キヤノンユーザーはなぜシグマに関心があったのか
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 5DS
ソフトウェア Capture One 9 Windows
レンズ
焦点距離 24mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/166sec.
絞り値 F5.7
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 8688x5792 (39MB)
撮影日時 2021-06-13 23:11:43 +0900

1   kusanagi   2021/6/21 22:33

キヤノンユーザーはなぜシグマに関心があったのか
https://photoxp.jp/pictures/216997 (その4番ですね。6番は脱線のようです)
これはキヤノン板でS9000さんから啓示というかインスピレーションをもらって、それでキヤノン使いの
ユーザーが地味なシグマになぜ関心があったのか、その理由が少し分かりかけてきた、というお話です。

カメラの陰陽理論としての私の仮説です。(^^ゞ 
光派メジャー・・・キヤノン、ニコン (強い陽)
光派マイナー・・・ペンタックス、オリンパス (やや弱い陽)
色派・・・ソニー、フジ、ツァイス (光が物質化したようなイメージ)
陰派・・・シグマ、ライカ、パナソニック、リコー (強い物質感、シグマ以外はやや付けたし?)
この陰派に、中判デジタルカメラを付け足してもいいかなって思ってます。中判デジタルは国産メーカー
ではペンタックスとフジがあります。センサーサイズはフルサイズの1.7倍です。

キヤノンユーザーは光派・陽派として積極的な写真展開をしていくというところがありますね。自信と実力
に溢れていますし、多方面に興味と好奇心があります。それはちょうどかつての西洋がキリスト教を全世
界に伝播しようとか、現在では米国が西洋民主主義を普遍的なものとして世界の隅々まで普遍化しようと
するのに良く似ていると思います。
これは光の立場に立てば当然のことであって、闇とか陰というのは光の威力が及ばなかった状態である
と彼らには考えられるからです。

キヤノンユーザーは自分は写真を征したという自負があり、それで彼らにとってキヤノンの対極に存在す
る陰派の小さなシグマ、これがどうしても気になるということだったのだと思います。ついでにシグマも制
覇してみたいという気持ちになったんではないですかね。そうすると名実共に自分は写真の王者になると
考えたのでしょう。しかし実際にやってみると随分と勝手が違った。そういうことだったと思っています。

ところでシグマユーザーとしては自分はささやかな写真趣味をやっているだけでキングのキヤノンなどに
たてつこうかと言う気持ちなどはさらさらありません。隅っこで自分の好きなカメラで気に入った被写体を
撮っていればそれで満足という立場です。シグマユーザーは目立ちたがり屋ではないのです。
陽のキヤノン、陰のシグマ。ユーザーの気分はだいたいはそんなところだったかと思います。
とにかくナポレオンの冬将軍のロシア遠征のごとく、キヤノンのシグマ制覇は失敗に終わったというところ
なのですが、シグマを征することができなかっただけでなくご自分の写真すら危うくなってしまったわけで
すね。そういうところが写真の面白いところです。
そもそも写真は光である(象徴的な意味で書いてます。文字通りに受け取らないで)、というのは陽派の
思い込みなんであって、写真は光も影もあるから成り立っているわけですね。陰陽ともに存在しなければ
写真というのは原理的に成り立ちません。そういうことに考えが至らずに一方的に光であると決め付けた
時点で本当は崩壊が始まっていたとみるべきでしょう。

私としては彼らにはもっと長期で長い眼で挑戦して欲しかったのですが、本当に写真のことが分かって
おられるだろう、と言うキヤノンユーザーはシグマなんかには行きません。これは分かっています。それは
長くシグマユーザーをしている人がキヤノンには行かないというのと同じですから。
ユーザーには向き不向きのカメラメーカーというのがあって、何も不得手なことはしなくてよいわけです。
私の場合としては、基本的にはキヤノンニコンのユーザーだろうと思います。しかし他者の影響を受けて
シグマに入ってしまったというところがあります。シグマの画質は素晴らしいけれど現像がおぼつかない
のが困るという程度の感覚しかなかったと思います。そして1年ほどシグマばかりで撮影したのですが、
これは大変なことだと自覚することになったわけです。

そのことの実感が超高画素高画質の問題として出てきたのですが、ズバリ言えばシグマのカメラのこと
であり、キヤノンやソニー等の高画素機のことではありません。話を普遍化するために使った用語なんで
すね。超高画素高画質問題とするとモニターのそれも含むことになり4Kモニターの弊害も含むことにな
りますから。さらに演繹すれば EVF問題へと通じます。ようするにVDT症候群の問題ですから、これは。
こういう諸問題、シグマを長くやってこられたユーザーは既に自分で解決済みのことなんですが、にわか
に他メーカーのカメラから、初めてシグマに来られた方は知らなかったわけなんですね。

私の記憶では、SD14辺りからPCは高性能でなければ動かない、つまりPCに縛り付けられるということに
なり、これは良くないねーと思っていましたが、初めてメリルやクワトロから始めたユーザーは面食らった
と思います。私にはそれなりのシグマの経験がありながらも、それでもディープにシグマに入りこむと想像
以上の結果が待っていたわけですね。
今にして思えば、良くぞ気が付いて一旦シグマから遠ざかれたと思います。
現在の私のやり方は、撮影はするけどPCモニターでは見ない。という極端路線をやってます。(笑)
それくらいしないとシグマの高画素カメラは私としてはやれないだろうということです。キヤノンニコンの癖
が付いてしまったユーザーには、それくらいしないと手がないというか、シグマには太刀打ちできません
から。

