永遠の【命】
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 30D
ソフトウェア Digital Photo Professional
レンズ
焦点距離 184mm
露出制御モード 絞り優先
シャッタースピード 1/400sec.
絞り値 F5.6
露出補正値 +0.0
測光モード
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 760x1140 (600KB)
撮影日時 2009-03-20 16:06:53 +0900

1   S9000   2016/10/18 06:38

 そんなものはありえませんが、写真は少しだけそれに近いことを
かなえてくれます。
 知り合いが火災にあったのですが、必死で運び出したのは、金庫
でも貴金属でもなく、写真アルバムだったそうです。命以外で、か
けがいのない一番大切なものということなのでしょう。
 そう考えると、写真の一番の命題は、命の記録をとどめるという
ことなのかもしれません。
 この写真は、以前にも投稿したものですが、7年前に昇天した
愛犬。最期に立ち会ってやれなかったのは心残りですが、そもそも
犬は飼い主に死ぬところを見せない生き物であるとか・・・

2   masa   2016/10/18 07:30

いい顔しています。S9000さんご一家に愛されたんですね。ジンと来ます。
ウチの初代ワン公は14年前に13歳で逝きました。家族全員の心の中に生きていますが、写真を見るとワン!という声が聞こえてきます。
二代目ワン公が今年13歳で元気です。

3   gokuu   2016/10/18 10:54

優しい顔していますね。
我が家のラブラドールも数年前に昇天しました。
やはり13才。大型洋犬にしては長生きの方かな。
夏場に弱くて寝たままになり床ずれが出来て餌も食べない。
見ていて可哀そうになり家族で相談して安楽死を・・・
病院へ運び診察台に載せたらポロリと涙を。
判るのですね自分の最後が。本当に可哀そうでした。(;_;)

4   スカイハイ   2016/10/19 03:15

ぱっと見たときは哲学的なワンちゃんだなあ、と思ったのですが、死んだ愛犬さんの写真でしたか。
私も何度か経験がありますが、愛犬の死というのは辛いですね。
娘がペットを飼いたがるのですが、いつか別れが来ることを思うと、私はどうも気が進みません。
それも含めて子供にとってはいい経験なんでしょうが、どうも踏み切れずにいます。

しかし、「命」というからには、「死」を取り扱ってこそのものだと私には思えてなりません。
こういうことを言うべきではないかもしれませんが、今月の【命】をお題にした写真のほとんどは、私には正直言ってこじつけに過ぎないように思えます。
私はなるべくマシなこじつけをしようと苦心していますが、こじつけであることに違いはありません。

5   め組   2016/10/19 07:12

スカイハイ様 深夜3時頃に哲学を、、99%正しいです 生き物には遺伝子があります スカイハイ様がいなければこの世に生まれない命は 子供➡孫➡ひ孫及びそれに関係する全ての命 時間が経つほどネズミ算てきに増えていきます
あなたの命も無限数の命の源なんですよね 

6   S9000   2016/10/20 00:10

 あらためまして皆様こんばんは。
 コメントありがとうございます。
 今回、思うところあって、思うところは「命果てるまで」に
書きました。
 本件写真の投稿者としてのコメントよりも、お題係として伝え
たいことを優先しました。愛犬への思い、ペットと子供の情操教育、
ということでは、思いは共有させていただいていると考えております
ので、あしからずご了承ください。

7   masa   2016/10/24 07:16

ウチの初代ワン公が逝った時、衰弱状態を見て獣医さんが「楽にしてあげることも出来ますよ」と言ってくださいました。
我が家で一番面倒を見ていたカミさんは「最後まで看てあげたい」家へ連れ帰りました。一週間後、静かに逝きました。丁度心配して様子を見に来た息子達三人が見守る中でした。成人した息子達が皆泣きました。ワン公は一緒に育った家族皆に会うのを待っていたのかも知れません。今、庭の片隅で、長男が河原から拾ってきた立派な墓石の下で眠っています。
「一年喪に服したらまた犬を飼う」と言ったカミさんは、3ケ月後に二代目ワン公をもらってきちゃいました。カミさんと私の5人目の子供です。

8   S9000   2016/10/27 23:25

masaさん、こんばんは。
 最期を見届けてもらって、初代ワンちゃんも幸せな生涯だったと
思います。そして、二代目ワンちゃん、今も元気でしょうね。よいことです。
 我が家、正確には実家の飼い犬でしたが、散歩で思い切り走らせる
のが私だけだったので、私の顔を見るとととても喜んでくれました。
 最後に会ったときには、もう起き上がる体力もなくなっていたのに、気持ちだけは散歩に行きたかったのか、起き上がろう起き上がろうとしていたのを覚えています。最期は、小6だった娘がみとったのですが、安らかな表情で眠りに落ちたと思ったら、息をしていない
ことに気づいたそうです。
 ほぼ、この写真のとおり、静かな、本当に眠っているような
死に顔でした。

戻る