくなってしまったわけで すね。そういうところが写真の面白いところです。 そもそも写真は光である(象徴的な意味で書いてます。文字通りに受け取らないで)、というのは陽派の 思い込みなんであって、写真は光も影もあるから成り立っているわけですね。陰陽ともに存在しなければ 写真というのは原理的に成り立ちません。そういうことに考えが至らずに一方的に光であると決め付けた 時点で本当は崩壊が始まっていたとみるべきでしょう。 私としては彼らにはもっと長期で長い眼で挑戦して欲しかったのですが、本当に写真のことが分かって おられるだろう、と言うキヤノンユーザーはシグマなんかには行きません。これは分かっています。それは 長くシグマユーザーをしている人がキヤノンには行かないというのと同じですから。 ユーザーには向き不向きのカメラメーカーというのがあって、何も不得手なことはしなくてよいわけです。 私の場合としては、基本的にはキヤノンニコンのユーザーだろうと思います。しかし他者の影響を受けて シグマに入ってしまったというところがあります。シグマの画質は素晴らしいけれど現像がおぼつかない のが困るという程度の感覚しかなかったと思います。そして1年ほどシグマばかりで撮影したのですが、 これは大変なことだと自覚することになったわけです。 そのことの実感が超高画素高画質の問題として出てきたのですが、ズバリ言えばシグマのカメラのこと であり、キヤノンやソニー等の高画素機のことではありません。話を普遍化するために使った用語なんで すね。超高画素高画質問題とするとモニターのそれも含むことになり4Kモニターの弊害も含むことにな りますから。さらに演繹すれば EVF問題へと通じます。ようするにVDT症候群の問題ですから、これは。 こういう諸問題、シグマを長くやってこられたユーザーは既に自分で解決済みのことなんですが、にわか に他メーカーのカメラから、初めてシグマに来られた方は知らなかったわけなんですね。 私の記憶では、SD14辺りからPCは高性能でなければ動かない、つまりPCに縛り付けられるということに なり、これは良くないねーと思っていましたが、初めてメリルやクワトロから始めたユーザーは面食らった と思います。私にはそれなりのシグマの経験がありながらも、それでもディープにシグマに入りこむと想像 以上の結果が待っていたわけですね。 今にして思えば、良くぞ気が付いて一旦シグマから遠ざかれたと思います。 現在の私のやり方は、撮影はするけどPCモニターでは見ない。という極端路線をやってます。(笑) それくらいしないとシグマの高画素カメラは私としてはやれないだろうということです。キヤノンニコンの癖 が付いてしまったユーザーには、それくらいしないと手がないというか、シグマには太刀打ちできません から。 しかし私の場合、自分の写真として大変革を遂げたのは、シグマで危うかった時期から後のことです。 ミラーレスカメラに行き(直接の切っ掛けは漏洩電磁波のない電子シャッターを使う為)、そして写真の楽し みを捨てる決断をしたことです。それはどういうことかと言うと、光学ファインダーのないカメラは記録写真 用途としてしか使えず、敢えて写真独自の楽しみと言われているものを捨てたことですね。 写真界からは遠ざかったかもしれませんが、新たに地理的地形的、また文化歴史的な観点から写真撮影 をしだしたことです。これは脱写真です。 つまり言い換えれば、通常の写真としての芸術性や人気性を完全に捨てたということです。これが本当の 大変革だったかもしれません。もっともこのお陰で掲示板における私の立場は大きく縮小していきました が。とにかく私にとってのシグマショックから立ち上がるにはこれしかなかったということでしょう。 今は再度、ミラーレスからデジイチという光学ファインダーを取り戻した撮影をしていますが、これはPCモ ニターで撮った写真を見ないですむ為の一時的方便で試みですかね。 私の立場は、あくまでも写真の安心安全を最優先するということですから、その為には写真の楽しみすら 捨ててしまいます。というか別の楽しみにシフトしたということです。 今現在、シグマで撮影されている方は昆虫や野鳥の撮影であって、芸術的な人気を得る為の写真では ありませんね。オタク的な写真でしょう。 それは私の非芸術的な観点から風景を撮影をするということと同じではないですか。