ソニー α7R 作例

ミラーレス

35mmフルサイズ・3,640万画素

2013年11月15日発売

α7Rの仕様

初代α7Rは、2013年11月15日に発売された、解像力を重視するソニーのフルサイズミラーレスカメラである。有効約3640万画素と光学ローパスフィルターレスの撮像系を、本体のみ約407gのボディに収めた。高精細な画像を得ることと、実際に持ち歩ける大きさにすることを同時に追い求めた設計であり、姉妹機α7とはAF方式やセンサーの選択にも違いがあった。

シリーズ
α7R
位置付け
解像力を優先した初代フルサイズミラーレス
ライバル
D800E

α7Rについて詳しく読む

投稿写真 558枚

雑記

雑記

古代日本のユダヤ人渡来説は、これが大きく説かれ始めたのはちょうど中国が経済的軍事的に力を 持ち始めた時と一致しているように感じられます。 そして昨今のお城ブーム、神社ブーム、また古墳にも。こういうのは中韓から渡来した文化とは異質 のものだということです。中韓の文化、それは平たく言えば仏教ですね。寺院です。それらは中国や 朝鮮から日本に来た文化であるのですが、しかし現在の日本人はその深層に中韓渡来の仏教ではなく、 それとは別のアイデンティティを求めようとしているかのようです。 近代城郭はこれは紛れもなく日本で発達したものです。それと軍事施設であることにも注目ですね。 そして神社や古墳というものは、学問的には詳しくは分かりませんが、中韓文化や仏教文化とは異質 のものであるということです。この異質性であると皆さんが鋭く感じ取っているということが大切です。 現在の日本人の深層の意識として、中韓とは距離を置こうという気持ちの現われとして、城ブームや 神社ブームというのがあるというのが私の考えです。そしてだたそれだけの消極的なものから、神社 とか国古墳というものは、遠くオリエントからの文化が取り入れられたものであるという考察に到ること ができれば、それはもっと積極的な姿勢となりますね。古代日本のユダヤ人渡来説は一考に価します。

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田中英道という方がいて、古代に日本に訪れたユダヤ人が日本の歴史に大きく影響を与えている という説を書いています。田中氏以外にもこの説を唱える論客は大勢いて、私としてもこの歴史観は そう間違いではないと感じています。 グローバル主義というものは何も現代だけでなく古代にも同じようにあったのではないですかね。 世界の歴史は定期的に国際化したり、逆に国内に閉じこもったりを繰り返しているように思います。 ですから古代日本においても地球的規模で文明の交換があっというわけです。 私の考えではそもそも根本には占星地政学の考えがあり、中東オリエントと親和性があるのは日本 列島なんですね。古代ユダヤ人が長く住み着くには日本は良かったのだと思います。もちろん地理的 にコーカサスや中国や朝鮮を渡ってきたのは間違いのないところですが居心地の良かったのは日本 だったというわけです。と言いますか文化が定着したのが日本だったというこどてす。波状的に長い 時代に渡って訪れたようであり、日本の文化に多大な影響を与えたようです。それらは私がかねがね 不思議に思っている神社の造りにも関係しているようです。 神社の持つあの直線的な配置の造りと、広々とした何もない空間はどう考えても縄文時代からの文化 とは異質な気がしていたからです。 古墳の増築というのもユダヤの文化と関わりがあるようです。稲作の灌漑設備などもそうでしょう。 日本は古代に於いて大きくグローバルな影響を受けたのではないですかね。それを言えば翻っては 大航海時代や明治以降の西欧化もそうですし。江戸期とは風景が一変しましたから。 日本人は合いの子に対してあまり違和感を持たないところがあり、若い娘は平気で外人さんと結婚 したりします。日本人は閉鎖的といわれますが同時に解放的なところもあるんではないでしょうか。 そういうわけで古代日本にもユダヤ人の血が入っているのかもしれません。 オリエントも含めた西欧の飛び地のひとつは北南米ですが、それと同じように飛び地として日本列島 が過去にあったのではないですかね。

