メーカー名 | NIKON CORPORATION |
機種名 | D600 |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 24mm |
露出制御モード | ノーマルプログラム |
シャッタースピード | 1/200sec. |
絞り値 | F7.1 |
露出補正値 | -0.7 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 100 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2000x1335 (2.43MB) |
撮影日時 | 2012-01-08 01:42:21 +0900 |
芸大生の日本画
https://gakuin.ochabi.ac.jp/gallery/470.html
これが今の日本画ですね。サイトの作品は写実画ですが自由に描かせればシュールな作品も多々
あります。
水彩画と比べれば日本画は絵の具が異なるので独特なリアルな画質となります。画質というか色合い
ですね。日本画絵の具のリアル感は半端ではなくて、日本画をやっておられる方が夢中になるのは
よく分かります。
それで思ったのが、普通の水彩画がベイヤーカメラだとすれば日本画はフォビオンカメラだということ
です。この喩えは写真をやっていない人には理解できないのですが、ほんとうにピッタリするほどの
画質の共通性があるように思えます。
日本画の岩絵の具の高価ですし扱い方が難しいですね。そして自分でも見惚れてしまうほどの画質
ですから一旦日本画に嵌り込むと水彩画に戻ることは難しいようです。
しかし所詮は画質なんです。絵の本質とか写真の本質とは根本的に違います。
フォビオンも低画素時代(SD9/10/14/15)は問題がなかったのですが高画素のメリルやクワトロなんか
になりますと、その画質の高濃度によってユーザー自身がやられてしまったというところがあったように
感じます。日本画もそうで絵の号数が大きくなりますとこれは大変なものだと思いますね。
画質というのは絵や写真の本質ではけっしてないのですが、その画質というリアルな重質度に作成者
自身が取り込まれてしまったという気がしてならないのです。そこに大きな罠が潜んでいたように思い
ますね。
既にフォビオンカメラは無くなってしまいました。多分もう中古でしか手に入らないんじゃないですか。
私自身、もう一度フォビオンの魅力にはまり込むことはないわけですが、今となってはフォビオンを否定
できたことが自分の写真へのアップグレードになったような気がします。
今の私にはフォーサーズで十分であり、画質への束縛からは自由になれたと思います。
しかしフォビオンを最後に写真から撤退した人は多いんじゃないですかね。それはすごく残念なような
気がしてます。