彼らの写真は極め てクールな写真であり、それは陰性の写真そのものであって陽性の芸術写真とは真逆の写真ですから。 シグマユーザーの写真は人気の獲得に関心がありませんし、芸術性や観光色をいれて読者に媚びると いうことをしません。あるいみ超然としているところがあり、しかしながら高度な写真術なり哲学を持った 読者からは高い評価を得ているものと想像しています。 このような写真のやり方は大昔の白黒写真文化を彷彿とさせますし、現在ではネイチャー写真がそれに 近いかと感じてます。 しかしながら写真には、通常風俗を織り込みながら全く写真を知らない人でも楽しめるという写真も必要 ですね。そのような写真が得意なのは依然としてキヤノンニコンのユーザーではないでしょうか。富士山 の写真になんかは典型的なのですが、誰もが知ってる被写体を綺麗に仕上げて視聴者を楽しませること の意義はおおきいですよ。 少し脱線しましたが、画素数の低い情報量の少ないカメラならば芸術志向の写真をとってもかまわない でしょう。しかしシグマの高画素機のような多量の情報量をもったカメラ(陰極のカメラ)では、芸術嗜好・ 人気志向であってはならないだろうということなんです。 それは陽派のキヤノンユーザーが情熱に燃えてシグマに挑戦をして敗れ去ったという、その真実を言い 当てているようにも思えます。結論としてシグマの高画素カメラは芸術や人気志向としては使えないカメラ であるということ。この観点は大事にしたいものです。 そして多分デジタル中判もそうでしょう。 中判デジタルはアマチュアでもハイクラスの方がネットで見ると使っておられるようです。比較的入門しや すいのはペンタックスですか。豊富なレンズの中古市場がありますので。フジはボディ単体は安いので すが、専用レンズは高価です。しかしフジにはマウントアダプターでもって多く出回っている中古レンズを 着けて撮影するという手がありますね。ハッセルレンズを着けてみたいというユーザーは多そうです。 場合によっては135判デジイチのレンズもイメージサークルを言わなければ取り付けられそうです。シフト レンズなどは合格するでしょう。 フィルム時代でもそうですが、135フィルムカメラとは別格の画質をもたらしてくれました。私もペンタ645、 67、マミヤ645、67、フジ645、69などを使っていた時期がありました。白黒時代の大昔はトプコン、トヨなど も。フィルム時代はれっきとしたユーザー層があったものですが、デジタル時代になるとそういう中判層は フルサイズデジタルに吸収されていきましたね。私も中判デジタルにまで行きたいとは考えていません。 しかしシグマのことを考えると、おそらく直観力の鋭いキヤノンユーザーは、シグマのカメラは中判デジタ ルに近いイメージを持っているのではないかと、そう考えたのかも知れませんね。 シグマフォビオンカメラにはまだフルサイズカメラはありませんが、APS-Cのメリル、クワトロのAPS-Hで すら、ベイヤー方式のフルサイズカメラをある部分では上回っていると私も思っていますし、キヤノンユー ザーもそう感じたのではないでしょうか。フルサイズを上回るということでは中判デジタルの分野を侵食 しているということです。もしシグマがフルサイズフォビオンをリリースすれば、それはフルサイズの1.7倍 のセンサー面積を持つ中判デジタルをカモッてしまうでしょうね。 もしもPCモニターというものがなくVDT症候群を回避できれば、シグマは最高の画質の写真をするカメラ となり真の王者となるべきカメラです。そういうポテンシャルを持つカメラが存在ししかも廉価で手に入る。 写真のトップを目指すキヤノンニコンのエッジなユーザーは挑戦したくなるのは当然であったということで しょうね。しかしそうはならなかったということ。 シグマは依然として人知れずな深山の孤高であり誰もが知る富士とはなっていません。 私はそれを嬉しく思っています。 私が写真を論ずる時、そのベースにはやはりシグマの写真があり、そして多くのシグマユーザーの投稿 者の存在があります。おそらく私の写真論の殆どはシグマユーザーと、シグマに挑んだ挑戦者から学ん だものばかりではないでしょうか。もしシグマというカメラがなければ私はこれほど長く写真に没入すること はなかったろうと思ってます。

