無題
Exif情報
メーカー名 OLYMPUS IMAGING CORP.
機種名 E-5
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 16mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/500sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 3460x2872 (4.79MB)
撮影日時 2010-01-01 22:32:25 +0900

1   kusanagi   2021/11/13 22:18

狛犬・獅子から獅子舞へと眼が移っていったのですが、もちろん無関係ではなく大いに関係があるもの
です。祭りは神社で行われるものであり、その神社に鎮座するのが獅子であるからです。
今回の撮影は本来の神社の祭りではなく、獅子舞保存会の方々が特別に栗林公園で演舞された時の
写真です。そういうことでは都市型のイベント祭りにも積極的に参加されているわけですね。

2020年から2021年はコロナウイルスということで、マスコミや政府や国際機関が国民や人々の楽しみや
自由な活動を取り上げたということで、記憶すべき特異な時代だったろうと思ってます。それらは非常に
狡猾に行われて自由な経済活動が制限されただけでなく、国民の健康という点からも事実上のワクチン
接種の強制によって人々は多くの命の負債を負いました。
現時点ではウイルスは消滅しつつあるわけですが、それはウイルスの側の事情による自然消滅なので
あって、人為とは無関係です。そもそも最初からこうなるだろうと分かっていたわけですが、時代というの
は時にマイナスの方向に行くものなのです。占星術的には土星と冥王星の山羊座における会合でした。

しかしこういう不本意なことが行われたとしても多くの人々、国民や人民は総体としてはびくともしないわ
けで、そろそろ本来の人々の姿が垣間見えてきたというわけです。東日本大震災がそうだったように、
今回もまずは祭りの復活によって人々の本来のエネルギーというものは発揮されるようです。
天災と戦争は時に同じものであり、その両者を厳密に分けることは難しいです。むしろ大本は天災の発生
が主因になっています。今回の政府等の対応は一種の国民総力戦における戦争状態なのであって、無
論、大本はウイルスの発生です。よく中国政府が意図的にウイルスを発生させたとの説がありますか、
たとえそうであっても天災という天の機運がなければウイルスは流行しないものです。

そのようなことは歴史上の全ての戦争に言えることであって、人為がなせることは天災の災害をより大き
くすることだけです。それが戦争という時代なんですね。その戦争によって多くの命が失われることが目的
と言えば目的のようなものです。それは天災の延長としての人為的な増幅機構というわけです。これは
文明の本質であるわけで、これを避けて通ることは極めて難しいです。
しかし逆に世の中が良ければ、天災がなく平穏であれば、文明はその増幅システムによって巨大な繁栄
を手にすることができます。我々はこの増幅器とも言える文明の中に住んでいるのであって、戦争という
人為なる災害をさけることが難しいです。それで文明が非常に高度になり、そのレバッジが効き過ぎて
限度を超えるようになったとき、人類は終焉を迎えます。これは過去の地球上生物の全てにも言えたこと
なので結果は明らかです。

この世界は結果を得ることが目的ではなく、その過程こそが大事なのであって、そこに生命の生きる本質
のようなものがあります。そういうひとつの抽出された結晶のようなものが祭りでしょうか。
祭りとは庶民のささやかな楽しみであって、この世界をダイナミックに動かしている文明の原動力とは違
いますが、人がどのように生きたかという過程の立派な証しではあるわけです。これを賢人が忘れないで
いると人類の終焉は先延ばしされるというものです。(^^ゞ 



この2年ほどで写真趣味の動向は以前とは変るだろうという予測をしましたが、ここに到ってこの掲示板も
大分様相が変ってきましたね。表面的な密な交流ではなくて、マイペースな投稿が目だつようになってき
ました。これは面白い現象です。
掲示板もあまり濃密にしすぎると投稿者の主体性が失われることになりかねず、むしろ距離を置いた状態
が本来の掲示板らしいのかなと思います。そして手持ちの機材を更新しなくなったのも特徴ですね。いま
所持している機材で十分だと皆さん気がついたのでしょう。
デジタル光学一眼からミラーレスにも、さほど急激には移行していません。旧来の光学式を使っている人
は多いです。考えてみますと、こういう機材方式の移り変わりの時期というものが一番面白い時代なわけ
でしてね。街でもそうですが、古い村の農村社会から、経済が発展して新しい都市型住宅ができていた頃
というのは、日本各地でも活発でして特に子ども達にはたまらなく面白い環境が提供されていました。

