メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 30D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | 28-300mm |
焦点距離 | 39mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/25sec. |
絞り値 | F4.0 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 400 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 3504x2336 (5,792KB) |
撮影日時 | 2012-08-05 00:21:46 +0900 |
ランボルギーニ・カウンタックQVX。2012年、広島市交通科学館にて。
カウンタックQVXとは、
×第5ポジ元素を獲得して脅威の進化を遂げたネガアースの生物群。ポジ元素を回収されることで、元の(比較的)おとなしい生物に戻る。
〇1985年にル・マン24時間参戦を目指して開発された、カウンタッククワトロバルボーレをベースにした、
グループCカー、5700CC V12、最高出力650馬力以上。
非常にレアな車体であり、ランボルギーニがレース参戦を忌避していたことからも、貴重な車体と
考えられています。レース参戦は、資金難でとん挫し、活躍は残せず、コレクターズアイテム化して
しまったようですが。
ランボルギーニには、都市伝説が多数あります。
・創業者フェルッチオ(言い間違えるとやばい言葉)が、フェラーリ車のクラッチが自分が作っていた
トラクターと同じものでありながらはるかに高い値段をつけて販売
していたことに腹を立て、面会を申し
こんだが断れ、以来、フェラーリに勝つクルマを開発することにまい進した
・ランボルギーニ・イオタは4台作られた、ミウラのレーシングバージョンであった
・ランボルギーニはレース参加に消極的であり、その理由は、レース参加の資金集めのために車両を
市販していたフェラーリの姿勢に批判的だったためである
このうち、一つ目と二つ目は、漫画「サーキットの狼」でも紹介されています。ただし、一つ目は、21世紀
に入って、作者池沢氏が、フェルッチオ・ランボルギーニ氏の未亡人に直接取材した際に「面会を申し込んだ
事実はない」とはっきり否定されたそうです。ただ、ウイキペディアのフェルッチオ氏の項目では、
近い事実ががあったことが述べられており、改善点を文書で申し入れしたが、丁重に断られた、
とやりとりそのものは存在したようです。
二つ目の、ランボルギーニ・イオタの真実は、ワンオフで作られた実験車両であり、事故で全損した
ことで喪失されたことが、1970年代のうちにはっきりわかっています。また、イオタは、ミウラのレーシングバージョンで
はなく、シャーシも異なる別車両であるが、形状は似ているため、
ミウラをベースに作成されたイオタレプリカは
多数あり、その中には、イオタのスペアエンジンを積んだものもあるそうです。うんうん。
最後の、レース忌避の理由は、諸説があってはっきりしていないようです。
どだい、モータースポーツにせよ何にせよ、公表された方針が本当のものであるかどうかは疑問です。たとえば、ホンダは第二次F1参戦を打ち切る理由を「10年の区切り」と主張していましたが、それを本当のものと受け取る人は
誰もおらず、戦力の相対的な低下、バブル経済崩壊に伴う資源投下の見直しといったことが真の理由
と推定されています。
クルマ、家電製品、カメラにしても、「都市伝説」は、販売・広告戦略や、企業イメージのアップのために、
人為的に作成される可能性が高いことも、理解しておく必要があります。
新興メーカーであるランボルギーニは、フェラーリに冷たくあしらわれたことに燃えた、というエモーション
が企業イメージをプラスするものになります。また、先般紹介した、CD規格にカラヤン氏がかかわったというのも、
レコードに依存した保守的な業界を変革するのには、巨匠の名前はとてつもなく有効だということも推定
できます。
ウォークマン開発秘話にしても、井深氏、盛田氏といったSONYのトップが、柔軟な発想で現場と連絡を密にしていた、ということは企業風土そのものを広告基盤に活用できるわけですし。
しかしながら、これらは「都市伝説における陰謀史観」でもあるので、あんまり本気に思わないでくださいね、くけけけけけけ。
カウンタック、ベルリネッタ・ボクサーといったスーパーカーはその諸元においても、人為的な都市伝説と言えるもので、
それぞれ最高速度300km/h、最高出力380馬力前後を主張していましたが、せいぜい260~275km/h、300~330馬力
というものです。これでも十分夢のある数字であったことは間違いなく、芸能人がしばしば年齢を詐称するような
もの、と言えるかも。(言えるのか?)