メーカー名 | Canon |
機種名 | EOS-1D X |
ソフトウェア | Capture One 8 Windows |
レンズ | |
焦点距離 | 500mm |
露出制御モード | 絞り優先 |
シャッタースピード | 1/1579sec. |
絞り値 | F9.1 |
露出補正値 | -0.3 |
測光モード | 分割測光 |
ISO感度 | 800 |
ホワイトバランス | |
フラッシュ | なし |
サイズ | 2000x1333 (1.23MB) |
撮影日時 | 2022-08-22 01:07:18 +0900 |
人はなぜ、写真を撮る、写真をするのでしょうか。
その本質的な理由は自己存在感の確認のように感じられます。
例えば人は他者と対話すること、他者と交わることで自分を知るところがありますね。
それと同じことで、被写体とは他者であり、光景とは自分以外のものです。それを写しとめる
ことで、ちょうど他者と交流したのと同じような気分を味わうことになるのではないでしょか。
人(他者)がいて自分がいるからこの世界は成り立っている、というわけで。
その為の交流や会話の道具ともいえるものが写真のように思えるんです。これは最低限の
写真の属性というか本質的な概念のようなものです。
現在は写真がデジタル化しました。それで写真の物質感というか存在感が希薄になってい
ます。昔は写真と言えばフィルムがありプリントがありで、写真とは様々な物質感覚を伴う
ものでした。それがデジタルとなりますと、そもそもデータというものは手ざわり感がなく
存在感が希薄です。その存在を確かめることもできせん。唯一感覚として存在しているのが
カメラ機材ですね。PCもそうですが。
しかしその機材もPCもコンピューターです。これはブラックボックスですね。
デジタル時代から本格的にアマチュア写真活動をした人は、例外があるにせよ、だいたい
分かります。その存在感が薄いのです。写真を見ればどこかでみたことのあるような写真を
とりますし、コメントを見れば匿名だったり、自分の考えがまるでなかったりで、直ぐに分かり
ますから。
デジタル写真というのは本当に希薄なものだと思います。そういう写真とも言えぬ画像で、
冒頭に述べたように、自らの自己存在感の確認ができるのかとうか。怪しい限りです。
デジタル写真は単なる時間つぶしではないのか?という気分にも通じ、その空しさの果てに
デジタル写真から去っていく人が多いです。さりとて存在感があったとされるフィルム写真
に戻ることももはや出来ません。精々、写真をプリントするくらいが関の山です。(でもこれは
けっこう効果があります。)