デジタルカメラの最終的な姿はやはりミラーレスカメラでしょう。そしてフィルムカメラの姿というものは光学
式カメラであったわけです。そしてその時代の変わり目の中間の姿というものが、デジタル一眼レフだった
という気がしています。現在ではそのデジイチとミラーレスが混在しているような時で、二重に面白い時代
だと感じています。
しかしやがてカメラはミラーレスが殆どになり、デジイチは今のフィルムカメラと同様な立場になるはずで
す。しかし時代はそう急激には変わっていかないでしょう。積極的にデジイチを推進するペンタックスのよ
うなメーカーも出でいます。そして全てをデジタル化、即ちスクリーン化するのを良しとしない人々も多数
おられるわけでしてね。例えばフジのインスタントカメラが売れているというのも人々は紙で見る写真を見
捨てていないというわけです。

ともあれ掲示板を見ていると、時代が少しずつ変ってきているのが分かります。
すこし前にも書きましたが、写真とは、テーマ、歩き、機材、画像処理の4つがあると思ってます。この4つ
の方向を正しくというか適切にやっていけば、写真趣味というのはきっと長続きするものだと私は考えて
います。今もこの掲示板で投稿をなされている人は、そういうセオリーに則っておられるような気がしてい
ます。

一番難しいのは「テーマ」でしょうか。自分の得たいとするところの方向。こういうものの写真を撮っていけ
ば納得できるという落しどころのようなもの。最初に自分の関心事があり、それを無理なく写真として
記録・表現できるというテクニックのようなもの。他人に惑わされずマイペースでやっていけるのがコツで
すかね。
「歩き」、というのは絶対になくしては成り立たないのが写真行為でしょうね。ここが疎かになると写真は
終焉を迎えます。写真は際立って個人的な行為なので、動く、歩くということがなければ成立できません。
また歩きにはカメラを持つことが前提となります。カメラは獲物を狩る得物なのであり、手に持つ得物がな
ければ狩猟が成り立ちませんから。
「機材」というのはその得物の性質を言います。ここでは過ぎたるものは自らをスポイルすると言いましょ
うか。久しぶりにカメラ屋を覗きますとフジの中判カメラが展示されていました。1億画素のカメラです。
今の私には、いやこれからも私には使えるカメラではありません。値段もそうですけど、その高性能なカメ
ラを使う能力が私にはありませんから。でもそういうカメラを使いこなす人も当然いるわけでして、そういう
人が使うカメラなんでしょう。とにかく自分の身の丈にあったカメラや機材を使うべしということです。
「画像処理」に夢中になる人はいます。そういう適正がある人ですね。モニターのスクリーン画像があまり
苦にならない人でしょうか。私はこれが苦手なので基本的に画像処理は避けたいタイプです。シグマの
カメラはとても良いカメラですが、基本的な画像処理というか、ただの閲覧ですら時間が掛かりすぎ、それ
でモニターを見るのが苦痛な私としては最近はシグマから遠ざかっています。しかし初期型の画素数の
低いシグマは処理がスムーズなので今後も使って行きたいと考えてます。メリルもクワトロもPCが高速に
なれば復活できると思います。ともあれ一般的に申して画像処理はあまりしないほうが写真ライフとして
は長生きできそうです。

ここら辺りの結論は何も私が考えたのではなくて、皆さんの動向をみながら観察してそれを私が言葉にし
ただけであるのです。これから皆さんが変れば私の考えも変ってくるでしょうね。
この4つの原則というもので、そのうち3つを完全に制覇すれば残りのひとつは自然に正しく行われるとい
う気がしています。
私が長らく問題とした高画素高画質カメラというものは、それを使っていこうと思えば、残りの3つは完全に
履行する必要があるということでしょう。その場合にもっとも大事なのは、自分の写真のテーマを忘れない
でおくということだと思っています。これは強い意志が求められますし、それを支える知恵というものが要
ります。そして知識というものも。

今回の獅子舞祭りの撮影は、私の常日頃のテーマとは違っています。それで撮影に行くべきかどうか、
迷いました。いつもと撮影対象が全然違いますね。人々をそのまま撮っています。撮影の仕方が違いま
す。動体の連写撮影ですから。いくらオリンパスが低電磁波カメラだとは言え、相当に被爆したと思いま
す。歩きは出来ていません。狭い範囲での撮影でしたから。
それで自分のテーマを曲げての撮影だったというわけです。しかしながら獅子舞祭りには東日本大震災
の跡地を旅した折の強い記憶があって、それでどうしても見たかったし撮影をしたかったんですね。
今回は自分の写真作法を逸脱したものでしたが、撮ってよかったねと思ってます。

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