無題2
Exif情報
メーカー名 Canon
機種名 EOS-1Ds Mark III
ソフトウェア Capture One 8 Windows
レンズ
焦点距離 24mm
露出制御モード ノーマルプログラム
シャッタースピード 1/166sec.
絞り値 F8.0
露出補正値 -0.3
測光モード 分割測光
ISO感度 200
ホワイトバランス
フラッシュ なし
サイズ 2048x1365 (2.26MB)
撮影日時 2022-05-06 00:38:40 +0900

1   kusanagi   2022/5/14 11:48

前回のコメントの続きとなります。
裏街道さんが、自分は写真画像を練って楽しむのが好きであって・・・と言いますのは、これは謙遜で
申されているわけでして本当は、自分の写真は単なる記録撮影ではなくて創造としての生みの写真、
作品活動としてやっているのであって・・・と、いうことになるでしょう。

そういう風に考えると、写真には2つの方向と言いますか二面性があって、ひとつは芸術的出的な創造
性と、もうひとつは記録といいますか本当は記録というよりもより良くこの世界を見たい、観察したい、と
いうこの両義性です。
それで写真を簡単に言って芸術として捉えている人は、これは光学ファインダーを備えた一眼レフでなけ
ればならないということです。ミラーレスカメラで芸術写真をやっているような人は見たことがありませんし
また出来ないだろうと思います。

美的写真を撮るにはPCモニターの前で画像をいじるだけでなく、そもそも撮影時から意識してやらなけれ
ば決して芸術写真とはならないからです。その為には優れたファインダーが何よりも必要となります。
そもそもミラーレスの液晶画面では自分の創造性が湧くものではありませんよね。(^^ゞ 
そういうわけなので創造的美的芸術性のある写真を目指している方はデジイチ、とりわけフルサイズ一眼
という選択肢しかないのです。
もしもそういう芸術派の人が、ミラーレスカメラでもって自分の写真を貫こうかとすると必ず行き詰るでしょ
う。そこにデジイチとミラーレスの根本的な相違というものが横たわっているわけです。

ミラーレスカメラは画質が優れていますね。ピントは正確だし専用レンズは高性能です。デジイチよりも後
で発売されたものだから総合的な技術が勝ってもいますし。
それでユーザーは最新ミラーレスに行きたがるのですが、ところが実際に使ってみると感が狂うことしかり
であって、こんなはずではなかったのに。ということになるのではないでしょうか。

https://photoxp.jp/pictures/220346
この写真のコメントで、S9000さんが建物を擬人化した・・と書かれていて、彼の新鮮な発想に舌を巻きま
した。ここで言う擬人化とはつまり写真の作品化ですね。
そのように考えると、写真の作品化芸術家とはおしなべて擬人化なのではないかと思えてきます。
たぶん最終的には風景写真であってもそれは撮影者自身の擬人化的投影であるということになるのかも
しれません。
立派な富士の写真を撮る人は、自分もこんなに立派で美しい人間であるからこの俺を崇めろ、って暗に
言っているように聞こえます。それこそ権威主義的写真ですかね。ちなみに裏街道さんは富士を撮っても
遠景で小さくしかいれません。謙遜が働いているものと思われます。(^^ゞ 

写真の擬人化とは別の言葉で言えば、写真は鏡であるということかもしれません。写真は窓か鏡か、とい
うことでは、ミラーレスカメラは窓にしかなり得ず、デジイチは窓にも鏡にもなるというところでしょう。
ついでに言うとS9000さんは芸術的な権威主義的写真ではなく、ほぼ窓的な、見たい知りたいという方向
で写真をなされているようです。APSデジイチではなくフルサイズを使っていたならば、もしかすれば芸術
方向に振ったかもしれませんが。

ともあれ、これから光学一眼カメラがなくなっていきますと、写真は芸術も作品も権威も失っていくという
方向に定まっていくと思ってます。ごく普通の、見たい知りたい、そしてちょっぴり化粧も、という程度の写
真だけになっていくのではないでしょうか。
そしてそれは古くからの写真文化の喪失となります。この作品化写真と共に消滅していくのがもうひとつ
あって、スナップ撮影ですね。この撮影はノーファインダー撮影を除いて優れてよく見えるファインダーの
カメラでなければできない写真ですね。デジイチとかライカでなければ上手くいきません。決定的瞬間に
欠けるスナップではね。しかし現代ではそれを動画で補うという方向に来ています。いやスマホの動画撮
影こそが現代のスナップ撮影となったようです。

この古い写真文化の喪失と言いますか、時代の流れで駆逐されていくというのは残念なものがあります
が世の中の流れには逆らえません。この私にしてもミラーレス機が主流であって、デジイチも使ってはい
るものの、その使い方はすでにミラーレス流です。
たまに思い出したようにしてデジイチでスナップ的な撮影をしても、ああ昔はこのように撮っていたのかと
ノスタルジックに浸るだけのことでした。
時代の流れは大変なものがあります。プーチン氏か昔のノスタルジックでロシアの栄光を掲げても、現実
には西側の先進兵器でコテンパンにやられているのを見るとノスタルジックよりも滑稽ですらあります。

私の場合には光学ファインダーカメラで作品的な写真こそやらなかったものの、スナップ撮影はよくしてい
ました。それがもうできなくなっています。スナップ撮影文化は消滅してしまったわけなんですね。じゃあ
それに代わるショート動画をするわけでもありませんし。

こんなわけでだいたいはこれからの写真の方向が見えてきたかなって思いますし、それを言質する技術
の変遷にも理解できたように思ってます。一抹の寂しさこそありますが時代の流れに沿って自分の写真
術をやり続けていくしかりません。
私の場合は写真は歩きの健康維持の為。それが主目的ですから。これからもそれに邁進することにしま
しょう。

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