1 masa 2022/5/1 12:46 旧渋民村から見た岩手山です。カミさんと義母(99歳)の面会に行った時撮りました。渋民村は、昭和29年に玉山村と合併し、さらに平成18年に盛岡市に統合されています。岩手山は大正期の水蒸気爆発以来、小康状態ですが、明治の歌人石川啄木もこんな景色を見て育ったのかなあ・・・
旧渋民村から見た岩手山です。カミさんと義母(99歳)の面会に行った時撮りました。渋民村は、昭和29年に玉山村と合併し、さらに平成18年に盛岡市に統合されています。岩手山は大正期の水蒸気爆発以来、小康状態ですが、明治の歌人石川啄木もこんな景色を見て育ったのかなあ・・・
2 S9000 2022/5/2 07:49 おはようございます。美しい農村風景に癒されます。 軽トラが余裕で通れ、耕地との段差が少ない農道がうらやましいです。私の実家は、協調性というものが死語である地域にありまして、今でも軽トラが入れない農道が残っており、苦労します。 エンジン付き一輪車なども使うのですが、操作性に難があり、軽トラにはかないません・・
おはようございます。美しい農村風景に癒されます。 軽トラが余裕で通れ、耕地との段差が少ない農道がうらやましいです。私の実家は、協調性というものが死語である地域にありまして、今でも軽トラが入れない農道が残っており、苦労します。 エンジン付き一輪車なども使うのですが、操作性に難があり、軽トラにはかないません・・
3 masa 2022/5/2 18:42 S9000 さん、どーもです。農道の描写にインパクトがあったのか、予想外の感想コメントを頂きました。ここの田圃は、その整った形状、仰るように使いやすそうな農道、に見る如く、かなり大規模な耕地整理がなされたようです。啄木が見た明治期の水田は、小さく細かく分かれて形状の統一されない、田舎の田んぼだったんでしょうね。
S9000 さん、どーもです。農道の描写にインパクトがあったのか、予想外の感想コメントを頂きました。ここの田圃は、その整った形状、仰るように使いやすそうな農道、に見る如く、かなり大規模な耕地整理がなされたようです。啄木が見た明治期の水田は、小さく細かく分かれて形状の統一されない、田舎の田んぼだったんでしょうね。
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