昨日の写真のとおり、多くの蛙さんたちはちょうど愛の営みで忙しい最中でしたが、早い方はもう産卵されていたようです。子育てをしない蛙さんにとっては、父親は健康でさえあれば、それが誰かはそれほど関係ないことですね。しかし、ゼリー状の卵はきれいですね。コップ一杯分くらいはありそうなのですが、水を吸って膨張するのかもしれませんが、これが全部1匹の蛙のお腹の中に入っていたとは信じがたいものがあります。Vivitar Series-1 90mm F2.5 Macro (Bokina) @F5.6?春になると出てくるレンズです。
結晶に 愛はあったか 蛙の子
スカイハイさん、おはようございます。 子供の時にオタマジャクシで遊びました、懐かしいです。田舎にいても今はあまり見に行かなりました。
産んでから少し時間が経っているのでしょう。これから黒い豆みたいなのが長く変化していくんですよね。当たり前のことですが、日本のカエルの卵と外国のたまごとおんなじですね。
コメントありがとうございます。愛はあったか、あったと思います。人間が思う愛というのは実は狭義の愛、あるいは愛のひとつの形態に過ぎず、実際にはこちらこそが愛ではないかと思います。そんなこといっても「愛」というのは人間の言葉なんだから、人間が思う愛を「愛」と定義するのは必然であり、それからかけはなれたものは「愛」という言葉が表す範疇に入らない、という反論はありえますが、人間の言葉や概念としても、子孫を残す気持ちや行動こそ愛だと再定義してもいいんじゃないかというふうに思います。みなさんのコメントを見ていると、子供(娘5歳)のために、やっぱりいくつか持って帰って育ててみたらよかったような気もしてきました。まあ、持って帰ってきて観察するのも教育なら、持って帰りたい欲望を抑えるのも教育なので、どちらがいいともいえないんですけど。な〜んか、演説になってしまいました・・・
うちの田舎ではカエルの卵を ”ギャラゴ” と言っておりました。ギャラゴを獲っては水槽で飼ってオタマジャクシ、カエルへと育てた記憶が。今は無理。
バリコチビちゃん、5歳になりましたか!教育? 連れて行って一緒に持ち帰ってカエルに育て、そしてまた放しに行く、私ならそうするなぁ・・・
昔、ギャラガっていうゲームがありましたね。結構好きでした。全然関係ないですが。やっぱり水槽で育てましたか。持って帰って育てるという話は出たんですがね、餌に何をあげたらいいのか、オタマジャクシは可愛いけど、蛙になってピョコピョコされても恐いし、みたいな消極的な話が多くなりまして。たぶん、私もバリコも口には出さないし、はっきり意識したわけじゃないけど、3pの写真を見ていただいたらわかるかもしれませんが、ここの蛙さん、可愛くないんですよ(小声)私は蛙ちゃん結構好きなほうなんですけど、ここのは言っちゃ悪いけどグロテスクでちょっと・・・今思えばそれが恐らく本当の理由ぽいですね。
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