風さそふ 花よりもなほ 我はまた
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 70D
ソフトウェア Digital Photo Professional
レンズ 135mm F1.8 DG HSM | Art 017
焦点距離 135mm
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/2048sec.
絞り値 F2.8
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス オート
フラッシュ なし
サイズ 2000x3000 (3,116KB)
撮影日時 2020-04-25 23:23:35 +0900

1   S9000   2020/4/25 20:57

 「風さそふ 花よりもなほ 我はまた 春の名残を いかにとかせん」

 浅野内匠頭長矩が殿中刃傷の罪で切腹したのは元禄14年3月14日で、旧暦を新暦に直すと1701年4月21日とのこと。この内匠頭長矩の辞世とされるこれは後世の創作と言われることも多く、肉筆のものが残っていない、すでに花はこのとき散っていたはずと指摘されているようです。
 大河ドラマ等のフィクションではたいていこの辞世は採用されています。1982年の「峠の群像」では、内匠頭長矩の切腹場面は4月18日の第15回放送「内匠頭切腹」(そのまんま)で描かれており、実際に事件が起こった日に近い時期の放送でした。
 仇討ちを果たした大石内蔵助の切腹シーンは12月19日放送「伝説のはじまり」(最終回)で描かれており、その辞世も紹介されています。
 「あら楽し 思ひは晴るる 身は捨つる 浮世の月に かかる雲なし」
(実際には内蔵助が切腹の場へ赴き正座するシーンで画面がホワイトアウトして大石家の家紋に変移する)

 一方、こちらも実際には辞世でなく、討ち入り後に吉良上野介の首級を内匠頭が眠る泉岳寺に持参した際のもので、本当の辞世は次のものだとも言われています。
 「極楽の 道はひとすぢ 君ともに 阿弥陀をそへて 四十八人」

 これが本当に大石による辞世であれば、「阿弥陀をそへて四十八人」つまり、討ち入り後の逃亡あるいは討ち入りに参加しなかったともいわれている寺坂吉右衛門を、ちゃんと「四十七士」にカウントしているとも考えられます。
 以上の情報、大半はwikipediaから。
 次第に「忠臣蔵」は人々の気持ちから遠ざかっているようで、今後は大河ドラマになることもないのかもしれないと思うところです。

2   コウタロウ   2020/4/25 21:42

S9000さん こんばんは
青天に花弁一枚、忠臣蔵がでてこなくても
十分楽しめる一枚ですが
「風さそふ~・・・
で更に訴求力が増してきますね~^^

3   S9000   2020/4/26 10:03

 ありがとうございます(#^.^#)
 空に舞う花びらは、普通は追いかけるのがたいへんなくらい吹っ飛んで行ってしまうのですが、この一枚は谷から吹き上げる微妙な上昇気流に翻弄されて、しばらくの間、私の頭上にゆったり浮遊していたので、なんとか2枚ほど、ピント許容範囲内で撮影することができました。
 で、持ち帰ってPCで見ていて、「風さそふ」を思い出しました。
 当時の旧暦と、現在の暦が合っていないことは、大河ドラマ放映時に「赤穂浪士の討ち入り時に大雪だったのは、現在の暦では12月15日未明は1月31日に相当するから」という解説を見たことで記憶していました。ただし、最近は12月にも雪が降ることがけっこうありますねえ。
 

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