しかし私の場合、自分の写真として大変革を遂げたのは、シグマで危うかった時期から後のことです。
ミラーレスカメラに行き(直接の切っ掛けは漏洩電磁波のない電子シャッターを使う為)、そして写真の楽し
みを捨てる決断をしたことです。それはどういうことかと言うと、光学ファインダーのないカメラは記録写真
用途としてしか使えず、敢えて写真独自の楽しみと言われているものを捨てたことですね。
写真界からは遠ざかったかもしれませんが、新たに地理的地形的、また文化歴史的な観点から写真撮影
をしだしたことです。これは脱写真です。
つまり言い換えれば、通常の写真としての芸術性や人気性を完全に捨てたということです。これが本当の
大変革だったかもしれません。もっともこのお陰で掲示板における私の立場は大きく縮小していきました
が。とにかく私にとってのシグマショックから立ち上がるにはこれしかなかったということでしょう。

今は再度、ミラーレスからデジイチという光学ファインダーを取り戻した撮影をしていますが、これはPCモ
ニターで撮った写真を見ないですむ為の一時的方便で試みですかね。
私の立場は、あくまでも写真の安心安全を最優先するということですから、その為には写真の楽しみすら
捨ててしまいます。というか別の楽しみにシフトしたということです。
今現在、シグマで撮影されている方は昆虫や野鳥の撮影であって、芸術的な人気を得る為の写真では
ありませんね。オタク的な写真でしょう。
それは私の非芸術的な観点から風景を撮影をするということと同じではないですか。彼らの写真は極め
てクールな写真であり、それは陰性の写真そのものであって陽性の芸術写真とは真逆の写真ですから。

シグマユーザーの写真は人気の獲得に関心がありませんし、芸術性や観光色をいれて読者に媚びると
いうことをしません。あるいみ超然としているところがあり、しかしながら高度な写真術なり哲学を持った
読者からは高い評価を得ているものと想像しています。
このような写真のやり方は大昔の白黒写真文化を彷彿とさせますし、現在ではネイチャー写真がそれに
近いかと感じてます。
しかしながら写真には、通常風俗を織り込みながら全く写真を知らない人でも楽しめるという写真も必要
ですね。そのような写真が得意なのは依然としてキヤノンニコンのユーザーではないでしょうか。富士山
の写真になんかは典型的なのですが、誰もが知ってる被写体を綺麗に仕上げて視聴者を楽しませること
の意義はおおきいですよ。

少し脱線しましたが、画素数の低い情報量の少ないカメラならば芸術志向の写真をとってもかまわない
でしょう。しかしシグマの高画素機のような多量の情報量をもったカメラ(陰極のカメラ)では、芸術嗜好・
人気志向であってはならないだろうということなんです。
それは陽派のキヤノンユーザーが情熱に燃えてシグマに挑戦をして敗れ去ったという、その真実を言い
当てているようにも思えます。結論としてシグマの高画素カメラは芸術や人気志向としては使えないカメラ
であるということ。この観点は大事にしたいものです。
そして多分デジタル中判もそうでしょう。

中判デジタルはアマチュアでもハイクラスの方がネットで見ると使っておられるようです。比較的入門しや
すいのはペンタックスですか。豊富なレンズの中古市場がありますので。フジはボディ単体は安いので
すが、専用レンズは高価です。しかしフジにはマウントアダプターでもって多く出回っている中古レンズを
着けて撮影するという手がありますね。ハッセルレンズを着けてみたいというユーザーは多そうです。
場合によっては135判デジイチのレンズもイメージサークルを言わなければ取り付けられそうです。シフト
レンズなどは合格するでしょう。

フィルム時代でもそうですが、135フィルムカメラとは別格の画質をもたらしてくれました。私もペンタ645、
67、マミヤ645、67、フジ645、69などを使っていた時期がありました。白黒時代の大昔はトプコン、トヨなど
も。フィルム時代はれっきとしたユーザー層があったものですが、デジタル時代になるとそういう中判層は
フルサイズデジタルに吸収されていきましたね。私も中判デジタルにまで行きたいとは考えていません。
しかしシグマのことを考えると、おそらく直観力の鋭いキヤノンユーザーは、シグマのカメラは中判デジタ
ルに近いイメージを持っているのではないかと、そう考えたのかも知れませんね。

シグマフォビオンカメラにはまだフルサイズカメラはありませんが、APS-Cのメリル、クワトロのAPS-Hで
すら、ベイヤー方式のフルサイズカメラをある部分では上回っていると私も思っていますし、キヤノンユー
ザーもそう感じたのではないでしょうか。フルサイズを上回るということでは中判デジタルの分野を侵食
しているということです。もしシグマがフルサイズフォビオンをリリースすれば、それはフルサイズの1.7倍
のセンサー面積を持つ中判デジタルをカモッてしまうでしょうね。

もしもPCモニターというものがなくVDT症候群を回避できれば、シグマは最高の画質の写真をするカメラ
となり真の王者となるべきカメラです。そういうポテンシャルを持つカメラが存在ししかも廉価で手に入る。
写真のトップを目指すキヤノンニコンのエッジなユーザーは挑戦したくなるのは当然であったということで
しょうね。しかしそうはならなかったということ。
シグマは依然として人知れずな深山の孤高であり誰もが知る富士とはなっていません。
私はそれを嬉しく思っています。
私が写真を論ずる時、そのベースにはやはりシグマの写真があり、そして多くのシグマユーザーの投稿
者の存在があります。おそらく私の写真論の殆どはシグマユーザーと、シグマに挑んだ挑戦者から学ん
だものばかりではないでしょうか。もしシグマというカメラがなければ私はこれほど長く写真に没入すること
はなかったろうと思ってます。

2   意味不明   2021/6/22 20:11

御託結構意味不明

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