メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 5DS |
ソフトウェア | Capture One 9 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 28mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/128sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4320x2880 (14.2MB) |
撮影日時 | 2015-02-13 23:16:17 +0900 |
⑳+③
ところで、パナソニックのDC-G9M2というのが人気のようです。ライカモノクロームというモードがある
んですね。パナはライカ社と協業していますから、そのライカのモノクロ専用機のネームをもじった言葉
を借用しているんでしょうけど、確かにこれは便利でJPEGで撮影する場合は特に有用かと思います。
それはそうと、ペンタモノクロームに次ぐモノクロ専用機、とりわけフルサイズのカメラが出でくれないか
なって期待しているんですが、パナソニックさんが出してくれたら嬉しいですね。
パナのフルサイズカメラはDC-S5M2なんですが、これを元にモノクローム専用モデルとしてくれれば
言うことなしです。
DC-G9M2やDC-S5M2のモデルは、この板ではORCAMさんが投稿されています。
黒白写真は私が今やっているようにカラー機のデジカメでも問題なくできるんですが、やはり本格的な
黒白写真は専用機には敵いません。と言いますか、専用機あってこその権威付けが出来るのであっ
て、つまりカラー機のモノクロ化とモノクロ専用機は、兌換紙幣と本物のゴールドのような関係になりま
すか。(笑)やはり金の裏づけは必要かと考えています。
これは世間一般的に通用するという意味でそうなのであって、本当のところはカラー機をモノクロ化を
したもので十分なのですね。自分がモノクロ専用機としてのみ使用すると宣言すれば、カラー機でも
立派なモノクロ写真が撮れるんです。(^^ゞ
もし、カメラのファーウェアアップデートで、「あなたのカメラはこのソフトのアップデートで、これからは
モノクロでしか撮れなくなります。しかしモノクロモードは現状よりも高画質になり、且つバラエティも
増えています。」というのがあったとすれば、人はそのアップデートを受け付けるでしょうか。これを
やれば無料でモノクロ専用機を手にすることになるのですが。
しかしそういう人は世の中には皆無かというと、きっと幾ばくかの人がモノクロ化にするんではないか
と思われます。センサーのカラーフィルターを駆使できるモノクロカメラは、それはそれで面白いから
です。
冗談は別にして、これからはカメラ搭載のモードとして、黒白写真がより以上に洗練されてくるのは
確かでしょう。デジタルのスチルカメラ部門として、その立脚点のひとつとして黒白写真があるという、
そういうスタンスが一般にも認められてくるのではないでしょうか。純粋で高尚な原理主義的な静止画
カメラとして、ブランドと評判を高めたければ黒白写真の高画質化は避けて通れない気がしています。
すでに黒白写真に特化したプリンターがあるように、モノクロに向いたグラフィックカードやモニターなど
を搭載したPCやソフトウェアなども出れば面白いです。
この20年間はデジタルカラー写真の時代だったわけですが、これからはカラーだけでなくモノクロも
写真として市民権を得るようになるかも知れませんね。まあ占星術的にはそうなってます。(笑)
モノクロを主体に自分の写真をやっていくとすれば、おそらく誰もが自分の意識というものを変えざる
を得なくなるように思います。私にしても、もうカラーでは写真をしたく無くなっていますからね。
カラー写真は皆さんに任せます。私はモノクロでいきますから、という具合です。
写真には、カラー意識とモノクロ意識というものがあって・・・という感じで、写真の根本を揺るがすほど
の写真の意識変革が訪れるかもしれません。大げさですねえ。
https://photoxp.jp/pictures/225633
これはモノクロ写真をキヤノン板に投稿したものですが、はっきり言えば何が写っているのかよく分から
ない写真となっています。いや、そもそもモノクロ写真というのは、カラー写真に比べれば、そういうもの
であって、分かりやすい写真ではないのです。カラーに比べればモノクロは情報量としては1/3になり
ます。ですからモノクロ写真には説明が必要なんですね。
新聞写真にしても本の写真にしてもモノクロ写真であればその写真の説明がなされています。写真には
タイトルが必要というのも説明がなければ写真はよく分からないというのが根本にあります。
今回はその写真のカラー版を上げているのですが、これとてもあまり良く分からない写真でしょう。
この写真は半ば耕作放置されたミカン山の撮影なのです。この車はバンですが、かつては農作業の
諸道具を収めていた車なんです。倉庫として使っていたわけで、だいたいは里山で見かける放置車は
そういう役割をしていたわけです。いらなくなったから捨てたという車ではありません。倉庫として第2の
役割を担っていたわけですが、ミカン山自体が見捨てられると倉庫車も放置車となります。
モノクロ写真は撮影者以外の他者が見る写真としてはすこぶる不便な写真です。
ところが撮影者自身がするにはモノクロ写真は立派に写真として成り得る写真なんですね。それは
撮影者は撮影時に得た記憶というものがあって、それを基にモノクロ写真を見ることができるからです。
撮影時記憶+モノクロ画像なのであって、それでやっと完結する写真なのではないですか。
つまりモノクロ写真は他者に見せるというサービス精神には富んでいないのです。
しかし撮影者としてはモノクロ写真は楽しめるのですし、無駄がない実にスマートな写真であるわけです。
特に現在のデジタルモノクロ写真というのは、徹底的に撮影者自身の為の写真であって、撮影者だけが