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田坂広志という人の「死は存在しない」という新書本を読みました。 この田坂さんという方の著作はあまり読んだ記憶がないのですが、新聞書籍広告で知っての ことです。掲載された写真を見れば風貌がカッコイイじゃないかという程度。(笑) また田坂氏は 年齢的にも私と近似していますし福島原発事故での事故調査審議会か何かでも見かけたような。 そのなかでこういうことが書かれていていました。 ・・・この「深層自己」は我々が生きている間も、すなわち「現実自己」が生きている間も、・・・・ この2つの自己はお互いにコミュニケーションを取り続け、時に対話も行い続けている。 ・・・・現実自己はその意識の中に自我意識(エゴ)を強く持っているため、「自分とはその自我意識 である」と思い込む傾向がある。そのため、しばしばそのエゴが生みだす感情や衝動に流されて、 感じ、考え、動いてしまう。そしてそのエゴが強く働くときには現実自己の無意識は、その活動が 抑えられてしまうため、深層自己の無意識と繋がることが難しくなってしまう。・・・・ そしてこの深層自己というのが物理科学的に存在しうるというのが田坂説の肝です。平たく言えば 宗教と科学の融合というわけですね。これは素粒子レベルの量子力学の世界での話なんですか。 そもそもこういう話は宗教哲学では常識でして特にインド哲学なんかでは詳しく説かれています。 宗教や哲学を研究した人には常識だとしても、それに現代科学の光を当てて考察るというところに 田坂氏の面白みがあります。 私の考えとして、死は存在するか、しないかは、その人次第だと考えています。その人の意識の レベルによると思ってます。たとえば私がやっている占星術ではここでいう深層自己でしか考察でき ないものですから、ここでいうところり共通無意識での考察は当たり前のことになります。占星術上 では死というものは存在しません。そもそも最初から占星術には年齢も性別もないものですからね。 しかし現実の自己としてはやはり、物理的に死というものは事実として存在しますね。それは消滅 です。死が自分であれ、はたまた肉親であれ、死というものは永遠の別れを意味します。 生まれがあれば当然に死はあるものですし、出会いがあれば別れがあります。それが道理の必然 なのでして当たり前のことです。最初は何もなかったものが与えられたわけであり、それを喪失した からといっても文句を言う筋合いはありせん。 人は無一文で生まれて無一文で死ぬのが当たり前。そうであればこそ今日一日を有意義に過ごし たいものです。明日のことはしりません。(^^ゞ  我々が写真を撮る、その行為自体は深層自己に繋がっているので永遠に存在するかもしれませんが、 撮った写真というものはやがては消滅します。当然に、ここに上げた写真も文もすべて消滅の未来 がまっていますから。ですからそういうものは儚いものであるという自覚が必要です。 写真をするという根本の行為自体は永遠のものであって、かつては狩猟採集時代からあるものです。 でも写真画像というのは今の時代の一時のものであって、そこには永遠性はありません。この2つを 区分して理解することが大切です。 写真の良し悪しというのはカメラという物質レベルとなんら変わりません。写真の芸術的な文化という ものは一時的に現実自己にのみあるもので、深層自己という真実の世界にあるものではないんですね。 しかしながら深層自己に迫るような写真もある程度は可能なのかもしれません。個人も時代も超えた ような写真ですね。

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ウクライナとは、私が気づいたのは最初は世界でも有数な黒土地帯で豊穣な大地であること。そして 次に気づいたのは黒海です。これで貿易ができますし西欧の文化も移入します。そして今回気づいた もうひとつは、大河の存在ですね。 「ウクライナの地理」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%81%AE%E5%9C%B0%E7%90%86 ドニエプル川、ドネツ川、ドニエストル川、南ブーフ川など河川があります。特にドニエプル川にはダム湖 が多くあって満々と水を湛えています。そして光景としても美しいですね。大河は、交易路や水力発電、 農業用水都市用水を支えます。原発の冷却水としても利用されています。 「ドニエプル川」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%97%E3%83%AB%E5%B7%9D ウクライナは緯度的に寒い国ですが、黒海という海の影響で和らぐでしょうし、枯れることのない大河も ありました。水があり良い土があれば作物は大いに育ちます。 コサックは有名ですが、ロシアではなくウクライナだったんですね。西洋の騎士・ナイト、日本の武士・サム ライに相当し、歴史の発展段階として個人の自覚を促す中世時代があったということで高く評価ができ ます。それはモンゴルの西欧版であるロシアとは全くことなる文明だと思いました。 ついでを言うと、このモンゴルが全盛を極めてそれの後継として、それ以降のチャイナ文化やロシア文化 というのがあるんですね。今のプーチンがモンゴル顔になっているのは偶然ではありません。 「鎌倉殿の13人」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%AE%BF%E3%81%AE13%E4%BA%BA という大河ドラマがあるようです。観てはいないのですが、これは鎌倉幕府の時代だろうと思います。 考えてみますと鎌倉幕府というのはモンゴル侵攻を防ぐ為に出来た幕府のようなものであって、その強い 武士の軍事力はモンゴル侵略を防ぐ為に存在したのではないかと思えるほどです。 そういうのは戦国時代や幕末でも発揮され、日本はいずれも植民地になったことがありません。もし、 鎌倉のあの時にモンゴルに下っていれば日本の文化はロシア的になっていたのではないでしょうかね。 そうは言っても先の大戦で日本は、戦勝国のソ連や中国の大きな影響を受けてしまいました。それで 奴隷根性がけっこう染み付いてしまったという気がします。( これは左翼人士のことを言ってます)

