1 gokuu 2009/9/29 10:14 MYCAさん おはようございます。鉄道馬車は知っています。人力鉄道が合ったとは驚きました。平坦地ばかりなら、いざ知らず坂道も有ったと思います。大変な人力。飯を3倍食べなくちゃ。初耳じゃなく初見です。
MYCAさん おはようございます。鉄道馬車は知っています。人力鉄道が合ったとは驚きました。平坦地ばかりなら、いざ知らず坂道も有ったと思います。大変な人力。飯を3倍食べなくちゃ。初耳じゃなく初見です。
2 MYCA 2009/9/29 06:57 熱海名所の続きです。熱海駅からみやげもの屋が並ぶアーケードをぬけ、道なりに行くと、南明ホテルがあり、その玄関の横に「レールの上を車の付いた箱を、3人の人が押している」レリーフを見ることが出来ます。豆相人車鉄道駅舎跡地だそうです。豆相人車鉄道は、明治29年3月、熱海ー小田原間で開通、その間、片道4時間の道のりを乗客8名を3名の人足が人力で押して動かしていたというんです。本当にびっくりしますね。当時、汽車は横浜までしか通じていず、横浜から小田原までは、人力車、その先は山かごに乗って熱海へ来たらしいです。熱海に来る人は、だいたい病人が多いので、人力車にもまれると病気を重くするばかりなので、レールを敷いて、人足に押させるのが一番良いと考えたそうですよ。
熱海名所の続きです。熱海駅からみやげもの屋が並ぶアーケードをぬけ、道なりに行くと、南明ホテルがあり、その玄関の横に「レールの上を車の付いた箱を、3人の人が押している」レリーフを見ることが出来ます。豆相人車鉄道駅舎跡地だそうです。豆相人車鉄道は、明治29年3月、熱海ー小田原間で開通、その間、片道4時間の道のりを乗客8名を3名の人足が人力で押して動かしていたというんです。本当にびっくりしますね。当時、汽車は横浜までしか通じていず、横浜から小田原までは、人力車、その先は山かごに乗って熱海へ来たらしいです。熱海に来る人は、だいたい病人が多いので、人力車にもまれると病気を重くするばかりなので、レールを敷いて、人足に押させるのが一番良いと考えたそうですよ。
3 Seichan 2009/9/29 10:59 MYCAさん おはようございます。私も鉄道馬車は知っていますが、人車鉄道があったとは知りませんでした。レリーフを見ると、3人の男たちが箱を押しているのですね。驚きました。なんとも奇抜ですが、病を持つ湯治客に対する思いやりが、発想の原点になっているとは、またビックリ。人足は大変だったでしょうが、温泉だけに心温まる話ですね(笑)。
MYCAさん おはようございます。私も鉄道馬車は知っていますが、人車鉄道があったとは知りませんでした。レリーフを見ると、3人の男たちが箱を押しているのですね。驚きました。なんとも奇抜ですが、病を持つ湯治客に対する思いやりが、発想の原点になっているとは、またビックリ。人足は大変だったでしょうが、温泉だけに心温まる話ですね(笑)。
4 Hiroshi Nozawa 2009/9/29 11:06 MYCAさん、お早う御座います。 タイトルをみますと、漢文を読んでいる様で。人力で押す鉄道があったのですね。馬が引く鉄道もあったと効きますが。
MYCAさん、お早う御座います。 タイトルをみますと、漢文を読んでいる様で。人力で押す鉄道があったのですね。馬が引く鉄道もあったと効きますが。
5 MYCA 2009/9/29 17:22 gokuuさまSeichanさまHiroshi Nozawaさま今日はコメント有難うございます。明治29年(1896年)に開通した人力に依る鉄道だったそうです。発想が凄いですよね。豆相人車(とうそう じんしゃ)と読むそうです。後になって、蒸気機関車が導入されたが、丹那隧道工事に必要な機材を送るにも沿線施設が脆弱だった為に殆ど使用される事も無く、関東大震災被害で沿線各所が壊滅状態になり、その後廃止の運命を辿った薄命な鉄道だそうです。よほどの大金持ちが利用したんでしょうね。
gokuuさまSeichanさまHiroshi Nozawaさま今日はコメント有難うございます。明治29年(1896年)に開通した人力に依る鉄道だったそうです。発想が凄いですよね。豆相人車(とうそう じんしゃ)と読むそうです。後になって、蒸気機関車が導入されたが、丹那隧道工事に必要な機材を送るにも沿線施設が脆弱だった為に殆ど使用される事も無く、関東大震災被害で沿線各所が壊滅状態になり、その後廃止の運命を辿った薄命な鉄道だそうです。よほどの大金持ちが利用したんでしょうね。
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