メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D90 |
ソフトウェア | Capture One 6 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 16mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/125sec. |
絞り値 | F5.6 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 400 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 1360x2048 (2,383KB) |
撮影日時 | 2000-01-03 21:18:35 +0900 |
画質は悪いですね。B級レンズ装着ですし。このD90はCCDセンサーではなくてニコン初の
CMOSセンサーだったかと記憶します。一応ライブビュー撮影がAFモードで可能です。
ミラーレスカメラ、最初は新鮮だったところがありましたが、しばらくすると慣れてきてか、
デジタル一眼レフに戻りたくなる気持ちが出てきます。こういう古臭いカメラでも、デジイチの
方が撮影時に満足感があるように思うのです。
人それぞれですから、そうではない人も勿論います。でもとにかく私がなぜデジイチに戻り
たくなったのか、その理由を知りたい。そう思ってます。
ミラーレスカメラに飽きたというのは今回が初めてではなく、以前のソニー7RやイオスM、
フジXプロ1でもそうでした。最初だけ使って後は死蔵でしたね。
ただ昨年後半のソニー7Sやフジは半年間続いたということで、しかも相当数の撮影をして
いました。正月休みはそれらのバックアップに大分費やされましたから。
やはり電子シャッターカメラということで気合が入っていたのでしょう。それとマウントアダプター
が使えたということもありましたね。
ミラーレスカメラとデジイチとの決定的な違いは、光学ファインダーでしょう。それがあるのが
デジイチで、それがないのがミラーレスです。これは間違いのないところだと思います。
その光学ファインダーが決め手であって、そこに何かがある、という気がしています。
もしカメラに光学ファインダーがなくなれば、写真は続けられなくなるのじゃないか。そういう
気がしています。むろん私の場合ですけど。
シグマのことを言うと、長くシグマのカメラのサイトを運営してきた有名な方がいます。しかし
現在はここ1年位、閉鎖状態です。なぜなのか。それはもしかしたら、シグマのカメラから最新
一眼レフがなくなったここと深かい関係があるんじゃないかって思えてくるのです。
SDは一眼レフをやめ、ミラーレスカメラになっちゃったんですね。
センサーがクワトロになったからといってサイトを休止したのとは違うでしょう。時期的にそれは
ないですから。
それとね。これは私の場合ですけど、デジタル写真をやっていて(私なりの記憶で)一番の危機
だったときは、シグマのコンデジばかり使っていた時なんです。ほぼ1年くらいそうやっていたか
と記憶します。SD1も使いましたが殆どは新旧DPです。
それを止めさしてくれたのが○○○さんでしたが、実は陰ながら感謝してます。彼によって、
シグマの板を離れられたのですから。正直いうと、あの時はホッとした思いがありましたから。
そういうのが記憶としてあったので、今回は別の○○○さんの間接的な示唆によって、自主的
にミラーレスカメラを中断しようと思ったんですね。これ、1年続けると危ないんじゃないかって。
そう思ったんです。
デジイチとミラーレスカメラの相違は、光学ファインダーの有無だけではありません。
私の場合最初からの癖として、デジイチの撮影では一切、モニターを見ないんです。それで
今回のようなD80での初歩的なミスもするんです。今まで何度もそういう凡ミスをしていますね。
それは良いんですが、とにかく、デジイチではモニターを見ない。一切みない。しかしミラーレス
ではモニターを見なければ撮影が一切できないんです。シグマのコンデジでもそうです。
そういう違いも大きいんじゃないかって考えてます。もしかすればこちらが決定打かもしれません。
ライカで不思議なカメラがでました。液晶モニターがないカメラです。
LEICA M10-D といいましたっけ。ええっー?と思いましたけど、これってリアルなんじゃないか
なって次の瞬間、考えこみましたよ。
ミラーレスやコンデジに本質的な疑いを挟むこと。
これって、いままて私が電磁波のことを言っていた考え方と、180度ひっくり返っているんですね。
カメラを顔から頭部から離せば電磁波は防げる。カメラが電子シャッターになれば元から断つこと
ができる。確かにそうです。それは事実ですよ。
ところが、ミラーレスはモニターを見て撮影をしなければならない。その電子モニターに何かある
のではないか?というのは、これまでの自分のやり方を完全にひっくり返さないといけないんです。
それだけでなく、今の時代の流れとは敵対することになります。
真に探らなければならないのは真実ですね。それをこれからやっていこうかと考えてます。
地元の小さな神社の正月飾り付けです。灯籠の紙の文字はパソコン文字でした。