メーカー名 | SONY |
機種名 | α7R |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 35mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/60sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 400 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2048x1367 (1.36MB) |
撮影日時 | 2013-02-27 23:15:02 +0900 |
ウクライナとは、私が気づいたのは最初は世界でも有数な黒土地帯で豊穣な大地であること。そして
次に気づいたのは黒海です。これで貿易ができますし西欧の文化も移入します。そして今回気づいた
もうひとつは、大河の存在ですね。
「ウクライナの地理」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%81%AE%E5%9C%B0%E7%90%86
ドニエプル川、ドネツ川、ドニエストル川、南ブーフ川など河川があります。特にドニエプル川にはダム湖
が多くあって満々と水を湛えています。そして光景としても美しいですね。大河は、交易路や水力発電、
農業用水都市用水を支えます。原発の冷却水としても利用されています。
「ドニエプル川」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%8B%E3%82%A8%E3%83%97%E3%83%AB%E5%B7%9D
ウクライナは緯度的に寒い国ですが、黒海という海の影響で和らぐでしょうし、枯れることのない大河も
ありました。水があり良い土があれば作物は大いに育ちます。
コサックは有名ですが、ロシアではなくウクライナだったんですね。西洋の騎士・ナイト、日本の武士・サム
ライに相当し、歴史の発展段階として個人の自覚を促す中世時代があったということで高く評価ができ
ます。それはモンゴルの西欧版であるロシアとは全くことなる文明だと思いました。
ついでを言うと、このモンゴルが全盛を極めてそれの後継として、それ以降のチャイナ文化やロシア文化
というのがあるんですね。今のプーチンがモンゴル顔になっているのは偶然ではありません。
「鎌倉殿の13人」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8E%8C%E5%80%89%E6%AE%BF%E3%81%AE13%E4%BA%BA
という大河ドラマがあるようです。観てはいないのですが、これは鎌倉幕府の時代だろうと思います。
考えてみますと鎌倉幕府というのはモンゴル侵攻を防ぐ為に出来た幕府のようなものであって、その強い
武士の軍事力はモンゴル侵略を防ぐ為に存在したのではないかと思えるほどです。
そういうのは戦国時代や幕末でも発揮され、日本はいずれも植民地になったことがありません。もし、
鎌倉のあの時にモンゴルに下っていれば日本の文化はロシア的になっていたのではないでしょうかね。
そうは言っても先の大戦で日本は、戦勝国のソ連や中国の大きな影響を受けてしまいました。それで
奴隷根性がけっこう染み付いてしまったという気がします。( これは左翼人士のことを言ってます)