竹の花

竹の花

竹の花 新聞記事で竹の花の開花を知り、のこのこと出かけましたが殆ど開花は終わって、竹林全体は枯れか かっていました。僅かに残った出遅れの花を探し出すのは大変でした。実というか種はたくさんなって いましたが。60年から120年のサイクルで竹も花を咲かせるようです。私も幼児期、郷里でほぼ60年くらい 前に竹林が開花したという記憶があります。その後竹林は枯れましたが根が残っているので竹の子が 出て数年後には復活するんですけどね。 人生で2度、開花を見れたということで有難いなあって思ってます。(^^ゞ とはいえ、竹の開花は不吉と 捉えられている節があり、竹の実が救荒食物であるということもあって、天候不順の不作の時代をも意味 します。これからは疫病だけでなく食料不安の時代になるかもしれませんね。 レンズはコンパクトマクロのEF50ミリF2.5です。フィルム時代のレンズですが、皆さんご存知のように使い やすいレンズです。カメラは何かと問題の多いフルサイズ高画素機ですが、こういうマクロ撮影ではその 性能を遺憾なく発揮してくれます。と言いますか、画質はAPS-Cカメラの2000万画素と同じです。(笑)  下方を少しトリミングしています。フルサイズの必要はない撮影ですが、マクロ撮影をしながらすぐさま通 常風景撮影に移れる利便さがあります。

