メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS 70D |
ソフトウェア | Digital Photo Professional |
レンズ | 180mm |
焦点距離 | 180mm |
露出制御モード | マニュアル |
シャッタースピード | 1/2656sec. |
絞り値 | F3.2 |
露出補正値 | +0.0 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 200 |
ホワイトバランス | オート |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2000x3000 (2,844KB) |
撮影日時 | 2020-02-02 20:45:16 +0900 |
おはようございます。
S9000さん いろんなことに造詣が深いんですね。尊敬しちゃいます。
見返り美人。拝見したかったです(^_-)-☆
縮景園の象徴、「跨虹橋(ここうきょう)」を見つめる女性。
外国のお客様にこの橋の名称を説明するときに、「Over the Rainbow」と伝えるようにしてます。別にボランティアガイドしているわけぢやないですが(爆)
一方、本家「Over the Rainbow」は、1939年のミュージカル映画「オズの魔法使い」劇中歌で、邦題は「虹の彼方に」。
1984年の大河ドラマ「山河燃ゆ」(山崎豊子氏の「二つの祖国」の映像化)では、柏原芳恵さん演じる少女が、マンザナール収容所の中でこの曲を歌唱するシーンがあります。
収容所の人心安定のためミュージカルが企画され、ドロシー役に抜擢されたが、大規模な暴動が起こって中止され、降りしきる雨の中、少女は泣きながら一人で歌唱するという、悲しいシーンでした。
この大河ドラマは、女優陣の好演・怪演が目立ち、島田陽子さん、多岐川裕美さん、岡田奈々さんらが、原作にはない役も含め、主人公を演じた松本幸四郎さん(現、松本白鳳)を取り囲んでました。
非常に見ごたえのある作品でしたが、一般受けするところがなく、それほど評価は高くないようです。
こんばんは。コメントありがとうございます(*^^*)
いえいえ、単なるオタク気質です。自動車エンジン設計者で、東海大学教授も務めた林義正氏が、「オタクとは、評価パラメーターに適切な優先順位を付けられない人種である」という意味のことを言われてました。
だから大河ドラマを見ていても、「うわー、桐谷美玲さんは時代劇でもきれいだなー」と単純に喜んでます。ほんとは、史実との距離感、制作者の解釈、思い入れなどを読み取って楽しむのもいいのですが(笑)
林氏は、オタク全般に文句が言いたかったわけではなく、いろんな文脈からして、特定の自動車評論家を暗に批判していたように思えます。自動車評論家は自動車を評論することが仕事ぢやないので、怒ったってしかたないようにも思うところ。
「オタクとは、評価パラメーターに適切な優先順位を付けられない人種である」
なるほどー。言い得てしかりです。(^^ゞ オタクの人は乙女座に多いです。学業成績優秀。
かといって、非オタクの人が、評価パラメーターに適切な優先順位をつけているかというと、それはわかりません。
林氏は、その著書の中で、しばしば「有名自動車評論家」という表現で、自身に対して批判的な評論家に、暗に反論を試みています。一方で日産の一員として、ルマン24時間を制することができなかったことは、相当に悔しかったらしく、著書で他社エンジンを評価した際に、マツダ社について、ルマン優勝の実績に全く触れなかったという、やんちゃな面も見せてます。
写真で言えば、飲み会の都度に、写真の評価を決める尺度ないし最重要事項を論じる人々が身近にいるのですが、しばしばその論者と論説がローテーションすることがあり、聞いていて面白いものです。つまり「適切な順位を付けてしまっちゃ面白くない」ということ。
山崎豊子氏「二つの祖国」のより忠実な映像化が、2019年3月のTBSスペシャルドラマです。ここでは、主人公を小栗旬さん、ヒロインを多部未華子さんが演じていますが、大河ドラマの配役、松本幸四郎さん、島田陽子さんに勝るとも劣らぬ演技力を発揮しており、ドラマとしての質は非常に高い。
