メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | Microsoft Windows Photo Viewer 6.1.7600.16385 |
レンズ | 24-35mm F2 DG HSM | Art 015 |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F3.5 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2880x4320 (8.56MB) |
撮影日時 | 2015-02-06 23:22:32 +0900 |
⑪
キラキラ色イロ主義が芽生えたのはデジタルからではありません。その発生はネガカラーフイルム
からだと思っています。おそらく1980年代から。
私が黒白フイルム写真をやめてから20年余で再び写真趣味に舞い戻ったのですが、その当時は
ネガカラーが全盛でした。そして当時の写真人たちのバブルさに驚いたものです。高級機をバンバン
と購入して、猫も杓子もキラキラ写真・カラフル写真で舞い上がっていたのですね。
そしてデジタルカメラ、デジイチがぼちぼち出現した時代でもあったのです。
私が70年代に黒白フイルム写真をシコシコとやっていた時代とはまるでちがっていたので面食らった
ものです。そして写真の文化には程遠いオジサン達も多く写真趣味人となっていました。
そのような人達を傍目に私は初期時代のデジタル写真をやり始めたのですが、しかしながらこの私
も次第に、彼らと同じく、今度はデジタルでもって、キラキラ色イロ写真に邁進していっというわけです。
カラーフイルム時代でキラキラ色イロ主義だった多くの方は、デジタル時代になってからは、大半は
写真趣味から離れていったのではないでしょうか。引き続き、デジタルでも写真をやられている人も
居るにはいるのでしょうが少ないだろうと思ってます。
それで時代を大きく分けますと、
1.黒白フイルム時代・・・カメラはメカニカルカメラ。当然にMFレンズです。
2.ネガカラーフイルム時代・・・カメラは電子制御カメラ。AFとMFの混在
3.デジタルカラー時代・・・勿論デジタルカメラですね。
私の場合、1から3に飛びました。2も少しはやりましたが。
この1から3まで全て体験された方を知っています。実はその方の影響で私はデジタルカメラに入った
んですね。現在は90歳を軽く過ぎている方です。しかしこの人も正確に言えば、2は1の変形でして
カラー写真はリバーサルフイルムを使っていたんです。このリバーサルカラーは1の時代に出現して
いたもので、私も少なからずのカラーリバーサルを撮影していました。
この90歳余の先達は、黒白フイルム自家現像から始められたわけで、その当時の撮影は、私がやって
いた写真スタイルや被写体などと共通するものでした。
そしてこの方が電力会社を退職して嵌ったのがカラー撮影でのヨーロッパ撮影です。10回くらい渡欧
されたんではないですかね。膨大なリバーサル写真を撮られていました。使ったカメラはコンタックス
です。そしてツァイスレンズ。
そしてデジタル時代となってからは、主に撮り溜めたフイルムをスキャンしてそれを自費出版されると
いう趣味にいきました。PCでスキャンして自分でプリントをして展覧会なども開いていました。
と同時に、キヤノンデジイチとかフジミラーレスカメラなどもデジタル写真として撮影されていましたね。
しかし私としては先達のパリのカラー写真なんかより、それ以前にやられていた黒白写真のほうに
理解を示したというか、気に入っていました。
結局、先達のカラーの渡欧写真はバブルといいますか、私が言うところのキラキラ色イロそのもので
あったろうということです。先達とはパソコンでもって知り合いになったのですが、PCが不具合になれば
私に電話をしてくれて私は駆けつけたものです。当時の私はPC趣味まっしぐらでしたから私は重宝さ
れていたのではないでしょか。(笑)
先達は有名な大学を出て地元大手の企業に勤め上げたわけですから非常に優秀な方でした。カラー
時代でも普通のオッチャン達の写真趣味レベルとは別格であったわけですが、それでもキラキラ色イロ
主義に嵌ってしまったわけです。
先達は機材の趣味ではなく撮影旅行の趣味がバブルでしたが、コダックのリバーサルフイルムを惜しげ
もなく使い、旅費も相当なものだったわけですから、これも立派なキラキラ色イロ主義に陥っていたという
わけです。
インテリ人でしたから写真と当時に随筆の趣味もあって同人会に参加して随筆作品も多く発表されて
います。
年齢的に言えば、先達がヨーロッパ撮影真っ最中であったのと同じ位の年齢で、この私はキラキラ色
イロを捨てました。バブリーな写真から卒業をしたということですかね。
そういう意味で、私は先達を超えたかなって思うことにしています。(笑)
4.デジタルカメラでの白黒写真への一部復帰
これを上記の写真時代遍歴に付け加えてみたいと考えてます。
ライカが最初にモノクロームデジタルをリリースしたのは、2012年8月からでしょうか。初期モデルは
CCDのセンサーです。2011年が東日本大震災だったのでその翌年ということになります。
1800万画素フルフレーム、カラーフィルターとローパスフィルターを搭載していません。この後に出現
したモデルはCMOSセンサーですので、CCDセンサーでは唯一のモノクロームカメラということに
なります。
このカメラの出現でもって、デジタル黒白写真は出現したということになります。そして2023年の
ペンタックスモノクロームが続くわけですね。
しかしだからと言って、写真時代がデジタルモノクロームに変わった、ということではありません。
時代は変わらずカラーデジタルの時代真っ盛りですから。その時代に於いて、極々少数の写真趣味人
がデジタル時代でも黒白写真が出来るということを初めて知った、ということであるのです。
2012年から2023年へは何と11年も過かっています。それほどにデジタルモノクロームの世界は
マイナーであるということです。次のメーカーがモノクロームを出すのにはもう10年はかかるのでしょうか。
もちろん、ライカやペンタックスがなければ黒白写真は出来ないのか?というと、理屈的にはできない
わけではありません。普通のカラーデジダルでもって、モノクロモードにするだけで黒白写真はできます。
しかしそれを永続してやり続けることはできません。
モノクロ専用機は絶対にカラー写真が撮れないのです。この違いはとてつもなく大きくて、そのカメラが
主張する声は厳格です。
私は現在、イオスでも黒白JPEG写真を撮っています。これもカラー写真にすることはできません。
そういうことではペンタックスモノクロームと同じです。しかしイオスは設定を変えればすぐさまカラー
写真を撮ることがでます。しかしペンタックスは永遠にカラー写真が撮れない。
こういう厳格さがあるからこそ、人はカラーを諦めて黒白に行くことができるんだと思っています。そして
キラキラ色イロという世界から抜け出すことができるのです。
黒白世界からキラキラ色イロへ戻ることはできます。私もやがてはカラー写真に復帰するでしょう。
しかし精神的にはもう昔の自分ではないだろうということです。
人間は痛い目をして、始めて性根に入るというか自分を変えることができます。
モノクロカメラを使ったところで私は痛い目はしていないんですが、実はこのところ、体調は良くありま
せん。とくにこの夏場は堪えました。どうやら不整脈が出ているようで不調の医術的な理由はこれの
ようです。そういう意味では私は痛い目にあっているということでもありますね。(笑)
世界はどんどんと変わっていきますし自分自身も自ずと変化して行きます。いつまでもこれまでの
やり方が通用するわけではありません。成功体験に拘ってはいけないんですね。積極的に変えてい
かないと返って取り残されてしまいます。