イナゴでしょうか?
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS Kiss Digital X
ソフトウェア Capture One 7 Windows
レンズ
焦点距離 10.0mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/60sec.
絞り値 F5.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2000x1333 (1,758KB)
撮影日時 2016-08-28 17:36:42 +0900

1   kusanagi   2016/9/23 23:57

イナゴでしょうか?
イナゴにとっては雑草も、人にとっての大木や山に等しいのかも知れません。
しかし昆虫は飛べるからなあ。(^^;
黒沢湿原にて。

2   笑休   2016/9/25 20:36

こんばんは
写真文化論・・長文でしたが読ませていただきました。
どう受け止めるか・・個人で違うと思います
音楽でいうならば
https://www.youtube.com/watch?v=CAtHvMP0QFw
この頃の曲は、歌詞が美しかった
https://www.youtube.com/watch?v=rudHfB6hatw
サザンの出現のころから、歌詞がメロディの一部分になってしまいました
悪い事ではないが、何かフィーリングでとらえる詩
8beatに日本語を乗せる為にMr桑田氏が革命をおこした
その後の歌曲が関を切ったように洋楽化したのも良いいみでの功罪
その陰で失ったものもある
写真文化の功罪もにたようなものかな・・と思ってみた。

3   kusanagi   2016/9/26 22:57

音楽の話は以前、尻切れトンボに終わってしまったのですが、桑田佳祐のころから始まった
歌詞と力の低下は、現在もう著しいというか、なにおか言わんや、という気がします。
音楽は、歌詞+メロディ+リズムの3要素に分けられると思いますが、その3つが互いに競って
最高度にならなければ良い音楽とは言えません。
歌詞はその国の国語を反映します。正しく綺麗な日本語でなければならないはずなのですが、
崩れた英語風の発音の歌詞は、日本人の自信のなさの現れとなります。

この洋楽風の崩れた発音と歌詞は、音楽だけでなく、若い人の日常会話からダメにしている
ように思うんですね。
日本人が日本語に対して自信を失ってしまったのは、おそらくPCコンピューターの出現と
一致していると思ってます。コンピューターの基本を少しでも学べは、その原点は英語という
ものであるのが直ぐに分かります。多くのコマンドは英語の簡略であり英語が出来る人と
そうではない人とはコンピューターに対しての理解力が違います。

コンピューターが専門家の間だけで使われている間は良かったのですが、それが一般の
人達の間でも使われるようになると、日本人の英語力のなさが露呈し、コンピューターが仕事に、
日常に使われるようになればなるほど、日本人は自信を失ってしまったのです。
これは日本だけの現象ではなく全世界的なものです。英語圏以外の国はみな自信喪失に
陥っているんですね。
ヨーロッパ圏ですと語彙的には英語と変わらないでまだマシですが、日本語だと全然違います
からね。

それで自信喪失した日本の若い音楽家は、せめて発音だけでもと英語風にしたんです。
そうなってくると文章はもうめちゃくちゃになるじゃないですか。聴いただけでは日本語になって
ません。
しかしメロディに乗せて聞いた限りでは本場の英語圏の雰囲気になっていて、ところどころに
英語も挟んで、なんか上等に聞こえるんです。
そんなんだったら最初から最後まで英語で歌えよって言いたくなるんですが、もうここまで来て
しまうと元には戻らないのかな。
とにかく、桑田佳祐の罪は重いですよ。(^^ 国辱ものですからね。

洋楽が、フォークとかロックとか、そういうのが日本に来たのは随分と古いです。50・60年代から
70年代でそういうのが流行り、日本の歌曲に大いに影響を与えたのですが、その当時はキチンと
日本語の歌詞を付けて日本語が壊されずに洋楽のエッセンスを受け入れたわけです。
ところが90年代2000年代となると、コンピューターの出現というのが重なったわけで、これで
一気に日本人は自信を失ってしまったんですね。

そういうことを今の若い人は知らないんだろうっておもいます。今の若い人は英語が分かる人も
多いですが、分からない人も依然として多いですね。そのどちらの人間にとっても今の崩れた
日本の音楽は不幸です。