しかしながら、このドラマの結末は決して明るくないため、隣で見ていた息子がいぶかしみまして、どうしてこのドラマをオンデマンドで見るのか?と尋ねてきました。
母方の先祖がこのドラマの登場人物と同様な境遇にあったからだ、と答えると、少し思うところがあったようです。
TBS社がこの小説を映像化する意図はどこにあったのだろう、と思いますが、この小説に対して、現地日系人社会は非常に厳しい目を向けていたようで、日本人によるこのテーマの掘り下げは難しいものではないかと思うところです。
小栗旬主演「二つの祖国」
https://www.cinematoday.jp/news/N0107601
テレビは殆ど見ないのでよく分かりませんがそういう番組があるんですか。まあ今時は無難な話題と
いうか、なんというか。単なるテレビドラマのような気がします。(^^ゞ
山崎豊子と言えば、白い巨塔、華麗なる一族、沈まぬ太陽( 日本航空をモデル)、大地の子( 中国残留
孤児・・・これは遠藤誉の卡子【チャーズ】からの盗用騒ぎがあったやつですね)、などなどが有名ですね。
チャーズは昔読んだかも?もう忘れましたが、中国の紅軍が満州の長春を包囲して餓死者を出して
大変な被害を出したという歴史だったような記憶があります。これを今現にやっているのが武漢ですね。
まあ過去の歴史を娯楽の歴史趣味として無味無臭にすれば一般的には受けます。大河ドラマと変わ
らんような気がしますが。たいして意味はないんではないですか?
TBSと書いてきましたが、間違いで、テレビ東京でした。テレ東「二つの祖国」は、興業的意図としては、ネームバリューの高い山崎豊子氏作品として話題性が期待でき、かつ、ここ20年以内に映像化されていない、やや忘れられた作品で新味があること、また特定の企業からのクレームも心配なく、安全性が買われたものと思います。
同じ原作による大河ドラマ「山河燃ゆ」も、はや40近く前の1984年の作品であり、当時の制作関係者で現役の人は少なく、大河ドラマを意識した要素は薄いと思いますが、亡くなった山崎豊子氏は大河ドラマに大いに不満を持っていたそうで、その意をくんだ山崎豊子著作権管理法人は、原作に忠実なシナリオを要求したかもしれません。
1980年前後は、日本人のアメリカ移住が始まってから100年が経過する節目にあたっており、小説、映像などで日系アメリカ人を描く「日系ブーム」が発生した時期だそうです。そして、1988年にレーガン大統領が、第二次大戦中の、人種差別に基づく日系人強制収容の事実の謝罪と一人につき2万ドルの補償をおこなうことを決定してから30年の節目を意識していたのかもしれない。
最後まで見たところ、テレ東「二つの祖国」は、NHK「山河燃ゆ」に比べ、原作にない舞台設定は皆無で、ドラマによく見られる、登場人物の整理省略が多少ある他は、劇中のセリフも、原作小説のものに近似していました。
NHK大河もできの悪い作品ではないが、全体に脚本のよしあしより、俳優陣の実力によって成立した作品のように思えます。特に主演の松本幸四郎氏は、日系二世の英語発音を再現することを意識し、それが考証に加えられていたはず。それができたのは、1984年当時は、作中の主人公と同世代の日系二世が豊富に存命していた時代だから、という時代背景もあるし、また大河では、登場人物が解読する米軍の通信に二世英語が混じることが、ドラマの展開上重要な位置づけにありました。ここは原作に忠実)
テレ東ドラマでは、そうした要素は薄れている一方、劇中の人物が興奮すると米語の会話に移行するという点は、実態に近いのではないかと思われます。英会話、英語表現の考証には日系アメリカ人で日系社会の研究者が参加している様子。NHK大河では、初期に登場人物に「我々二世はどちらかというと米語で話すほうが楽だ」と言わせる一方、劇中ではそうした描写はその後あまり見られませんでした。
山崎豊子氏には、いくつかの盗作疑惑がありましたが、「二つの祖国/山河燃ゆ」に5年先行する、日系アメリカ人のドラマ「あめりか物語」(NHK1979年、山田太一作品、原作はなく、永井荷風の同名小説とは別物、脚本が書籍化されている)から多少の影響は受けているかもしれません。そのドラマ放映当時、山崎氏はすでに着想して取材活動を開始していると思われるので、山田氏側と取材対象がかぶって、同様なエピソードが作品に入り込んでいるのはやむをえないですが、いずれの物語もNHKドラマとしては、NHKの意向が色濃く感じられるところです。うんうん。
