メーカー名 | RICOH IMAGING COMPANY, LTD. |
機種名 | GR |
ソフトウェア | Photoshop Lightroom 6.14 (Windows) |
レンズ | 18.3 mm f/2.8 |
焦点距離 | 18mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | -2.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1987x3000 (2,634KB) |
撮影日時 | 2018-11-22 21:09:30 +0900 |
以下は、「善光寺 仁王」のGoogle画像検索結果です。
https://www.google.co.jp/search?q=%E5%96%84%E5%85%89%E5%AF%BA%E3%80%80%E4%BB%81%E7%8E%8B&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwj3kN6jy-_eAhXFwLwKHaLPBNkQ_AUIDigB&biw=1536&bih=724
手前味噌になりますが、私の仁王撮り(ニッチ市場もいいところですが)は
かなり異彩を放っていると思います。正直、ある方向性においては負ける気がしないのです
善光寺の仁王をGRで撮影するのは今回で3度目ですが、自分なりに鉄則と感じたところを述べてみます
①撮影は曇天で
一番の理由は、晴天で日が当たっていると金網が反射してしまい
これを除去した描写がすごく困難(ほぼ不可能)であることですが
仏像という、本来日陰で鑑賞することを前提に作成されているものは
陽が当たっていればいいコントラストが出来るとは限らないからです
②むやみに「切り取らない」
善光寺の仁王を画像検索すると、足の血管をクローズアップしたものが多数ヒットしますが
それは「なんか違う」と、個人的には思います。構成としての美しさをスポイルしている、というか。
仏師のスピリットにシンクロした撮影ではない、というか。
自分自身でも70-200/F2.8で仁王を撮影したことがありますが(金網の除去が飛躍的に簡単になりますので)
そうやって撮った写真に美しいと思ったものは1枚も無いです
③むやみに顔を入れない
理由は分かりませんが、顔を入れた構図は迫力が低減しやすい気がします
「構成の点景として顔を入れる」のはアリだと思いますが
「顔ありきの構成」は、何故かパッとしません
④水平は出さない
これは、花を撮るときなんかと同じだと思います
ただただ一番美しく撮影するために、ひたすら「カッコつけて撮る。」です
いわゆる、「厨二病全開!」というやつです。
手の描写は、まるで命が宿っているかのようなリアリティがありますね。顔はなくとも、ここから上へ視線を上げることを想像すると、あの形相、威圧感が目に浮かんできます。
ポゥさん、おはようございます。
いつもながら「こだわり」に脱帽です。
個人的な印象なのですが、掌が絵を凄く締めていると思いました。
ドキッとする様な切り取り具合に衝撃です。
自分は全部入れたがるので同じ写真連発であとでガッカリすることがよくあります。
ポゥさんの指摘された鉄則にはなるほどと思うところが多いです。
それとGRの描写凄くないですか?
皆さん書かれておられますが
迫って来るような一種の威圧感 迫力が半端じゃ」ないですね。
鉄則拝見しましたが いざ自分で撮るとなったら
きっと自分の感性で撮ってしまうと思います。
結果としてはこのようなリアリティ溢れる迫力は出せないと思いますが。。
すみません、お礼のコメントが何故か反映されていませんでした。
あらためて。
正直、自分がこの鉄則に至ったのは、至ることが出来たのは、
実は金網の存在のおかげだったかもしれません。
限られた角度の中で、いかに惚れ込んだ被写体をカッコよく撮影するか
そのせめぎ合いの中でこそ生まれた感覚です
多分、金網が無く、顔がフリーで撮影できる状況であったら、
私もよくありがちな写真ばかり撮っていたと思います。
そして、この「右手」の、闇の中からヌッと現れたような
異次元の存在感に、もしかしたら気づくことが出来なかったかもしれません。