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土星と天王星の星相 中国共産党の数年に一度開かれる党中央大会において、そのトップたる政治局常務委員7人が 全て習一派で占められてしまったということが大いに話題になっています。習近平国家主席の前は、 胡錦濤主席だったわけですが、その大会において胡錦濤は途中退席をさせられ、また胡錦濤と同じ 共青団派の弟子とも言える李克強首相は解任、そして次期ホープと言われた胡春華は降格されま した。これで団派の完全な排除となり、トップセブンは全て習近平の子飼いの人物だけになったわけ です。 これをして米国の軍部などは、中国の台湾侵攻は近しという観測が流れている有様です。早ければ 年内?来年にも、という具合で、いくらなんでもそれはないでしょう?というところなんですがね。(^^ゞ  戦争が起きる占星術の構図はだいたい決まっていまして、土星と天王星の凶角のアスペクトです。 これは2021年に起きていまして現在も続いています。土星が水瓶座、天王星が牡牛座のスクウェア ですね。これは来年の春まで続きます。それで現在のロシアウクライナ戦争は来春まで続くだろう と思われるわけです。しかしそれ以降はさしたる星相はありません。 この土星と天王星の星相は前回は2000年に起きました。土星が牡牛座で天王星が水瓶座、これも 固定宮フィックストサインのスクウェアでした。それが2001年の航空機による米国同時多発テロ、 それに続くアフガニスタンやイラクへの侵攻となったわけです。 一番ど派手だったのは1942年の牡牛座における土星と天王星の会合でした。これは第二次世界大戦 だったわけです。こんな具合で土星天王星の固定宮における凶角のアスペクトは強烈です。 もちろん世界には様々な戦争が起きていたわけであり、それらは土星天王星のアスペクトだったとは いえないのですが、世界を揺るがすような大戦争はやはりこの2つの星が握っています。 (第一次世界大戦はだらだらと続きましたが、星相としてはやはり天王星水瓶座に土星獅子座が衝と なったときが山場だったようです。) こんな具合で土星と天王星が固定宮(牡牛座獅子座蠍座水瓶座)で凶角を作るのはそんなになくて、 戦争を起こしたいならやはり、今かなっていうところです。 中国が台湾に侵攻をすれば、これは大事件であり米中、日中との戦争になります。ただの軍事作戦 で終わることはないですね。習近平殿、早くしないと星が逃げてしまうぞ、と言いたいところですが、 戦争は無いに越したことはないので、今回はウクライナロシアだけにして欲しいところです。逆に 言えば、台湾戦争をしなければ習近平政権は、ゼロコロナ政策とかで遊びながら今後も無事に過ご すことができるというものです。 それにしてもウクライナがロシアにとって魅力的だったように、台湾は中国にとっても魅力的に映って いるようです。ウクライナ人新鋭評論家のグレンコ・アンドリー氏によると、ロシアはウクライナを取って こそはじめて強力になれるという歴史的指摘がありました。 そういうのはかつての毛沢東中共にとっての満州国、そして現在は台湾であろうかと思います。 そうであればこそ、自由主義国家圏としては絶対にウクライナも台湾も渡さないという覚悟が必要か と思います。と言いますか、ウクライナも台湾の人々もロシアやチャイナが絶対的に嫌いであり、服従 はしないということです。

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改めてのフォビオンセンサー考 ネットで動画を見ておりますと、かつてのテレビ番組でしょうか、「プロジェクトX」というシリーズの投稿が あり、そこでマツダのロータリーエンジン開発の物語がありました。 このロータリーエンジンというので思い出すのがシグマのフォビオンセンサーだなって改めて感じたわけ です。ロータリーエンジンの最大の欠点は燃費が悪いこと、つまり熱効率がよくないわけです。圧縮比を 高めることが原理的にできませんからね。この欠点を克服できずでロータリーエンジンは一時的なものに なってしまいました。 それでフォビオンセンサーというのは、その欠点として現像に時間が大いにかかるということ、また撮影 時の書き込みにも時間が多くかかること。この2つの欠点で、ロータリーエンジンと同じように長く続ける ことができませんでした。 欠点だけを取り上げましたが長所はどちらも素晴らしいものがありましたね。 フォビオンはとにかく撮影をしたものはよいものの、その現像に多大な時間を要してしまったというのが、 私としては最大の不満でした。クワトロ方式となってからやや解消はされましたがそれでも普通のベイ ヤー式に比べるとPCの前に座る時間がながくて大変だったわけです。 もしもの話ですが、フォビオンが高画素を求めずに1500~2000万画素辺りで止まっていれば、つまり SD15近辺の画素数で留まっていれば、フォビオンはもっと長生きできたかもしれません。しかし画素数 を追い求めるのはユーザーの性のようなものですから、それではやはり売れなかったでしょう。フォビオン でも画素数が少なければ現像時間は少なくて済むからです。 ベイヤーカメラでも1000万画素ちょい、というカメラ、アルファ7SとかニコンD3なんていうカメラは、大変に 優れた画質を出してくれます。しかしながらユーザーはそんな画素数では物足りずで2000~5000万画素 のカメラを欲しがります。 つまり大部分のユーザーは画質ではなく画素数を追い求めるのです。画素数が画質の良さだと思って いる人も多いでしょう。そうは言ってもカメラの画素数はせいぜい1億画素くらいで人間的には限界に 達するはずです。それ以上の画素数は人の眼には持て余すことになるからです。 ロータリーエンジンもフォビオンセンサーも日本の企業がものにすることができました。唯一無二の、と、 いうことでどちらも1社しか実現できませんでした。極めてマイナーな技術であり特殊なものでしたね。 このフォビオンの技術というものが分かっていずにして使われていたユーザーも多かったと思います。 フォビオンテクノロジーとは、カラーフィルターを使わずにRGBを得ることができる技術なのですが、それ すら理解できていなったユーザーが多かったと思います。大概の人はフィルムと同じ多重階層という 程度の稚拙な認識しかなかったんじゃないですかね。これはシグマ自体がそういう安易な説明をしてい たことが主な原因なのですが、今にして思えばもっと違った説明をしていればよかったんじゃないかっ て思っています。 そうは言ってもフォビオンセンサーが抱える最大の問題は、やはりメーカーにとって製造が難しかった ことでしょう。そしてベイヤー素子のようなフレキシビリティもなかったのでソニーやキヤノンのセンサー に追いつけなかったわけです。 一頃、フォビオンは結局、解像力番長でしょう?というように理解をされていた時があります。しかし フォビオンの良さは解像力なんかてはなく、その独特のリアルな発色やコントラストの画質であった わけですが、それはとうとう最後まで理解されることはなかったような気がします。

