1 hosozumi 2008/3/29 00:15 京都や奈良の古い神社仏閣も創建当時は朱塗りを主体にした、こんな派手な色彩だったんでしょうか?
京都や奈良の古い神社仏閣も創建当時は朱塗りを主体にした、こんな派手な色彩だったんでしょうか?
2 AABB 2008/3/29 19:28 奈良や京都の昔は、中国の様式を受け入れていましたから、ド派手だったのでしょうね。
奈良や京都の昔は、中国の様式を受け入れていましたから、ド派手だったのでしょうね。
3 stone 2008/3/29 21:14 派手ですね〜神社仏閣って時代の先端にあった時期がありましたから当時は無茶苦茶派手だったんじゃないかと思いますよ(^^新築の木調は陽光浴びて金色に輝いたでしょうしいつまでも金色にと金閣寺を作ったり、玉虫みたいな光り物使ったり。それにしてもこの赤強烈ですね!
派手ですね〜神社仏閣って時代の先端にあった時期がありましたから当時は無茶苦茶派手だったんじゃないかと思いますよ(^^新築の木調は陽光浴びて金色に輝いたでしょうしいつまでも金色にと金閣寺を作ったり、玉虫みたいな光り物使ったり。それにしてもこの赤強烈ですね!
4 支配人 2008/3/29 21:29 見馴れた平安神宮がこれまた強烈な赤ですね。
見馴れた平安神宮がこれまた強烈な赤ですね。
5 hosozumi 2008/3/29 22:13 当時は中国が先進文化国でしたから導入するのが精一杯だったんでしょうね!侘びとか寂びとかの思想が生まれたのは室町以降で時代の変革を感じさせられます。(^^)
当時は中国が先進文化国でしたから導入するのが精一杯だったんでしょうね!侘びとか寂びとかの思想が生まれたのは室町以降で時代の変革を感じさせられます。(^^)
6 ろうそく 2008/3/30 11:31 おもいっきりの赤ですね。ど田舎の竪穴住居に住んでた普通の人が都に登るとどっひゃー!! という雰囲気ずばり
おもいっきりの赤ですね。ど田舎の竪穴住居に住んでた普通の人が都に登るとどっひゃー!! という雰囲気ずばり
7 hosozumi 2008/3/30 13:23 私も、ろうそく さんと以前から同様な事を想像していました。たぶん私の祖先などは竪穴どころか洞穴生活ではなかったかと思います。もっと以前の銅鐸とか銅鏡などピカピカに輝く物を持っている首長には、それだけで庶民は平伏した事だと思います。(^^)
私も、ろうそく さんと以前から同様な事を想像していました。たぶん私の祖先などは竪穴どころか洞穴生活ではなかったかと思います。もっと以前の銅鐸とか銅鏡などピカピカに輝く物を持っている首長には、それだけで庶民は平伏した事だと思います。(^^)
8 ろうそく 2008/3/30 13:47 人間が作り出した、金属に素朴な日本人はだまされちゃったんでしょうか。石棒が銅剣を真似して、石剣になったり古墳から出る、鏡を真似した石製模造品でも、結局 鉄は錆びつき 残るのは石(stone)今、琥珀とプラスチックのどちらと聞かれれば・・まよわず。。オリジナル イズ ベストまあ、自分の芸風を持つことが大事なのでは。。
人間が作り出した、金属に素朴な日本人はだまされちゃったんでしょうか。石棒が銅剣を真似して、石剣になったり古墳から出る、鏡を真似した石製模造品でも、結局 鉄は錆びつき 残るのは石(stone)今、琥珀とプラスチックのどちらと聞かれれば・・まよわず。。オリジナル イズ ベストまあ、自分の芸風を持つことが大事なのでは。。
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