日本のコンピューター教育は、ただ単に操作だけを覚えさせる教育がしばらく続いたのですが、
あれは大いに間違いでした。まず英語を貴重としたコマンドの言葉を理解できるように覚えさせる
べきでした。これを覚えれば自分でプログラムを作るのは容易になります。
それからコンピューターは決してブラックボックスではなくて、家電と同じように電気製品である
ということを徹底的に教育すべきでしたね。こういう技術教育は理系の人は学びますが文系の
生徒は分からないままになるのが間違いなんです。

それからね、英語教育は、まず英字ではなくカタカナでまる覚えさせるんです。日常会話などは
カタカナでいいんです。それを覚えた後でやっと英字を学べばいいんですよ。
これを同時にやるから普通の生徒はまるでついて行けなくなるんです。
発音なんか適当でいいんですよ。とにかく日常会話のセンテンスを覚えさせる。これが一番大切です。

小学生はまず、いきなり漢字ではなくて、かなとカナを覚えさすでしょう?漢字は簡単なものだけです。
それと同じで漢字=中国語ですから、英語=英字なんです。英語を小学生に覚えさせるには、
最初はカナで覚えましょうや。

それから子供にはアルファベットは覚えさせても、ローマ字は覚えさせてはダメです。これと英字
とは違いますから子供は混乱するんですね。
ちなみに私はパソコンのローマ字打ちは大嫌いで使いません。カナ打ちでやってます。英字を
打つ時は当然に英字なんでして、この2つだけできれば良いんです。
私は日本人がカナ打ちを皆んながするだけで、日本のコンピューターのレベルは大分上がるって
思ってます。英語もカタカナで書くだけで、英語嫌いがマシになるって考えてますし。

日本人って兎に角、英字と英語に猛烈なコンプレックスがあります。その劣等感が日本人をダメ
にしているんですね。教育者や学者がキチンと英語と日本語を別のものとして覚えやすくさせれば、
子供なんか直ぐに英語を覚えますよ。そして日本語もダメにならない。
要するに教育者が無能だから日本を駄目にしているんですね。

>8beatに日本語を乗せる為にMr桑田氏が革命をおこした。
ではなくて
エイトビートに日本語を乗せる為に、ミスター桑田氏が革命を起こした。
と書かなければなりません。もしくは、
Mr.Kuwata in order to put the Japanese has revolutionized the 8beat musics.
ミスター・クワタ イン・オーダー・ツー・プット ザ・ジャパニーズ ハズ・リボルーショナイズド ザ8ビート ミュージックス。
ですかね。(^^ゞ

音楽と英語とコンピューターの話ばかりになってしまったんですけど、写真はデジタル化してどう
なったのかな。
自分の中では、昔やってた写真から見ると今の私のデジタル写真は、ものすごく劣化してます。(^^ゞ
何も考えることなく反射的に撮ってますしね。いくら撮ってもお金が掛からないというのがいけない
のかもしれません。

写真としてはダメになりましたが、その分、被写体に対して考え深くなったような気がします。
写真以外での考察が深くなったのかな。
例えば四国は過疎が著しくて経済成長からは置いてきぼりを食ったんですが、その分、自然が
大分残されているところがあります。徳島とか高知ですね。その自然の良さがこれからメリットになる
可能性があって、四国を見れば、もしかすればこれからの日本の行末が見えてくるのかもしれないな、と考えています。

4   kusanagi   2016/9/28 22:06

書いた後で気がついたんですが、最近の子どもたちの名前。
名前やその漢字の読み方が独特ですよね。読み名も、みう、れな、とか。
こういうのもおそらく、英語コンプレックスから来ているんじゃないかって思います。
会話も、中学生くらいの女の子のグループで彼女らが素のママに話してみるのを聞くと、
もう外国語のような気がします。英語かな?中国語?・・・耳をすまして聞くと、これが
日本語だったりする。