雑感

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2022年度の瀬戸芸が閉会しました。春、夏、秋と3シーズンあったのですが成功裏に終わったみたい ですね。コロナ禍の余韻がまだまだあったわりにクラスターも発生せず、無事に終わることができま した。とは言っても、私が観たのは付属としての讃岐広島のプロジェクトのみでしたが。 作品出品者の若い都会育ちのアーティストの、こちらでは雑草や木々が絡まっていて面白いなあ、と いう言葉が耳に残っています。都会では公園などの樹木はキレイに単品として育てられていますので 自然な雑然さは見られないわけでしてね。(^^ゞ この雑然さは考えてみると南国の光景であって、これが東北なんかだとこれほどに雑然さは見られない わけでしてね。あちらはもっとすっきりとした自然ですから。そもそも雑草自体も柔らかいですし。 この何でもかんでもという雑然さに慣れている私としては、これこそが自然な有様なんだというわけで 私の頭の何も何でもありの様相を示しています。(笑)  現行の1万円札の絵柄がもうすぐ変わるそうです。福沢諭吉から渋沢栄一へ。 なんとなく日本の経済の復活が予兆されると感じるのは私だけでしょうか。諭吉は言わばリベラリズム の左翼主義者という気がしていますが、渋沢はコンサーバティブな保守主義者です。日本国としては 福沢ではなく栄一こそが繁栄をもたらさせてくれそうな気がするんですが。(笑)

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[NHKスペシャル] 植物たちには「おしゃべり」をする能力が!?| 超進化論 | NHK https://www.youtube.com/watch?v=94OKuOrqalg 菌糸と植物は養分を分け合っている・・・・ これで思い起こすのが有機農法です。それよりも先に「緑の革命」と言われた1960年代以降の 世界的な食料増産の潮流を書かなければなりません。人口増大(幾何級数的)に比して食料増産 は直線的にしか増えません。これを人口論の罠といいますが、これを打破して世界的に食料を 増産できたのが所謂、60年代から始った世界的な緑の革命という農業革命です。 高収益種苗の作付け、灌漑設備、そして農薬と化学肥料の投入というわけです。機械化もそうです。 実は現在言われる有機農法は1970年代から言われだしたもので歴史的には新しいのです。それ は農薬と化学肥料という近代農法へのアンチテーゼであったわけで、無農薬無化学肥料という 現代的な有機農法という言葉が大昔からあったわけではありません。 それで化学肥料というのは、窒素リン酸カリという肥料の3大要素を大量に投与して高収穫を得る わけでして、副作用として環境破壊とか不健康とかが問題になりました。質よりも量をとってしまっ たわけでして当然の結果かもしれません。 そしてこの化学肥料というのはウクライナロシア戦争でもクローズアップされましたが、化学肥料の 原料である窒素燐酸カリの産地は限られていて、例えばカリウムなどはロシアやベラルーシが主な 産地でして、このところの化学肥料の値上がりは物凄いことになっています。 それとは別に欧州の影響を受けてSDGsの観点から日本国は有機農法をこれから重点的にやって いくという方針になりました。しかしながら現在日本で有機農法でやられている作物量は確か0.6% くらいじゃなかったですかね。それを25%くらいに押し上げるというのは掛け声だけのことかも知れ ませんけど、やばり長い視点から見ればいずれは変えて行かなければならない事柄だろうと思いま す。 それで素朴に疑問に思うのは、窒素リン酸カリというNPKの要素を作物に特別に与えないで作物、 つまり植物が育つのかどうかという問題です。ところが有機農法を使えばちゃんと育ち収益を得る ことが出来るんです。要するにNPKは土壌中にごく普通にあってそれを上手く作物が吸収できれば 何ら問題はないというわけなんですね。 それを解く鍵が土壌内にある数多くの微生物の働きであるというわけです。菌糸などもそのひとつ でしょう。化学肥料として特別に栄養素を与えないでも現在ある土壌の栄養素で十分であったという のが実は科学的真実だったようです。その為には土壌を微生物によって活性化させていなければ なりません。手間は掛かりますけど持続的な成長を続けていく為には有機農法は主流となるべきも ののようです。 考えてみますと戦前までは日本は化学肥料も化学農薬もなしで食物を生産していたわけですね。 ですからやってやれないわけではないんです。最近は下水処理からでたコンポジットを肥料にする ということが行われるようになりました。落ち葉とか雑草なんかも有機肥料になります。無駄に燃や されていたものが実は資源であったという具合で国民の意識を変えていけば有機農法は可能です。 これからは持続的な有機農業と、従来の近代農法の両輪でやっていくという具合になろうかと思い ます。実は現在でも高品質高収穫を上げている農家は、近代農法をベースにしながらも有機肥料 を投与し高収益を上げているのであって、言わばハイブリットでやっているんですね。

