メーカー名 | SONY |
機種名 | α900 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 300mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/400sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 6048x4032 (12,010KB) |
撮影日時 | 2013-07-07 17:51:27 +0900 |
空の港も海の港も、結局は同じようなものでしょうか。
ただこちらのやつは、かなりくたびれた模様の老船です。でも老骨に鞭打って
頑張っています。(^^;
高松港にて。
Kusanagiさん こんにちは 情緒のある船です 私と同じご老体ですが 私にはこんな 力も容量も全然ありません 一人乗りボートですが この船の様に元気で走りつずけます。
こちら瀬戸内は今、瀬戸内国際芸術祭ということで、けっこう都会の方が瀬戸内の離島に
足を運んでいるようです。私は畏まったイベントにはあまり興味がないので観覧すること
はないんですが、若い学生さんなんかの現代アートの展示物等もあって、興味のある方
には面白いようです。
カメラやレンズ、画像は、大きくて立派なのが偉いということは絶対にありません。その人
に合った機材で写真を撮るのがベストですね。
それよりかは、最近とても面白いと思うことを書きましょう。
人間、歳をとると多量の情報量を制御することが難しくなってきます。それでボケの占める
面積の多い写真(情報量が少ない)を撮るようになるみたいでね。
それはキヤノン板などを見ていれば、てきめんに理解できるかと思います。
カメラの画素数が多くなると(つまり情報量が多い)、それに反比例して所謂ボケ写真を
撮って、御自分の制御可能な情報量の写真に振り戻すのですね。
画素数の少なかった時代のカメラでは、皆さんそんなにボケの多い写真は撮らなかったと
記憶するんですが。
そういうことでは加齢と共に、例えば画家が、情報量の多い写実画から、情報の少ない
抽象画にシフトすることに現象とよく似ています。若い時は写実画作家、歳をとるにつれて
抽象画を描くようになってくるんです。
しかし情報量の少ない写真ばかり撮っていますと、人間、考えることが面倒くさくなって
くるんですね。(^^; ただ考えなくても、人間、感じることはできるわけで、それで感覚的な
写真をさらに大量生産することになります。
それで、ボケ写真はボケに通じるのではないかと、最近しばし、考えるようになりました。
後者のボケとは、ボケ爺さんのボケですね。(^^;
しかしボケ写真を撮る人の気持もよく分かるのです。それは現在のカメラはありにも簡単
に写真画像が得られるからなのです。それに少し反旗を翻したい、そういう気持ちもあって
敢えて情報量の少ないボケ写真を撮るのだ、と考えられるからです。
雀さんの年代の写真者というのは、若い時に黒白のリアリズム写真という、写実的な写真
こそが写真であるという写真思潮の影響を受けてきたかと思います。私もその時代の影響
が強いので割りと情報量の多い写実的な写真を撮るんです。
(ボケ写真を多く撮るのは、カラー写真から入門した方に多いですね)
それで少しばかり想像しているんですが、ボケ写真を撮る人は撮影時にあまり歩かないの
じゃないかなって思うんです。被写体に向かって座り込んでじっくり撮るみたいですから、
撮影時に歩きの要素が少なくなっているんじゃないかなって感じるんですね。
人間、歩かなくなったらボケが来ます。これは年齢に関係がない。
歩くことは、考えることであり、それで写真撮影時に最優先すべきなのは、やっぱり歩き
かなって思うんですね。ショット数なんか少なくてよいからとにかく歩く。
ところでこの船と飛行機の写真、ほとんど歩かないで一定の場所で撮影しています。
機材かあまりにも重すぎて歩けなかったんですね。(^^; 本末転倒とはまさにこれです。
漫画で馬の鼻面に人参をぶら下げて馬を走らせるっていうのがありますが、カメラと
というのも魔法の人参なんでして、カメラがあるから歩こうかという気になるんです。
それって、不思議ですね。(^^;