なお、映像表現に触れておくと、「山河燃ゆ」は、全体にローキー調の表現で、全体が東京裁判の薄暗いモニター席に座る主人公の回想(であると思わせる)表現で進行し、「閃光」の表現が随所に見られ、例えば原爆の炸裂、終盤に主人公が見る幻覚などで、光は希望ではなく悲劇と絶望を象徴するものとして扱われているのが印象的でした。テレ東「二つの祖国」も全体に色彩は抑え気味で、収容所、病室、東京裁判法廷など、暗めのセットが多い。
冒頭の、砂漠でのリンチシーンは逆にもっと陽射しが強くなければ描写としておかしいように思うし、また10月の広島で息が白くなる描写も不自然で、これは撮影スケジュールとロケ地の問題と思われます。
一方で、壊滅した広島市街地のCG再現は、完全ではないにせよ、昭和20年当時に存在した福島川を描写しており、ある程度、正確に考証されたものと感じました。
ところで、小説も大河ドラマとも「二つの祖国」は、1980年代のアメリカ日系人社会ではウケがたいへん悪く、理由は「二世以降の日系人にとって祖国はアメリカであり日本に傾く二世の描写は、日本人を満足させるにすぎず、日系人のアメリカでの立場を悪くする」との考えからだそうです。歴史的事象をもとにした小説であり、主な読者が日本人であることから、無理からぬことですが、この小説を巡っての論争や考証が発生すること自体、この小説が効果的であることを示していると言えるでしょう。
あっ、長い。飛ばし見をしてもどうということはなく、そもそも私は山崎豊子に関心がありません。
テレビにも無関心だし。
ちょっと時間が出来たので読んでおりますが、なかなかの力作文です。こういうどちらかと言えば硬派
の文も書けるということでSさんの本来の隠れた力量が伺えるところがあります。
ついつい掲示板の文章というのは、誰にでも分かるように面白おかしく書かなければならないという
サービス精神が働いてしまうものなんてすが、本当はそんなもの顧慮すべきではないのではないかと
私は考えています。
そもそも文章というものは直球で行くべきものなんです。英文も中文もそうでして、何故か日本文だ
けが妙に捻れているところがあって、それが返って諸外国の誤解を生んでしまうところがあるようです。
読めない人間は読むな。読める人間だけが読めばいいのです。と常々、私は思っています。
山崎豊子は日本のかつての戦争、その歴史をもういちど掘り下げて考えてみよう、というスタンスが
その根幹にあるような気がします。それを読者と一緒になって自らも試行錯誤しなから何度もなんども
思い起こして考えに考えてみようじゃないかっていう、そういう雰囲気が伝わってくるかのようです。
NHKはこの山崎豊子の作品をよく題材として取り上げているようですね。
私はテレビも見ないし山崎豊子の作品も読んだかもしれないという程度なんですが、戦争の歴史を
忘れないでいこうと言うその基本の考え方は大変評価できるものだと思っています。
戦争というのは必ず起きるものです。平和というものは戦争と戦争の間に訪れる比較的穏やかな期間
であるという言い方もできるわけですね。本来は戦争と平和はミックスで捉えるべきものなので、どちら
かをひとつだけ選ぶということができません。
必ず起きるものであるならば可能な限り被害を最小限にする努力をする、というのが正常な思考法と
いうことになります。たとえば地震はかならずやってきます。それを避けることはできませんね。しかし
防災に務めることでその被害を少なくすることは可能です。そういう捉え方をすべきものなのであって
何がなんでもセンソウハンターイでは思考停止になって被害を増大させるだけなのです。
日本人はこの島国に居る限り、大規模な戦争にあった(起こした)ことがありません。ただし半島や大陸
に進出したような歴史があれば、それは例外となって、この前の戦争のように大きな被害をもたらすこ
とになるわけです。ではなぜ、この島国に閉じ込まらずに半島や大陸に行ってしまう歴史があるのかと
言いますと、それはそれに先立って外国からの文明の伝搬(それは攻撃に晒されることでもある)という
