メーカー名 | SIGMA |
機種名 | sd Quattro H |
ソフトウェア | Photoshop Elements 9.0 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 70mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/320sec. |
絞り値 | F2.8 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 4128x6192 (1,972KB) |
撮影日時 | 2019-04-04 18:23:32 +0900 |
DG70macroArt
2つのレンズ、絞り値が違いますが、圧倒的にボケと発色が綺麗なのは70ミリアートレンズです。
まあ、分かりきったことですけどね。(^^;
APS-CとAPS-Hの相違は単なるフレーミング(トリミング)の違いだけなので、等倍すれば意味は
ありません。
GEMさんは最近、驚くほどに綺麗な絵を出してきていて、彼独自の世界を構築しつつあります。
レンズ板の他のメンバーは時代の勧める機材を踏襲しているだけとも言えて、ユーザー自身の
考えは見当たりません。なので評価には値しないのですが、GEMさんは他のメンバーとは大きく
違って来ましたね。
これはクワトロとオールドレンズのマッチングが素晴らしいというか、それに彼が気か付いたという
ことでもあって(そして実行した)、他の人には真似のできないことです。
写真は被写体優先にしろ、作画優先にしろ、とにかく自分独自の世界観を持たなければ、写真
を本当にやっているとは言えないと私は考えています。ただ時代の、周囲の雰囲気に流されて
ばかりいては、それは写真モドキをやっているだけの消尽(消費)に過ぎないからです。
GEMさんの写真に戻ると、彼が光学ファインダーのデジイチで撮影していた時は、おそらく私の
想像ですが、そのファインダー画面に溺れていた(耽溺)だろうと思うのです。ところがミラーレスの
EVFにしろモニターにしろ、ファインダーに酔いしれながら撮影をするということができません。
この違いが彼の写真を変えたのかもしれないなって、そう想像しています。
エレクトリックモニターでは徹頭徹尾、結果を計算しながら撮影をするしかない。つまり冷静にな
れているだろうということです。
ちなみに、クワトロ画像は不評だと言われています。そういうカメラというかセンサーは、ニコンの
LBキャストなんかもそうです。しかしクワトロの絵が詰まらないというのは、結局ユーザー自身が、
自分独自の使い方ができなかっただけとも言えるわけですね。
かたや彼の作風とレンズだとクワトロの欠点と言われていたものは潰されていて、それよりも長所
と言われるもの(豊かなコントラストと発色)をドーンと出してくれているわけです。これは考えて見れば
驚きであるわけで、私も今初めてクワトロの良さを認識したんですよ。
まあ私はクワトロはdpしか所持していないのでレンズを付け替えることは出来ませんが、sdクワトロ
だとそれが可能です。
(と言っても、レンスの大幅な改造が要求されますが。しかし無限遠をだす必用はなさそう)
私がsdクワトロのボディマウントをLマウントなんかに改造するサービスがあればなあ・・と言った
のは、オールドレンスやシグマとは特質が違うレンズを着ければ、クワトロ方式は再評価に値する
だろうということなんです。
つまりクワトロは良い技術だったけれども少なくとも最近のシグマレンズには合わなかった。たった
それだけのことじゃなかったかな、ということなんですね。
ミラーレスカメラカメラというのはファインダーがないので撮影に溺愛というか没頭することの出来ない
カメラだと言えます。ですから撮影していてもどこか冷静に自分を見つめているところがあります。
ミラーレスでどんどんと撮影していくと、(特にモニター見撮影や電子シャッターで撮ると特に)、多量に
撮影していくと、どこかに突破口があって、旧来の写真観をぬけ出す地点があるわけです。
先ほどレンズ板の他のメンバーは評価に値しないと書きましたが、本当はそうじゃないんです。
写真としては現れないんですけど、写真の被写体に関するこれまでの自分の考え方が変わって来て
いるんじゃないかって想像しています。
そういう自分の心境の変化のことを表現するには言葉の表現力が必用なので難しいんですけど、
実際にレンズ板の方のようにミラーレスカメラであれくらい撮れば、私は既に変わってきているって考え
ます。
そういうのは私自身の経験があるからなんですが、つまり昨年は半年写真をせずに、後半は多量に
撮影をしました。それで一時の興味で終わるだろうって考えていた溜池撮影にどっぷりと嵌まりこんで
いるんです。
私はこれをミラーレスカメラ効果だと考えています。(笑) 被写体に対しての突破口を開いたというか、
これまでとは考え方が変わってるんですね。
それはどういうことかというと、多分、光学ファインダーから離れると人間というのはしばし冷静に自分
を見つめていけるっていうところがありはしないか?ということなんです。
光学ファインダーは、それが特に優れたファインダーであると、撮影者はそのファインダーに酔って
しまって、その小さな世界が無限大にまで拡大してユーザーをも支配してしまうっていうところがあるん
じゃないですかね。
ですからね。優れた光学ファインダーのカメラを使う人は謙虚さを失って尊大になるんです。
ファインダーという実際には切手大くらいの大きさしかないのに、その世界が肥大化してきて撮影者の
脳内を侵食してしまうんでしょうね。
そんなわけなので、ファインダーというものから離れてしまうっていうのも大切かなって感じますね。
これは、自論ですが・・壁に当たり・・行き詰まった場合、液晶画面のデジカメで撮影を主にして写真を撮り続けることで突破口を開く・私が昔から実践してきた苦行ともいえる、突破方法です。
何が、かわるか・・ファインダーに酔ってシャッターを押す、自分を消し去る、酒に酔ってた脳が素面に戻ると言えばよいかも・
自分の頭の中の、イメージが先にあって、それにカメラの画像を合わせ修正してゆく、これが・できるようになります。
quaattro、Foveonが敬遠されるのは、現像処理の難しさが、主な要因だとおもいます、PhotoProも進化しています、使いやすくなってきていますが、Fujiのように簡単にきれいな発色はでません
quattroと向かい合ってみて改めて気が付いた事は
Fujiや、その他のデジカメのように、現像でなんとか見れるようにする・・この考えはFoveonには通用しませんね、
フィルムの頃を思い出し、まずは正しい適正な露光を整えてやる・これがきちんとできて、現像への門が開く、これができれば、使いやすく、撮影者の期待に応えてくれます、撮影データを大きく弄り回すようなデータでは、撮影段階で間違えています・・
これに、改めて、気が付いたしだいで・・自分ながら、情けないおもいです。