森の神社
Exif情報
メーカー名 OLYMPUS IMAGING CORP.
機種名 E-M1
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 14mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/50sec.
絞り値 F3.5
露出補正値 -0.7
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 4608x3456 (13.8MB)
撮影日時 2014-03-05 23:33:28 +0900

1   kusanagi   2021/9/23 11:45

私の場合、特別にフォーサーズが好きというのではなくて、オリンパスカメラで且つパナソニックセンサー
を搭載したカメラが好きなんだろうと考えてます。
E-M1は1600万画素のパナ製センサーを搭載していて、後継のE-M1マークⅡやⅢ、MXはソニー製の
センサーなんですね。E-M5やE-M5マークⅡもソニー製です。パナソニックはイメージセンサーの製造
から撤退したと思うので、1600万画素のセンサーが最後になったようです。
そんなわけなのでE-M1から以降にはあまり関心がないんです。もちろんパナソニックのカメラという手も
あるんですが、出てくる絵としてはパナよりもオリンパスが好きです。

そういう個人の好みの問題ですけど好みゆえに単純に、こだわりというものが出てきます。(^^ゞ 
E-M1に着けて撮る場合、自分の手持ちのレンズでは、このオリンパス14-35f2がもっとも気に入ってい
ます。このレンズはデジイチ用の古いレンズでして、ミラーレス用のマイクロフォーサーズ用のレンズでは
ありません。それでイマイチ使い難いところがありますが、静止風景しか撮らない私の場合では問題が
ないです。

このレンズとパナソニックセンサーとオリンパスエンジンの組み合わせが最高と思っていて、その抜きん
出た透明感(抜けの良さ)と発色が気に入っています。
私の場合の撮影とは、事物という被写体の撮影をするというよりも、その場の空間と言いますか、空気感
を写しとめたいという気分があるんです。空気感という言い方はあまり好きではないんですが良く使われ
ますね。つまり事物と事物との間の空間の意味というのがあって、その中にこの自分も存在しているわけ
ですが、なぜ此処にこのようなものがあるのだろう?とか、どうして今ここに自分が居るのだろうか、という
ような問いかけを常にしていきたいと考えているからです。

神社はよく撮ります。鎮守の森が好きですし、溜池の撮影をしていけば必ず神社が付随しているわけです
し里村には神社は当然のものだからです。この神社というのは点々と建物や石造物が配置されている
わけですけど、その本質は空間だろうと考えているのです。もとあった自然林を伐採してそこに空間を作
る。無論、自然の森の存続も大事で本質的な意味があるんですけど、この森と新しく創出された神社空間
というものはセットになっていると考えています。そして建物等の事物が極めて直線的な配置になってい
るのも面白いです。

神社仏閣というのは村の公共の空間でして、よそ者でも自由に入ることができます。これは本質的なもの
でして、そこに宗教的なものがあるのは間違いがないです。都会の市場やマーケットや何とかタウンなど
も自由空間ですが、この市場(しじょう)やレリジョン(宗教)は元は同じものかも知れませんね。
何人をも拒まないという、そういう空間です。道や広場もそうです。この開かれた空間というものが、写真
の撮影には最も向くといいますか、私はそういう場や空間を撮影の対象にしているというわけです。

文明が発達し所有権というものが芽生えて、例えば田畑というものもそうです。そういう囲い込みが出来
たわけですけど、本来の自然というものはそうではなくて誰でも自由に利用できたわけです。同時に自然
の脅威というものも平等でしたが。オオカミやトラに襲われるとかですね。
写真を撮影するという行為は、そういう文明が発達する以前の狩猟採集の時代の雰囲気を残していると
私は考えているのですが、そうだからこそ、自由に撮影できる空間と場というのは深い意味があるのだろ
うと思ってます。

神社というのは文明発生後に、人々か意識的に残した自由な空間だろうと思いますし、当然に自然の
樹木や岩石や川も保存しております。そして自然発生的な宗教観もそこにあるんだろうということです。
かつての大自然がミニチュアとして凝縮して保存されているのです。
田畑というものが時代と共に発達して、より高度な生産性を持つ都会とか工場とかに変わったとしても、
神社だけが永遠にそこに存在する。その意義に思いを馳せるのは面白いですね。
とにかく何やかやと言いながらも、神社の空間に足を向ける自分がいます。建物の周囲は自然林ですの
で建築物の傷みは激しいですし、狛犬なんかも遠慮なく苔むしたりカビが生えたりします。しかしそれで
も昔から人々はそういう神社の在り方を変えようとはしませんでした。国家的な神社仏閣は長期の保存を
考えていますが、村にある神社などは自然と一体になっている感覚が濃厚に漂います。

溜池とか広大な田地を造成すれば、当然に大規模な自然破壊を伴うわけでずか、そこに付随して神社
を設ける。鎮守の森として自然を残していく。そしてそこに誰もが入ることができる。そういう文明のやり方
をこの国の人々はやってきたわけです。これからも永遠にそういうものは続いていくのでしょう。

パナソニックのセンサーは、これは極めて日本的なセンサーではなかったかと思っています。オリンパス
はそのパナセンサー以前はコダックのCCDセンサーを使っていました。米国メーカーですね。シグマにし
てもそのセンサーは米国製です。日本製というのは無論ソニーやキヤノンもそうですが、これらはメジャー
メーカーですので日本的というよりも国際的です。
そういうことではパナセンサーはマイナーであって実に日本的だったような気がしていますね。それでこれ
らも大事に使って行きたいかなって思ってます。

フルサイズのカメラと比べれば、フォーサーズのカメラは慎ましやかです。センサー密度が高いので細や
かな描写とならざるを得ません。パワーで押していくカメラではないですね。広大な大自然を撮るには向
かないように思いますしね。
日本的だ、ということではもうひとつ日本的だなって感じるのはペンタックスやリコーです。
メジャーメーカーのキヤノン、ソニー、ニコンとは違うメーカーは、なぜか日本的なイメージがしてくるのは
私だけかも知れませんが、大事にしたいメーカーですね。

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