有意義に楽しめる写真ではないのか、と思い始めてきました。
カラーデジタル写真というのは、そういうことでは他者・鑑賞者にオモテナシをする写真かも知れません
ね。カラー写真は何も考えずにパッと見て分かる写真でしょう。これは何なのかと考えながら読み取る
ような写真ではありません。でもモノクロ写真はよっぽどよく見て考えて読み取ることをしなければならな
い写真であるわけです。
こう考えるとカラー写真とモノクロ写真の違いはものすごく大きいです。
そしてカラー写真とは、オモテナシをするがゆえにそれは撮影者や作者にとっては大きな重荷になって
いるんではないでしょうか。カラー写真はモノクロに比べて情報量の多さから3倍は疲れる画像だといえ
ます。
現在のデジタル型モノクロ写真は、あくまで撮影者個人が楽しむべき写真であって、鑑賞者へのオモテ
ナシを振り切った写真だと言えそうです。
しかし考えてみますと、なぜ撮影者がお金を掛けて苦労して撮った写真を、鑑賞者は無料で観ることが
できるのですか。それはおかしいことではないですか。なぜ鑑賞者は、撮影者が鑑賞者の為に手取り
足取りして尽くさなければならないのでしょうか。それで得るものは撮影者に何かあるのでしょうか。
これらは根本的な問いですね。それから鑑賞者の側からしても、そんなに尽くして写真を見せて貰っても
しようがないというところがあります。押し売りは御免だし只ほど高いものはないということで鑑賞者側
も貴重な時間を奪われていることになるのです。本当に見たかったら写真も読み解いてみなさい、という
ことです。
もしかすればお互いに不利益を被っているのが現在のデジタルカラー写真かも知れません。
とにかくモノクロ写真、取り分けJPEG撮影は撮影者としては大変に楽です。こんなに楽ちんに写真が
できるものとは知らなかったです。(笑) そして機材に対する物欲もなくなったように、無駄なことをしなく
なりました。そういうわけでデジタルモノクローム写真は、スマートでエスディージーズですし、これこそが
現代の写真ではないかと思うほどです。
今回は、黒白写真は、撮影者には分かるし楽しいのですが、鑑賞者にはよく分からない写真だ。そういう
ことが、私にも次第に理解できつつあるということで書きました。
撮影者は撮影時のカラーの記憶があるからなんですね。しかし鑑賞者にはそれがない。この違いは大き
いです。撮影者はモノクロ写真をカラー写真として類推して見ることが出来るけれど、鑑賞者はそれが
できないということ。
そして撮影者にとってモノクロ写真はストレスフリーです。画像で疲労するということがない。これは狙い
通りでした。
モノクロ写真をカラー化できるサービスが盛んです。クラウドAIを使ってやるんですが、やがてはモノクロ
写真を、AIを使用して鑑賞するということが流行るかもしれません。(笑) もう人間はAIに敵わなくなって
いるのかも知れずで、黒白写真を読み解くことができなければAIに頼ることになるのでしょう。
私にも大昔に撮った古いフイルム黒白写真が多々あるのですが、当然に既に撮影当時の記憶はありま
せん。そうなればAIでカラー化して鑑賞するという手がありますね。
私は建前としてはモノクロJPEGで撮影していますが、同時記録でRAWでも記録しています。別保存を
していますので、そのRAWを見ることは、今回のような例外を除き、していません。
この、モノクロしか見ていないというのが大事であって、それでモノクロJPEGにしているんですね。
それで随分と黒白写真に慣れて来ていて、ずっとこのままで行けそうな感じです。
古いカメラは何台もあるので少しずつ、これまでカラーで撮ってきたカメラを今度は黒白で撮っていこうと
考えています。そういう意味で機材には不足していません。
モノクロで撮影すると機材ごとに違う顔を見せるというか、それぞれに個性があるんですね。無論装着
するレンズでも異なります。キラキラ色イロを削ぎとった写真が少しずつ分かるようになっているのかも
知れません。
考えてみると本当にカラーRAW写真画像は人を疲れさせるというか、無駄な消耗をさせることがわかる
ようになりました。そしてそういう写真とは余所行きのオモテナシの写真なのであって、自分が本来として
楽しむ写真ではなかったということも分かるようになりました。
亀ならぬカメラに乗せられていたわけです。(浦島太郎です)
モノクロにセットしたカメラは、何故か以前カラー設定と違って自分に忠実なような気がしています。
フイルムを詰めたカメラのように生きものとは感じませんが、自分を裏切ることのない純粋な道具として
感じられるんです。不思議にカメラが軽く感じられるみたいです。
デジタルモノクロームには不思議な力があるように思います。一時は、私のモノクロとは若い時分に
やっていたフイルム黒白写真へのノスタルジーではないのか。とも考えていたのですが、そういうもので
はないですね。オールドレンズを使えばノスタルジックになるとかいうのとは次元が違っています。
敢えて申せば、2千から数千万画素のカメラ時代に、数百万画素のオールドなデジカメを使うのに似て
いるのですが、それ以上にストイックで本質的でしょう。
色を削ぎ落としキラキラ色イロを無くしたモノクロですが、本当はキラキラ色イロは自分の脳内に自分の
中にあったのだ。ということにも気づかされました。画像の中のキラキラ色イロよりも、そういう魅力的な
ものは本来は、自分の中にあるほうが良いですからね。
とにかく自分で撮影するモノクロ写真というのは一般的な概念としての黒白写真とは違うのだということ
です。自分撮影の黒白写真は、モノクロであるようでいて脳内記憶を使ったカラー写真であるということ。
もっと良く慣れれば、人様が撮影した黒白写真もやがてはカラーに見えてくるだろうとの予感もあります。
モノクロ写真を撮りだしてからまだ半年も経っていません。
それでも様々なことがわかるようになりましたが、まだまだこれからでしょうね。モノクロ写真とは何かが
分かるようになるのは。