ものがあったからですね。
それは言わば文明の活性化とも捉えることができます。そうやって文明は進むものだとしか言いようが
ないものなのですが、戦争が現実として大きな被害をもたらすものてあるわけで、その悲惨さを繰り返
さない為にも、かつての戦争の歴史というものの研究とその成果の一般的流布は常時行っていなけれ
ばなりません。それが上手くできているかとうかはまた別問題になるのですがその努力を怠ってはなり
ませんね。
先の大戦は、日米というこの両国が大いに勃興してお互いに戦ったわけですが具体的に言えば中国
大陸をこの両国が取り合ったことに大本の原因があります。膨大な人口抱える大陸を経済市場として
また政治軍事的な権益として取り合ったということなのではないですか。日本はそれに負けました。
それはそれでよいのですが、その後の歴史的な動向をみておりますと、米国もまた中国大陸を自分の
意のままにすることに失敗をしております。それが現在の米中貿易戦争ということですし、これから起
きるであろう軍事衝突でもあるわけです。
そのように考えてみますと戦争の歴史というものは途中に平和を挟みながらも断絶しつつ実は継続し
ているものなんですね。だからこそ先の大戦の歴史というものをよくよく考え、それを現在の政策に生
かさなければなりません。歴史というものは歴史趣味で満足すべきものではないんですね。また歴史
は地理と深く結びついております。それを地政学というのですが日本はこの考えが劣っているところが
あって残念なんですが最近は割りと浸透してきたみたいです。
とにかく戦争というのは天災の災害と同じようなメカニズムで起きるものなのです。これらを別に考え
てはいけません。東南海トラフ大地震は必ずやってきますがそれと同じように、大きな戦争も起きる
ものだということです。戦争は人間が起こすものだから戦争反対を唱えていれば起きないというのは
大きな間違いです。それから戦争で大きな被害をもたらすのは政府や国民が損得思考を捨てたとき
です。どこまでも理性的な思考を続けていれば戦争の被害を最小限にすることができますから。
以上、簡単になりましたが戦争の歴史というものはだいたいこんな感じで来ているというお話をしまし
た。短文過ぎて詰まらないというご指摘もあろうかと思いますが、私は啓蒙家ではありませんので。
漫画、アルキメデスの大戦が参考になろうかと。
こんばんは。コメントありがとうございます(*^^*)
コメント9と10はどちらもkusanagiさんですか?えらい温度差がありますね。まあ、そこは置いて。
私のコメント8は、ちょっとドラマの描写、再現、原作の改変等の
技術論に偏ったオハナシですが、読んでいただいたことは感謝です。
戦後40年の節目を前に、山崎豊子作品を大河に持ってきたのは、NHKにも期するところがあったのでしょう。原作にはない、日米開戦前後の日本の様子(東郷外相の開戦回避、早期停戦工作等。原作では東郷外相は東京裁判での自己保身しか描かれていない)、満州や上海での日本側の各種工作等を挿話したあたり、原作の忠実度という点では外れていますが、山崎氏の著作全般に流れる意図からすると外れていないように思います。
山崎氏は作者の本能として、原作の改変に不快感を持ったようですが、それ以上に「二つの祖国」というタイトルを回避されたことに怒りを感じたようですが、このタイトルこそが日系社会の反発が集中した部分なのでどうしようもありません。米日系社会は戦争で翻弄された立場であり、戦争とその弊害、特にどこにしわ寄せがいくのかということのモデル考察として、日系社会研究は好材料と思われ、橋田寿賀子氏はブラジル移民に対象を移して同時代のドラマ脚本を執筆してます。
人の世に戦争は絶えぬもの、という考えは、その前年の大河ドラマ「徳川家康」で、論者3人(伊達政宗、松平忠輝、真田幸村)に代弁させ、平和希求を主張する家康とぶつけ、家康側の完全勝利ではない形を演出することで、暗に肯定する面が見られました。人は根本的に争う生き物であり、調和だけではドラマが成立しないことからもそれは正しいと思うところです。かといって、近年の戦争は被害が半端ないレベルにあるので、適切な争い方というのも重要で、漫画、映画、ドラマにおいてもその描写は重要です。