無題

無題

久しぶりに島に行って来たと言うか、そもそも撮影期間自体が間が空いていましたので。 その前に、この掲示板の、カメラ機材の過去の撮影表示順が、以前のように最近のものから 表示されるようになりました。一時は古い投稿順に表示されていて不便だったのですが、管理 人様が修正してくれたようです。(^^ゞ  現在、瀬戸内では瀬戸芸秋季大会の期間中なのですが、それに合わせて讃岐ひろしまを中心 とするHOTサンダルプロジェクトチームが、島在住の若いアーティストらの展示会を作品開催して くれました。 讃岐広島は、備讃瀬戸では最大の島でして付随する手島・小手島と合わせてフェリーや小型 客船が就航しています。行きはフェリーでしたが帰りは趣向を変えて小型客船としました。 お隣の本島は瀬戸芸の開催地ですが広島はそうではないので、瀬戸芸期間中に合わせるよう にしてこの展示会を開催したようです。一緒に見てねっていう感じでしょうか。 HOTサンダルプロジェクトは、都会の美大生を中心とする夏休み中の宿泊型の学習体験プロジェクト でして既に10年の歴史があります。2週間くらいの宿泊中に作品をしたためてほしいという具合 でしょうかね。 そしてプロジェクトの卒業生の中には美大卒業後、島に移り住むという人もいるようです。 都会育ちの若いアーティストが過疎の島に住んで作家活動をするということ。何だかほのぼの としたイメージですけど、実は瀬戸内はもともと閉鎖した田舎空間なんかではなくて、都会流の開か れた歴史を持っているんですね。江戸期は大名でも天領でもなくて人名(にんみょう)という領民の 自治でやっていたという歴史があります。つまりは開かれた海の民の系譜なんでして、それで 自由なアーティストが移り住むにはちょうど良いかなって感じます。 私としては久々に若いアーティスト達とお話ができてよかったねっていう感じですが(笑)、まあ、 私の若い時分とさほど変わらない雰囲気でして、時代が移り進んでも若い人の考え方というのは そんなに変わらないものだと思いましたね。そして若いってことはなかなか好いものです。(^^ゞ  アートや芸術が何かの役に立つというのは、それは要するに自由な社会の証しであるというほか 以外にはそんなに意味はないと私は思ってます。強権的な権威主義社会ではアートは育ちません。 そもそも文化とはそういうものです。 そしてアートな精神がこの社会の到るところで具現化し花開いて、魅力的な工業製品とかサービス とかに繋がっているんですね。例えば今のロシアに何か魅力的なものがありますか? 瀬戸芸なんかをきっかけにして瀬戸の島々を訪れる人が多くなれば良いねって思います。過疎の 島には店も食堂もコンビニもありません。最近宿泊設備は徐々に整備されいきましたが、そもそも 何もないからこそ人は自由でありえるわけでして、そういうことが分かっている人だけが島を訪れ るのではないでしょうかね。 撮影レンズはシグマ35ミリF1.2。ソニーの撮像素子と映像エンジンが強くて、こういう光の弱い 描写では思いっきりツァイス的な色合いが出てます。エメラルドグリーンというかブルーというか。

