メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D4S |
ソフトウェア | Capture NX 2.4.7 W |
レンズ | |
焦点距離 | 19mm |
露出制御モード | |
シャッタースピード | 1/1000sec. |
絞り値 | F5.0 |
露出補正値 | |
測光モード | |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | |
サイズ | 1853x1231 (1,866KB) |
撮影日時 | 2018-02-10 08:11:01 +0900 |
これから気候が安定してくるとこんな青空の日が増えるのかな。
右奥に月山が見えてます。
kusanagi さん、おはようございます。
寒さや降雪量はまだ真冬と変わりないですが最近は晴れた日も多くなってきました。周りが明るいのは良いですねぇ。青空も。
ここは上郷ダムです。普段は水鳥もいますがこの時はいませんでした。R287のパーキングからの一枚です。3枚ともHDRです。
もう2月ですから、寒さは厳しいとは言え、暦の上では冬至が過ぎてから1ヶ月半が経っています。
太陽の威力はこれからますますと強くなる。
一番厳しいなあって思った時、その時は既に徐々に回復に向かっているというのがこの世の習わし
のようなものです。人生もかくありなんというところがありますね。
人工知能が人類の総体知能を超える日がやってくる。そう囁かれていますが、それはあり得る話
ですけど、その事自体に大した意味はないと私は思っています。
人類の知能を超えたところで、自然の叡智は人工知能もどきでは絶対に越えられないわけですから。
われわれ人間と言えどもたかだか矮小な知能なんかで生きているのではなくて大自然の叡智で
生きているというのが本当のところです。
小さな水鳥でさえ、不思議な機能でもって体温を保っているわけです。それは鳥の知能のなせる技
ではなくて、あくまでも大自然の叡智がそうさせているのであって、この大自然の中から自然(じねん)
としてでで来るサムシンググレイトたるものに敵うものはありえないということです。
少し写真から遠ざかっている今ですが、少し振り返って思ったのは、写真は絵が出で来るが故に、
最終的な完了形にならざるをえないところがあって、それから先。というものを見失ってしまうところ
が大きな欠点といえばそうなのかなって考えています。
なんていうのかな。絵が出てきた時点で、自分の思考がストップしてしまうところがありはしないか?
ということなんですね。
しかし絵が出てこない写真というのはあり得ずで、しかしながら一時的な絵が出てきても、またまだ
これから先があるよっていう、そういう自然な写真を目指せたら・・・と、思考実験的には考えています。
敢えて完結しない写真を目指す。構図も完璧だ。色も最高だぜ。そういう写真は自分の先を閉ざして
しまうからやらないよっていうことです。だから敢えて未熟な絵にする。乱調をすら取り入れる。
完璧を目指さないやり方をしようか、ということですかね。
自然のままの、自分に見えたままの写真でよい。それは言わば自分の記録写真というものであるわけ
ですかね。そういう写真ならば、きっと撮影者の伸びしろを潰さないですむのかなって思ってます。
この掲示板でも見受けられる気がするんですが、写真に懲りすぎている人は、その考え方に硬化的な
現象が見られるような気がするんです。たぶんこの人は昔は(写真をまだやっていなかった頃は)、
もっと柔軟な自由な考え方が出来ていただろうっていう気がするシーンが度々でてくるんですね。
そうであればこそ、写真には完璧を目指さないやりかたもあるんだということです。