そんな具合でもの凄い勢いで日本語は英語化、じゃなくて見かけだけ英語風にみせて
劣化していると思います。
その原因は、庶民レベルでのコンピューター時代の到来が元凶なのかな?っていうことを
書きました。本当かどうかは分かりませんが数百年経てば歴史検証ということで分かる
ようになるでしょう。
写真はといえば、これは言葉ではなく画像だから、さほどの劣化はしていないと思うんですが、
逆に言えば写真は言葉を必要としないので、人気の趣味になるような気がします。
音楽だと歌詞があるので嫌だなっていう人も多く出てくるかもしれないけど、写真はその
影響を免れているから、大変な人気趣味になってもおかしくないですね。

コンピューターの進歩は日進月歩ですから、やがては言語の違いを気にせずに使える
ようになるでしょう。スマホとかタブレットはできるだけキーボードを使わない方向に行って
ますが、これからますますそうなっていくでしょう。
画像検索をするときに現在では言葉を打って画像を探しますが、これからは画像から画像
をダイレクトに検索できるようになりそうです。
しかし言葉を使わないようになれば、ますます言葉や国語は劣化・退化していきますね。

コンピューターの基本が英語だからといって、じゃあ英語が一人勝ちをするのかというと、
そうじゃなくて、英語も日本語などの外国語のライバルがいなくなれば自然に劣ろえます。
そもそもコンピューター言語が英語一種というのがおかしいのであって、日本語を基本と
したコンピューターがあってもいいというか、本来はそうあるべきなんですよ。
世界中の言葉をひとつにしたのがコンピューターなんでして、それが良かったのか、
悪かったのか。

人工知能の時代に何を言っているのか?と思われそうですが、英語のAIは人類を滅ぼす
かもしれないけど日本語のAIはそうはならないかもしれませんよ。(^^;

写真もどうたろう?英語の写真と日本語の写真って違いがあるのかな?
カメラはあると思います。
カメラとセンサーの殆どは日本製です。世界中の人々は高級機では日本製品以外の選択肢が
ありません。
ところでフォビオンは米国製です。開発はアメリカで行なっています。
米国人の考えたセンサーであり絵作りであるわけで、そこのところが重要だと私は思ってます。

フォビオンセンサーのカメラが多くの人達に(日本人ですが)違和感を持って迎えられているのは、
そのセンサーの開発が米国人であるということもあるんじゃないですかね。
フィルムの時代、私はコダック製品を使っていました。他に選択肢がなかったのですが、
これがカラーフィルム時代になるとフジですから日本製になりましたね。当時はフジとコダックで
世界を2分しました。
フォビオンセンサーはそのコダックの色に似ているんじゃないかって思ってます。
私としては好きなのですが、普通の人はそうじゃないかもしれない。
このコダックの画質を継承したのがフォビオンだと私は考えています。

日本は英語の壁のハンディがあるのでコンピューターでは米国に大きく負けてしまったのですが、
その分、画像方面で頑張りました。ソニーセンサーは高級イメージセンサーの圧倒的な世界シュア
を占めていて他の追従を許しません。
カメラもレンズもセンサーも今や日本製です。写真だけでなく映像関係でも、シグマが動画専用
レンズを出してきたように、これからソニーやキヤノンを始めとする日本製が世界を牛耳るのは
間違いのないところです。
日本はコンピューターで負けたけどカメラで勝ったんですね。実はコンピューターもセンサーも
同じなんですよ。製造は同じCMOSでして設計によってインテルになったりキヤノンになったり
するだけなんです。
まあ、大きくコンピューターで負けたんですから、せめて映像くらいで勝たないとね。
コンピューターの分野で負けていないのはスーパーコンピューターだけですかね。これは専用
オペレーターが動かしますからね。彼らには英語コンプレックスが微塵もありません。
しかし一般の人達はスマホをみても分かるように米国製をありがたがっているじゃないですか。
アイフォーンしかりアンドロイドしかりですから。日本製のはガラケーとかになって独自OSもなくなり
ました。

とくかくこの一般の日本人の英語、アメリカコンプレックスはなんとかしなければなりませんね。
自分の子供に米国人風の名前をつけて喜んでいる姿は情けないという悲しいかぎりです。
若いパパママはスマホを捨ててデジカメで写真を撮りましょう。
デジカメにインフォメーション機能を持たせてスマホを駆逐しましよう。(^^ゞ
というよりも刹那的なスマホに溺れんじゃなく、デジカメで本格的に写真を撮りましょうや。

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