無題

無題

写真は自己存在の確認というお話をしましたが、写真はまた自己を写真の画面に写し込むと いう表現ツールでもありますね。自分が撮る写真には自分は写らないのではないか。という 素朴な問いは的外れです。ここに写真を投稿させている方々の写真群を群生として見た時、 そこに撮影された人のお姿が映っているのが分かります。中にはそれが見えない場合もあり ますが、そういうのは他者の写真を模倣しているだけの人で、ご自分がないというわけですね。 そちらの方はコメントで分かります。 写真を模倣するのは写真を知らず、デジタル写真という画像だけしか知らない人達でしょう。 普通の人はそうではありません。しかしデジタル時代の写真は写真としてはきわめて薄くて、 自己を込め難いところがあります。 フィルム写真時代と比べればデジタル写真は100倍撮れます。といういことは写真の濃度として 1/100だということでしょうね。これから写真を始めようかという若い人達には、是非ともフィルム 写真から入ってもらいたいものだと願っています。今ならまだフィルム写真をすることは可能だ からです。 極めて優秀な方はデジタル写真からでも写真に入ることができます。紙の本と鉛筆がなくても デジタルツールだけで自分の学力を高められる人達ですからね。しかしそういう人達は稀です。 普通の人達には眼に見える手で触れる、物質化したものがなければ物事の本質の理解には 程遠いからです。 出来るのならばメカニカルカメラを手に入れて、フイルムを詰めて巻き上げレバーを巻き、フイルム を送りつつシャッターチャージをして写真を撮ってみましょう。ピントは自動とはいきませんし露出 も自動ではないかもしれません。ひとつひとつ確実に操作をして写真を大切にしてやっていくと 誰でも写真の大切さ真実さというものが判ろうかというものです。 フイルム写真の経験がある方、それが若い時分のときであれば、大変貴重な経験をされたと いうことで恵まれていたということになります。しかし現代ではもうそのような写真の体験を積む ことはほとんど出来なくなっています。 それでデジタル写真とは写真を撮るということではあまり意味をなさなくなってしまい、その意味 を別のところに見出さなくてはなりません。デジタル写真では写真はやれないけれど、それでも カメラという物質化した形があり、それを持って自分の好きなところにいけるという楽しみですね。 スマホではなく、あくまで写真機というカメラを持って外へ出かけて、自分を写真空間の中に 解き放つというわけです。突き詰めれば写真と歩きです。野や山をあるこうが街中であろうが、 とにかく歩くことによって、写真は撮れなくても写真のフィールドに自分を置くことができます。 デジタル写真時代に於いては、それが唯一の写真行為の目的ではないですかね。 ですから撮った画像などはどうでもよいのですし、その画像が写真になる確率は百分の1でしか なくても、その空間を歩くことの行為自体でもって現在の写真は完結するということです。 フイルムや記録メディアの入っていないカメラで歩くことはできません。それはカメラではない からですね。(笑) でもメディアを詰めてバッテリーもOKで、そのカメラを手に我々は写真空間 に飛び出すことができるのです。カメラを手に家を出た瞬間の歩きから写真が始まります。 ファインダーを見ようがシャッターボタンを押さなかろうが、既に写真空間は始まり突入して います。カメラを手に歩いただけの空間が全て写真なのであってもそれが現在の我々の写真 の全てとなります。 今の私の写真はそのような考えでもってやっています。帰宅してみれば確かにメディアには 画像が記録されています。しかしそれは本当の獲物ではありませんね。釣りに於いて釣り上 げた獲物をリリースするのに似て、カメラをもって歩いたという行為自体が真の獲得物なのです から。 追伸 写真とは画像である。という心の囚われの気持(固定観念)が多くあるというのは不幸なことですね。 フイルム写真時代と現在のデジタル時代写真とは本質的に違います。それが分からない人が 多いように思います。写真を模倣として始めた人は特にその気づきに疎くなります。 考えてみますと私が若い時に写真を始めた時にもプリントに拘らなかったことを思い出します。 ヒシコピー(菱コピーか)という今で言うところのコピー用紙に写真を焼いて先般諸君から驚かれた ことがありました。写真は正当な印画紙に焼くのが固定観念だったのを最初から打ち砕いたという わけです。 何々は何々であるという観念は人を不自由にします。模倣に囚われすぎると残念な人になります。 高齢者、そして地方在住の人(自動車を使う)もそうですが、歩きは極めて大事です。歩く人に病気 は忍び寄りません。それでカメラや写真は歩く為の道具として捉えると有意義なことになるの です。今、写真の意義はそれしかないのではないかとすら思います。

雑感

雑感

写真の本当の良さというのは、やっぱり野外に出かけて太陽の光にあたり美味い空気を吸って、それで 歩いて体を動かして運動をして、もちろん良い光景を見て感じて・・そういうのが本当の写真ライフという ところでしょう。 そんなわけですからカメラというのは1台でよいわけですしレンズも数本で事足ります。PCもそこそこで 良いのです。画質とか上手い写真とかそういうのは本来の写真行為とは相容れないものなんではないで すかね。私もそういことが分かるのに随分と遠回りというか無駄をしてきたようです。 そういうのは自分なりに歳を重ねてきてそれでやっと理解できたというところが多分にあります。 この掲示板もすっかりと歳をとられたというところがあり、投稿も閲覧数もガタ減りになっていそうです。 でもそれが良いのだという気持ちもありますね。盛んに投稿をされてきた方は大体に於いて長持ちしま せん。それは何故なのか、そのことに大体の方々は気がついてきたのではないですか。 写真は他人に見せるものではない。そもそも写真は自分だけのものであるのだから。 こういう風に考えると写真掲示板の役割というのは大きく縮小してきます。それが今現在の掲示板の姿 なのではないですかね。 写真をする方は大体において言葉の表現が苦手です。私もそうですし。どうしても写真という画像で 表すというところがあり、撮影者の本心というのは伝え難いですね。それでも長く継続していれば阿吽の 呼吸で伝わるところがあります。

