Dodge Challenger R/T
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS 7D Mark II
ソフトウェア DxO PhotoLab 4.1.1
レンズ 17-50mm
焦点距離 21mm
露出制御モード マニュアル
シャッタースピード 1/512sec.
絞り値 F5.0
露出補正値 +0.0
測光モード 分割測光
ISO感度 100
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (1,152KB)
撮影日時 2016-05-29 22:58:54 +0900

1   Kaz   2021/3/20 04:59

5年前のカーショーで撮ったダッジ・チャレンジャー。
数日前に公開50周年を迎えた「バニシング・ポイント」では
主人公のお株を奪っての人気車となってました。

2   yama   2021/3/20 09:04

おはようございます。
ネットで中古車を見ると、2009年式で排気量5700CCが300万以上で、今でも人気があるようです。
アメリカの大型乗用車に日本は勝てませんね。

3     2021/3/20 11:12

バニシングポイント、懐かしいですね。
ラストでの、あの場面が、まさにバニシングポイント。
ただただ興奮したものです。
私は、カマロに憧れました。
買えませんでしたが、、、


4   一耕人   2021/3/20 13:40

こんにちは
緑の車体がカッコいいですね(^_-)-☆
お金があるなら乗ってみたいものですね。

5   Kaz   2021/3/20 14:21

yama さん、
50年前の1970年型のチャレンジャーは買おうとすると
今どきの新車よりも高く、4~5万ドルから上は
十数万ドルの値が付いています。
たまに、近場のカーショーでオーナーが売りに出してる
値段はもっと安いので、衝動買いしそうで恐いです。

森さん、
ラストは文字通りの衝撃的エンディングでしたね。
あのラストシーンのロケ地は当時もそうでしたが、
今はもうほとんど面影が無い状態です。
https://youtu.be/xZ1pnJfoubY
https://goo.gl/maps/Lx6AQAdvSkMegSBJ7
監督と主役のバリーニューマン、その他の関係者の
こぼれ話はこちらです。
https://youtu.be/GqLQLPt0yp4

大学時代は映画のクラブにも所属しており、クラブの
資金稼ぎに年に数回、映画配給会社から35㎜映画フィルムを
借り出して来て、学内の劇場で上映していた中に
バニシングポイントがありました。
数多く上映した中でこの映画を鮮明に覚えているのは、
映画の最後のシーンでブルドーザーに激突した瞬間、
映写機が突然停止し、映写機の光源の熱によって
フイルムの中心部からメラメラと燃え広がったのです。
観客の学生たちはあまりのタイミングの良さに、それが
映写の事故とは全く気付かずに、衝撃のラストだと
信じて疑わなかった模様です。(笑)

一耕人さん、
死ぬまでに買いたい車はこれかスティングレー。
夢で終わるのかなあ...

6   F.344   2021/3/20 14:32

恰好が良い車は何時までたってもそのままですね
どことなく日本の車にもデザインが影響されたような・・・?
カーショーでこの車に人が集まればオーナーさんはご満悦のことでしょう
車の本場の光景ですね

7   masa   2021/3/20 15:26

映画バニシング・ポイントが制作されたのはたしか1971年。1972年に就職して私が生まれて初めての外国それもアメリカに出張したのが1974年。
地平線まで続くフリーウエィをデカいアメ車がブンブン疾走しているのを見て、警察はこんなところをブルドーザーで塞いでバリー・ニューマンを止めようとしたのかと、ある種の戦慄を覚えたものでした。

私たちがチャタヌガの空港で借りたレンタカーは、フォード・フェアモントでした。

8     2021/3/20 15:31

Kazさん、
詳しい話をありがとうございます。
この映画は今でも鮮烈な記憶として残っております。
たぶんこの映画の事を知っている方はこちらでは
居ないかもしれません。

スティングレーがあこがれですか。良いですね。
私もアメ車は大好きです。
特にマッスルカーはほれぼれします。

これの返信は不要です。

9   Kaz   2021/3/22 13:18

F.344 さん、
毎年、春から秋にかけてはカーショーの季節。
探せば毎週どこかの町でやってる感じで、ドライブ途中で
偶然見つけたカーショーを見たりしています。
こういった車の持ち主さんは自分が精魂込めてレストアし、
丹念に磨き上げた自分の車の真価を認めてくれる人には
とても丁寧に説明をしてくれます。

masa さん、
70年代後半に研修中のデンバーからロスアンジェルスまで
会社のフェアモントを運ぶよう指示され突っ走りました。
デンバーを出たすぐの所には「バニシング・ポイント」で
見掛けたような川沿いの道があったり、ユタ、アリゾナは
言われる通りの地平線まで延々と何十キロも続く一本道。
周囲には砂漠とサボテンしかない景色の連続でした。
今もあまり変わってないと思います。

森さん、
でわ、返信は別の形で。😊

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