キヤノンとニコン 2

キヤノンとニコン 2

以下は、 https://photoxp.jp/pictures/216451 これへのコメント返しとなっています。 管理人様、コメントありがとうございます。(^^ゞ しかし心配はご無用でして、私の場合はただ単に古い OSのビスタを未だに使っているから起きる問題でして、セブンPCからは難なく投稿できます。セブンを 使わずにビスタを使っているのは、ただ単に古い機種を大事に使っていきたいと (それはカメラでも そう) いう私の趣旨からくるものでして、極めて個人的な事柄であり、一般的な解決すべき事柄ではあ りません。(笑)  そもそもビスタを未だに使っているのが間違いなのですが、しばらくはこの歓迎すべき不便さを楽しん でいきたいと考えています。 S9000さん、今回のニコンとキヤノンという題材は、よくあるカメラの対比趣味ではなく、そのユーザー 達の生態観察というところがあって、キヤノンユーザーにも他のメーカーのユーザーのことを知って おいて欲しと思ったからです。自分の使っているカメラとそのメーカーだけしか知らないというのでは 知識として不足しますから。またこの掲示板でもキヤノン板だけではなくて多くの板があるわけですし。 私の場合、当初から多種のメーカーの機材を使っていて、逆に言えば単メーカーのカメラしか使ってい ないというユーザーの心理が分からなくなったというのがあります。 思いの他にメーカーの独自性というものは強いものだと考えています。メーカーの出す機材には歴史 や思想というものが込められていて、皆それぞれ個性的なのです。 それらは企業の社風とか歴史やイメージというもので我々ユーザーには知られていますが、メーカー がユーザーに一方通行で押し付けているものではなくて、そのイメージの形成にはユーザー自身が 大いに参加しているのです。むしろ多くのユーザー達がカメラメーカーのイメージを育てているという ところがありますね。 キヤノンユーザーとニコンユーザーの服装とか装備とか、それらの海外でのイメージも日本と同じじゃ ないかと感じました。キヤノンユーザーはどちらか言えばざっくばらんですし物量も大きいです。ニコン ユーザーは服装はキチンしていますし装備もストイックなところがありましたね。あくまでも比較論での 感想ですけどね。 キヤノンもニコンも日本のメーカーですがユーザーやファンは世界中にいますし、的確にイメージを 捉えている結果となっているわけです。考えてみればこれは不思議なことですね。 このイメージと言いますか空気のようなもので、初心者は自分の使うカメラを選ぶっていうところがあります。最初からキヤノンを買っていたからずっとキヤノンという単純なものではなく、自分にはキヤノン のイメーが合っていたからこそ、今もキヤノンを使っているということです。きっと多くのユーザーはそう 感じているはずです。 またキヤノンとニコンだけでなく他メーカーにもそれぞれの個性があり、それぞれ形成されたイメージが あります。個人的にMN研のペンタックスファンは注目しています。K3マーク3という優れたカメラが出現 しています。 ニコンDfはニコンらしいカメラですね。ニコンはオーソドックスなところがありニコンSというレンジファイン ダーの復刻版を出したこともあるのです。こういう儲からないことはキヤノンはしませんね。(^^ゞ  キヤノン一筋のユーザーでも、交換レンズは純正、そしてシグマ、タムロンといった他メーカーのものが 選択肢になります。可能な限り他メーカーのものを使うと世界観が広がります。マウントアダプターを 使えば、マニュアル操作になりますがニコンのレンズを使うことも可能です。レンズ交換式カメラは実に 有難いものだと思います。 裏街道さんのサンダルは写真撮影に於ける正しい装備ではありませんが、裏街道さんには彼なりの 特殊な事情があります。運転時と同じサンダル履きで撮影をするのは、つまり撮影に深入りしたくない 為の苦肉の策だろうと私は推察しています。服装を充実させると(特に足元を)ついつい撮影に夢中に なり、撮影に深入りすれば場合によっては仕事に大きな支障があるからです。電話で何時呼び出しを 食らうかも知れませんし、常に即座に仕事に復帰できる態勢にしていなければなりません。裏街道さん の仕事とはそういうものではないですかね。ついでなから言うと素足にサンダルは長距離トラックドライ バーの正装です。(水虫になり難い、ほんとか?) おそらく撮影中も仕事のことが脳裏から離れないでしょう。24時間何日も拘束されながらも、自由にな る時間などほとんどないのが長距離トラックドライバーの実情だと言えます。 それでも裏街道さんはわずかな時間を見計らって撮影をし掲示板に投稿して、我々に全国の写真を届 けてくれています。仕事三昧の人であり、リアルな写友もあまりいらっしゃらないかと思います。皆さん も是非に彼を応援してあげてください。(^^ゞ  1DXは少し以前に中古購入しましたが、漏洩電磁波が極めて少なく、計測すると70Dと同じレベルでし た。極めて安全なカメラということで、撮影ショット数の多い野鳥カメラマンがフルサイズカメラを購入す るということであればこのカメラをお勧めします。ただしもう中古でしか手に入りません。後継の1DX2/3 はシャッター機構が1DXとは違っていますので同様に低電磁波だとは限りません。たぶんもっと高いで しょう。 最近はミラーレスカメラとなるわけですが、確かに電子シャッターを使えば電磁波問題はクリアするも のの、光学ファインダーではなくなりますので、今度はモニター症候群・VDT症候群という別の難問が 待ち受けていることになります。 イオス5DSなども光学ファインダーであるのは良いのですが、形成される画像は超高画素高画質なの で後のPCのモニターで苦しめられることになるわけです。私には1000~2000万画素の光学ファイン ダー式カメラが最適ですね。ミラーレスカメラも使っていますが、主に広角レンズで使っていて事実上の ノーファインダーでの撮影と割り切っています。時間がなく記録の撮影に徹する場合は、軽量で背面 液晶撮影による簡易なコンデジ撮影ができるミラーレス機は有用です。 キヤノンやニコンのフルサイズプロ機は光学ファインダーが極めて優れていて、装着するレンズの可否 まで分かるということで、その撮影時の楽しみは最高度といえます。次いでフルサイズ高級機もそれに 当たります。キヤノンからば5Dシリーズ、ニコンならばD850とか。