無題

無題

https://photoxp.jp/pictures/221239 こういうのがありました。お一人だけでなくどうやら複数の方々ですかね。(オリンパスを使用) EVFとVDT症候群とは種類が違うようです。カメラのEVFは直接眼に来るのに対しVDTはあくまでも PCモニター視による脳障害てすからね。EVFは脳にまではこないようですが眼にきますね。 ミラーレスカメラでEVF主導で使う場合、やはりよっぽど優れた機種でないと危険だなって感じます。 そういうことではプロ機が比較的安全、無難かもしれませんね。 先だってソニーアルファ7RⅡで少しEVF視撮影しましたが、逆光どころか半逆光ですらファインダーが オーバーブレイクして使えませんでした。(^^ゞ これはこのカメラのファインダーがハイアイポイントに 対応していないので、眼鏡視では余計な光を取り込んでしまい正視が無理なんですね。まあソニー ですからこんなものです。 しかし背面モニター視での撮影に関しては、ソニーは使いやすいです。屋外昼光モードがあり、真昼 の撮影でも液晶モニターで撮影ができます。ただしバッテリーの消耗は激しく、グリップ内2個搭載で 臨まなければ頻繁に交換ということになります。 とにかくEVFではなく背面スクリーン視撮影ではソニーは実に使いやすいです。 普通、電子シャッターモードではシャッター音が消えてしまい無音の撮影となります。ニコンZ9では 電子シャッターでも(シャッター方式はそれしかない)、シャッター音を擬似的に出すことができるので 使いやすいと思われます。ソニーアルファ7Rの初期型は電子シャッターがありませんので機械式 シャッターだけとなり音がします。メリハリがあってよいのですが、このカメラは盛大に電磁波を出します ので、カメラを持つ手は被爆します。やはり無音でもいいから電子シャッターが良いですね。 タムロンから50-400ミリズームがリリースされました。8倍ズームですね。ソニーEマウントです。 かつてシグマからデジイチ用に50-500ズームが出てまして、それは10倍ズームでした。標準から 使える高倍率ズームということで隠れた人気があったのですが、現在は60-600ミリとなり重さも3キロ となり手持ち撮影では苦しいものとなっています。 それにしてもこのタムロンの50-400、どうせなら40-400にして欲しかったところですが、そこのところは もしかすればシグマから40-400ミリ、もしくは40-320ミリくらいで将来的には出てくる可能性があります。 画質的にみればタムロンとシグマを比較すれば、やはりシグマが上ですからね。 私としては、シグマのミラーレス用ズームレンズ、40-400ミリを大いに期待しています。 今回のEVFファインダーによるものと想起される件、やはりたかだか趣味の写真で眼を悪くするのは 損得勘定に合いません。大事なのは写真ではなく、ご自分の身体です。 ファインダーに関しては光学ファインダーが優れているわけですが、電磁波の問題がありますので、 言わば前門の虎、後門の狼となるわけです。要するにファインダーに頼りすぎるからそうなるのですね。 そういえば強烈な電磁波を出すイオス1DⅢと5DS用にファインダーフードを取り付けました。これは 出来る限りカメラに(ファインダーに)、顔を近づけない為の工夫です。ファインダーは見難くなりますが 電磁波対策としての、ひと工夫ですね。こういうのはソニーA9やニコンD3Sにも付けています。強烈な 電磁波を出すカメラへの対策のひとつです。とにかくファインダーよりも自分の身体が大切なので。 優れたファインダーを捨てても自分の身体が大事。これは当然ではないでしょうか。

Camera Profile

α7Rについて

発売当時の発表資料、専門媒体のレビュー、利用者の声から、この機種の位置付けと評判をまとめました。

登場した時代

α7Rは2013年10月16日にα7と同時発表され、国内では11月15日に発売された。ソニーが掲げた「世界初」は、発表日時点でAFを搭載するノンレフレックス型レンズ交換式デジタルカメラにおける、35mmフルサイズセンサーの搭載を指す。価格はオープンで、発売日の専門媒体のレビューでは量販店の実勢価格が21万9800円前後と報告された。1公式 ソニー世界初35mmフルサイズ搭載ミラーレス α7シリーズ2レビュー デジカメWatch新製品レビュー ソニーα7R

