1 gokuu 2011/2/1 22:09 可也古い写真です。四国の金刀比羅宮に参拝した時です。途中から雨になりました。福山港から多度津港まで山陽汽船の定期便で。出掛ける時は降っていませんでした。旅館の傘を差している方も見受け、泊まり込みでの参拝者も見受けました。本殿までは麓から石段を何百段も登ります。緩い石段なので疲れませんが。雨でも参道の途中には土産物売り場が頑張っていました。レンズ ロッコール3.5 フジネオパンSSブローニフィルム6×6使用
可也古い写真です。四国の金刀比羅宮に参拝した時です。途中から雨になりました。福山港から多度津港まで山陽汽船の定期便で。出掛ける時は降っていませんでした。旅館の傘を差している方も見受け、泊まり込みでの参拝者も見受けました。本殿までは麓から石段を何百段も登ります。緩い石段なので疲れませんが。雨でも参道の途中には土産物売り場が頑張っていました。レンズ ロッコール3.5 フジネオパンSSブローニフィルム6×6使用
2 気まぐれpapa 2011/2/2 06:53 gokuuさん、おはようございます。番傘あり、和服ありと、若かりし頃のおふくろか祖母を思い出しております。いいものですねモノクロ写真は。
gokuuさん、おはようございます。番傘あり、和服ありと、若かりし頃のおふくろか祖母を思い出しております。いいものですねモノクロ写真は。
3 gokuu 2011/2/2 07:50 気まぐれpapaさん おはようございます。この写真は、まだ独身時代でした。親父とおふくろが是非一緒にと云うのでしぶしぶ出掛けました。今では思い出の写真になりました。初めての参拝だったのに雨に。帰りは海が荒れて多度津港から客船は運航中止になっていました。郵便船が出港準備中だったので載せて欲しいと頼んだら、貴方達素人が乗ったら後からお医者代が高く付きますよと断られました。止む無く高松に回って宇高連絡船に乗船して遠回りして帰りました。そのお蔭で紫雲丸に乗船。その直後の日に衝突事故で沈没でした。修学旅行生が多数事故死した忌まわしい思い出も残っています。半世紀経っても忘れられない思い出です。
気まぐれpapaさん おはようございます。この写真は、まだ独身時代でした。親父とおふくろが是非一緒にと云うのでしぶしぶ出掛けました。今では思い出の写真になりました。初めての参拝だったのに雨に。帰りは海が荒れて多度津港から客船は運航中止になっていました。郵便船が出港準備中だったので載せて欲しいと頼んだら、貴方達素人が乗ったら後からお医者代が高く付きますよと断られました。止む無く高松に回って宇高連絡船に乗船して遠回りして帰りました。そのお蔭で紫雲丸に乗船。その直後の日に衝突事故で沈没でした。修学旅行生が多数事故死した忌まわしい思い出も残っています。半世紀経っても忘れられない思い出です。
4 Ekio 2011/2/2 21:35 gokuuさん、こんばんは。紫雲丸の事故は聞いたことがあります。カラーもモノクロも関係ありませんが、写真には色々と思いが乗っかるものですね。
gokuuさん、こんばんは。紫雲丸の事故は聞いたことがあります。カラーもモノクロも関係ありませんが、写真には色々と思いが乗っかるものですね。
5 バリオパパUK 2011/2/3 03:22 素晴らしいです。パラソルが和傘というのが素晴らしい。多度津って、懐かしい響きです、むかーーーし多度津出身の女子と付き合っていたことがあり、そのときにはじめて聞いた地名です。金毘羅舟舟お池に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ〜♪という、海の神様なのに、大事故ですか。「こんぴら」というのはインドの海にいるワニを神様に見立てたものだという説を、昔読んだ「からだにやさしいインド」という本で立てていたと思います。とても面白い本なので、もしまだ入手可能であれば是非読んでみてください。奈良の「あすか」(飛鳥・明日香)も、インドかぶれの聖徳太子がインドの「アショカ王」に因んで付けた地名だとか。なんでも、アショカ王の紋章が飛ぶ鳥だったから、「飛鳥」を無理矢理「あすか」と読ませたといいます。聖徳太子自体が架空の人物だという説もあるので、何ともいえないですが。話は変わりますが、gokuuさん、昔撮られたこんな写真をプリントして、ここに書いたようなコメントをつけて、撮影場所の市町村に寄付されてはいかがですか?喜ばれるんじゃないでしょうか?
素晴らしいです。パラソルが和傘というのが素晴らしい。多度津って、懐かしい響きです、むかーーーし多度津出身の女子と付き合っていたことがあり、そのときにはじめて聞いた地名です。金毘羅舟舟お池に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ〜♪という、海の神様なのに、大事故ですか。「こんぴら」というのはインドの海にいるワニを神様に見立てたものだという説を、昔読んだ「からだにやさしいインド」という本で立てていたと思います。とても面白い本なので、もしまだ入手可能であれば是非読んでみてください。奈良の「あすか」(飛鳥・明日香)も、インドかぶれの聖徳太子がインドの「アショカ王」に因んで付けた地名だとか。なんでも、アショカ王の紋章が飛ぶ鳥だったから、「飛鳥」を無理矢理「あすか」と読ませたといいます。聖徳太子自体が架空の人物だという説もあるので、何ともいえないですが。話は変わりますが、gokuuさん、昔撮られたこんな写真をプリントして、ここに書いたようなコメントをつけて、撮影場所の市町村に寄付されてはいかがですか?喜ばれるんじゃないでしょうか?
6 gokuu 2011/2/3 08:05 Ekioさん おはようございます。紫雲丸の沈没前の写真も有ります。また、UPします。古いアルバムには思い出いっぱい。もう帰らない昔です。
Ekioさん おはようございます。紫雲丸の沈没前の写真も有ります。また、UPします。古いアルバムには思い出いっぱい。もう帰らない昔です。
7 gokuu 2011/2/3 08:15 バリオパパUKさん おはようございます。アハハ(`▽´)出ると思いました。>金毘羅舟舟お池に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ〜♪投稿時に頭に浮かんでいました。この歌やっぱりって感じです。今、考えてみると昭和の風景ですね。着るもの持ち物すべてが。風景は同じでも良い時代でした。のんびりと。昔の写真として掲示するには少し早いと思います。昭和初期ならネ。と言っても生まれていませんわ。いっそ明治時代の方が・・
バリオパパUKさん おはようございます。アハハ(`▽´)出ると思いました。>金毘羅舟舟お池に帆かけてしゅらしゅしゅしゅ〜♪投稿時に頭に浮かんでいました。この歌やっぱりって感じです。今、考えてみると昭和の風景ですね。着るもの持ち物すべてが。風景は同じでも良い時代でした。のんびりと。昔の写真として掲示するには少し早いと思います。昭和初期ならネ。と言っても生まれていませんわ。いっそ明治時代の方が・・
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