また最近はペンタックスも浮上してき ましたね。APS機ながら素晴らしいファインダーを持っているようです。 優れた光学ファインダーは撮影時の、ひいては写真そのものへの満足感を大きく満たしてくれます。 そういうカメラを使えることは最高に贅沢であって、撮影時に至福の時を過ごすことかできます。当然 に着けるレンズは高級で明るいレンズが、さらに至福感を増大してくれます。裸眼で見るよりもファイン ダーで見るのが優れているという結果にもなりますから。 添付した画像は5DSの、Rではないタイプです。ローパスフィルターがあるタイプですね。背景がうるさく ないように全面ぼかしでやりました。こういう高画素のカメラを全ピントでやりますと、その膨大な情報 量で閲覧するだけで精神的にまいってしまうところがあります。それでほとんどぼかしでいって一部だ けクリアにするのがアマチュアとしては有効です。またRタイプでない方が眼に優しいです。 閲覧者の中には超高画素カメラがブランドで偉いとか、写真の画像処理は楽しいとか思っている方も おられるかも知れませんが、仕事でやっている人にとってはそれらは地獄の世界です。50も過ぎれば 廃人になるのではないかと思うほどです。高精細な写真の画像処理はPC作業の中でも一番にきつく、 使っているPCもモニターも高品位なものになります。写真の画像処理はいち早くAI自動化すべき事柄 だと私は考えています。 使用したレンズは古いEF85ミリF1.8です。なかなか良いレンズですが、ピントがクリアにいくのは中心 部だけです。全ピントで使えるレンズではありません。最近はバイクライダーが増えてきて、車で運転 していてバイク集団に囲まれると、うるさいわ、くさいわ、邪魔だわで、コンビニにでも入ってやり過ごし ます。(笑) 投稿写真はオリジナルの縦横1/2ピクセルでアップしています。面積比やデータ量では 1/4になりますか。オリジナルのデータでも中心部のピント部はクリアです。 背後の山は切り取られた山容をしています。採土されて最後は建物が建つのでしょう。その現場を見 に行くときに撮った写真です。 裏街道さんが現役ドライバーを引退して、それで写真趣味はどうなるのだろうかと考えると、想像する だけで面白いですね。(^^ゞ トラックを降りても、今度は自分のハコバンで車中泊をしながら全国を回る のでしょうか。それとも退職を機に写真趣味はきっぱりとやめてしまうのでしょうか。 裏街道さんは全国区の方なので、写真三昧でやろうと思えば切りがないほどに被写体は豊富です。 しかしながら現役時代は撮影対象は自分でテーマを決めて撮影することはできませんでした。仕事の 都合で選ばざるを得なかったわけです。それが今度は自分で自由に選択してよいのですし時間の制 約もありません。ちゃっちゃっちゃで撮影することはできませんね。(^^ゞ きちんと靴を履いて藪の中に 分け入り、岩場も歩かなくてはなりません。撮影に没入して時間を忘れるということもあります。車中泊 のベテランなのでそこは困りません。 そして今度は撮った写真はどうするのか、という問題に突き当たります。プロドライバーの副産物として の写真では済まなくなるからです。地元の写真クラブに入ろうか、とか、公募展に応募しようか、とか 考えるのでしょうか。海外での撮影もこなして見たいと思うかもしれません。しかしそれには当たりきで すね。これまで時間に追い回されて来たギリギリの生活から比べれば暇つぶしの道楽としか思えない でしょう。 心的外傷後ストレス障害(PTSD)というのがあります。米国の兵士が戦場で受けた精神的な傷と言わ れていますが、本国に戻って来て、その平和な生活に違和感か出て逆にストレスを受けるというやつ です。たぶん裏街道さんもそのような違和感を、退職すれば味わうことになるのではないですか。 ところで、現役時代は仕事に没入し、退職をすれば今度は趣味三昧に行くんだ、というやり方は大体に おいて失敗するそうです。それで趣味という心を豊かに保つものは現役時代から始めていないとモノ にはならないというわけです。 そういう意味では裏街道さんもS9000さんも順当なやり方をされています。写真という自分の心の拠り 所を早い内から身につけておくことは、現役引退という社会の断絶のショックから身を守ることになる からです。現役中は、会社とかの看板で生きてきたわけでして、その後ろ盾を失うことは誰にとっても 痛手です。それを克服するには、きっと写真趣味は役立ってくれると思うんですね。写真があれば自分 はこの社会との接点を完全には失わないでいられる、というわけです。いや、そもそも写真はあくまで も個人のものですからね。個人としての自分を強くするものですから。 退職後から始めた趣味は失敗すると言いましたが、それは時間つぶしの道楽だからですね。考えても みれば、若い時からやっている方に対しては、歳をとって退職後から始めた人が彼らに敵うわけがな いじゃないですか。技能だけでなく考え方からして敵いません。特にその思想とか哲学という事柄に 関しては雲泥の差がでできます。形だけ真似てどうにかなるということではないんですね。 私が写真を単なる芸事や美術して捉えるのではなく、社会的な全体感や総合力として考えるべきだと 常に主張しているのは、そういう断絶をしないですむように考えるからですね。さらには社会性だけで なく、人間としての生き方にまで高める必要があるのではないかとも考えています。ここまでくると本当 の意味での芸術や宗教性になりますか。生き方の芸術であり、それは形だけの美学ではありません。 写真をしていくという生き方を選択したという意味です。当然に写真をしない生き方もあります。しかし そういう場合も何かの手立てを見つけて自分の行き方を育てているのであって、何も写真をすること だけが偉いというのではありませんよ。 とりあえず写真を選んだのだから、当分はこれでやっていこうじゃないかということです。(笑) 何事も基本が大切です。写真人生もそうです。この基本を見失うと間違った方向に行ってしまいます。 写真を撮影するという、単純な一挙一動の基本を思い出せばよいのです。そこに全ての答えがありま すから。写真というものは目の前にあるものしか写せないのです。それだけを精一杯考えていればよ いということですかね。

EOS 5DSで撮った写真の話題

この機種で撮影された写真に寄せられたコメントです。写真について質問したり、撮影設定を相談したりできます。

EOS 5DSで撮った写真を投稿する