ラインナップ上の位置付け

α7シリーズは、初めてのフルサイズ購入者を含む幅広い層に向けたα7と、プロやハイアマチュアの解像力志向に応えるα7Rという二つの方向で始まった。α7Rは有効約3640万画素のフルサイズExmor CMOSを採用し、光学ローパスフィルターを省いた。商品企画の郷大助は、最高の解像感を得るという目的から、この画素数とローパスレス構成を選んだと説明している。1公式 ソニー世界初35mmフルサイズ搭載ミラーレス α7シリーズ3インタビュー デジカメWatchソニーに聞くα7R・α7のこだわり

質量は本体のみで約407g、電池とカードを含めて約465gである。国内ではα7Rはボディのみで販売され、標準ズームのキットを用意したα7とは構成も異なった。マウントはEマウントを使う。郷は、NEXという名称をやめてαへ統合した理由を、システム全体を認識しやすくするためと説明しており、フルサイズ機の登場は名称の整理を伴うものでもあった。4公式 ソニーα7R 主な仕様3インタビュー デジカメWatchソニーに聞くα7R・α7のこだわり

先代からの進化

α7Rはシリーズの初代であり、特定の先代一機種を置き換える更新ではない。新しい画像処理エンジンBIONZ Xを搭載し、ディテールリプロダクション技術と回折低減処理を導入した。AF時間は従来比で最大35%短縮したと発表されたが、これはメーカーがNEX-7を比較対象にした値である。1公式 ソニー世界初35mmフルサイズ搭載ミラーレス α7シリーズ

AFはコントラスト方式のファストインテリジェントAFを採用した。速度優先連続撮影は最高約4コマ/秒、通常の連写は最高約1.5コマ/秒で、いずれも条件によって変動する。電子先幕シャッターとボディ内手ぶれ補正は備えず、手ぶれ補正は対応するレンズ側で行う構成であった。4公式 ソニーα7R 主な仕様3インタビュー デジカメWatchソニーに聞くα7R・α7のこだわり

ライバル機種との比較

同時に登場したα7は、有効約2430万画素で光学ローパスフィルターを備え、像面位相差を併用するファストハイブリッドAFを採った。α7Rは画素数だけを増やした同一仕様の機種ではなく、解像感を優先する撮像系とコントラストAFを組み合わせている。同じシリーズの二機種で、重視する撮影の方向に応じた設計を分けていた。3インタビュー デジカメWatchソニーに聞くα7R・α7のこだわり

専門媒体は、約3600万画素のニコンD800/D800Eも比較対象にしている。近い画素数のフルサイズ機に対し、α7Rは小型軽量なボディという違いを持つ。高画素のフルサイズ画像を得る機材を、どの程度の大きさと重さで持ち出すかという比較でもあった。5レビュー DPReviewSony Alpha 7R Review

開発の背景

小さなボディに1/8000秒のシャッターを収めることは、開発時の具体的な課題だった。設計責任者の須藤貴裕は、部品を削り、配置を何度も見直したと説明している。画質がよくても重さのために持ち歩かれなくなるカメラを避けたいという考えから、小型化の目標は曲げなかった。外形の小ささは完成後の副産物ではなく、開発を通じて守った目標である。3インタビュー デジカメWatchソニーに聞くα7R・α7のこだわり

コントラストAFにも制御上の工夫を加えた。空間被写体検出によってピントのずれを予測し、合焦位置の近くでレンズを減速させる制御を開発している。α7とは異なるAF方式を採りながら、その方式で応答を高める仕組みを用意した。3インタビュー デジカメWatchソニーに聞くα7R・α7のこだわり

トップカバー、フロントカバー、内部構造体にはマグネシウム合金を使い、防塵防滴に配慮した設計とした。また、Wi-FiとNFCを内蔵し、スマートフォンへの転送やリモート撮影にも対応する。携帯性を重視した構成に、外装と連携機能を合わせた形である。1公式 ソニー世界初35mmフルサイズ搭載ミラーレス α7シリーズ

電源面では本体内充電に対応し、CIPA準拠の撮影枚数はEVF使用時で約270枚、液晶使用時で約340枚であった。小型ボディを持ち出して撮影する際には、この撮影枚数も運用を考えるうえでの仕様となる。4公式 ソニーα7R 主な仕様

利用者の評判

発売期の複数の専門媒体は、小型のボディで得られる高精細な画質を共通した長所として評価した。一方、電池持続時間と撮影速度に関わる制約も共通して指摘し、アクション撮影より、落ち着いて画質を追求する使い方に向くと説明している。解像力と小型化というメーカーの狙いは評価につながったが、撮影の速さや電池には別の判断が必要だった。5レビュー DPReviewSony Alpha 7R Review

2026年10月1日に取得された価格.comの85件の集計では、総合満足度は4.55、画質は4.83、携帯性は4.80であるのに対し、バッテリーは3.08だった。発売時点の集計ではないものの、画質と携帯性が高く、電池持続時間が相対的に低いという項目の傾向は、専門媒体で共通した長所と制約にも重なっている。6レビュー 価格.comα7R ILCE-7R ボディ ユーザーレビュー集計

評判の出典

4件

内容の確認日: 2026年10月1日

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